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01 離婚が駄目なら1
しおりを挟む王太子宮の庭園には春の花ラナンキュラスが、バラに勝るとも劣らない可憐な花びらを幾重にも重ねながら咲き誇っていた。
涼やかな風は、植物の目覚めを促すように吹き抜け、これからさまざまな花が咲き乱れる季節がやってくる。
そう――、季節はまだ早春。
屋外でお茶会を楽しむには、少し早い時期。
しかし、そんな気温にも関わらず庭園の東屋では、二人きりのお茶会が開かれていた。ガゼボの屋根が日陰を作っており、なおさら肌寒い。
王太子妃であるシャルロットは、お茶を一口飲んだ。食道から胃にかけて温かさを感じ、ほっとするように息を吐く。
それから、さりげなくホワイトブロンドの髪の毛を首に寄せた。なぜなら、首から肩まで露出したデザインのドレスが寒いから。
この季節に不釣り合いなドレスだということは重々承知しているが、これは仕方のないことだったりする。
向かい側に座っている夫は、こういったデザインのドレスが好みらしい。それを知ったシャルロットはこの五年間で、肩を露出したドレスばかり仕立ててしまったのだから。シャルロットの衣装部屋には、露出度の低いドレスなど存在しない。
シャルロットはルビーのような赤い瞳を、夫であり王太子のジェラート・ブリオッシュに向けた。
彼の美しい銀髪は、襟足を胸の上辺りまで伸ばしており。人前へ出る際は後ろで束ねているが、普段はこうして無造作におろしている。
険しい顔つきも相まって『狼のよう』だと貴族から恐れられている彼だが、髪を束ねていないとさらに狼のような雰囲気が強調される。
貴族令嬢がこのような姿の彼を見たら、泣き出してしまうかもしれない。現にシャルロットの侍女たちも、ジェラートにはあまり近づきたくないようだ。けれどシャルロット自身が怖いと思ったことは、今まで一度もない。
綺麗な銀髪に触れてみたいと思うほどには好意的だが、その願いはこの五年間で一度も果たされていなかった。
彼に触れるどころか、彼の金色の瞳はシャルロットを見てくれないのだから。
冷えきった夫婦関係ではあるが、彼が宮殿にいる際は義務として、こうしてお茶の時間が設けられる。
会話もなく、苦痛な時間。
けれど、この時間はすぐに終わる。彼はいつも、お茶を一杯だけ飲んだらすぐにいなくなってしまうから。
この時期の言い訳は「そなたも寒いだろう。そろそろ戻ろうか」。その言い訳を使うために、わざわざこの時期に外でお茶会を開いているのだ。
ちなみに夏の言い訳は「そなたも暑いだろう」。冬は、冷たいお茶を出させて以下省略。
今日も早々にお茶を飲み終えたジェラートは、言い慣れた呪文のように「そなたも寒いだろう。そろそろ戻ろうか」と呟く。
シャルロットがそれに「はい」とうなずけばお茶会はお開きになるが、今日のシャルロットは違った。
「お待ちくださいませ、ジェラート様」
「……なんだ?」
今まで引き留められたことがないジェラートは、整った眉をひそめてシャルロット見つめ……はしない。彼はいつだって、シャルロットを直視したことがない。微妙に視線を逸らされる。
愛のない政略結婚だということは、シャルロットも理解せざるを得なかったが、見たくもないほど嫌われているのには耐えられなかった。
これまで何度か離婚を申し出てはみたが、ことごとく却下されている。
しかし、今日こそこの状況を打開してみせると、強い意志を持ってお茶会に挑んだシャルロット。視線の合わない夫を、しっかりと見つめた。
「私、実家に帰らせていただきます!」
「…………」
少し離れた場で待機している侍女たちにも、はっきりと聞こえるであろう大きな声でそう宣言するも、ジェラートは固まったように動かなくなってしまった。
透き通るように美しい銀髪だけが風に揺れ、琥珀のような金色の瞳は、やはりシャルロットを映してはいない。
まるで人形のような状態だけれど、人形よりもよほど美しい。この状況にもかかわらず、シャルロットは思わず見惚れてしまう。
「……離婚はしない。何度も言わせるな」
しばらく沈黙が続いてから返ってきたのは、いつもどおりの言葉だった。
かれこれ二年ほど同じやり取りを繰り返しているので、シャルロットもそれは想定済み。
それに、今日は離婚を切り出したわけでもない。
「離婚はいたしません。その代わりに、実家へ帰らせてください」
「別居を望んでいるのか? しかし王族として『夫婦の義務』は果たさねばならない。公務もある」
「義務は果たしますわ。ただそれ以外の時間は、私の好きなようにしたいのです」
「夫婦の義務は朝食から始まる。実家に帰っては、果たせないだろう」
王家には『夫婦の義務』というものが存在する。
それは朝から始まり、『朝食の席をともにする』、『日中に一度はお茶の場を設ける』、『晩餐の席をともにする』というもの。
他にも『夜会へは二人で出席する』や、『週に一度は寝室をともにする』というものもある。
夫婦としては普通のことであるが、公務にかまけて夫婦関係がおろそかにならないようにと作られた決まり。
シャルロットとジェラートもこの五年間、しっかりと義務を果たしてきた。ただ、それらをこなしたからといって、夫婦仲が深まるようなことはなかったが。
「実家と言いましても、領地へ戻るわけではありませんわ。王都の邸宅で生活し、そちらから宮殿へ通わせていただきたいのです。朝食の時間には間に合わせますし、晩餐が終わってから帰ります。週に一度は宮殿に泊まりますので、どうかお許しくださいませ」
シャルロットが食い入るように夫を見つめると、彼は庭園を眺めながら小さくため息をつく。
「勝手にしろ」
それだけ返すと、ジェラートは足早に宮殿へと戻っていった。
夫が見えなくなってから、緊張の糸が途切れたように息を吐いたシャルロット。
それからシャルロットは侍女たちに向けて、両腕で大きく〇のサインを出す。
すると侍女五名は「きゃー!」と歓声を上げながら、シャルロットの元へと駆け寄ってきた。
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