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03 ヴィンセント10歳 03
しおりを挟むエルには、人には言えない秘密――前世の記憶がある。
その前世の記憶によると、ここはロマンス小説の世界。
小説のヒロインはとある貴族令嬢で、貴族の派閥バランスを保つために、皇帝ヴィンセントの皇妃として嫁ぐ。
ただの政略結婚のはずだったが、もう一人の皇妃に虐められていることをヴィンセントに知られたことで、次第にお互いの心を通わせていくというストーリーだ。
エルも、その小説に登場する人物として生まれ変わった。
けれどエルが与えられた役は、ヒロインでも、ヒロインを虐める皇妃でもない。
いずれ皇帝となる第一皇子ヴィンセントを虐げる『悪役魔法師エル』だった。
その事実を思い出したのは、十二歳のころ。
異例の若さで宮廷魔法師試験に合格した時だった。
『悪役魔法師エル』は、ヴィンセントの敵である第二皇子の母――皇后にそそのかされ、第二皇子が皇帝となれるよう協力することになる。
ヴィンセントの専属治療魔法師となったエルは、彼へのマナ供給を最小限に抑えることで、第一皇子の衰弱死を目論んだ。
けれど結局。ヴィンセントの派閥に悪事を暴かれてしまい、エルは処刑されてしまう。
そんな未来など、絶対に迎えたくない。
この物語に足を踏み込んではいけないと悟ったエルは、夢だった宮廷魔法師を諦め、この家でひっそりと生活してきた。
小説のストーリーからは逃げ出せたと思っていたのに、まさかこのような形でヴィンセントと関わることになるとは。
再び家の中へと戻ったエルは、ベッドで寝ているヴィンセントを見つめながらため息をついた。
悪役エルがいなければ、ヴィンセントは命を狙われることなく、無事に成長すると思っていた。
けれど実際は、エルが虐げるよりも悲惨な状況となってしまったようだ。
きっとこの状況は皇后によるもの。穏便にヴィンセントを排除する方法がなかった皇后は、このような暗殺という手段を取ったのだろう。
しかもなんの因果か、エルの家の近くでそれは実行された。
この世界はなんとしても、ヴィンセントの不幸にエルを巻き込みたいのか。
この状況をヴィンセント側の人間が見たら、どう思うだろうか。
ヴィンセントを助けたことに感謝するなら良いが、物語のエルは悪役だ。暗殺未遂の罪を誰かになすりつけられるかもしれない。
(生き延びるためには、少しでもヴィンセントの状況を良くしておかなければ……)
とにかく今は、ヴィンセント側の人間に見つかる前に、彼を目覚めさせて元気にさせなければならない。
それには、方法はひとつ。
(ヴィンセントのマナ核を染めるしかないわ……)
エルの事情を抜きにしても、ヴィンセントにはそろそろ別の治療法を考えなければいけない時期だった。
最悪なことに、その考えの途中でこの少年がヴィンセントだと気がついてしまったわけだが。
ただ、エルはこの方法に戸惑いがある。
この小説でヴィンセントのマナ核を染めるのは、ヒロインなのだ。
しかも二人の仲を親密にする過程で必要な部分。読者にとってはそれがメインと言っても過言ではない要素だ。
なにせタイトルが『マナの取り込み方を教えるだけのはずが、冷徹皇帝の溺愛が止まりません!』なのだから。略して『マナ溺』。
けれど幸いなことに、今のヴィンセントはまだ恋も知らないような十歳程度の子どもであり、エルとも歳が離れている。
ヒロインの役目は取ってしまうが、未来の二人の邪魔にはならないはずだ。
エルは改めて、ヴィンセントを見つめた。
(肌の血色が悪いまま。やっぱり、他人のマナでは限界があるのね……)
小説のヴィンセントがマナ不足に悩まされながらも、ヒロインと結婚する年齢まで生きながらえたのは、致命的な怪我や病気が無かったからだ。
けれど今は、瀕死の状態から脱したばかり。やはり、このまま放置はできない。
決心したエルは、ブラウスを脱いで彼が寝ているベッドへと入った。それからヴィンセントに着せているエルの服を脱がせる。
そしてエルは、ヴィンセントを抱き寄せてマナ核とマナ核が触れ合うように素肌同士を密着させた。
こうして密着させながら少量のマナを彼へと送り込むことで、マナの取り込み方を身体が覚えていくのだ。
小説ではこの行為を通して、ヒロインとヒーローが始終いちゃいちゃすることになるが……。
改めてエルは、ヴィンセントが子どもで良かったと安心した。
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