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第5章
真実 08
しおりを挟む4月に入って直ぐの頃、姉が俺に亜矢の世話を頼んできた。近くに引っ越したことを聞いた時から、何となくは予想していたが、相変わらず過保護な姉に呆れる。
義兄は一級建築士で、姉はウェブデザイナー。共に昔から多忙で、今でも帰宅は22時を過ぎ、時には終電近くまで仕事をすることがあるという。
中学生なんだから留守番くらいできるだろ、とも思うが、姉夫婦、特に義兄に対しては恩があり、正直頭が上がらない。高校時代、放任主義の両親に代わり、進路のアドバイスや予備校の講習費用の援助など、ずいぶん世話をしてくれたからだ。
それに独りの寂しさは俺も経験済みで分かっていたので、素直に頼みを受け入れた。
仕事帰りに姉が迎えに来るまでの時間を一緒に過ごすだけだ。それに毎日でもない。
定時で仕事を終えて家に帰り着いた頃、インターホンの呼出音が鳴った。
今日も亜矢は制服姿のまま俺の家を訪れていた。
「お前、何でいつもそんなに緊張してんの?」
「えっ!して、ないよ……」
もう既に何回か来ているというのに、亜矢は未だに落ち着かない様子を見せていた。理由を聞いてもどうせはぐらかされるだけなので、それ以上は触れない。
「俺、来週遅くなる日が多いかも。勝手に鍵開けていいから」
「うん……。彼女、のところ?」
「彼女? いないよ、そんな暇ないし。仕事」
「……そっか」
「あ、今日、飯、どうするかな。食いに行きたいところだけど、報告書終わらせなきゃなんねーし」
キッチンボードの戸棚の中を漁りながら考える。探したところで何も無いのは分かっていた。カップ麺……はきっと怒られるだろう。
「僕、作るよ。ご飯」
「え」
「いつも、お母さんが遅い時は作ってるんだ。小学生の時からだから、それなりにレパートリーあるし、リクエスト貰えれば……」
それを聞いて、はぁと溜息をつく。
「お前、小さい頃から苦労してるんだな。ま、料理得意だったら、いざ結婚するってなった時にプラスになるだろ。俺もそういう奴、好きだから……」
不意に亜矢を見ると、うっすら頬を紅くして俯いていた。
何なんだその表情は、と一瞬思ったが、なんとなく理由が分かって「冷蔵庫カラだから、今日はデリバリー頼むか」とぼんやり言いながら亜矢から離れた。
そのままキッチンに戻り、ミルで挽いておいたコーヒー粉をフィルターに入れ、ケトルの湯をゆっくりと注ぐ。ドリップされて落ちてくる滴を眺めながら、再会した日の亜矢の反応を思い出していた。
――言動に気をつけなければ。
「飲み物、これしか無いけど、いいか?」
ミルクをたっぷりと入れたコーヒーを差し出すと、亜矢はそれを受け取りながら、にっこりと微笑んだ。
亜矢はいつものようにローテーブルの上に参考書を広げ、俺も傍のソファに座ってパソコンを開き、持ち帰りの仕事を開始した。互いに黙々とそれに集中し、静かな時間が流れる。
ふと手を止めて、勉強をしている亜矢を眺めた。
垂れ下がった長い前髪の間から、真剣そうな瞳が見える。時々シャープペンシルを揺らして考える仕草をしながら、頬にかかるサイドの髪を耳に掛け、整った顎の輪郭を晒していた。
「お前、髪長いな」と思わず口に出すと、亜矢は顔を真っ赤にして髪を触りだした。
「だっ、駄目?……千尋兄、嫌い?」
眉尻を下げて見つめられる。俺はゆっくりと視線を逸した。
「いや、そういうんじゃ、なくて……」
殺風景な空間に、一ノ瀬の姿を描き出していた。
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