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どうして中島なんだ

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金色の太陽が、紅く色づいた空に滲んでいる。太陽が溶けてなくなると思った。
「編集長。俺のこと、好きって言ってくれますか」
中島が言葉を続けた。
「愛しているなんてまだ言わなくていいから、好きって言ってください。それだけでいいんです。そのことさえわかれば、俺は……」
逢坂は首を振った。
「愛しているよ。好きじゃ足りない」
「それで充分です。俺も愛しています」
電話を終えても、逢坂はソファに座っていた。
日差しが入り込んだ部屋は、淡いオレンジ色に染まっていた。

翌朝、社長室へ向かった。笠井は応接室で話そうと言った。部屋に入ると、少し待っていろと言って笠井は出ていった。固い革張りのソファに馴染めず、逢坂は何度も座りなおした。
笠井がお盆を持って入ってきた。
「誰かのためにお茶を入れるなんて久しぶりだよ」
テーブルにふたつの湯飲みを置くと、笠井は向かいのソファに座った。
「ほら、社長直々に淹れたんだ。味わって飲めよ」
逢坂は頷いた。背の低い湯飲みに並々と注がれているから、零しそうになった。少し飲んだがすぐに湯飲みを置いた。
笠井も湯飲みに手をつけるが、何だこれ、と言ってやめた。
「熱すぎるな。悪かった、火傷しなかったか」
頷いたが本当は舌の先が痛かった。
「昨夜はよく眠れたか」
「はい」
笠井が座り直し、身を乗り出してきた。
「何があった。話してみろ」
あらかじめ考えていたことを頭の中で反芻させてから、逢坂は口を開いた。
「梶との清算が上手くいかなかったんです。私たちは大学時代から付き合っていました。妻と結婚しても離れられませんでした。別れようと言ったのにこじれてしまい、こんなことになりました」
「逢坂。俺は昨日、中島たちから話を聞いたんだぞ」
中島からの電話を思い出した。これから出かけると言っていた。笠井に会っていたのだろう。
「彼らは私に負担をかけないよう気を使っているんです」
笠井が黙り込んだ。視線を感じたが逢坂は俯いた。目を合わせれば見抜かれると思った。
「無理矢理されたんだろ」
「違います。梶は恋人だったんですよ。好きじゃないのに、抱かれるなんて……」
言葉が続かなかった。
『抱かれる』と口にした途端、逢坂は一瞬体が冷え、熱くなった。
梶の囁きと自分の喘ぎが聞こえた気がした。
自分を見下ろしていた梶の笑顔が浮かんでくる。膝に乗せていた両手に力が入った。逢坂は湯飲みに手を伸ばした。
手が思ったよりも震え、水面が揺れた。
隠し切れないと思ったが、堪えた。少し冷めた緑茶を飲み、息を吐いた。
湯飲みを置いて顔を上げると、笠井が眉を寄せていた。
「その……つらいなら、カウンセリングを受けるとか……」
「大丈夫です。大丈夫ですから――」
「俺にはそういう経験がないから、おまえの気持ちは完全にはわからない。でも、おまえが苦しんでいるのはわかっていた」
「どういうことですか」
「おまえの噂が流れたとき、中島と皆川に聞いた。あいつらは答えなかったが事実だと感じたよ。中島を見て気づいた」
まっすぐに見つめられた。
「歯を食いしばって拳を握り締めたんだ。逢坂のことなのに、どうしてこんなにも悔しい顔をするのかと考えた。あいつはおまえのことが……」
「私のことを、とても尊敬しているみたいです」
「逢坂」
「だから、あいつに相談したんです。男を振るにはどうしたらいいかと打ち明けました。早く別れたくて、彼に縋りました」
笠井は何も言わずに逢坂を見つめた。
「彼は親身になってくれました。親身になりすぎました。俺があいつに近づかなければ、こんなことにはならかった」
逢坂は息を吸った。
「私を編集部から外してください」
「おまえは被害者だろ」
「原因は私です。私の責任です。お願いします」
笠井は、考え込んでいた。
「……資料部に空きがある」
「ありがとうございます」
「三年、いや、二年で戻すからな。……教えてくれないか。どうして中島なんだ」
「見かけによらず頼りがいがあります。それに――」
中島が見せくれる表情の数々を思い出した。
「彼は、私の目が自分に向けられていないと不安になるんです。振り向いてほしいから、ひたむきに愛情を注いでくれます」
言ってから気づいた。
こんなことまで言葉にしたら、笠井に知られてしまう。顔を上げると、笠井は逢坂の目を見て微笑んだ。
「おまえは、本当にいい部下を持ったよ」
「私にはもったいないくらいです」
(きっと知られただろうな)
笑って逢坂は答えた。

ゆっくり休めと笠井に言われたので、有休を使うことにした。
月曜日の昼間、ソファに横になってラジオを聴いていた。ソロのピアノ演奏が流れていた。昼食を取ろうと思ったけれど、もう少し動かずにいたかった。
ラジオを聴くのを勧めてくれたのは梶だった。聴きながらいろいろな作業ができると言っていた。梶はよく原稿を書きながらラジオを聴いていた。
司会者は変わったけれど、学生時代にふたりで聴いていたラジオ番組は今も放送されている。梶と会うことはなくなっても、ラジオを聴く習慣だけは残っていた。
ともに聴く相手は、梶から中島に代わっていた。
初めて中島と一緒に昼食を取ったとき、いつも聴いているからと言ってラジオのスイッチを入れた。そんなことをせずに話を聞いてやるのが一番だとわかっていた。
でも、十歳以上離れている相手にどんなことを話せばいいかわからなかった。言葉が続かなかったときの沈黙を紛らわすためだった。ラジオに集中していることにすれば少しくらい黙っていてもいいと思った。
中島はずっとしゃべっているから食事が進まない。昼休みが終わる頃にいつも慌てて食べていた。
『焦らなくていい。少しくらい遅くなっても誰も怒らないよ』
そう言って笑いながら中島の背中を擦った。中島は上半身を大きく震わせ、顔を赤くした。
そのとき、ようやく気づいた。
話好きの男だと思っていたけれど、上司の機嫌を損ねないよう気を使っているのだろう。彼は彼なりに緊張している。歩み寄ろうと、逢坂は思った。目下の彼よりも、目上の自分から近づくのがずっと楽なことだと思った。
チャイムが鳴った。インターホンの受話器を取った。
「中島です」
小さな声だった。ボタンを押してエントランスのセキュリティを解除した。
しばらくすると、再びチャイムが鳴った。ドアを開けると中島が立っていた。
手に持ったボストンバックを見せてくれた。
「親と揉めました。泊めてください」
笑っているのに疲れきっているように見えた。入って、と言って中島の背を押して部屋に入れた。
テーブルに置いてあったラジオに手を伸ばして切ろうとした。
「このままでいいです」
中島が、逢坂の手に触れた。軽く握って制止する。
「懐かしいな。一緒にお昼を食べていた頃を思い出します」
「親御さん、おまえが謹慎したのがショックだったんだよ」
「いえ、喧嘩したのはそれが原因ではなくて……」
ソファに座った中島が言いよどんだ。逢坂は隣に座った。中島がポケットを探っている。逢坂は立ち上がり食器棚の一番下から、来客用の灰皿を出した。
「ほら、これが要るだろ」
「ありがとうございます」
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