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25 ヴィンセント21歳 04

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 それから三か月ほど経ち、エルが子育てに少しずつ慣れたころ。エルはオーナーに、あるお願いをした。
 子どもの面倒をみつつ、徐々に職場復帰したいと。

 もともとあの診療所は自由が利く場所だったし、乳児の面倒を見ながら働くにも安心できる場所だ。
 いつまでのここにお世話になるわけにもいかないし、家に戻れば生活費が必要だ。

 けれどオーナーは困ったような顔で、エルから視線をそそらした。

「申し訳ございませんが、それはできかねます」
「ご迷惑でしたか?」
「決してそういう訳では。ただ、皇太子殿下がお許しにならないかと……」
「殿下のお許しをいただければ良いのね」
「はい……。それより、無理して働く必要はございませんよ。私どもは、エル様を養女にお迎えしたいと考えております」
「私は殿下と結婚しないのに、必要ないと思いますが」
「それでもです。殿下はエル様の幸福を願っておられます」

 裕福な暮らしが幸福とは限らないと、ヴィンセントなら分かっているはずなのに。




 その夜。エルの元へと足を運んだヴィンセントに、エルは宣言した。

「ヴィー。私、ここを出て家に帰ろうと思うの。それから仕事にも復帰したいわ」
「なぜですか。ここに不満でもありますか?」
「男爵邸の方々は、私たちにとても良くしてくれたわ」
「それなら、ずっとここにいてください。オーナーにはエルの生活費を渡してありますから、何も気にする必要はありませんよ」

 オーナーからも引き止められているし、エルが男爵邸にいたほうが都合が良い者は多いようだ。
 けれど……。

「これでは、結婚しているのと変わらないわ……」
「エルは皇宮が嫌なんですよね? 僕のことを嫌いなわけではないと」
「そうだけれど、あなたはいずれ結婚しなければいけないのよ? 愛人をもつなんて良くないわ」

 エルが男爵邸に住んでから一年ほど経つが、その間ヴィンセントは毎日のようにここへ通っている。
 これほど大っぴらに行動していたら、皇宮や貴族の間でも噂になっているはず。
 悪役皇妃や、ヒロインの耳にも入っているかもしれない。

「エルは愛人などではありません! 僕にとっては大切な、愛する人です……。エルがいない人生なんて考えられません……」

 ヴィンセントは崩れ落ちるように両膝を床につけながらそう叫ぶと、縋りつくようにエルの腰へと抱きついてきた。そして、がたがたと震え出す。

「すみません。もう大人だから震えたりしないはずなのに……」
「ヴィー……ごめんなさい。急すぎたわね」

 五年ほど離れていたことで、エルがいなくても彼は不安に震えることなく生きられるようになっていると思っていた。
 けれどそうではなかったのだ。彼はこの五年間を、エルと一生を共にするための準備期間にしていただけだった。
 
 小説の本編が始まるのはあと半年ほどだ。
 彼は長年の恨みである父親を倒し、皇帝となる。そして、ヒロインと出会う前に悪役皇妃を迎える。

 それまでにエルの存在を消さなければ。
 皇后の脅威は消えたけれど、今度は悪役皇妃に目をつけられるはずだ。
 悪役皇妃は心の底からヴィンセントを愛している。そのせいで邪魔な存在であるヒロインを虐めたのだから、エルの存在を知れば放っておくはずがない。

(でも、本当に本編は始まるのかしら……)

 本編が始まるきっかけは、ヴィンセントが祖父を父親に殺された恨みをひたすら募らせていたからだ。
 けれど今の彼は、エルを繫ぎとめることに必死で、そのような雰囲気は見られない。
 父親からわざわざ、結婚相手を選ぶ自由を得ているし、現皇帝との関係が悪いようにも見えない。

(ううん。そんなこと関係ないわ。序章の登場人物は私を覗いて皆、順当に死んでいるもの。皇帝も何かがきっかけでヴィーの恨みを買うのかもしれないわ)

 そしてエルも、何かがきっかけで罪に問われる。五年前も、ヴィンセントが皇宮へ戻る決心をしなければ、エルが罪に問われるところだった。
 またそうなる前に、やはり逃げ出さなければ。




 そう決意したエルは後日。ヴィンセントに、鉱山へ子どもを見せに行きたいとお願いした。
 初めは危険だからと渋っていた彼だが、エルにとってあそこがどれだけ心の拠り所になっていたかも知っている。最後には、オーナー夫人を同行させる条件で了承した。

 そして当日の朝。エルはお腹や太ももにありったけの、布おむつを巻きつけた。必要なものは逃げる途中で調達すれば良いが、こればかりは余裕がなければ心配だ。
 その上からゆったりとしたデザインのドレスを着れば、それほど不自然ではない。

 それから宝石箱を開けて、ヴィンセントがくれた宝石の中で高く売れそうなものをいくつかポケットに押し込んだ。
 逃げるにもお金がかかるし、他国で新しい生活を始めるには、それなりの資金が必要。ヴィンセントには悪いが、これはその費用として使わせてもらう。

 宝石箱の蓋を閉めようとした時、ふとダイヤの指輪が目に入った。
 これはプロポーズの際に、ヴィンセントが用意した指輪。結婚は断ったのに結局は「持っていてください」と預かるはめになった。
 これも売れば、良い金額になりそうだ。

「でも、これはヴィーが一生懸命に働いた証だから、売れないわよね」

 エルはそれをテーブルの上に置いてから、エルヴィンを抱いて部屋を出た。
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