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26 鏡の中の聖女
1 王太子様との婚約式
しおりを挟む翌日。白いドレスに身を包んだリズは、大神殿の控え室にてフェリクスとの対面を果たしていた。
彼も今日は、白い正装をまとっている。挿絵で見た時は、身もだえるほどカッコイイと思っていたが、今はそのような感情は欠片も沸いてこない。
「約束は、守ってくれないんですよね……」
「すまないな。そなたが聖女の魂でないと証明できるならば、開放してやれるのだが」
リズの魂は紛れもなく聖女のもの。そのような証明などできるはずがない。
リズが口を噤むと、フェリクスは悲しそうな表情でリズの顔を覗き込んできた。
「今日くらいは、俺にも笑顔を見せてはくれないか。そなたにとっては苦痛かもしれないが、俺にとっては聖女の魂との大切な儀式なんだ」
フェリクスの気持ちを考えると、心が痛まないわけではない。彼はひたすら聖女の魂を愛しており、何世にも渡って彼女達と恋をしてきた。
リズに嫌われたら、フェリクスは落ち込み悲しむ。それは理解しているが、今のリズの心はリズだけのものであり、誰を好きになるかはリズの自由なはずだ。
「フェリクスが私を笑顔にさせる方法は、一つだけ…………っ!」
そう返事をした瞬間、リズの視界はぐらりと揺れた。神聖力と魔力のバランスが乱れたようだ。
フラッと倒れそうになったリズを、フェリクスはしっかりと抱きとめた。
「笑顔にはできないようだが、そなたには俺が必要だ。今はそれだけで我慢しよう。そなたが俺に身を委ねているというだけでも、気分が良い」
抱きしめられたフェリクスの腕から温かさが伝わってきて、眩暈と気持ち悪さが解消されていく。
しかしリズの心は晴れない。フェリクスに頼らなければならないこの状況が、苦痛で仕方なかった。
「ありがとうございます……。そろそろ式が始まりますよ。早く行きましょう」
リズは両腕を突き出して、無理やりフェリクスから離れた。
大神殿の儀式場には、急きょ集まったとは思えないほど大勢の貴族達が参列していた。
祭壇には、挿絵で見たのと同じ巨大な鏡。その横には昨日、リズの状態を説明してくれた神官が立っていた。王太子の婚約式を任されるということは、地位の高い神官のようだ。
大神殿で婚約式をおこなう場合の流れは、前世を映す鏡で調べてから、再度お互いの意思を確認し、それから婚約式がおこなわれる。
一般の国民が、鏡に前世の姿が映ることは稀だが、婚約式前の余興のようなものとして国民には親しまれている。
「鏡に映ったものを真実として受け止めることを、誓いますか」
神官に問われて、リズとフェリクスはそれぞれ「誓います」と宣言した。
「それでは、鏡の前に立とうか」
フェリクスは甘い表情で、リズに微笑みかけた。彼にとっては待ちに待った瞬間なのだろう。
彼にエスコートされて、鏡の前へと立ったリズ。大きく深呼吸してから、鏡を見上げた。
しかし当然のことながら、鏡には何の反応も見られない。
そのことに驚いたのは、本人たちよりも参列者のほうだった。
「鏡が反応しないぞ! どういうことだ?」
「公女殿下は聖女の魂をお持ちではないの?」
「聖女の力は発現したじゃないか!」
フェリクスはその声を聞きながら、冷たい笑みをリズへと向けた。
「まさか、本当に映らないとはな。予防線を張っておいて良かった」
「えっ……」
リズはそれを聞いて、ドキリと心臓が跳ねた。
昨夜のダンスの時にフェリクスが言っていた「法律は重視させてもらう」という言葉と、今の発言が通じたように思えたのだ。
そして法律を盾に、リズと結婚する方法は。
「……まさか。フェリクスが、聖女の力を発現させたんですか?」
「証拠でもあるのか?」
「それは……」
証拠などない。しかし、ストーリーを元に戻そうとしたり、自分に都合の良い展開にできる人など、フェリクス以外に考えられない。
リズはいつも、彼の手のひらの上で転がされている気分だ。
「皆、静粛に」
フェリクスは参列者へと身体を向けると、よく通る声で貴族達を静めた。
「これには、事情がある。前世の彼女は若くして亡くなっており、俺は国を安定させるために後を追うことができなかった。おそらくその間に彼女は、どこかに転生してしまったのだろう。しかし神は、俺達を引き離そうとはなさらなかった。聖女の力を発現させることで、リゼットが聖女の魂であることを証明してくださったのだ」
転生についてはフェリクスの推測どおりだが、後半は都合の良いこじつけだとリズは思った。
(そもそも、私が日本に転生したのは……)
リズは何かを思い出せそうな気がしたが、それは空中分解するように消えてしまった。大切なことだった気がするのに、よく思い出せない。
「――よって、リゼットを聖女の魂と認め、予定どおり婚約式を執り行う」
フェリクスはそう結論づけると、続けて婚約式をおこなうよう神官に指示を出した。それからリズを連れて、フェリクスは鏡の前から移動しようとしたが。
その時、儀式場にアレクシスの声が響き渡った。
「お待ちください。ベルーリルム公国は、この婚約の破棄を申し立てます!」
その声に、フェリクスの動きはぴたりと止まった。首だけをアレクシスのほうへと向けた彼の顔は、いら立ちを隠せていない様子。
「公子よ。どのような権限があって、そのような戯言を申しているのだ」
フェリクスとリズの会話が聞こえていなかったであろう参列者から見たら、彼の説明に不明な点はなかったはず。フェリクスにとっては、婚約破棄をされるいわれはない。
リズとしても、このようなタイミングでアレクシスが立ち上がるとは思わなかった。
これではアレクシスに不利ではないだろうか。
「僕は今回の貴国訪問に際し公王陛下から、公王代理として決定権を委任されております」
アレクシスは巻物を懐から出すと、広げて見せた。フェリクスはそれを近くにいた神官に持ってこさせ、眉間にシワを寄せながら確認する。
「確かに、本物のようだな……」
(わぁ……。公王陛下がそんなことまでしてくれたんだ……)
ドルレーツ王国へ旅立つ前、公王はアレクシスに対してリズをしっかりと守るよう伝えていたが、言葉だけではなく武器も持たせてくれていたようだ。
アレクシスのこれまでの行動のおかげで、公国は国を挙げてリズの味方になってくれている。そのことが、リズの心をほんわか温めた。
「それで? 決定権を乱用して、妹の幸せを奪うつもりか」
乱暴に巻物を神官へと返したフェリクスは、アレクシスをきつく睨みつけた。
「妹の幸せを奪おうとしているのは、王太子殿下のほうです」
「何を根拠に。俺はリゼットを大切にしている」
「そうでしょうか。王太子殿下は法律を改正してまで、フラル王国第三王女殿下を側室に迎えようとしております。皆様もご存知のとおり『鏡の中の聖女』は、建国の大魔術師と聖女の純愛を綴ったもの。それを裏切るような殿下に、妹は任せられません」
それを聞いたフェリクスは「そんなことか」と表情を一気に緩めた。
「妹を心配する理由はわかった。しかし歴代のエリザベートとは異なり、リゼットは俺を好いてはいない。このような状況では、世継ぎの心配をするのは統治者として当然のことだ」
アレクシスの正論は誰もが感じていたことであり、当然それに対する言い訳を考える余裕も、フェリクスには十分に与えられていた。法律を改正する際にも、同じ理由を使っていたのだ。
リズのせいにしてしまえば、側室を迎えることへの不満も和らげることができた。
「それに俺は、法律を厳守しなければならない立場だ。俺の伴侶は、聖女の魂を持つ者と決められている。妹を婚約破棄させたければ、ドルレーツの法律から変えることだな」
これで論破できたと確信したフェリクスは、薄い笑みを浮かべた。
フェリクスにとってアレクシスは、どの世でも絶対に打ち負かすことができる相手。素直な性格の彼では、フェリクスをハメるような罠など考えつかない。
その素直な性格さゆえに、いつも最終的にエリザベートの心を奪うのは彼だったが、エリザベートとの結婚さえ勝ち取れば、フェリクスはいくらでもやり直せるのだ。
アレクシスがどう反応するのか楽しみながら観察したフェリクスだが、なぜかアレクシスは小さく笑みを浮かべた。
「わざわざ法律を変えずとも、妹の婚約破棄は可能です」
「なに……?」
フェリクスの戸惑をよそに、アレクシスはポケットから小さな箱のようなものを取り出した。それが魔法具であることを思い出したフェリクスは、表情に焦りが見え出した。
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