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09 初めての任務1

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 その夜。リリアナはベッドに入った後も、頬をぷっくりと膨らませて怒っていた。

「もう……。ほんっと、信じられないっ!」

 レイモンドのおかげで、上司からの求婚を撤回させることには成功したが、それよりもレイモンドにキスされるという、重大な問題が発生したからだ。
 そもそも、キスしても相手を逆なでするだけだから偽装婚約しよう、と言い出したのはレイモンドのほう。それなのに、結局はキスまで奪われてしまった。

 あの後、リリアナは怒りやら恥ずかしさやらが入り混じり、レイモンドを残してレストランを飛び出してしまった。

「私のファーストキスだったのに……」

 無念さを感じながら唇に触れたリリアナは、あの時の柔らかいレイモンドの唇を思い出して顔が熱くなる。

(もうっ……。なに意識しちゃってるの……。相手は年下だし、次期公爵様で、学生なのに侯爵位まで持ってる超エリートよ。私とは住む世界が違うのよ……)

 本来リリアナとレイモンドは、気軽に交流などできる立場ではない。
 元をたどれば、先々代のモリン男爵が、当時のオルヴライン公爵を戦場で助けた縁で、こうして今でも家族ぐるみの交流をしていただいているだけ。
 リリアナが勘違いをしてはいけないことは、本人がよく理解している。

 それに今回は、リリアナのために公爵家が尽力してくれたのだ。少々の行き違いだけでリリアナが怒るのは、恩をあだで返すようなもの。

(はぁ……。明日、仕事が終わったら謝りにいこう……)




 翌日。職場へ向かったリリアナは、廊下に設置されている掲示板の前に人だかりができているのが目に留まった。
 あの掲示板には主に、辞令やお知らせが貼ってある。なにか話題になるようなお知らせでも張り出されたのだろうか。

「おはようございます。何かお知らせですか?」
「あっ! モリン卿、おめでとう!」
「えっ。私……?」

 きょとんと首をかしげるリリアナに対して、周りにいた人たちは口々に「良かったね」などと、祝福の言葉をかけてくれる。

(私、何かしたかしら?)

 考えつつ掲示板に目を向けたリリアナは、驚きのあまり「ええっ!」と叫んでから、あわてて口を両手で押さえる。それからもう一度じっくりと、掲示板に目を向けた。

 貼られた紙には『懲戒免職』の文字が。
 そしてその対象がリリアナの上司である、カヴル子爵。
 王宮採用試験で不合格だった者の家から金品を受け取った上で、人事調整課の権限を使い臨時に採用し、本人が望む部署へと配属させた罪。

 つまり、王宮採用試験に合格できないような子息令嬢の親から、金品を受け取り便宜を図っていたようだ。
 王宮採用試験に合格するため、寝る間も惜しんで勉強したリリアナとしては、許しがたい所業だ。つくづくあの上司は、嫌いな要素しかない。

(もしかして、この前の『最後通告』って、この件だったのかしら)

 不正を告発する前にわざわざ警告を出すとは、告発者は良心的な人だ。

「あいつなら、何かやらかしていると思っていたよ」
「平民が二十五歳で子爵を拝命するなんて、おかしいと思っていたぜ」
「おかげで、人事課が忙しくなりそうだな」

 きっと不正に採用された者や、金品を渡した貴族も罪に問われるだろう。その数を考えると、人事大異動が起きそうだ。

「人事調整課も、微力ながらお手伝いしますね」
「助かるよ! 人事調整課はスペシャリスト集団だから、めちゃくちゃ頼っちゃう」

 上司から開放されたリリアナも、これからは仕事依頼がくるかもしれない。
 少し期待しながら皆と別れて、リリアナは人事調整課へと入った。

 今日は誰もいないようだ。静かな部屋を進み、自分の席に座る。

「それにしても……私。運が悪すぎない……?」

 誰もいないのをいいことに、倒れるようにして机に頬をくっつけたリリアナ。
 この事態を想定できていたなら、上司と揉める必要もなかったし、偽装婚約して周りに迷惑をかける必要もなかった。
 そして、レイモンドとキスする必要もなかったのだ。

 一晩寝ても、あの記憶は鮮明に脳内再生されてしまう。
 じわじわ顔の火照りを感じていると、課長室の扉がカチャリと開く。

「おっ。リリアナ嬢、来たね」
「ひゃぃっ!」

 誰もいないと思っていたリリアナは、驚きのあまり跳びはねるようにしてその場に立ち上がった。

「ごめん……。驚かせてしまったね。大丈夫?」
「いいえっ……。わあ、ウォルター様! お久しぶりです」

 現れたのは、学生時代の同級生であるウォルター・エクラド。エクラド侯爵家の次男だ。
 彼は幼い頃から、第二王子メイナードのお目付け役。リリアナとメイナードよりも一つ年上だが、メイナードのために一年留年して同級生として過ごしてきた。
 今年度はレイモンドやメイナードと一緒に、隣国へ留学していた。
 性格は穏やかで、皆のお兄さんみたいな存在だ。

「久しぶり。リリアナ嬢……あっ、ここではモリン卿と呼んだほうが良いね」
「そうでした。私も、エクラド卿とお呼びしますね」

 ウォルターと会うのは卒業式以来だ。
 リリアナは懐かしく思いながら、早速お茶を淹れてウォルターをもてなした。

「留学はいかがでしたか?」
「楽しかった。と言いたいところだけれど、忙しくてあっという間だったかな」
「レイモンド様がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「はは。少々振り回されたけれど、俺と殿下も賛同の上だったから、良い結果で帰国できて良かったよ」

 上司とのごたごたがあったので、レイモンドとはゆっくり留学の話をする機会がなかった。どうやら三人は、何か目的があって留学していたようだ。
 「そうなんですね」とリリアナが返すと、ウォルターはやや困り顔になる。

「……留学は、レイモンドから持ちかけたことなんだけど、何も聞いていない?」
「私が卒業して面倒を見る必要がなくなったから留学に行く、と言っていましたよ。失礼な話ですよね。面倒を見ていたのは私のほうなのに」
「はは。二人は持ちつ持たれつに見えるな。良い関係だと思うよ」
「あっ、ありがとうございます……」

 ウォルターは周りをよく見ている人なので、お世辞とかではなさそうだ。素直に言われると、少し照れてしまう。昨日のこともあるので、尚更。

「あの……。それで今日は、人事調整課へどのようなご用向きですか?」
「言い忘れていたね。俺が課長の後任になったんだ。帰国したばかりで任務先が決まっていなかったから、好都合だってね」
「わあ! 本当ですか」
「同級生が上司でやりにくくない?」
「そんなことないですよ。嬉しいです」
「喜んでもらえて良かった。それで早速なんだけど、モリン卿に任せたい任務があるんだ」
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