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俺は誰にでも抱かれる男だから

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列車に乗り編集部に行けば、今日の仕事が待っている。同じ部屋にいても、中島と話すのは必要最低限、しかも仕事に関することばかりだった。
逢坂はデスクに向いながら時折、首や肩を動かした。
躯全体に重い疲れが残っていた。動かずに椅子に座っていると、気だるくてのしかかるような苦しさに襲われる。ジャケットは脱いでいた。部屋は暑くない。
昨夜中島が注いできた熱がまだ冷めない。
首筋や胸元、中島に噛まれた箇所が熱い。何かの拍子にふと、一夜のことが頭によぎり、体が火照る。
逢坂は机に置いていた群青色の表紙の本に手を伸ばした。
九月に発売された梶の小説『星へ誘う』だった。昨日、出勤前に買っていた。しおりを挟んでいたところから読み始めた。
文芸誌『KSノベルズ』では毎号、ひとりの編集者が一冊の本の書評を書く。次回は逢坂の担当だった。梶の本の書評を載せて、読者の反応を窺おうと考えていた。
部下には梶の原稿を否定するようなことを言ったが、いい小説は読者に紹介したかった。
小説は短編集だった。印象に残った一作を中心に書評を書こうと逢坂は考えていた。四番目の短編に目を通した。
「続編だな」
思わず呟いてしまい、室内にいた数名の部下たちが逢坂を見た。何でもない、と逢坂は言った。
再び読もうとしたとき、斜め向かいの中島の机にあった電話が鳴った。
「はい、笠井出版KSノベルズ編集部の中島です。……編集長、梶竜一郎先生からお電話です」
逢坂は自分の机にあった電話のボタンを押して、受話器を取った。
「逢坂です。いつもお世話になっています」
梶は電話の向こうで笑っていた。
「そんな他人行儀な言葉はやめてください」
「部下の前ですから、こんな話し方しかできませんよ」
室内を見回した。中島と皆川と目が合ったが、ふたりとも視線を逸らした。逢坂は本を閉じた。表紙に銀色に印刷された梶の名前、『竜』の文字を、親指で辿った。
「ちょうど、あなたの新刊を読んでいたんです」
「会って感想を聞きたいです。頬を赤らめて小説について語るあなたを、久しぶりに見たい」
梶が少し声を低くした。学生時代に毎日聞いていた、耳をくすぐる囁きだった。どう答えようか迷っていると、梶が口を開いた。
「今晩、会えませんか。あなたに飲ませたいお酒があるんです」
「すみません。体調が優れないのでお断りします」
「ああ、わかりますよ。少し声が熱っぽい。いつにも増して色気があります」
逢坂は息を吐いた。躯の火照りをやり過ごそうとした。
たかが声だけで、梶は昨夜のことに気づくはずがない。話を合わせているだけだ。
梶はいつもこうやって見えない罠を張る。見透かされそうだから、早く電話を切りたかった。
「せっかくお電話をいただいたのに、申し訳ございません」
「それなら、明日の夜に会いましょう。一晩経てば、あなたも元気になっていますよね」
どう答えようか、返事に迷った。
「……はい」
先約があると言ってもよかったが、梶に嘘はつきたくなかった。
明日、仕事を終えたら駅の近くにある喫茶店で落ち合うことになった。逢坂は電話を切ると、席を立った。
編集部を出て、廊下の突き当たりにあるトイレへ入った。
逢坂は洗面台に立ち、鏡の前で髪を整えた。前髪を弄ると白髪が数本光った。一年前から白髪が出てきた。少しずつでも確実に増えていると感じた。
辺りを見回した。
個室にひとり入っていたが、出てくる気配はない。
逢坂はネクタイを弛めてボタンをひとつ外した。首を動かし、うっすらと赤く色づいた噛み痕を見た。
背後で人影が動いた。後ろから抱き締められる。逢坂は身を固くした。
「俺が噛んだところ、まだ疼きますか」
中島だった。笑い声が聞こえた。襟元を片手で引っ張られた。
「ん、ん……」
首筋を舐められ、逢坂は息を殺した。感じやすい躯は、すぐに熱を帯びた。
鏡越しに中島と目が合った。肌にかかる吐息に震えた。
「電話している間、痕が見えました。見る度に昨夜を思い出すから、興奮する」
「は、離れて、くれないか……」
個室のほうに中島が目をやった。空いている個室に引っ張られそうになり、逢坂の足がもつれた。
「中島! ここは職場だぞ!」
逢坂は怒鳴った。驚いた中島が手を離した。逢坂は壁際に行き、胸元を押さえた。
立っているのがやっとだった。誰かがいる個室に目をやったが出てくる気配はない。
息を吐くと、逢坂は呟いた。
「こんなことはやめよう」
「すみません。自分のことだけ考えていました」
目を瞑り、逢坂は近づいてくる中島の体を押した。
「そうじゃない」
逢坂は中島の両肩を掴んだ。しばし、唇を噛みしめる。中島の目を正面から見て、口を開いた。
「一緒に寝るのは一度きりにしよう。もう、したくない」
強い力で抱き締められた。逢坂が身を捩っても中島は離さなかった。
静かな声で尋ねてきた。
「抱かれるのはつらかったですか」
逢坂は何も答えなかった。中島が逢坂の頬に唇を落とした。頬を撫でられても、逢坂は俯いたままだった。
「遅いかもしれないけれど、これからゆっくり俺の気持ちを伝えます」
「いや、おまえは俺と合わない」
視線が定まらず、逢坂は床を見つめていた。
(振り払うんだ。いまなら、中島は引き返せる。俺や梶みたいに男の深みを知らなくて済む。そのためなら……)
「……俺は、誰にでも抱かれる男だから」
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