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梶と付き合っていた頃

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「おまえは優しくていつも護ってくれた。でも、ときどき怖かった。だから俺は逃げてしまった」
中島に促されたが、逢坂は動かなかった。言わなくてはいけないと思った。
「俺は、おまえに会いたくてこの仕事を選んだんだ」
顔を上げた梶が、幼く見えた。
知り合った頃、早く酒が飲みたいと梶は話していた。あのときの顔を思い出した。
「おまえがいたから、あの頃の俺は歩き出せたんだ。それは変わらない。会えてよかったと俺は思っている」
梶が笑ったように見えた。逢坂は、中島に頷いた。皆川とともに、ふたりは会場を後にした。

エレベーターに乗り込むと、中島が逢坂をきつく抱き締めてきた。
耳たぶ、首筋を撫でられ、指が頬へと滑る。顎まで手が降りていく。下唇を軽く摘まれた。
ふたりを見ていた皆川が背を向け、エレベーターのパネルを見た。
強引に中島の舌が入ってくる。
「ん、ちょっと待て……」
「何も言わないで」
軽いキスが激しくなっていく。眉を寄せ、中島のシャツを掴んだ。
もう拒む理由はない。わかっているのに、受け入れるのをためらってしまう。くちづけに酔いながら、逢坂は皆川の背を見つめた。
目を閉じると中島の胸に手を置き、舌でゆっくりと応えた。甘すぎるキスに逢坂は声を零した。降下する密室の中で、深い底に吸い込まれるような感覚がしてきた。心地よいけれど行きつく先がわからない。
このまま委ねることに、微かな不安を感じていた。

皆川が運転する車に乗った。中島もいたので、逢坂は後部座席に座った。エレベーターから降り駐車場へ向かうときも、誰も何も言わなかった。
走り出す直前、皆川がカーステレオに手を伸ばそうとして止めた。窓に寄りかかり、逢坂は景色を眺めた。行きよりも早く、車が動いているような気がした。
「俺と梶は付き合っていたんだ。父を亡くした頃、添い寝してやるって言われて……。赤ん坊と母親のような付き合いだったよ」
そう言うと、逢坂は黙り込んだ。
付き合っていた頃、梶は一度だけ浮気をした。夏の初め、何日もアパートに帰らなかったことがあった。バイトでもしているのかと、部屋にいたときに聞いてみた。
男と寝ていた、と言われた。人肌が恋しくなったからだと梶は言っていた。どうして自分とはしないのかと、彼に詰め寄った。
できるのかと言われた。
梶にのしかかり自分からキスをした。髪を掴み、舌を動かして、思いを伝えようとした。顔を離すと、探るような目で見つめられた。
戸惑っていると、梶が導いてくれた。逢坂を見上げ手を取り、自分の躯へ這わせた。
梶のTシャツをめくり、指と手のひらで躯を辿った。梶が声を漏らしたので、ジーンズに手をかけた。ファスナーを開けると、梶の欲望は張りつめていた。
口でできるかと聞かれ、頷いた。
初めて銜えた梶の屹立は、汗の味がした。
歯を立てるな、舌を使えと言われ、従った。梶の声は熱を帯びていた。
零れた滴りが喉を通り、腹に落ち、自分の躯に染みていった。
胃を押さえたが顔は離さなかった。もう少し、あと少しで終わる、そう自分に言い聞かせた。
流れ込む梶の奔流を、目を瞑って受け止めた。
口を離すと、抱えきれない液体が唇から零れ、顎を伝った。梶に名前を呼ばれても口を押さえていた。
流しへ走り吐き出した。胃が焦げ付くように熱かった。
何も言わずに梶が背中を擦ってくれた。水を注いだコップを渡してくれた。夏場の温い水で、何度も口を濯いだ。冷たくなった水を飲み干した。
『できない……好きなのに……』
逢坂は座り込んだ。
あのときの梶の顔は今でも覚えている。
何かを堪えている顔だった。目を擦って、肩を掴んできた。
『本当に? 本当に僕のことが好きなんですか』
『好きに決まってるだろ』
頷いて抱きついたのに、梶は何も答えてくれなかった。
梶は気づいていたのだろう。逢坂自身がわからなかった心の底を、梶は見ていた。

「編集長、お腹が痛いんですか」
中島の声に逢坂は、我に返った。
気づけば胃の辺りを撫でていた。中島が手を重ねてきた。
何も言わずに、もう片方の手も伸ばしてきた。
肩を抱かれただけなのに、触れたところが熱い。首を傾け、体を預けた。髪を撫でられた。
「中島。おまえは温かいよ。温かすぎるから怖くなる」
「これからは、俺にだけ甘えてください」
「そういうことを言うから怖いんだよ」
手の動きが止まった。
「俺はずっと、編集長だけを見ていますよ」
逢坂は頷いた。怖いのは裏切られることではない。
情を注ぐことしか知らない中島も、同性を愛するとはどういうことかやがて気づくだろう。わかったとしても、自分を見つづけてくれるだろうか。
豊かな胸もなければ子供も作れない男の躯をためらわず抱けるのだろうか。
男と女ですることを、男同士でしようとするから難しくなる。
好きだ、愛していると言葉を重ねても、結婚という結びつきもできず子供というかたちも残せない。
思うことでしか相手に愛情を示せない。
気づいてもどかしくなるときがきっと来る。
男を愛することで背負わなければならない重荷も、心の奥底を探ってくる周囲のまなざしも、ずっと知らずにいてほしい。叶うことのない願いだとわかっている。
いつか、中島の笑顔も凍りついてしまう。
かつて男を好きになった自分だからこそわかる。
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