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このままドライブしませんか

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自分とは違って物怖じしない男に見えた。ふたりの頬は赤く、手にはビールが注がれたコップを持っている。
「それが、家内に撮ってもらった最後の写真になった」
宇津木に勧められお茶を飲んだ。玉露のひかえめな甘さを味わった。
「君との付き合いは何年になるかな」
「十六年になります」
逢坂は湯呑みを置いた。
「十六年のうちに、君は結婚して離婚して、母を失った。私は妻を失った。十六年だ、いろいろあったな」
逢坂は笑って頷いた。
「私も中年です。最近、白髪を見つけたんですよ。左のこめかみのところです。まだ数本ですが立派な白髪ですよ」
宇津木は黙ってお茶を飲んでいる。返事を待たずに逢坂は話しだした。
「私の髪も、宇津木先生みたいに――」
「逢坂君。はぐからすのは、もう止めよう。何でここに呼ばれたか、わかっているんだろ」
逢坂は笑みを消した。宇津木が湯呑みを置き立ち上がり、窓へと向かう。
庭を見ると、多くの木の葉が散っていた。
地面に落ちた枯れ葉は風に煽られ、地を這い、舞い上がった。
「君のことは噂になっている。堅物編集長が、男を銜え込んだとな」
逢坂は表情を固くした。
梶に口止めしても、遅かった。
自分たちが周りに何と言われているのか、中島は知っているだろうか。既に、宇津木が忠告しているしかもしれない。
この応接間で自分と同じように、ひたすら、宇津木の言葉を聞いていたのだろうか。
目を閉じ、逢坂は下を向いた。
手を繋いだときに中島が見せた、人懐っこい笑顔が浮かんできた。
「私に打ち明けてもいいんだぞ。ここなら、誰もいない」
宇津木の後ろ姿を見つめた。背筋が伸び、老いを感じさせない。宇津木には何も背負わせたくなかった。
「言えるわけないでしょう。相手がいます。私一人の問題じゃない」
宇津木が鼻で笑った。
「君みたいな男が、あんな奴にのめり込むなんて思わなかったな」
「あいつのことを悪く言わないでください」
宇津木は呻いた。振り返り、逢坂を見た。
「そんなに梶君に惚れているのか、驚いたよ」
逢坂は気づいた。
(宇津木先生は誤解している)
都合がいいと思った。中島と自分の関係は、怪しまれていない。梶との噂は目くらましになる。否定せず、肯定もせず、逢坂は俯いた。
壁時計の秒針の音が、やけにうるさく聞こえた。

部屋に帰り、スーツから薄手のセーターとスラックスに着替えた。
夕食を食べたあと、ラジオを聴きながら棚を拭いた。
電話台を拭こうとしたら、電話の着信ランプが光った。すぐに受話器を取った。
皆川だった。少し笑っていた。
「誰かを待っていたんですか」
そういうわけじゃないと言って、逢坂はソファに座った。布巾は電話台の上に置いた。
「明日は車で行きませんか。私が運転します」
渋滞するから早めに出ることになると言われた。逢坂は了承した。迎えに来る時間を、電話台の上にある紙に書きつけた。メモを取りながら、皆川は車を持っていただろうかと考えた。
皆川はレンタカーだと答えた。友人の会社から試乗を頼まれていると言った。
「おやすみなさい。明日お迎えに行きます」
静かな皆川の声を聞いていると、心地よくなった。受話器を置いても、声が逢坂の胸に響いていた。

翌朝に部屋で待っていると、皆川から電話が来た。マンションを出ると、コバルトブルーの車の前で皆川が立っていた。ワイン色の上着に黒いスラックスを合わせていた。
逢坂は助手席に座った。シートは背中の曲線によく馴染んだ。
カーステレオから、ギターに合わせて外国の歌が流れる。軽やかな女の歌声だった。
「ここはブラジルの曲を流すんです。軽快な歌だから、朝から重くならない」
逢坂は頷いた。車が走り出す。
いつも歩く道を助手席から眺める。歩行者の足はそれほど速くないのだと思った。
交差点を過ぎ、車は国道に入った。
皆川は、週末になると出かけてばかりいると話した。そのときは友人のところで車を借りると言った。
「地図を見ながら、一時間でも二時間でも過ごせますよ」
「それなら退屈しないな」
「ベッドの中でも、相手の躯を地図に見立てて指を滑らせてしまいます」
「ん? んー……」
曖昧な返事を逢坂はした。皆川が微笑んでいるので笑うところだと気づいた。
「すみません。編集長はこういう話題はだめですよね」
「いや、皆川が際どいことを言うのは珍しいと思ったんだ」
「中島と同じく、編集長に笑ってほしいだけです」
車は渋滞の列に入った。予想通り、と皆川が呟いた。信号で止まると、皆川が目を合わせてきた。逢坂は見つめ返した。
艶のある黒い瞳を見た。思うことはわからない。でも、不安はない。
優しくて動じない強いまなざしに見えた。
微笑み、前を見て皆川はアクセルを踏む。
「あいつみたいに編集長を楽しませることは、私にはできないな」
「充分、楽しいよ。おまえの車に乗っていると安心する」
お世辞ではなかった。
緩やかなギターの調べを聴いてシートに身を預ければ、知らない街を走っているような気がした。窓から景色を眺めると、絵になりそうな場所だと思う。
通り過ぎる頃に、歩いたことのある道だったと思い出した。
「このままふたりでドライブしませんか」
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