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一章 少女と少年、それから化け猫
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しおりを挟む「妖の目撃情報を辿って、まさかと思って探ったら……今日こそは仕留める、屍人憑き!!」
声を荒げてこちらを睨む少年。
鈴切家のお坊ちゃんがわざわざこんな汚い路地裏によく来れたもので(どこぞのお嬢サマにも言える事だが)そのクソ真面目なんだか無頓着なんだかよくわからない性格にほとほと呆れかえる。
学校帰りで慌てて追って来たのか高級そうな制服のズボンの裾は所々土埃で汚れていた。
どれだけ俺を殺したいのか。
「おヨびだぞ、きょんしぃ」
「キョンシーって言うな化け猫。何もかにも全部、お前のせいじゃねえか。いい加減捨ててくぞ」
捨てられるのなら捨てたいと本心から思うのだが。後々のことを考えるとそれも出来ずどうしようもない腹立たしさに振り回される。
暢気にからかってくる疫病神な化け猫をよそに小娘を見るとかすり傷一つ無いようで、立ち上がって物珍しそうに地面から生えた鉄をつついていた。そうかお前も暢気か。
術だけでも厄介なのにその上刃物まで振り回してくるものだから非常に面倒くさい。勢い良く突き出た凶器を水術で弾き、その反動で距離をとるも、数歩で詰められる。
「あの、きょんしいとかしびとって何です……ひゃあっ!?」
「あっぶね、一般人を巻き込むつもりかこの馬鹿! あとお前も空気読め馬鹿!」
ぼさっとしている小娘を慌てて引き寄せるとその足元から金属が生える。
ざり、と金属の槍がとうとう腕を掠って血が溢れ出す。
ムカつく事に化け猫はひらりひらりとそれを避けて、俺をみて小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
あの野郎……
「あの、血が出てっ、怪我……ひぃい!! また生えた」
「珍しいのはわかったからいちいち騒ぐな、うるっせえ」
「というか、ひぎゃあ!? ……妖術師だったんですね。じゃあ、お願いがあってですね」
「この状況でか、後にしろバカ娘!」
ひっきりなしにぴーぴー騒ぐバカ娘を半ば引き摺りながら大通りを目指す。
人通りの中にさえ出れば刃物は振り回せないし術も乱発出来なくなるはずだ。この小娘を雑踏の中に放り込めば面倒事も減るし丁度いい。
お願い? 知るかそんなもん。
「ど、どこ行くんですかっ、ちょっと」
「とうとう人質まで取るか、化け物が!!」
「人質じゃねえよ、むしろ足引っ張って……っとダメだ、話通じねぇ」
「しつけえゾ! シャアァア!!」
勢い良く飛び出した化け猫は瞬時に鈴切と距離を詰め、爪と牙を剥き出しにして喉笛目掛けて襲い掛かる。
相手は術の発動が間に合わない様で目を見開いて固まっていた。ざっと血の気が引く。
「でん、殺すな!!」
「でんちゃん、ダメ!!」
二つの制止の声にでんはビタリと既の所で動きを止める。僅かに遅れた小娘の声に従ったようにも見えて一瞬呆けた。
基本的にこいつは人間の指示なんか聞くことはない。たとえ高位の妖術師であっても従うことはないし逆らうのが普通。人間やめたババアですら指示を通すのは手がかかるとぼやいていたのに。
ぼふり、と爪と牙を仕舞ったでんの腹が鈴切の顔に激突する。
その衝撃で尻餅をついて放心状態の鈴切と呆然としている小娘をよそに、ワンバウンドしながら着地しぷるぷると身震いしている暢気な化け猫を小脇に抱えて一目散に逃げ出した。
いつまでもここにいる理由もない。頭の中で組み立てた予定は一瞬で使い物にならなくなったが今は化け猫をひっ捕らえてババアに送り届けるのが先決。
後の事は知らん。もう、どうにでもなれ。
*
引き留める間もなく、まるで突風のような速さで薄暗い道に消えて行ったその方向を見て呆然としていた。
突然現れた妖術師の喉元目掛けて跳んでいく猫の妖に声を上げ、止まってくれたのはいいのだけど。
逃げたあの人にも聞きたいことがあったしそれ以上にあのふかふかの体毛に別れを告げることが出来なかったのが惜しい。
「あの、大丈夫……?」
控えめに声をかけられて我に返る。
忘れてた、でんちゃんに襲われてた人がいたことを。
「あ、ごめんなさい、私は大丈夫です。それよりあなたは……?」
「おかげさまで、怪我一つ無いよ。……もしかして君、桐生家の璃子ちゃん?」
「え?どうして、」
不思議に思って首を傾げると相手は柔和な笑みを浮かべて、懐かしいなと呟いた。
「妖術師四家の集会以来かな。璃子ちゃんはまだ小さかったから、憶えてないのも無理ないか」
「ええと、鈴切家の人……ですよね」
「うん、鈴切 千李。送って行くよ……ここは空気が悪い」
辺りを見回した彼は思わず顔を顰める。埃っぽくて薄暗い空間は妖が湧きやすい。
打ち捨てられた何かの機材の影の中で、もぞもぞと何かが蠢いている。暗くてはっきりとは見えないが、ちらりと小さい蟲の脚が何本も絡み合ってもがいているのが見えてぞわりと背筋が寒くなった。
小物は人を襲うことはあまりないから基本無視しても害はないけれども、彼はそれすらも見逃すつもりはないようだった。
蟲に気が付くと「少し待ってて」と近くに落ちていた自前の刃物を拾い、ゆっくりとそれに近づいていく。
刃物を大きく振りかぶる様子に思わず目を背け、数秒も経たないうちにぐしゃり、と弾けた様な音がした。
独特な臭いが周囲に立ち込め、思わず口を手で覆う。
「……お待たせ。さあ、行こうか」
差し出された掌に、恐る恐る自分の手を重ねる。見上げると、どこか冷たい雰囲気を残した笑顔が微笑んでいた。
*
名門高校の制服を着た鈴切の人に手を引かれて、帰路を歩く。
なんで私の家を知っているんだろうとか、どうやって地面から金属を生やしたんだろうとか、聞きたいことは沢山あったけれど、それよりも気になる事があった。
「あの、鈴切さん」
「千李でいいよ。鈴切姓はあちこちにいるから、ややこしいんだ」
「じゃあ、千李さん。あの人って、そんなに悪い人なんですか?しびととか、言ってましたけど」
「言葉通り、死んだ人間だよ」
「そんな……まさか」
とてもそんな風には見えなかった。
確かにあの人は生きている様に見えた。少しばかりガラの悪いだけの、普通の人に。
それをゆるく首を振って彼は否定する。
「本当なんだ。あの人は死んだはずだった。なのに起き上がり、動き出す。何度致命傷を与えてもアイツは死なない……って、女の子に話すような事じゃあないね」
「……でも、生き返っただけでそんな」
「ただ生き返っただけなら僕らだってここまでしないよ。見張りはするだろうけどね。人に害があるから殺すんだ」
「害?」
「人を喰うんだよ、あいつらは。妖が人を喰うことは知ってるよね」
咎めるように問われて、居心地悪く頷く。
妖の生態は詳しくはないが大物であれば人を食べることは知っていた。小物であれば人など襲えるほど強くはない。せいぜいネズミや虫を狩る程度で見逃されることが多い。
大物も滅多に現れず、最後に確認されたのは十三年ほど前。璃子が生まれて間もない頃の話だ。
確かに、と千李は続ける。
「大物はそう出現しないけど、小物だって人を喰わない訳じゃない。自分より弱いと思えば襲い掛かる。現に冬を越せなかった浮浪者の周りには、妖が群がってそれを喰ってる場合が多い」
「でも、あの人たちは……とてもそんな風には」
「妖は例外なく駆除だよ。私情で見逃すことは無い」
冷ややかにそう言い切った千李さんは、それから家に着くまで口を開くことはなかった。
あの人達が人を食べるのだとしたら、どうして私は今、生きているんだろう。どうして私を庇ってくれたんだろう。
聞いてみたかったけれど、千李さんの氷のように変わってしまった雰囲気の前では、何も知らない私はただ黙る事しか出来なかった。
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