日替わりの花嫁

枳 雨那

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事件発生!?

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「分かりました。美鶴さん、なにからなにまで、ありがとうございます」
「ふふ。今朝よりも、お顔が明るくなりましたね。羽琉様のおかげでしょうか」
「えっ」

 美鶴が目を細めてそう言うものだから、六花は胸の高鳴りを見抜かれてしまったかと焦った。羽琉も美鶴につられたように笑い始める。

「ふふ。それはいいことを聞いたな。正式な夫へ、一歩前進だ」
「さあ、どうでしょうか。明日以降は鬼灯様も大牙様も控えてらっしゃいますから、まだまだ分かりませんよ?」

 美鶴の言う通り、じっくり時間をかけて、結論を出していくのだ。

「うーん、手強いな。頑張って口説き落とさないと」
「まあ、六花様も大変ですね」

 美鶴はこの状況を楽しんでいるのではないだろうか。言葉遣いも丁寧で洗練されているものの、目上の者にも物怖ものおじしない発言のその奥に、強い好奇心が見え隠れする。

「も、もう勘弁してください~!」
「失礼いたしました。では、私は戻りますので、ごゆっくりなさってください」

 ほほほ、と上品な笑いを残して、美鶴は帰っていった。六花の慌てようを見ながら、羽琉は未だにお腹を押さえながら笑いを堪えている。馬鹿にされているわけではないと分かっているのだが、六花は軽く羽琉の胸を叩いて抗議した。

 ほどよい量の昼食を済ませると、午後は穏やかに過ぎていった。客足が落ち着き、羽琉が店じまいを始めたのが、日も傾きかけた頃。六花は帳簿整理を終えて、棚の掃除を手伝っていた。

「そろそろ帰ろうか」
「はい。……きゃっ!」

 振り返った時に、六花の着物の裾が引き出しに挟まったままだったらしい。ぐいっと腕を後ろに引っ張られ、体勢を崩した六花は、棚に背中と後頭部をぶつけてしまった。

「六花!」

 羽琉が慌てて駆けつけようとしたのが目に入った後、六花の頭上に粉が大量に降ってきた。棚の最上に置かれていた蓋付きの瓶が、先の衝撃で倒れ、中身が零れたようだ。その証拠に、該当の蓋が六花の真横に落ちて、割れていた。甘ったるい香原料を大量に吸い込んでしまい、六花はせ返る。

「ごほっ……これっ、大事な原料っ、ごめんなさい……! ごほっ」
「大丈夫。喋らなくていい。口の中に入ったのも、水を含んでできるだけ吐き出して」

 羽琉が青ざめながら、六花の頭や肩にかかった粉を払った。六花はすぐに手洗い場に移動し、美鶴が持ってきてくれた水筒の残り水でうがいをする。それでも全ては取り切れず、口の中に苦い粉の味が残っていた。

「あの、大事な商売道具を、台無しにしてしまって……。あっ、掃除もしないと!」
「いいんだ、六花。気にしないで」

 羽琉は手拭いを水で湿らせ、六花の肌や髪、着物から粉を極力取り除こうとしている。甘すぎるが六花の苦手な香りではないし、湯浴みすれば十分なので、そのままでもよかったのだが。

「あの、もしかすると、私は大変なことをしてしまったのでは……?」

 羽琉が余程焦っているので、六花は疑問に思い始めた。

「……うん。まずいことになった、かも」

 羽琉の顔は、冗談を言っていない。ならば、これは本当だ。

「えっ。そんな、本当にごめんなさい……!」
「大丈夫、六花は悪くない。落ち着いて聞いて」

 取り乱す六花をなだめようと、羽琉が壊れ物を扱うように腰と頭を抱きしめる。触れたところから羽琉の体温と、耳元にかかる息遣いを感じて、六花はびくりと身体を揺らした。全身が、熱くなってきているようだ。

「六花が吸い込んだのは、強い催淫さいいん効果のあるお香の原料なんだ」
「さい、いん……?」
「通常使うときは、ほんのひとつまみ、他の香料と混ぜるんだけど……。六花は原料を直接吸い込んでしまったから、効果が強く出るかもしれない」

 つまり、どういうことなのか。徐々に六花の肌が火照ってきて、呼吸まで荒くなる。身体に異常が出始めていることは分かるのだが、これは一体どのような効果の現れだろうか。

「六花?」
「ひゃっ……!」

 髪の間から首筋に少し触れられただけで、六花の背中にぞくぞくとした甘い痺れが走った。生まれて初めての感覚に、六花は狼狽うろたえる。力が抜けそうになり、羽琉の羽織にしがみついていると、羽琉がごくりと喉を鳴らすのがはっきり聞こえた。

「ごめんなさい。なんか、変なんです! 身体が熱くて……」
「……分かった。とにかく、屋敷に帰ろう」

 腰を支えられ、六花は羽琉に寄りかかるようにして、店を出た。屋敷までの少しの距離が、とても遠いように感じるほど、足がふらふらする。羽琉は難しい顔をしたままだが、六花を気遣うような声を度々かけながら、連れ帰ってくれた。

「お帰りなさいませ。あら……六花様、どうなされました?」

 ふたりの帰宅に気付いて、玄関に颯爽と現れたのは美鶴だった。彼女は一瞬で六花の不調を見破ると、すぐさま駆けつけてくる。

「六花の部屋で休ませてやってくれるかな。それと、できれば周辺の人払いも」
「……六花様は、大丈夫なのですよね? 治るのですよね?」

 神妙な面持ちで、美鶴は羽琉に確認した。店でなにかがあったのだと悟ってはいるものの、詳しく聞こうとしないのは、彼女なりの線引きなのだろう。美鶴の心配がありがたいのだけれど、六花は話すのも辛くなっていて、息を荒くしながら立っているのがやっとだった。

「僕が責任を取って、どうにかする。まだ、医師は呼ばないで」
「……旦那様へのご報告は、いかがなさいますか?」
「今日のところは、わざとではないとはいえ激昂げきこうされかねないから、黙っていてもらっていいかな」
「かしこまりました。またなにかあれば、私にお伝えください」
「……美鶴は優秀で助かるよ」

 ふたりは、長年で築かれた信頼関係を早口の会話で披露した。下駄を脱いで屋敷へと上がった六花は、今度は美鶴の身体にもたれかかった。美鶴は心配そうに眉を下げ、六花の身体を力一杯支えてくれる。

「美鶴さん、ごめんなさい……」
「謝らなくていいんですよ。早く横になりましょう」

 部屋に戻ると、美鶴は六花を一旦優しく降ろして、畳の上に座らせた。てきぱきと布団を出し、六花を浴衣に着替えさせるのを手伝ってくれる。昨夜も、気を失った六花を着替えさせたのだから、手慣れたものだった。

「不思議な、甘い匂いがしますね……。お香、ですか?」
「……はい。私が間抜けたことをしてしまって、原料を吸い込んだんです」

 美鶴は眉を下げ、「かわいそうに……」と六花の頭を撫でた。

「この後は、羽琉様にお任せはしますが、辛いときは私にもなんでもおっしゃってください」
「ありがとう……美鶴さん」

 なぜ、彼女はこんなにも六花によくしてくれるのだろうか。それを聞きたいのに、六花の喉はからからにかわいていて、言葉が続かない。布団に横になってから美鶴に手を伸ばせば、彼女は慈しむような笑顔を向け、そっと握り返してくれた。
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