11 / 17
熱い記憶が欲しかった
しおりを挟む
十七歳年上の兄は、父親のような存在だった。
「幼稚園の頃から私は体が大きかったんです。おまえは小学生だからここから出ていけと、よくからかわれました」
幼稚園からの帰り道はよく覚えている。長い登り坂で、私はいつも、涙を手で拭きながら歩いた。
「家に帰ると、頭を撫でてくれた人がいたんです。それが兄でした。『たくさん泣いていい。泣いた分だけ強くなれるよ』と言ってたらしいです」
高田さんと目が合わせられない。自分は今、昼時の食堂に合わない、深刻な顔をしているだろう。
「私はずっと、母親が撫でてくれたと思っていました。幼すぎて覚えていなかったんです。兄が亡くなってから、母が本当のことを教えてくれました」
高田さんは、箸を置いて私の顔を見つめている。戸惑ったような顔をしている。身の上話を聞かされるとは思ってもいなかっただろう。
「兄は警察官だったけど殉職したんです」
強盗を追いかけたときに、兄は胸を刺された。
病院の白い部屋で目を閉じている兄を見ても、子供の私には理解できなかった。どうして兄は家のベッドで寝ないのかと、不思議に思った。
でも日が経つにつれ、大きな存在が欠けていることに気づいた。
「大切にしてくれたのに、ありがとうって言えなかった……」
「もう、言わない方がいい」
「すみません」
高田さんは首を振って、両手を伸ばしてきた。私の眼鏡を外す。
「まだ、泣いてはいないな。んー、ちょい目が潤んでいるかー」
頬に触れ、親指で目元を拭ってくる。大きくて熱い手だった。
「これ以上話したら、涙が零れるぞ。俺には、慰められる自信がない。おまえを抱きしめるのは加賀谷の仕事だ」
唇を噛みしめてから、高田さんは微笑んだ。私は高田さんから受け取った、自分の眼鏡をかけた。
笑おうとしたが、うまくできているかわからなかった。
ときどき、加賀谷さんと兄が同じ人ではないかと思ってしまう。時を越えて、私に会いに来てくれたのではないか。
頼りない私を支えるために、今度は恋人になってくれた。そんな非現実な夢を私は描いている。
『怖いくらいなら大人にならなくてもいいんだよ、晴之』
加賀谷さんの呟きが、繰り返し心の中に響く。加賀谷さんは、私が幼いままでもいいと思っているのかもしれない。
でも、加賀谷さんの思いに応えたい。
つらいなんて、きっといっときなんだから、乱暴に抱かれたっていい。躯が壊れても、放っておけば回復するだろう。
もしかしたら、ずっと抱き合わなければこのままの心地よい状態が保てるのかもしれない。そうわかっていても求めてしまう。
もっと躯の奥で加賀谷さんを感じたい。私の深い底を加賀谷さんに知ってほしい。加賀谷さんの肌をこの躯に焼きつけたい。
一生忘れることのできない熱い記憶が欲しかった。
―――
仕事を終えると、私は車を走らせ加賀谷さんのアパートに向かった。厚い灰色の雲が空一面に広がっている。今夜はきっと星を見ることはできないだろう。
駐車場に車を止めて、アパートの階段を上がった。
玄関のチャイムを押すと、加賀谷さんはすぐにドアを開けてくれた。
「加賀谷さん、話があります」
「うん、ソファに座って話そうか」
加賀谷さんは少しも驚いてはいなかった。ふたりがけのソファに並んで座った。
言わなくてはいけない。私は深呼吸した。
「あなたのものになりたいです。抱いてください」
私が訴えても、加賀谷さんは微笑まない。
どうして、喜んでくれないんだろう。
「抱かれるのは怖くないのか」
私は俯いた。
自分を抱きしめて腕を擦っていたら、加賀谷さんは隣で息を吐いた。
「やっぱりまだ怖いんだろ、俺のことが」
「そんなことないです。今度は気絶しません」
加賀谷さんは真剣な顔だった。
悲しそうにも見えるし怒っているようにも見えた。
「晴之、何されるかわかっているか。説明できるか」
「その、裸になって、たくさんキスして……」
「それだけじゃないだろ」
「いっぱい触って、全身にキスする」
「……そのあとは、言えるか?」
「私のを銜えて、それから……」
「それから? 俺が何をしたか思い出せるか」
私はシャツの胸元を握りしめた。
「加賀谷さんの指が……」
「晴之。どうしてつらそうな顔しているんだ? 何を思い出したんだ?」
思い出したのは、加賀谷さんの笑みだった。
怯える私を見て悦んでいる加賀谷さんの顔。あの顔をもう一度見ることになる。
今夜は逃げられない。最後までされる。
「怖くないです」
「まだ、そんなこと言って……素直じゃないな、おまえは」
「素直になんかなれないです!」
抱きついて加賀谷さんの胸に顔を埋めた。額を押しつけるようにして首を振った。
「怖いって言ったら加賀谷さんはもう触ってくれない、わかるんです! 私のことを思ってくれるから、加賀谷さんは絶対に私を抱こうとしない! そんなのいやです」
泣いているのを気づかれないように、私は俯いたままでいた。
「自分がいつ死ぬかなんて、誰も知らないんですよ……」
どうして、泣いたらいけないときに限って涙が出てしまうんだろう。昔からそうだった。
「……兄さんだって突然いなくなった」
「兄さんって、昨日言っていた人か」
「ええ。兄は警察官だったんです。でも、刺されて……」
悲しんでいる顔を見せたら相手が心配してしまう。甘えたくて泣いているわけではないのに。
「昨日、加賀谷さんも刺されるんじゃないかと思った」
「あのとき飛び出したのは爆弾のせいじゃなかったのか」
私は頷いた。
「加賀谷さんだって、私だって、明日どうなるかわからないんです」
何も言わずに加賀谷さんは、私の髪を撫でている。
私が泣いていると気づいているだろう。
「もし私が今死ぬことになったら、加賀谷さんに抱かれたかったって思いながら死にます」
顔を上げたら、涙が零れてきた。加賀谷さんの顔が見えなかった。
「うまくできなかったら……捨てていいから」
強い力で両肩を掴まれた。
「何言っているんだ!? 俺が晴之を捨てるわけないだろ」
「痛いのも怖いのも我慢するから。だから、抱いてください」
再び俯こうとしたら、顎を押さえられた。加賀谷さんは私の眼鏡を取った。
目元に唇を寄せ、涙を吸ってくれた。
「晴之」
唇をふさがれた。
加賀谷さんがくれたキスは塩辛くて、唾液があふれてきた。
私はふたり分の唾液を飲み込んだ。
喉が熱い。躯が内側から火照ってきた。
「俺も、後悔するとしたらおまえのことだけだ。だけど、抱くのはためらうよ」
数回ついばむようなキスをしたあと、加賀谷さんは眼鏡をかけさせてくれた。
「晴之。俺も怖いんだ」
「加賀谷さんもですか」
「ああ。したくてたまらないのにな」
加賀谷さんは困ったように笑っている。彼は経験したことがあるはずなのに、何を恐れているのだろう。
「相手が晴之、おまえだからだよ」
聞き返す私の唇を、加賀谷さんは再び奪った。
顔を離すと、額を合わせてきた。
「キスしたあと自分がどんな顔しているかわかっているか。目がとろんとしていて、すげえやりたくさせる顔しているんだよ」
「加賀谷さんのキスがうまいからです」
そうなのか、と言って加賀谷さんは笑みを浮かべた。
「幼稚園の頃から私は体が大きかったんです。おまえは小学生だからここから出ていけと、よくからかわれました」
幼稚園からの帰り道はよく覚えている。長い登り坂で、私はいつも、涙を手で拭きながら歩いた。
「家に帰ると、頭を撫でてくれた人がいたんです。それが兄でした。『たくさん泣いていい。泣いた分だけ強くなれるよ』と言ってたらしいです」
高田さんと目が合わせられない。自分は今、昼時の食堂に合わない、深刻な顔をしているだろう。
「私はずっと、母親が撫でてくれたと思っていました。幼すぎて覚えていなかったんです。兄が亡くなってから、母が本当のことを教えてくれました」
高田さんは、箸を置いて私の顔を見つめている。戸惑ったような顔をしている。身の上話を聞かされるとは思ってもいなかっただろう。
「兄は警察官だったけど殉職したんです」
強盗を追いかけたときに、兄は胸を刺された。
病院の白い部屋で目を閉じている兄を見ても、子供の私には理解できなかった。どうして兄は家のベッドで寝ないのかと、不思議に思った。
でも日が経つにつれ、大きな存在が欠けていることに気づいた。
「大切にしてくれたのに、ありがとうって言えなかった……」
「もう、言わない方がいい」
「すみません」
高田さんは首を振って、両手を伸ばしてきた。私の眼鏡を外す。
「まだ、泣いてはいないな。んー、ちょい目が潤んでいるかー」
頬に触れ、親指で目元を拭ってくる。大きくて熱い手だった。
「これ以上話したら、涙が零れるぞ。俺には、慰められる自信がない。おまえを抱きしめるのは加賀谷の仕事だ」
唇を噛みしめてから、高田さんは微笑んだ。私は高田さんから受け取った、自分の眼鏡をかけた。
笑おうとしたが、うまくできているかわからなかった。
ときどき、加賀谷さんと兄が同じ人ではないかと思ってしまう。時を越えて、私に会いに来てくれたのではないか。
頼りない私を支えるために、今度は恋人になってくれた。そんな非現実な夢を私は描いている。
『怖いくらいなら大人にならなくてもいいんだよ、晴之』
加賀谷さんの呟きが、繰り返し心の中に響く。加賀谷さんは、私が幼いままでもいいと思っているのかもしれない。
でも、加賀谷さんの思いに応えたい。
つらいなんて、きっといっときなんだから、乱暴に抱かれたっていい。躯が壊れても、放っておけば回復するだろう。
もしかしたら、ずっと抱き合わなければこのままの心地よい状態が保てるのかもしれない。そうわかっていても求めてしまう。
もっと躯の奥で加賀谷さんを感じたい。私の深い底を加賀谷さんに知ってほしい。加賀谷さんの肌をこの躯に焼きつけたい。
一生忘れることのできない熱い記憶が欲しかった。
―――
仕事を終えると、私は車を走らせ加賀谷さんのアパートに向かった。厚い灰色の雲が空一面に広がっている。今夜はきっと星を見ることはできないだろう。
駐車場に車を止めて、アパートの階段を上がった。
玄関のチャイムを押すと、加賀谷さんはすぐにドアを開けてくれた。
「加賀谷さん、話があります」
「うん、ソファに座って話そうか」
加賀谷さんは少しも驚いてはいなかった。ふたりがけのソファに並んで座った。
言わなくてはいけない。私は深呼吸した。
「あなたのものになりたいです。抱いてください」
私が訴えても、加賀谷さんは微笑まない。
どうして、喜んでくれないんだろう。
「抱かれるのは怖くないのか」
私は俯いた。
自分を抱きしめて腕を擦っていたら、加賀谷さんは隣で息を吐いた。
「やっぱりまだ怖いんだろ、俺のことが」
「そんなことないです。今度は気絶しません」
加賀谷さんは真剣な顔だった。
悲しそうにも見えるし怒っているようにも見えた。
「晴之、何されるかわかっているか。説明できるか」
「その、裸になって、たくさんキスして……」
「それだけじゃないだろ」
「いっぱい触って、全身にキスする」
「……そのあとは、言えるか?」
「私のを銜えて、それから……」
「それから? 俺が何をしたか思い出せるか」
私はシャツの胸元を握りしめた。
「加賀谷さんの指が……」
「晴之。どうしてつらそうな顔しているんだ? 何を思い出したんだ?」
思い出したのは、加賀谷さんの笑みだった。
怯える私を見て悦んでいる加賀谷さんの顔。あの顔をもう一度見ることになる。
今夜は逃げられない。最後までされる。
「怖くないです」
「まだ、そんなこと言って……素直じゃないな、おまえは」
「素直になんかなれないです!」
抱きついて加賀谷さんの胸に顔を埋めた。額を押しつけるようにして首を振った。
「怖いって言ったら加賀谷さんはもう触ってくれない、わかるんです! 私のことを思ってくれるから、加賀谷さんは絶対に私を抱こうとしない! そんなのいやです」
泣いているのを気づかれないように、私は俯いたままでいた。
「自分がいつ死ぬかなんて、誰も知らないんですよ……」
どうして、泣いたらいけないときに限って涙が出てしまうんだろう。昔からそうだった。
「……兄さんだって突然いなくなった」
「兄さんって、昨日言っていた人か」
「ええ。兄は警察官だったんです。でも、刺されて……」
悲しんでいる顔を見せたら相手が心配してしまう。甘えたくて泣いているわけではないのに。
「昨日、加賀谷さんも刺されるんじゃないかと思った」
「あのとき飛び出したのは爆弾のせいじゃなかったのか」
私は頷いた。
「加賀谷さんだって、私だって、明日どうなるかわからないんです」
何も言わずに加賀谷さんは、私の髪を撫でている。
私が泣いていると気づいているだろう。
「もし私が今死ぬことになったら、加賀谷さんに抱かれたかったって思いながら死にます」
顔を上げたら、涙が零れてきた。加賀谷さんの顔が見えなかった。
「うまくできなかったら……捨てていいから」
強い力で両肩を掴まれた。
「何言っているんだ!? 俺が晴之を捨てるわけないだろ」
「痛いのも怖いのも我慢するから。だから、抱いてください」
再び俯こうとしたら、顎を押さえられた。加賀谷さんは私の眼鏡を取った。
目元に唇を寄せ、涙を吸ってくれた。
「晴之」
唇をふさがれた。
加賀谷さんがくれたキスは塩辛くて、唾液があふれてきた。
私はふたり分の唾液を飲み込んだ。
喉が熱い。躯が内側から火照ってきた。
「俺も、後悔するとしたらおまえのことだけだ。だけど、抱くのはためらうよ」
数回ついばむようなキスをしたあと、加賀谷さんは眼鏡をかけさせてくれた。
「晴之。俺も怖いんだ」
「加賀谷さんもですか」
「ああ。したくてたまらないのにな」
加賀谷さんは困ったように笑っている。彼は経験したことがあるはずなのに、何を恐れているのだろう。
「相手が晴之、おまえだからだよ」
聞き返す私の唇を、加賀谷さんは再び奪った。
顔を離すと、額を合わせてきた。
「キスしたあと自分がどんな顔しているかわかっているか。目がとろんとしていて、すげえやりたくさせる顔しているんだよ」
「加賀谷さんのキスがうまいからです」
そうなのか、と言って加賀谷さんは笑みを浮かべた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない
すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。
実の親子による禁断の関係です。
23時のプール
貴船きよの
BL
輸入家具会社に勤める市守和哉は、叔父が留守にする間、高級マンションの部屋に住む話を持ちかけられていた。
初めは気が進まない和哉だったが、そのマンションにプールがついていることを知り、叔父の話を承諾する。
叔父の部屋に越してからというもの、毎週のようにプールで泳いでいた和哉は、そこで、蓮見涼介という年下の男と出会う。
彼の泳ぎに惹かれた和哉は、彼自身にも関心を抱く。
二人は、プールで毎週会うようになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる