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14 突然の吹雪

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「もうっ。レイくんのバカ……」

 結局、周りの反応を確認することなく逃げるようにして馬車へと乗り込んだリリアナ。恥ずかしさのあまり、馬車の隅にぴったりと身を寄せて縮こまった。

「バカはひどいな。俺は真剣に偽装関係を遂行しているだけなのに」
「だからって、何度もキ……キスすることないじゃない」
「婚約者なら当然だろう。リリこそ真剣にやる気あるの?」

 リリアナは言葉に詰まった。確かにこの国の国民性は大胆なので、婚約者同士なら平気で人前でキスしたりする。偽装を完璧なものにするのなら、必要な処置とも言えるが……。

「でも……。こんなの良くないよ……」

 偽装関係なのにしてしまうことへの罪悪感が、ひしひしと湧いてくる。

「リリ、よく聞いて。俺たちの目的はともに、言い寄ってくる異性を排除することだろう?」
「そうね……」
「そのためには相手が諦めざるを得ないほど、俺たちが愛し合っているように見せなければならない」
「うん……」
「必要があれば俺はこれからも、リリにキスするつもりだ。けれど、リリがそんなに嫌なら……」

 そこでレイモンドは言葉を途切れさせたので、リリアナはどうしたのだろうかと顔を馬車の隅から彼へと向けた。
 目があったレイモンドは、今にも泣きそうな顔でリリアナを見つめている。
 それは、幼い頃の泣き虫だった彼を思い出させる、庇護欲をそそられるもので。

「俺ってキスするのも嫌なほど、気持ち悪い相手なの……?」
「違うわっ!」

 リリアナは間髪入れずに否定してから、せっかくの断るチャンスを逃してしまったと後悔する。
 けれど、レイモンドが悲しむ姿は見たくない。幼い頃に一度、彼を泣かせるほど傷つけてしまったことがあるので、つい過剰に反応してしまう。

「……レイくんが気持ち悪いわけではなくて。恥ずかしいというか……、罪悪感というか……」
「罪悪感?」
「私たちは偽装関係だから、いつかレイくんにも好きな人ができるでしょう? その方に申し訳なくて……」

 もしかしたら先ほどのご令嬢たちの中に、未来のレイモンドの結婚相手がいるかもしれない。偽装の事実を告白したところで、その子の心が晴れない可能性もある。

 けれど、レイモンドはそれを聞いて、くすくすと笑い出す。

「なぜ笑うのよ……」
「リリはもっと自分の心配をしたら? 俺にファーストキスを奪われたんだから、もっと怒ればいいのに」

 意味ありげな笑みを浮かべられて、リリアナは咄嗟とっさに唇を手で隠した。

「どうして、ファーストキスって決めつけるの……?」
「リリは俺で練習したほうが将来のためだよ」

 それは、つまり、リリアナのキスが下手だったという意味だろうか。
 リリアナは、さーっと血の気が引いていく思いだ。

 純粋無垢だったレイモンドも、昨今においてはリリアナより大人ぶりたい態度を見せてきた。けれどこのような、節操のない発言をする子ではなかったのだ。

(レイくんがチャラい男に育っている……)

 危機を感じたリリアナは、迫るようにレイモンドの腕を鷲掴みにした。

「レイくん留学先で何があったの! 悪い女にたぶらかされたんじゃないでしょうね!」
「なぜそうなるんだっ」
「だ……だってレイくん、上手だったから……」
「俺もリリが初めてだったけど」
「えっ……?」

 思わぬ返答で気が抜けたその時、馬車の窓にぱらぱらと雪が当たり始めた。
 先ほどまで晴天だった景色は、いつの間にか灰色の世界に覆われている。雪は見る間に降る量が増えて、風も強くなり、吹雪へと変貌した。

「あ…………レイくん……」

 レイモンドの腕を掴んでいるリリアナの手が震え出した。
 吹雪には嫌な記憶がある。
 過去にリリアナが誘拐された事件。あれがちょうど、このような吹雪の日だった。

「リリ大丈夫だっ。この馬車は頑丈にできているし、外には護衛もいる。絶対にリリは襲われないから、落ち着いて」
「うん…………」

 リリアナはあの事件以来、吹雪を見るたびに嫌な記憶がフラッシュバックする。

「本当に大丈夫だから。俺にしがみついていて」

 言われたとおりにレイモンドに抱きつくと、彼はリリアナの耳を塞いだ。
 彼の手から伝わる、彼の音しか聞こえてこない空間。

 こうしていれば少しは震えが収まるが、それでも怖いものは怖い。一刻も早く安全な屋内へ避難しなければ身が持たない。

 そのため、早く馬車が邸宅へ戻ることだけを願っていたリリアナは、気がつかなかった。

「リリちゃん。ごめん……。本当にごめんね」

 レイモンドがひたすら、謝罪の言葉を唱えていたことを。
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