上 下
39 / 55

38 ヴィンセント25歳 11

しおりを挟む
「なぜ、皆の前で皇妃に恥を掻かせた。皇妃を別室へ隔離する前に、罵倒した者たちを捕らえるほうが先だろう」

(ヴィー……。私を信じて、怒ってくれているの……?)

 今までは、ヴィンセントがその目で見ていたからこそ、かばってもらえた。
 けれど今回は、彼は現場を見ていないのに。そこまで信頼してくれているとは思いもしなかった。
 彼にとってエルシーは、息子が望むからそばに置いているだけの存在だと思っていたから。

「へっ陛下っ……! しかし……」

 息苦しそうな試験官が何か言おうとすると、さらに部屋へと騎士が入室してきた。

(あの人は確か……)

 ヴィンセントの十六歳の誕生日に、彼を迎えに来た騎士団長。
 彼は大股でヴィンセントのもとへと向かうと、そこで丁寧に一礼した。彼は今でもヴィンセントの味方のようだ。

「陛下。皇妃殿下を罵倒し試験を妨害した者たちは、全て捕らえました。それから――」

 騎士団長がヴィンセントへ耳打ちすると、ヴィンセントは掴んでいた試験官をそのまま騎士団長へと押しつけた。

「その者も連れて行け」
「陛下なぜですか! 私はただ皇妃殿下のカンニングを見つけただけです!」
「それとこれとは話が別だ。皇妃が罵倒される姿を見て、笑っていたそうではないか。立派な皇族不敬罪だ」

 試験官が連れていかれる姿を呆然と見守っていると、ヴィンセントがエルのもとへと歩み寄ってきた。

「皇妃、申し訳ありません。こういった事態を見越して、会場に僕の騎士団を配置しておくべきでした」
「陛下に非はございませんわ。私の足元に紙が落ちていたのは事実ですし……」

 それは周りにいた受験者も目にしている。大勢の目撃者がいたとしても、彼はエルを信じてくれるのだろうか。

「陛下。大ごとになってしまったからには、事実を明らかにしませんと……。試験官の主張では、皇妃殿下のお召物から紙が落ちた瞬間を見たそうで……」

 エルに続いてそう発言したのは、この試験の責任者だ。
 彼は試験官とは違い頭ごなしにエルが罪を犯したとは判断しなかった。試験官の迫力に押されてはいたが、ヴィンセントを呼んでくれたのは彼だ。

 今しがたヴィンセントが「それとこれとは話が別」と言ったように、平民たちから受けた罵倒と、エルのカニング疑惑は別もの。

 少し考える素振りを見せたヴィンセントは、再びエルに視線を向けた。

「試験を受ける前に、誰かと接触しませんでしたか?」

(マリアン嬢とぶつかったけれど……。まさか、その時に……?)

 けれどそれが事実だったとしても、マリアンはヒロインで、エルシーは悪役。どちらの都合に合わせてストーリーが動くかは目に見えている。

(きっとマリアン嬢が犯人かもしれないと訴えた途端に、私は悪役に仕立てられるわ。犯人はきっとマリアン嬢を装った第三者よ)

「特に、不審なことはありませんでした……」
「でしたら、筆跡鑑定魔法を使いましょう。疑わしいのは貴族全員と、その使用人。それでも見つからなければもっと範囲を広げます」

 そう提案するヴィンセントに、責任者は大慌てで話に割って入る。

「陛下! それは無茶でございます。筆跡鑑定魔法を使える者は限られております。貴族全員の筆跡と照合するには、時間をかけるか、マナを大量消費するしか……」
「それなら、僕が筆跡鑑定魔法を使えば文句はないな。とにかく皇妃の失格は保留だ。ここで試験の続きを受けさせるように」

 ヴィンセントはそれだけ言い残すと、さっさと部屋から退出してしまった。




 ヴィンセントのおかげで無事に試験を終えられたエルは、その日の夜遅くに彼の執務室を訪れた。
 エルヴィンと三人で夕食をした際に今日のお礼は言ったが、彼は仕事が残っているからと、夕食もそこそこに皇子宮から帰ってしまったのだ。
 仕事とはきっと筆跡鑑定魔法のことだろうと思ったエルは、エルヴィンを寝かしつけてから彼のもとを訪れた。

「陛下。今日はもうお休みください」

 初めは手伝いをしていたエルだが、彼は一向に作業を終える気配がない。さすがに日付が変わりそうなのでそう申し出てみた。

「皇妃は先におやすみください」
「私ではなく、陛下がお休みになるべきです。マナがこんなに減っています……」

 彼の手首に触れて確認したエルは、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。治療の仕事が多かった日のエルですら、こんなには消耗しない。

(そもそもなぜヴィーが、筆跡鑑定魔法を使えるのよ……)

 この魔法はマナ効率が非常に悪いので、それを職業にしたい者がそもそも少ない。
 筆跡が同一の者だと認められるには、一致率が九割を超える必要がある。その九割を確保するためには同一人物が書いた文章を、時には何百枚も魔法で読み込まなければいけない。

 それを人に任せず自分でするために覚えたのなら、彼は冷徹皇帝とは似ても似つかないお人好しだ。

「試験結果が出る前に、皇妃の失格を撤回しなければいけませんから。時間がありません」
「なぜ、私のためにそこまで……」
「僕の願いのせいで、あなたの評判に傷をつけたくありません」
「私の評判なんて、初めから良くないですよ?」
「それも僕のせいです。僕があなたを遠ざけていたから……」

(罪悪感を持っているのね……)

 彼が罪悪感を抱えながら生きている姿を見るたびに、エルは辛くなる。彼は本来、自分の意思を突き通す人だから。
 ヴィンセントが望んでいたのはエルとの結婚で、エルシーとは皇帝の義務としての政略結婚。望みどおりに生きられていないからこそ、罪悪感を抱いているのではないか。
 そして、そうさせているのはエルなのではないかと。

(せめて、私のことでは苦労しないでほしいわ)

 エルはヴィンセントの腕を掴み、強引に執務室を出た。

「皇妃。何を……」
「今日は皇子様と一緒に寝るお約束をしているのでしょう? 目覚めた時に陛下がおられなければ、皇子様ががっかりしてしまいます」

 皇子宮へと向かいながらそう説明すると、ヴィンセントは大人しく手を引かれながらぼそっと呟いた。

「……あなたはいつも、強引ですね」

(エルのころの私って、ヴィーを甘やかしすぎていたのかしら?)

 エルは昔を思い出しながらそう考えていたので、ヴィンセントがさらに呟いた言葉は耳に入らなかった。

「強引で、全然似ていないのに…………。あの人を思い出します」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!

高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。

婚約破棄目当てで行きずりの人と一晩過ごしたら、何故か隣で婚約者が眠ってた……

木野ダック
恋愛
メティシアは婚約者ーー第二王子・ユリウスの女たらし振りに頭を悩ませていた。舞踏会では自分を差し置いて他の令嬢とばかり踊っているし、彼の隣に女性がいなかったことがない。メティシアが話し掛けようとしたって、ユリウスは平等にとメティシアを後回しにするのである。メティシアは暫くの間、耐えていた。例え、他の男と関わるなと理不尽な言い付けをされたとしても我慢をしていた。けれど、ユリウスが楽しそうに踊り狂う中飛ばしてきたウインクにより、メティシアの堪忍袋の緒が切れた。もう無理!そうだ、婚約破棄しよう!とはいえ相手は王族だ。そう簡単には婚約破棄できまい。ならばーー貞操を捨ててやろう!そんなわけで、メティシアはユリウスとの婚約破棄目当てに仮面舞踏会へ、行きずりの相手と一晩を共にするのであった。けど、あれ?なんで貴方が隣にいるの⁉︎

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

死亡フラグ立ち済悪役令嬢ですけど、ここから助かる方法を教えて欲しい。

待鳥園子
恋愛
婚約破棄されて地下牢へ連行されてしまう断罪の時……何故か前世の記憶が蘇った! ここは乙女ゲームの世界で、断罪され済の悪役令嬢だった。地下牢に囚えられてしまい、死亡フラグが見事立ち済。 このままでは、すぐに処刑されてしまう。 そこに、以前親しくしていた攻略対象者の一人、騎士団長のナザイレが、地下牢に現れて……?

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

婚約破棄したい悪役令嬢と呪われたヤンデレ王子

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「フレデリック殿下、私が十七歳になったときに殿下の運命の方が現れるので安心して下さい」と婚約者は嬉々として自分の婚約破棄を語る。 それを阻止すべくフレデリックは婚約者のレティシアに愛を囁き、退路を断っていく。 そしてレティシアが十七歳に、フレデリックは真実を語る。 ※王子目線です。 ※一途で健全?なヤンデレ ※ざまああり。 ※なろう、カクヨムにも掲載

あなたの嫉妬なんて知らない

abang
恋愛
「あなたが尻軽だとは知らなかったな」 「あ、そう。誰を信じるかは自由よ。じゃあ、終わりって事でいいのね」 「は……終わりだなんて、」 「こんな所にいらしたのね!お二人とも……皆探していましたよ…… "今日の主役が二人も抜けては"」 婚約パーティーの夜だった。 愛おしい恋人に「尻軽」だと身に覚えのない事で罵られたのは。 長年の恋人の言葉よりもあざとい秘書官の言葉を信頼する近頃の彼にどれほど傷ついただろう。 「はー、もういいわ」 皇帝という立場の恋人は、仕事仲間である優秀な秘書官を信頼していた。 彼女の言葉を信じて私に婚約パーティーの日に「尻軽」だと言った彼。 「公女様は、退屈な方ですね」そういって耳元で嘲笑った秘書官。 だから私は悪女になった。 「しつこいわね、見て分かんないの?貴方とは終わったの」 洗練された公女の所作に、恵まれた女性の魅力に、高貴な家門の名に、男女問わず皆が魅了される。 「貴女は、俺の婚約者だろう!」 「これを見ても?貴方の言ったとおり"尻軽"に振る舞ったのだけど、思いの他皆にモテているの。感謝するわ」 「ダリア!いい加減に……」 嫉妬に燃える皇帝はダリアの新しい恋を次々と邪魔して……?

処理中です...