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10 舞踏会のダンス
6 公子様の気持ち
しおりを挟む「さっきの言葉は、本心?」
「さっきのって……?」
「ローラントに『嬉しい』って言っただろう……」
「あっ、うん。ローラントは、忠誠心が厚いの。さっきのダンスでも、『私に忠誠を誓った騎士』だと、みんなに示してくれたんだよ」
ダンスの際の出来事を、リズは詳しくアレクシスに話して聞かせた。二人のおかげで貴族は、さらにリズに対しての意識を変えてくれたようなので、感謝していると。
それを聞いたアレクシスは、緊張が途切れたようにため息をついた。
「……カルステンの足は、何回踏んだの?」
「私を、足を踏む機械みたいに言わないで……。騎士団長の足は、一回も踏まなかったよ」
「そう。安心した」
(え……。カルステンの足が心配だったの?)
アレクシスにとっては、リズの評判よりも、カルステンの足のほうが重要らしい。
リズは出会ったばかりの義妹で、かたやカルステンは言いたいことを言い合えるような関係の幼馴染。どちらが、アレクシスにとって大切な存在かと比べられたら、リズには自信がない。
(でもアレクシスは私との信頼関係を、涙を浮かべて喜んでくれたのに……)
孤独を感じていたはずのアレクシスが、それでもカルステンを重視していることに、リズは少しだけモヤモヤした気持ちになる。
(って、なんで私、カルステンに妬いているんだろ……)
いつの間にか、兄に対して独占欲まで湧いていたことに、リズは驚きを隠せない。どうしようと思いながら、リズは両頬を押さえる。
「リズ。今度は、誰のことを考えているの?」
考えていた相手にそう尋ねられ、リズはドキリとしながらアレクシスに視線を向けようとする。しかしそれよりも先に、アレクシスがリズに抱きついてきた。
先ほど同じ目に遭ったばかりのリズは、まさかと思いながらアレクシスを見上げる。
「……アレクシスも酔っているの?」
「僕も酒臭い?」
「ううん……。アレクシスは……」
とても心地よい香りだ。包容力を、そのまま香りに変化させたような安心感があり、ずっと『抱きしめていてほしい』という気にさせられる。
(わぁぁ。何を考えているのよ……。ローラントのワインの香りで、酔ったのかな……)
先ほどからアレクシスに対する、リズの感情はおかしい。それもこれも、今日のアレクシスがおかしいからだと、リズは心の中で言い訳する。
「僕は、なに?」
「えっと……。お兄ちゃんの香りがする……」
「兄……ね」
(あれ? 今、残念そうだった?)
『兄』という立場に、あれほど固執していた彼が、どういった心境の変化なのか。リズが疑問を感じている間にも、アレクシスは表情を元に戻した。
「それで、誰のことを考えていたの?」
「えっ。別に……」
兄を取られた気がして嫉妬したなどと、本人には恥ずかしくて言いたくない。
リズは視線をそらしてやり過ごそうとしたが、それが無理なことは重々承知している。承知してはいるが、条件反射的にやり過ごしたくなるのだ。
アレクシスに頬を弄ばれる前に、防衛本能で彼の胸に顔を埋めたリズは、仕方なくぼそっと呟く。
「あのね……。アレクシスが、騎士団長の心配をするから……。嫉妬してたの……」
恥ずかしい事実ではあるが、きっとアレクシスは喜ぶだろう。けれど、そんな彼の顔を確認する勇気は、リズにはない。
顔を埋めたままアレクシスの言葉を待っていると、彼は「はぁ……」と大きくため息を付いた。
「あまり、可愛いことを言わないで。自制が効かなくなるじゃないか……」
(自制……? 今までもかなり、妹愛に対して自制が効いていないようだったけど?)
またもアレクシスが、おかしなことを言っている。恥ずかしい気持ちがス―っと和らいだリズは、アレクシスに視線を戻した。
目が合ったアレクシスは、なぜか頬を赤く染めながらリズを見つめている。
(暑いなら、離れたら良いのに……)
暑い思いをしてまでも、アレクシスは妹を抱きしめていたいらしい。そんな状態でも、彼は自制しているようだ。
「今でも妹愛が激しいのに、自制が効かなくなったらどうなっちゃうの?」
「知りたいなら、試してみようか?」
「あ。結構です……」
いつもの冗談かと思いリズは否定したが、アレクシスはまたも残念そうな顔を浮かべる。本当に、アレクシスはどうしてしまったのだろうと、リズは心配になり始める。
「ローラントと、なにかあった?」
「別に。酔っ払いの相手をしていただけだよ」
二人の間に何もなかったのならば、問題はその前ということになる。けれど、アレクシスの作戦は全て成功したように思えたし、アレクシスの気分が沈む理由は、リズには皆目見当がつかない。
せっかくの舞踏会なので、兄には元気を出してほしい。リズは「あっ」と、アレクシスが喜びそうなことを思いつく。
「ところで……、私も正式な養女になったことだし、そろそろ……『お兄ちゃん』って呼んだほうが良いかな?」
アレクシスがずっと望んでいた『お兄ちゃん』呼び。恥ずかしくて避けてきた呼び方だが、今こそ覚悟を決める時。リズは決心したようにアレクシスを見つめたが、しかしアレクシスは顔を横に振った。
「ううん。リズには今までどおり、名前で呼んでほしいな」
(なんで……。あんなに求めていたのに?)
急に、兄妹として築いてきたものが崩れていくような気がして、リズは不安な気持ちに襲われる。
「アレクシス……。私のことが嫌いになっちゃったの……? 足を踏みすぎたから?」
リズの落ち度といえば、これくらいしか思い浮かばない。足を踏んだくらいでアレクシスの心が離れるとは思えないが、リズには今のアレクシスがどう思っているのか、全くわからない。
不安のあまりリズの視界がぼやけ始めると、アレクシスは焦ったようにリズの両頬に触れた。
「違う、リズ! そいういう意味ではないよ。リズのことが大好きだからこそ、名前で呼んでほしいんだ」
「本当……?」
「うん。悲しませてしまって、ごめんね。僕はお兄ちゃん失格だよ……」
アレクシスは、リズの瞳に溜まった涙を親指で拭い取る。兄らしい姿が戻ってきて、リズはほっとしながら微笑んだ。
「アレクシスは、私にはもったいないくらい素敵で、頼りになるお兄ちゃんだよ。それから……」
リズはもじもじとしながら、次の言葉を詰まらせたが、決心してアレクシスを見つめる。
「私も、アレクシスが大好きだよ」
全力で守ってくれる姿も、妹愛が過剰なところも、喜びのあまり涙を浮かべてしまうような姿も、全てアレクシスの愛情の現れ。そんな彼の妹愛に包まれて、リズもいつの間にかアレクシスが好きになっていた。
初めは単なる、火あぶり回避の協力者だと思っていたが、これだけの愛を注がれてしまえば、今後の人生においてもアレクシスは、なくてはならない大切な家族だ。
はにかむようにリズが微笑むと、アレクシスぱたりとリズの頬から両手を下ろし、その場にうずくまってしまった。
「ア……アレクシス。大丈夫……?」
「……妹からの『大好き』は、刺激が強すぎるよ。僕を心臓発作で殺す気?」
「あはは……」
(ずっと、『お兄ちゃん大好き』って言わせたがっていたくせに)
相変わらず大げさな態度のアレクシスを生暖かく見守っていると、アレクシスの瞳が潤んでいることにリズは気がつく。
(そんなに、喜んでくれたんだ)
素直なアレクシスの態度に、リズの頬は自然と緩んでしまう。
けれど今まで、隠しもせずに涙を浮かべていたアレクシスが、なぜ今回ばかりは隠すのだろう。リズが不思議に思っていると、気持ちが落ち着いた様子のアレクシスは、リズに向けて顔を上げた。
「リズ。足は疲れていない?」
「全然、疲れていないけど?」
「それなら僕達の宮殿まで、散歩しながら帰ろうよ」
リズが「うん」とうなずくと、アレクシスは再び立ち上がり、丁寧な仕草でリズの手を握った。
「今夜はリズと、二人きりでゆっくりと過ごしたいな」
(アレクシスは、お疲れなのかな?)
気晴らしに散歩がしたいのかとリズが思っていると、なぜかメルヒオールがアレクシスに向けて、ほうきの柄を激しく縦に振るではないか。
そしてメルヒオールはスカートをひるがえして、第二公子宮殿がある方角へと飛び去ってしまった。
(気を効かせてくれたのかな?)
メルヒオールは察しが良く、そういう気遣いまでできてしまうほうきだ。アレクシスがリラックスできるよう、配慮したのかもしれない。
アレクシスとの散歩は、実に穏やかに過ぎていった。
大半はアレクシスの幼い頃の思い出話であり、まるでアレクシスという人物を改めて紹介してくれているような、そんな夜のひと時だった。
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