15 / 25
一夜が明けて
しおりを挟む
「私、皆さんに聞いてみます。嫌がられるかもしれないけれど。三人のうち誰かの妻にはなるのだから、信頼してもらいたいです」
「はい。六花様が正直にお伝えになれば、きっと応えてくださいます」
羽根をまた一瞬で仕舞い、美鶴は微笑んだ。呼応するように六花も笑うと、ぐううっと大きな音を立てて六花のお腹が鳴る。そういえば、夕食をとっていなかったのだ。
「あらあら、申し訳ございません。消化によさそうな粥をお持ちしたのを忘れておりました」
「……は、恥ずかしい」
「いえ。食欲がおありのようで、安心いたしました」
布団から出た六花のために、美鶴は茵から座卓からてきぱきと準備をこなす。六花は礼を述べて腰を下ろすと、お絞りでしっかり手を拭き、卵粥を口に運んだ。少し冷めてしまったが、優しく素朴な味つけと風味は落ちていない。
「……おいしい」
「こちらは、大牙様のお手製なんですよ」
「えっ?」
厨房担当の使用人が作ったものだとばかり、六花は思っていた。美鶴を見つめると、彼女は優しく笑う。
「六花様の目が覚めたら食べさせてほしいと、自ら厨房に立たれて。私は温め直してお持ちしただけです」
「そうだったんですか」
なんとなく、大牙がどんな思いでこれを作ったのか、六花には分かる気がした。板前をしている彼なら、これくらい朝飯前だろう。それでも、真心がこもっているのは感じられる。きっと、彼の性格上、六花に歯形をつけたことも深く反省しているはずだ。理由がなんだろうが、六花は受け入れるつもりでいる。
順調に食べ進め、美鶴が入れてくれたお茶を途中で飲みながら、六花は他に気になっていることを口にした。
「美鶴さんは、どうして私によくしてくださるんですか?」
「……どうして、とは? それが私の仕事だからという理由は、おかしいでしょうか?」
美鶴は瞬きを繰り返し、きょとんとしている。使用人だからと、当然のことのように捉えていたらしい。六花は首を横に振り、質問の仕方を変えることにした。
「だって。会った時からずっと、親身になって配慮してくださるから。私はなにも返せないし、微塵も役にも立たないのに」
「まあ……そんな卑下するようなこと、仰らないでください。花嫁様の世話係を決める際、私は自分から手を挙げたんです。好きでやっているんですよ」
「えっ、自分から?」
美鶴は何度も頷いた。その理由を続けて教えてくれるようだ。
「はい。答えになるかは分かりかねますが……私は昔、若様方に命を救っていただき、使用人として、この屋敷に拾われました。そういう恩義もありまして、彼らのためになることは、ひとつでも多く成し遂げたいのです」
「……すごい、ですね。私には、そんな信念のようなものはなにも……」
六花はただ、花嫁になるためだけに屋敷にやってきた。妻になる覚悟も、夫になる相手を見定める覚悟も、未だできていないのだ。
「いいえ。六花様はお姿だけでなく、お心まで綺麗な方です。先程の会話で確信いたしました。ですから、もっと自信を持ってください。若様方が花嫁にと望んだ方なんですよ」
「美鶴さん……」
これから先、花嫁としての存在意義や信念を、見つけられるだろうか。美鶴に励まされ、心が解されるのが分かり、六花は涙ぐんだ。残りの粥を全て食べ終えると、美鶴が無駄のない動きで片付けを始める。
「つい、長居をしてしまいました。明日の朝も湯浴みの用意をしておきますから、もうお休みになってください」
「……ありがとう」
「いえ。なにがあったかは存じませんが、若様方のこと、どうかよろしくお願いいたします」
丁寧に一礼をして、美鶴は去っていった。六花も布団に戻り、眠りにつこうと横になる。だが、あの出来事が全部現実だったということを、今になって実感し始めて、六花はひとり真っ赤になった。
香料の効果で思考が鈍っていたのは確かだが、はしたなく強請った言葉も、酷く声を上げて喘いだことも――快感を教え込まれたことも、全て覚えている。
「明日、どんな顔で会えば……」
三兄弟と顔を合わせない方法などない。明日一日は鬼灯の妻になるのだ。六花は布団を深々と被り、恥ずかしさに耐えながら眠気を待った。
+++
うつらうつらとし始めたのがいつだったか。六花は気付かぬうちに眠っていて、前日と同じく美鶴が起こしに来る頃に、目を覚ました。
身体に異常がないことを再度確認し、湯浴みを済ませ、昨日とは異なる紺色の着物を出してもらう。美鶴は六花の髪を櫛で梳いて一房とり、朱色の紐を通して蝶々結びを作った。六花ひとりではできない髪型だ。それも、美鶴の厚意によるものであることは、明らかだった。
美鶴に背中を押されるような気分で、六花は朝食の広間へと入る。既に三兄弟は揃っていた。羽琉は眼鏡をかけて優雅に読書をしており、鬼灯は六花を見るなり目を泳がせ、大牙は青ざめて俯いた。三者三様の反応に、六花も対応に困る。
「お、おはようございます……。昨日は、その……」
「いいんだ、六花。またそれぞれで話そう?」
言葉に詰まっていると、鬼灯がそう言った。彼の頬も赤く染まっており、我に返って恥ずかしくなっているのは、六花と同じようだ。六花は賛同を示すように頷いた。
「六花、体調は問題なさそう?」
本から顔を上げて、羽琉が笑う。
「はい。お、お陰さまで……」
「よかった。あの香料は、絶対六花に見つからないところに隠しておくよ」
元はといえば、六花が間抜けなことをしなければ、何事もなく一日を終えたはずなのだ。羽琉にも迷惑をかけてしまったが、彼は気に留めていないようだった。
「その……六花、ご、ごめん……」
「大牙くん、お粥おいしかったよ。ありがとう」
「あ……食べて、くれたんだ?」
大牙は、六花が粥を食べたかまでは確認していなかったらしい。
「うん。美鶴さんが持ってきてくれたの」
言葉でなくても、彼が込めた思いは伝わっている。これ以上、大牙が自分を追い込まなくて済むように、六花は極力柔らかい声で話しかけた。
六花が頷くと、大牙は頬をぽりぽりと掻いて笑う。六花が怒っていないと分かって、安心したようだった。
「みんな、おはよう」
「おはようございます」
直靖が入ってきて、上座に腰を下ろす。全員で挨拶を返した後、六花は慌てて昨夜の不在を詫びた。
「はい。六花様が正直にお伝えになれば、きっと応えてくださいます」
羽根をまた一瞬で仕舞い、美鶴は微笑んだ。呼応するように六花も笑うと、ぐううっと大きな音を立てて六花のお腹が鳴る。そういえば、夕食をとっていなかったのだ。
「あらあら、申し訳ございません。消化によさそうな粥をお持ちしたのを忘れておりました」
「……は、恥ずかしい」
「いえ。食欲がおありのようで、安心いたしました」
布団から出た六花のために、美鶴は茵から座卓からてきぱきと準備をこなす。六花は礼を述べて腰を下ろすと、お絞りでしっかり手を拭き、卵粥を口に運んだ。少し冷めてしまったが、優しく素朴な味つけと風味は落ちていない。
「……おいしい」
「こちらは、大牙様のお手製なんですよ」
「えっ?」
厨房担当の使用人が作ったものだとばかり、六花は思っていた。美鶴を見つめると、彼女は優しく笑う。
「六花様の目が覚めたら食べさせてほしいと、自ら厨房に立たれて。私は温め直してお持ちしただけです」
「そうだったんですか」
なんとなく、大牙がどんな思いでこれを作ったのか、六花には分かる気がした。板前をしている彼なら、これくらい朝飯前だろう。それでも、真心がこもっているのは感じられる。きっと、彼の性格上、六花に歯形をつけたことも深く反省しているはずだ。理由がなんだろうが、六花は受け入れるつもりでいる。
順調に食べ進め、美鶴が入れてくれたお茶を途中で飲みながら、六花は他に気になっていることを口にした。
「美鶴さんは、どうして私によくしてくださるんですか?」
「……どうして、とは? それが私の仕事だからという理由は、おかしいでしょうか?」
美鶴は瞬きを繰り返し、きょとんとしている。使用人だからと、当然のことのように捉えていたらしい。六花は首を横に振り、質問の仕方を変えることにした。
「だって。会った時からずっと、親身になって配慮してくださるから。私はなにも返せないし、微塵も役にも立たないのに」
「まあ……そんな卑下するようなこと、仰らないでください。花嫁様の世話係を決める際、私は自分から手を挙げたんです。好きでやっているんですよ」
「えっ、自分から?」
美鶴は何度も頷いた。その理由を続けて教えてくれるようだ。
「はい。答えになるかは分かりかねますが……私は昔、若様方に命を救っていただき、使用人として、この屋敷に拾われました。そういう恩義もありまして、彼らのためになることは、ひとつでも多く成し遂げたいのです」
「……すごい、ですね。私には、そんな信念のようなものはなにも……」
六花はただ、花嫁になるためだけに屋敷にやってきた。妻になる覚悟も、夫になる相手を見定める覚悟も、未だできていないのだ。
「いいえ。六花様はお姿だけでなく、お心まで綺麗な方です。先程の会話で確信いたしました。ですから、もっと自信を持ってください。若様方が花嫁にと望んだ方なんですよ」
「美鶴さん……」
これから先、花嫁としての存在意義や信念を、見つけられるだろうか。美鶴に励まされ、心が解されるのが分かり、六花は涙ぐんだ。残りの粥を全て食べ終えると、美鶴が無駄のない動きで片付けを始める。
「つい、長居をしてしまいました。明日の朝も湯浴みの用意をしておきますから、もうお休みになってください」
「……ありがとう」
「いえ。なにがあったかは存じませんが、若様方のこと、どうかよろしくお願いいたします」
丁寧に一礼をして、美鶴は去っていった。六花も布団に戻り、眠りにつこうと横になる。だが、あの出来事が全部現実だったということを、今になって実感し始めて、六花はひとり真っ赤になった。
香料の効果で思考が鈍っていたのは確かだが、はしたなく強請った言葉も、酷く声を上げて喘いだことも――快感を教え込まれたことも、全て覚えている。
「明日、どんな顔で会えば……」
三兄弟と顔を合わせない方法などない。明日一日は鬼灯の妻になるのだ。六花は布団を深々と被り、恥ずかしさに耐えながら眠気を待った。
+++
うつらうつらとし始めたのがいつだったか。六花は気付かぬうちに眠っていて、前日と同じく美鶴が起こしに来る頃に、目を覚ました。
身体に異常がないことを再度確認し、湯浴みを済ませ、昨日とは異なる紺色の着物を出してもらう。美鶴は六花の髪を櫛で梳いて一房とり、朱色の紐を通して蝶々結びを作った。六花ひとりではできない髪型だ。それも、美鶴の厚意によるものであることは、明らかだった。
美鶴に背中を押されるような気分で、六花は朝食の広間へと入る。既に三兄弟は揃っていた。羽琉は眼鏡をかけて優雅に読書をしており、鬼灯は六花を見るなり目を泳がせ、大牙は青ざめて俯いた。三者三様の反応に、六花も対応に困る。
「お、おはようございます……。昨日は、その……」
「いいんだ、六花。またそれぞれで話そう?」
言葉に詰まっていると、鬼灯がそう言った。彼の頬も赤く染まっており、我に返って恥ずかしくなっているのは、六花と同じようだ。六花は賛同を示すように頷いた。
「六花、体調は問題なさそう?」
本から顔を上げて、羽琉が笑う。
「はい。お、お陰さまで……」
「よかった。あの香料は、絶対六花に見つからないところに隠しておくよ」
元はといえば、六花が間抜けなことをしなければ、何事もなく一日を終えたはずなのだ。羽琉にも迷惑をかけてしまったが、彼は気に留めていないようだった。
「その……六花、ご、ごめん……」
「大牙くん、お粥おいしかったよ。ありがとう」
「あ……食べて、くれたんだ?」
大牙は、六花が粥を食べたかまでは確認していなかったらしい。
「うん。美鶴さんが持ってきてくれたの」
言葉でなくても、彼が込めた思いは伝わっている。これ以上、大牙が自分を追い込まなくて済むように、六花は極力柔らかい声で話しかけた。
六花が頷くと、大牙は頬をぽりぽりと掻いて笑う。六花が怒っていないと分かって、安心したようだった。
「みんな、おはよう」
「おはようございます」
直靖が入ってきて、上座に腰を下ろす。全員で挨拶を返した後、六花は慌てて昨夜の不在を詫びた。
0
お気に入りに追加
365
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる