光の屈折

瀬楽英津子

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〜儚くゆらぐ光

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  小さな違和感が、胸騒ぎに変わった。
 真っ昼間だというのにぴったりとカーテンの閉め切られた窓。
 留守にしてるのだろうか、とドアノブに手を掛けて異変に気付いた。
 鍵が開いている。
 不審に思いながら、ゆっくりとドアを引き、僅かな隙間から身体を中へ滑り込ませた。
 侑斗の住む団地の倍以上はある広い玄関には、新太がいつも履いているブランドのロゴマーク入りのローカットスニーカーと焦げ茶色の革靴が並んでいる。
 恐る恐る辺りを見回すと、どこからともなく小さな子供が愚図り泣いているような声が聞こえ、侑斗はふと耳を澄ました。
 上からだ。
 思うが早いか、身体が勝手に反応し、勇み気味に飛び出した足が、躊躇いもなく玄関を上がってすぐの階段のステップを踏んでいた。

「や……だッ……クソッ……やめ……」

 声は間違いなく上から聞こえる。
 一段ごとに鮮明になる声に侑斗の心臓が騒ぎ出す。
 嫌な予感がする。なぜなら侑斗はこの声を知っている。これがどういう時に出る声なのかも。
 そして、案の定。
 階段を上がり切ったところで侑斗の不安は的中した。
 うっすらと開いたドアの隙間、その先に蠢く二つの影に侑斗は絶句した。
 一人は新太。もう一人はどこかで見たことのある男。どこで見たのだろうと記憶を探ると、ふと、小学生の頃、侑斗たちが遊び場にしていた団地の公園でよく見かけたスーツ姿の男の顔が脳裏に浮かんだ。その男の顔によく似た男が、新太を自分の膝の上に後ろ向きに乗せ、背後から抱きかかえるようにして身体を揺さぶり上げている。  
 異様に見えるのは、新太の脚が伸ばせないように折り曲げられているせいだ。
 長い脚を窮屈そうに両膝を折られ、太ももとふくらはぎを、離れないようぴっちりと重ねた状態で黒いベルトで巻かれている。
 腕が見えないのは、両手を後ろ手に縛られているせいだろう。
 身体の自由を奪われ、カエルのように外を向かされた爪先を、足の指が引き攣りそうなほど反り返らせて揺さぶられている。
 無抵抗なまま、男にされるがままに上下するその姿は、普段の勇ましい新太とは別人のように脆く痛々しく、見ている侑斗のこめかみを震わせた。
 金縛りにあったかのように身動き出来ない侑斗の目の前で、新太の身体がさらに持ち上げられ、後孔に埋め込まれた男の昂ぶりが、ローションでヌメった赤黒い竿を露出させる。
 揺さぶりから一転、激しい突き上げに新太の顔が苦痛に歪む。

「どうだ、今日の父さんは。いつもより硬くて気持ち良いだろう? え?」

「ぅぐッ、うッ……」

 新太の無駄肉のないお尻の間を男の淫水焼けした図太いペニスが抜かれては突っ込まれ、抜かれては突っ込まれ、忙しなく出入りしては新太の身体を突き上げる。
 繰り返される挿入に、結合部に溢れ出したローションが摩擦で白く泡立つ。

「黙っていちゃ分からない。気持ち良いときは素直に言えといつも言っているだろう? ほら、父さんに聞こえるようにちゃんと言ってごらんなさい」

「だ……れがッ……うぁ……ぁあうッ!」

 グチュ、グチュ、グチュ、と、厭らしい音が頭に響く。
 悔しそうに唇を引き結ぶ表情とはうらはらに、新太のペニスは男の執拗な責めにすっかり勃ち上がり、突き上げられるのと同じリズムでその雄々しい竿を上下に揺らしている。
 鷲掴みにして持ち上げたお尻に男が腰をぶつけるたびに、赤く腫れた先端がお腹にぶつかりながら上へ下へと跳ね踊り、振られた反動で、伝い漏れた先走りが空中に微かな飛沫を上げる。
 その淫らに濡れそぼるペニスを、男の指先が掴み手のひらに握り込んだ。

「どこまでも強情な子だねぇ。身体はこんなに素直なのに」

「んあぁッ!」

 人差し指と中指でカリ首を締め上げ、親指の腹で先っぽをくるくる撫で回す。
 男の指技に、新太が悩ましげに身体をビクつかせる。
 新太の羞恥を煽るように、男は、鈴口に当てた親指をわざとゆっくり持ち上げ、指先と鈴口の間に先走りの糸をツーっと引かせる。

「これ。どんどん出てくるこれは何なんだい? 気持ち良いからこうなってるんじゃないのかい?」

「知らな……ッあ……」

 一度ならず二度三度と、親指を立てては戻す動作をねちねちと繰り返され、新太が引き結んだ唇を悔しそうに噛み縛る。
 その間も男の指は鈴口を弄り回し、時折り、敏感な裏筋部分を擦り上げては先走りの排出を促す。
 やがて充分な量の先走りが指先を湿らせると、それを塗り伸ばすように手のひらで亀頭を撫で回した。

「こうされるの、弱いよね」

「ッ……いじんな、バカッ……」

 先端部分を手のひらにすっぽりと包み、カリ首や裏筋に指先を当てながら揉み込むように先走りを塗り付けていく。
 クチュクチュという淫らな音に、新太の顔が再び羞恥に歪む。
 新太の表情が見えているかのように、男は背後から回した手を器用に動かし、さらに新太を追い込んでいく。
 苛烈さを増す亀頭への愛撫に新太の呼吸が荒くなる。吐息が喘ぎ声に変わり、その中に涙声が混じったのが合図だった。
 ふいに男がペニスを握り直し、まんべんなく塗り伸ばした先走りをローション変わりに竿の部分を激しく扱き始めた。

「やぁッ! ま、待ってッ!」

 突然の刺激に、新太がついに悲鳴を上げる。
 しかし男は聞き入れない。
 切実な訴えも右から左へ聞き流され、新太は屈辱的なまでに開かされた脚を閉じることも許されず、されるがままにペニスを扱き上げられる。
 力任せに捏ね回された亀頭が赤く腫れて見るからに痛々しい。
 しかし男はやはり少しも躊躇せず、むしろ、もっと泣けと言わんばかりに、ガチガチに張り詰めた竿を射精を促すように一定のリズムで扱き上げていく。
 そこに、下からの突き上げが唐突に加わった。

「あひぃぃッ!」

 不意打ちを喰らわされ、新太が、奇声のような悲鳴を上げながらガクンと腰を引き攣らせる。

「いきなり腰を振っちゃ危ないだろ?」

「違ッ……」

 口では否定しながらも、新太の腰は男の動きに合わせてしなるようにうねり、絶頂へ向けて皮膚をぶるぶると震わせる。
 感じる部分を突かれながら激しく竿を扱かれ、赤く腫れた先端部分が、鈴口から大量の先走りを滴らせる。
 睾丸は根元まで迫り上がり、はらはらと涙を流すように竿を伝い流れる先走りの中に、うっすらと白色がかった体液が混じり始めた。
 射精が近い。
 思った瞬間、新太の膝がガクガクと揺れ、ペニスの先端から勢いよく精液が飛び出した。

「勝手にイッちゃダメだとあれほど言ってるのに、まったくお前ときたら……」
 
 男は、新太のペニスを握り締めたまま不満げに呟き、しかしすぐに、「まあいい」と、痙攣の続く新太の身体を膝の上から下ろしベッドの上にゴロンと転がした。
 新太は、両手を後ろ手に縛られ両膝を折り曲げられた状態でベッドにうつ伏せに倒れている。長身で肩幅のある新太が異様に小さく見えるのは、手足を縛られているせいばかりではない。男に犯されるという屈辱的な行為が、新太の男としての誇りを傷付けいつもの覇気を奪っていた。生意気な口を利くのは虚勢の現れ。男は新太の内心などお見通しとばかり、無抵抗な新太を不敵な笑みを浮かべながら見下ろすと、新太の太ももとふくらはぎを固定したベルトを外し両足を自由にした。
 ようやく終わるのか。
 男と新太の行為をドアの外で見ていた侑斗はもちろん、新太本人もそう思ったであろう矢先、男が、自由にした新太の足を片足だけ掴み、新太の身体をひょいと横向きに返した。

「な、なにッ?」
 
 動揺する新太をものともせず、男は、掴んだ足を天井に向けて真っ直ぐ持ち上げ、持ち上げていない方の足を膝立ちで跨いでお尻の谷間に自身の勃ち上がったままのペニスを押しつけた。

「テメ……まだヤる気かよ……」

 絶頂の余韻も冷めやらないまま、新太が、息も絶え絶えに上擦った声を上げる。
 男は、

「聞くだけ野暮だね」

 一向に意に介さず、横向き寝そべった新太の尻たぶを割り、ローションの白く泡立った窄まりにペニスを押し込んでいく。

「離せッ! クソッ!」

 身を捩って抵抗するものの、足を掴まれ、もう片方の足も馬乗りに跨られて踏み潰されているせいで、新太は殆ど身動きが取れない。それでも半ばヤケクソのように足を振ると、親指の爪先が男のこめかみに当たり、同時に、バチッ、という乾いた男が空気を切り裂いた。
 男が新太のお尻を引っ叩いたのだ。
 新太が、ヒッ、と引き攣った声を上げ、振り上げた足をピンと硬直させた。

「反抗期もほどほどにしないと本気で怒るよ?」

 再び、男の手が大きくしなって新太の尻を打つ。

「やッ……も……叩くなッ……」

 一発、二発。数を増すごとに強くなる衝撃に、新太の足がビクビクと痙攣する。

「こうすると、お尻の中がキュンキュン締まって入れてるだけで気持ち良いんだ。お前も慣れればそのうちこの痛みが快感になるんだがな……」

「るっせー。も……叩くなっつってんだろッ……」

 男の手がまた新太の尻たぶを打つ。
 さっきまでとは違う衝撃音に、戦慄にも似た緊迫感が走る。
 悶絶するように絶句する新太を、男は、優しい、それでいてどこか凄みのある顔付きで眺めながら、新太の足を乱暴に捻り上げた。

「『叩くな』じゃなく、『叩かないで下さい』だろ? あまり生意気なことを言うと部屋のドアを全部開けるよ?」

 男の言葉に、新太が傍目にも解るほどぎくりと身体を硬直させる。
 新太の動揺を愉しむかのように、男が捻り上げた足に頬ずりしながら不気味に笑う。

「玄関が開いてることを忘れたわけじゃないだろう? うっかりパート先から帰ってきてしまったら秘密がバレてしまうからねぇ」

「そんなことしたらあんただって……」

「『あんた』じゃなくて、『お父さん』だろ?」

 バチンッ! と乾いた音が再び空気を切る。
 繰り返される痛みに、新太が声も上げずに背中を仰け反らせる。
 男は構わず、胸元に抱え上げた足に頬ずりするだけでは飽き足らず、舌先を伸ばして下から上へベロンと舐め上げた。

「そうそう。勘違いしてるようだから教えといてやろう。私は別にお前との関係が母親にバレたところでなんとも思わない。なぜなら私はお前たちのあるじだからだ。お前たち親子がこうして普通に暮らせるのは私のお陰だ。お前との関係がバレたところでとやかく言われる筋合いはない。文句があるなら出て行けばいい」

 優しい口調がかえって不穏さを醸し出す。
 途中まで言って黙ると、男は、無言で息を顰める新太の赤く腫れたお尻を撫でながら、勿体ぶるように話しを続けた。

「だが、そんなことになったら困るのは母親だろうねぇ。家もない。金もない。学歴もない。今までろくに仕事に就いたこともない、金を稼ぐための知恵も、体力も、若さもない。あるのは前夫の残した多額の借金とお前だけ。もっともお前をこの世に生み出してくれたことには感謝しているが、それ以外は誉められたところなど何ひとつない、ナイナイ尽くしのあの女が、この先どうやって一人で生きていくというのか……」

「やめろッ!」

 思わず叫ぶ新太を男がしたり顔で見る。

「それはお前次第だよ。素直に言うことを聞くなら母親は追い出さない。今まで通りずっと一緒だ。どうする、新太。どっちが良い?」

「追い出さないで……母さんを……」

「なら、ちゃんとおねだりしてみなさい」

 暫くの沈黙の後、細く消え入りそうな声で新太は言った。

「……ください。義父とうさんの硬いのを入れてください」

「入れるだけじゃないだろう?」

「い、入れて……掻き回して……」

「どんなふうに?」

「……ぐちゃぐちゃに……突き回して……」

 新太の言葉に満足気に微笑むと、男は、

「いいだろう」
 
 持ち上げた足を胸元に引き寄せながら、根元まで入れたペニスをカリ首まで引き戻して、再び一気に奥まで突き入れた。
「あああぁぁぁッ!」と、新太が叫びながら背中を仰け反らせる。

「くうッ……深いッ……あッ……あひッ……」

「やっぱりこの体位が一番深くまで入る。もっともっと奥まで入れて掻き回してあげるからね」

「あああ……っ、んはあぁぁぁっ……ぅああぁ……」

 新太の片足を腕で挟んで高々と持ち上げながら、強壮剤によって血管の筋が浮くほど勃起したペニスを真横から容赦なく突き入れ、奥を揺さぶる。
 男の張り詰めた亀頭が後孔を出入りするたびに、白く泡立ったローションがねちゃねちゃと糸を引き、聞くに耐えない卑猥な音が部屋に響き渡る。

「はああ、熱いッ! 締まるッ! はぁ……気持ち良いよ、新太くんッ! ほら、ここッ、奥ッ!」

「ああぁ……そんな早く動いたらぁッ……あッ、あっつッ……」

 激しく腰を突き入れながら、男は、時折り、新太の足の角度を変えて繋がっているところを露出させ、恍惚とした表情を浮かべながら卑猥な言葉を並べ立てる。

「ああああっ! 凄い! ここ、グチャグチャになって、白くなってる。新太くんッ!」

「あっ、ああ、あっ、あ」

「ぐぽぐぽいってイヤらしいね。父さん、気持ち良すぎてどうにかなりそうだ。新太くんも気持ちだろう? 気持ち良いと言ってごらん?」

「……もちいいッ……気持ちいッ……」

 ベッドの上でまぐわう雄と雄。
 男の下で喘ぎ泣く新太をドアの隙間から覗き見ながら、侑斗は、あまりの衝撃に身動き出来なくなっていた。
 混乱する、というレベルの話しではない。見た瞬間、脳天を撃ち抜かれたような衝撃が走り、一瞬にして頭の中が真っ白になった。
 目の前のものを現実として受け入れることが出来ない。
 これは夢だ。
 そう思って頬をつねろうとしても、身体が、コンクリートで固められてしまったかのようにピクリとも動かない。頬をつねるどころか、瞬きをすることもままらない。胸が詰まって息苦しい。意識がバラバラになって思考が働かない。
 それでも新太が酷い目にあわされているということだけははっきりと解った。
 口では応じながらも、新太が男を拒絶していることは確かめるまでもない。
 侑斗のいる角度からは新太の表情は見えないが、震える肩が、背中が、後ろ手に縛られた腕が、必死に侑斗に訴えかけている。
 その、痛々しくも美しい肉体を、男のどす黒い欲望がにじり潰していた。

「トロトロなのにキュンキュン締め付けてくる……。本当にお前の中は最高だ。母親よりよっぽど具合が良い」

 新太は何の抵抗もせず無言で貫かれている。
 母親を侮辱されながらも抗わずにじっと耐える後ろ姿が、かえって新太の怒りをストレートに伝えている。
 しかし男は、それすらをも愉しむかのように、新太の脚につかまりながら、新太の股の間に十字型に交差させた腰を激しく奥へ打ち付ける。
 ギシギシとベッドが軋み、新太の身体がシーツの上を押しては返す波のように動く。

「前も凄いことになってるよ? 触ってないのに勝手にビクンビクン動いてお漏らししてる。ほら、これ。白いのトロトロ出てるの、見えるだろ?」

「やあッぅぅっ……さわんなッ……」

 堪らず声を上げた新太に、男が満足気に囁く。

「触ってください、の間違いだろ?」

 すると、どこからともなくブゥーンと唸るような音が響き、新太が、後ろ手に縛られた手を力任せに振り解きながら背中を仰け反らせた。

「やッ! それ、やだッ! や……めろッ!」

 さっきまでの観念した様子から一転、激しく身を捩らせながら抵抗する新太の姿に、侑斗の心臓が早鐘を打ち鳴らす。
 棒立ちのまま見詰める侑斗の目の前で、新太の長く引き締まった足が何度も宙を掻き、ハの字を描く肩甲骨が、逃れようと斜めに捩れながら身体をくねらせる。
 逃れようとしているのは男の手。正確には、男の手の中に握られたモノ。一見こけしのようにも見える巨大な電気器具が、男の拳の先で丸いヘッドを振動させている。
 その耳障りなモーター音が、緊迫感の漂う室内をも振動させる勢いでブゥゥゥゥンと唸りを上げている。

「そんなに嫌がることないじゃないか。お前の大好きな電マだぞ? いつもこれで先っぽいじられてイキまくってるのはどこのどいつだい?」

「やッ! 離せッ! やめろッ!」

 震えるヘッドをこれみよがしに顔の横に掲げると、男は、不遜の笑みを浮かべながらそれをゆっくりと新太の股間へ落とす。
 途端、新太の背中がグイッと仰け反り、断末魔の叫びのような引き攣れた叫びが空気をつん裂いた。

「んああぁぁぁぁぁぁっっッ!」

 ビクビクと肩を痙攣させながら、新太が首を真後ろに折れ曲がりそうなほど仰け反らせる。

「ほーら気持ちイイ! 感じる裏筋もいっぱい触ってあげようね」

「うあぁぁぁッ、はあぁぁッ、ッぁ」

 顔を真っ赤にしながら身悶える新太に構いもせず、男はヘッドの角度を変えて執拗に新太をいたぶる。

「遠慮しないでいつもみたいに撒き散らしなさい。防水シートを敷いてあるから余計な心配は無用だよ」

「んんんッ! んあぁぁッ! あぁッ! あッ!」

 男が持ち手を上げ下げするたびに、新太が、絶叫を上げながら背中を仰け反らせる。
 男は、新太がさも感じているかのようにしつこくペニスを責め続けるが、侑斗の目には、新太がただ苦しみもがいているようにしか見えない。
 このままでは新太がどうにかなってしまう。
 なんとかしなければ。
 気持ちを奮い立たせるものの、膝がガクガクと震えて一歩も前へ進めない。
 そうしている間にも、男は、新太のペニスに電マを当てたまま、胸元に抱きかかえた足を持ち直して体勢を整えた。

「私もそろそろ楽しませてもらうよ」

 言うなり、後孔に突き入れたままになっていたペニスをズルリと引き戻し、再び最奥へと突き入れる。

「はあぁぅうぅッ!」

 手加減なく押し入る衝撃に、新太が鋭い悲鳴を上げる。

「ぁはあッ! ぅあッ、あッ!」

 激しい抜き差しに、逆流したローションが結合部でグチュグチュと糸を引き、白濁しては股の間を伝い流れる。
 それが視覚的効果となり、男が興奮気味に動きを加速させる。

「あぁ……後ろもすっごく溢れてる。前も、我慢しなくて良いんだよ? 奥……揺さぶってあげるからッ、いっぱい出しなさいッ!」

「ああぁッ! やめろぉぉぉッ!」

 叫びながら、新太が狂ったように頭を振る。
 男はなおも新太の若い身体に己を突き立て、快楽を貪る。
 
「はあぁ、イイ……気持ちイイ……。もうイキそうだ……。新太! イクぞ……父さん、お前の中に出すからな……あッ、新太ッ……」

 もう限界だ。
 これ以上新太を酷い目に合わせるわけにはいかない。
 助けなければ。
 気力を奮い立たせ、侑斗は、震えながらドアに手を掛けた。
 しかし、硬直した身体はすぐには動かない。足を踏み出した途端ガクンと膝が崩れ、侑斗は、ドアに寄り掛かりながらつんのめるように部屋の中に倒れ込んだ。

「誰だっ!」

 突然の物音に、男が侑斗の方を振り返る。
 しまった、と思った時にはもう遅かった。
 男はすぐさまベッドから降りて侑斗に掴みかかり、侑斗は、床の上に這いつくばったまま問答無用で首根っこを掴まれ引き摺り起こされた。

「お前は誰だッ! ここで何してるッ!」

 極度の緊張に侑斗の身体が金縛りにあったようにビンと張り詰める。
 何か言わなければ。
 思うものの喉が詰まって声が出ない。
 すると、

「侑斗ッ!」

 新太の叫び声が空気をつん裂き、襟首をねじり上げる男の手がふと緩んだ。

「そいつは関係ねぇ! そいつから手を離せッ!」

 声を荒げる新太など気にも留めず、男は、怯えながら見上げる侑斗を、薄気味の悪いニヤケ笑いを浮かべながら舐めるように見返した。

「思い出したぞ。お前はいつも新太と一緒に遊んでいた、あの子供だな」

 男の顔が、子供の頃、公園で見たスーツ姿の男の顔に重なる。
 最初に見た時の直感は気のせいではなかった。
 あの時の男が新太の新しい父親。
 男と直接関わりを持ったことはなかったが、子供心にも、侑斗は、いつも車の中から侑斗たちの遊ぶ姿をじっと見ていたこの男を、近付いてはいけない危険な男だと警戒していた。
 その危険人物が、本性を剥き出しに侑斗に迫っていた。

「ちょうど良い。この際だからお前も一緒に可愛がってやろう。こんなところを見られてしまったからにはタダで帰すわけにはいかないからな」

 ぬぅっ、と顔を近づけられ、侑斗の心臓が縮み上がる。

「テメェ、なに考えてんだ! そいつは関係ないっつってんだろッ!」

 逃げなければ。
 思うものの腰が抜けてしまったように力が入らない。
 ビーンと痺れた頭の中を、新太の叫び声だけがこだまする。

「離せッ! そいつに触るなッ! 侑ッ! 逃げろッ!」

 男は構わず、床にへたり込んだ侑斗を獲物を追い詰めたケモノのようなギラギラとした目で見据え、再び襟首をむんずと掴んで、床から引き剥がすように引っ張り上げた。

「いい子だから……こっちへ来て、三人で愉しもう」

 もう逃げられない。
 思った瞬間、男が突然ギャッと叫んで床の上に吹き飛ばされるように転がった。
 新太の強烈な蹴りが男の背中を直撃したのだ。
 体当たりとも言える一撃に、男はもとより、仕掛けた張本人である新太までもが勢い余って床に転がる。両手を後ろ手に縛られているせいで受身も取れずに思い切り床に叩き付けられる新太の姿に、それを間近で見詰める侑斗の顔が苦痛に歪む。

「今のうちに逃げろッ!」

 大声を出せる状態でないことは、さきほどの衝撃音からも容易に想像はつく。それでも声を張り上げる新太の渾身の気合いに、侑斗の恐怖心がパンと弾け、呪縛が解けたように身体に力が戻った。
 侑斗は、もつれる足で新太に駆け寄った。

「何してるッ! 早く逃げろッ!」

「でも、それじゃあ新太が……」

「いいからッ!」

 拒絶する新太に構わず、手首を拘束するベルトの金具に手を掛ける。特殊な構造に四苦八苦しながらなんとか外し終えてホッとしたのも束の間、背後に人の気配を感じ、侑斗は後ろを振り返った。
 男だ。
 男が立ち上がって侑斗に掴みかかろうとしている。

「大人しくしてれば手荒な真似はしないでやったものを……」

 今度こそ逃げられない。
 思った瞬間、侑斗に伸びた男の手を新太の手が掴んで止めた。

「離せ、くそジジイ!」

「ええい、邪魔をするなッ!」

 年齢、体格差だけで言えば、新太の方が明らかに優っている。それでも互角に見えるのは、転倒した衝撃と、男が、義理とはいえ自分の父親であるという無意識の遠慮からくる手加減のせいかも知れなかった。
 オロオロと見上げる侑斗の目の前で、男と新太は、互いにつかみ合い、激しく揉み合いながらドアの外へと移動する。
 動転しながらも、新太が男を部屋から締め出そうとしていることは侑斗にも理解出来た。

「俺が出たら鍵を締めろ」

「待って! 新太は? どうするの?」

 そう言いかけた時だった。
 突然、「ああッ!」と叫び声が上がり、ドドドドドッ、と何かが転がり落ちるような大きな音が響いた。

「新太ッ!」

 侑斗は慌ててドアの外に駆け付けた。
 新太は、階段の上がり端に立ち、茫然と下を見下ろしている。
 視線の先にあるのは全裸で転がる男。階段を降りきる手前のコの字型の踊り場で、男が、緩んだ裸体を晒しながら無様にひっくり返っている。強い衝撃を受けたのか、手足を不自然に折り曲げて仰向けになったままピクリとも動かない。

 ーーーまさか……。

 叫びそうになるのを押さえながら、侑斗は、新太を振り返った。
 新太は、目蓋が引き攣りそうなほど大きく目を見開き、半開きにした唇を震わせながら男を凝視している。
 見たこともない表情に、侑斗の心臓がズキンと跳ね上がった。

「逃げよう!」

 殆ど発作的に、侑斗は新太の手を取っていた。

「逃げよう、新太ッ!」

 身体を揺さぶって新太を正気に戻し、床に散らばった下着やズボンやらをかき集めて新太に着せ、腕を掴んで手を引きながら階段を降りる。
 男の状態が気になったが、直視するのが恐ろしく、見ないように避けながら降り、外へ飛び出した。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「お前、バカだろ……」

 新太の問い掛けに、侑斗は、胸の前で揃えた両膝をギュッと抱き締めながら「ごめん」と呟いた。  

「なんでそこで謝んだよ」

「だって俺のせいだから……俺が訪ねたりしなきゃあんなことにはならなかったわけだし……」

 侑斗の返答に、新太がまた大きな溜め息をつ
く。

「べつにお前のせいじゃねーよ」

 背もたれにした鉄柵がひんやりと背中を押し返す。
 幼い頃、こっそり忍び込んだ団地の屋上。
 新太の家を飛び出した後、侑斗は新太と一緒に電車に乗り、新太を自分の住む団地に連れて来た。
 身体の汚れをシャワーで洗い流そうと部屋へ誘ったが、新太が嫌がり、仕方なく人目につかない屋上へと移動した。
 新太は、蒼ざめた顔で思い詰めたように黙りこくっていたが、屋上に着き、昔よく一緒に遊んだ公園や新太が住んでいた号棟を眺めるうちに、少しづつ表情が戻り、口数も戻った。
 階段から落ちた男のことは、電車に乗る前、新太の代わりに侑斗が新太の名前で救急車を呼んだ。あれからすでに一時間近く経っている。今頃は、病院のベッドの上で眠っているか、或いは……。
「いやいや」と、ふと脳裏をよぎった嫌な予感を侑斗は慌てて振り払った。
 まさか、最悪な事態になどなるわけがない。万一そうなったとしても正当防衛だ。
 気持ちを鎮めようと両膝に顔を埋めて深呼吸をする。再び顔を上げると、侑斗の心中を察したように、新太が隣に座る侑斗の足先を自分の足先でトンと突いた。

「そんなことより、いつまでこうしてる気だよ。ーーーてか、よくフツーに俺と喋れんな。俺があのクソジジイにられてるとこ、ずっと見てたんだろ?」

「見てた……けど……」

「キメェ、とか思わねぇの?」

「え?」

「今までさんざんお前のことっといて、実は自分もられてましたとかマジ、キメェだろ」

「そんなことないッ!」

 侑斗は思わず声を荒げた。
 新太と男の行為はショックだった。しかしだからといって新太を気持ち悪いとは思わない。気持ち悪いのは、新太をそんな目に遭わせた男と、その男に未だかつてないほどの憤りを覚える自分自身だ。
 思い出すだけで、抑えようのない怒りが突き上げ心臓が痛み出す。男が新太に触れていたことが許せない。新太がずっと前からあんなことをされていたのだと思うと、身体が震え、泣きたいような叫び出したいような衝動に襲われる。
 自分でも戸惑うほどの感情に、侑斗の声にも自然が力がこもる。

「全然気持ち悪くないッ! 新太はなんにも悪くないッ!」

 必死の形相で訴える侑斗を前に、新太は、

「やっぱお前バカだな」

 片膝を立てて座った足に頬杖をつき、どこを見るわけでもなく、遠くを見詰めながら言った。

「自分が何されてたのか忘れちまったのか? 俺は、あのクソジジイがしてたのと同じことをお前にしたんだぜ? お前は俺の捌け口にされたんだ」
 
「捌け口?」

「俺の怒りの捌け口だよ……。クソジジイにあんなことされて、ムシャクシャしてて……。ぶっちゃけ誰でも良かったんだ。たまたまお前が目の前に現れたからお前をっただけ。ただの八つ当たりだ。最低だろ?」

 どこか投げやりな、それでいて反論の余地を与えないほど一方的に喋り続ける新太に圧倒されながらも、侑斗は、新太の声がいつになく動揺に震えていることを感じ取っていた。

「俺なんかに関わってもろくなことにはならねぇ。それを、こんなとこに連れて来やがって……俺のことなんか放っときゃ良かったのに」

「放っとけないよ」

 侑斗の言葉に、新太の肩がピクリと震える。

「テメ、俺の話し聞いてなかったのか?」

「聞いてたよ。でもそんなの関係ない」

「はぁ? マジで頭どうかしてんじゃね? 俺はお前を……」

「助けてくれたじゃないかッ!」

 新太の声と侑斗の声は殆ど同時だった。
 侑斗の言葉に、新太の遠くを見ていた目がしっかりと侑斗を捉える。その、面食らったように見開かれた目を、侑斗は食い入るように見返した。

「困った時、いっつも助けてくれた」

「ガキの頃の話しだろ」

「さっきだって俺に、『逃げろ』って言ってくれたじゃないかッ! あの男から俺を守ろうとして」

「違うッ! 俺はお前なんかどうなったって……」

「だったらなんで俺を逃がそうとしたの? いっそ仲間に引き込めば良かったじゃないかッ! そうしなかったのは俺のこと心配してくれたからだよね?」

「それは……」

 黒い瞳がオロオロと泳ぎだす。
 新太の戸惑い揺れる視線が逃げていかないよう、侑斗は、新太の両肩を掴んで自分の方に向き直らせた。

「今度は俺が新太を助ける番だよ。……俺に何が出来るか解らないけど、このまま見過ごすことなんて出来ない」

「なんでそこまで……」

「新太のことが好きだからだよッ!」

 驚くほどスラリと、なんの躊躇いもなく侑斗は答えていた。

「新太は俺の大切な親友だからッ! 新太が何て言おうと、俺は、昔も今も新太の親友だし、これからもずっとずっとそうだからッ! ……だから、新太が困ってるなら力になりたいし、助けたいッて思う! それじゃダメ? それじゃ理由にならない?」

 新太は一瞬大きく目を見開き、やがて、強ばった顔をくしゃっと歪めた。

「お前やっぱ頭おかしいよ……」

 黒眼の綺麗な切れ長の目が、侑斗を優しく見詰め、うっすらと瞳を潤ませる。
 そうしろと言われたわけでもないのに、侑斗は自然と目を閉じていた。
 ややあって、新太の大きな手が侑斗の頬を包み、温かい唇が侑斗の唇に触れる。
 いつもの乱暴なキスではない。
 黙ったまま、お互いの唇の弾力を楽しむように何度も重ね合い、唇で唇をこじ開け、舌先を互いの舌先ですくって絡ませ合う。
 んっ、んっ、んっ、と、弾んだ息が唇の隙間から漏れる。
 狂おしい気持ちが胸の中心から湧き上がる。
 それを確かなものに決定付たのは、新太の何気ない一言だった。

「お前、俺のこと親友って言ったけど、親友はこんなことしねぇだろ……」

 新太が思わせぶりに呟き、熱く舌を絡める。
 瞬間、「好き」という感情が、何倍にも膨れ上がって侑斗の胸を押し上げた。
 親友としてだけでなく、たった一人の大切な存在として新太が好き。
 好きだけじゃ足りない。新太を愛おしく思う気持ち、新太に愛されたいという気持ち、狂おしい愛の欲求が、蕾が一斉に花開くように、侑斗の胸の中でブワッと弾けて全身へと広がっていく。
 誰よりも新太に愛されたい。新太に抱き締められて、キスをされて、愛してると囁かれたい。

「新太……好き……好き……」

 突き上げる思いを噛み締めながら、侑斗は熱い想いを注ぎ込むように、新太の唇に唇を重ね、舌を絡ませた。
 やがて新太が唇を離すと、侑斗と新太の間を、舌先に溢れた唾液が名残惜しそうに細く糸を引いた。

「そろそろ帰るわ……」

 キスの余韻も冷めないうちに、新太は侑斗の肩をポンと叩いて小さく笑った。

「帰るってどこに」

 幸せから一転、侑斗の胸に不安がむくむくと立ち上がる。
 侑斗の気持ちを察したのか、新太は、

「自分んに決まってんだろ?」

 なんでもないような素振りで立ち上がり、お尻の汚れを払いながら通用口へと踵を返した。

「待って! そんなことしたら新太がまた酷い目に遭う……」

「これ以上酷い目に遭うことなんてねーよ」

「新太ッ!」

 引き止めようとする侑斗を、新太が、「来るな」と制止する。

「一人で行けっから、お前はそこにいろ」

 ぶっきら棒に言うものの、侑斗を見詰める表情は柔らかく、瞳は、愛おしいものを見るように穏やかで優しい。
 いつもとは違う新太の表情に、侑斗は、この別れが今までの別れとは違うことを本能的に感じ取った。

「待ってよ、新太ッ!」

 立ち上がり、離れていく後ろ姿に叫んだ。
 追いかけたい衝動に駆られるが、新太の瞳が「来るな」と止めている。
 泣いてすがれば引き止めることも出来たのだろうが、新太の、覚悟を決めたような落ち着き払った目が、侑斗を射竦め、動けなくしていた。

「嫌だよ、新太……」

 侑斗はただ泣くことしか出来なかった。

「やっと自分の気持ちに気付いたのに、このまま離れるなんて嫌だ……」

 遠ざかる後ろ姿に訴えた。

「これで終わりじゃないよね! 俺たち、また会えるよね!」

 侑斗の上擦った涙声に、新太が足を止めて振り返る。

「約束……」と、侑斗の唇がひとりでに動いていた。

「約束……。約束して。絶対、また、会うって!」

「ああ」と新太が小さく答える。

「いつ?」

 新太は何も答えない。
 それでも侑斗がじっと見詰めると、しばらくの沈黙の後、やがて、静かに呟いた。

「大人になったら……。俺が、ちゃんと自立して……大人になったら……」

 ーーーそれっていつだよ……。

 侑斗の想いは言葉にはならなかった。
 ただ悲しく、どうしよもなく胸が苦しく、身体が震えて涙が次から次へと堰を切ったように溢れ出る。
 遠ざかっていく新太の後ろ姿見ながら、侑斗は、子供のように声を上げて泣いた。
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 新太と別れたその翌朝。侑斗の瞼が痛々しく腫れていることを除いては、周りは、いつもと変わらない朝だった。
 昇降口には不良たちがたむろし、侑斗が近付くのを、何か言いたげにチラチラ見ながら待ち構える。
 これもまたいつもと同じ朝。
 ただ、新太がいなくなったことで意欲が落ちたのか、ジロジロと見られるだけで、足を引っ掛けられて転ばされることもカバンを取り上げられて床にぶち撒けられることもなかった。
 不良たちとは当然その後も何度か出くわしたが、いつも侑斗を遠巻きに眺めては何か言いたげに様子を伺うだけで、以前のようにちょっかいをかけてくることも嫌がらせをしてくることもなくなった。
 不審に思いながらも、虐められない生活に慣れてきた頃、かつての虐めグループの一人が、自分たちが侑斗にしてきた性的嫌がらせの一部始終を収めた動画を新太に握られ、侑斗に手出しをすればそれをSNSで拡散すると脅されている、と話しているのを偶然聞いた。
『侑斗を撮ってるとばかり思ってたら、俺らのこともしっかり撮ってやがったんだ』
 悔しそうに愚痴る不良の言葉を聞き、侑斗は、自分が虐められなくなったのは新太が不良たちに手を回してくれていたお陰だったことを知り、新太を思い出して泣いた。
 その新太とも、結局あれきり会っていない。
 翌日、学校帰りに家を訪ねてみたが、新太の家は雨も降っていないのに雨戸が閉め切られ、中の様子を見ることは出来なかった。
 その後も何度か訪ねたが、雨戸はいつも締め切られ、庭に並べられた鉢植えが、カラカラに乾いて土だけになって行くのを眺めることしか出来ない。そのうちポストに郵便物が溢れ返るようになり、さすがに、もう誰も住んでいないのだと認めざるを得なくなり、行くのをやめた。

 新太がどうなったのかも解らない。
 家にもいない。電話も繋がらない。鳴り続けていた呼び出し音は一ヵ月と経たないうちに「使われておりません」とのアナウンスに変り、無料通話アプリのアイコンも消えてしまった。
 かつて新太の母親と交流のあった団地の主婦連中は、どこから聞きつけたのか、新太の母親が再婚に失敗して田舎へ帰っただの、借金返済のために温泉宿で住み込みで働いているだのと面白おかしく噂したが、梅雨の長雨で井戸端会議が出来なくなると、その噂もいつの間にか消えてなくなった。
 気掛かりだった男については、無事だったとの話も聞かないが、高校生の息子が義理の父親を階段から突き落として死亡させたというニュースも、空き家から中年男性の死体が発見されたというニュースも今のところテレビからは流れていない。
 不良仲間も、最初のうちこそ新太を警戒して近況を探っていたものの、弱みを握られているせいもあってか、そのうち、“触らぬ神に祟りなし”とばかり、誰も新太の話題を口にしなくなった。
 新太があの男に何をされていたか噂する者も当然いない。
 いたとしても、おそらく誰も信じない。
 男が新太にしていたことは、普段の新太のイメージからあまりに大きくかけ離れ、想像させることすら難しかった。
 ただ、侑斗だけが、あの日、目撃した。
 侑斗だけが新太の痛みを知っている。
 不良仲間も、クラスメイトも、教師も、周りの大人たちも、全てが、新太の痛みを知らず、新太を過去の記憶へと追いやろうとしている中、侑斗だけが新太に心を奪われ、囚われ続けていた。

『大人になったら……』

 別れ際の新太の儚げな笑顔がふと蘇る。

『俺が、ちゃんと自立した、大人になったら……』

 眠りに就く前。目覚めてすぐ。何気ない日常のふとした瞬間。
 また会うと約束して欲しいと迫った時の新太の言葉が、頭の奥から滲み出すように響いてくる。
 中一の夏、新太が、さよならの一言だけで一方的に引っ越して行った時は、侑斗は、その怒りと悲しみを半ば意地で乗り越えた。今にして思えば、怒りが悲しみを中和させ、すっぱりと気持ちを切り替えさせてくれたような気もする。
 しかし今はそれがなかった。
 今の侑斗に怒りはない、あるのは、新太に会えない悲しさと、新太に会いたい恋しさ。そして、新太が残したわずかな希望。

『また会えるよね……』

 別れ際、新太と交わした言葉が、見えない糸となって侑斗を繋ぎ止める。
 約束。絶対また会う。大人になったら。
 
 ーーーそれっていつだよ……。

 幾度となく繰り返した言葉を飲み込み、掴み上げた上履きを袋に入れて昇降口を出た。
 校庭には卒業証書と花束を抱えた生徒があちこちで小さな輪を作り、仲間や後輩と最後の別れを惜しんでいる。
 三年生になり、侑斗にもそれなりに話をする友達は出来たが、肩を抱き合って別れを惜しむほどの友情を築けた相手はいなかった。
 部活にも入っていないので花束をくれる後輩もいない。
 記念撮影に興じる生徒を横目に、侑斗は、胸のリボンを早々に外し、急ぎ足で校門へ向かった。
 校門には、卒業生を送り出す花のアーチが用意され、お祝いの文字とともに色鮮やかに侑斗を出迎える。
 ここを抜ければ侑斗の高校生活は終わる。
 虐められていた頃はあれほど待ち遠しかった卒業も、今となっては、新太と過ごした場所から追い出されてしまうような、新太との思い出を奪われてしまうような淋しさすら覚える。
 指折り数えていたのが嘘のように、今はここから離れるのが淋しい。
 あのまま何事も無く新太と過ごしていたら、果たしてどんな気持ちで今日という日を迎えていたのだろうとふと思う。
 新太が学校を辞めることもなく、新太のあんな姿を見ることもなく、以前と変わらず不良たちに虐められ、新太に性行為を強いられる日々が続いていたら。
 もしもあのまま新太への気持ちに気付くこともなく今日のこの卒業の日を迎えていたら。
 待ちに待った卒業に、ようやく悪夢から解放されたとホッと胸を撫で下ろしていたのだろうか。
 それとも、どこかのタイミングでやはり新太への気持ちに気付き、今のように離れるのを淋しく思っていたのだろうか。
 ぼんやりと考えながら、侑斗は、そんなことを考えている自分自身を笑った。
 考えたところで意味はない。
 過程がどうであれ、自分が今淋しいことに変わりはないのだから。
 もしも新太がここにいたなら。
 ふと思い、感傷的になる気持ちを慌てて振り払った。
 それこそ無意味だ。
 現実に、新太はこの場にはおらず、侑斗は今日高校を卒業し、この春から地元の大学に進学する。
 新太のいう「大人」が「自立」を意味するのなら、自分はまだまだ親のすねかじりの子供だと侑斗は思う。
 そんな自分がやれることは今はまだ何もない。
 今はただ前に進むだけ。新太もまた、どこかで卒業の日を迎えていると信じて。

「よし」と、気持ちを切り替え、侑斗は、花のアーチをくぐり抜けた。
 すると、

神澤かんざわ先輩ですか?」

 アーチを抜けてすぐ下級生に声を掛けられた。

「すみません。俺、神澤かんざわ先輩……神澤侑斗かんざわゆうとって名前の先輩を探してるんですが」

 侑斗に、“先輩”と呼ばれる後輩はいない。不審に思いながらも自分が神澤侑斗であると伝えると、下級生は、緊張していた顔をパッと綻ばせた。

「良かった、やっと見つかった~!」

 全力疾走した後のように両膝に手をついて大きく息を吐くと、下級生は、気を取り直してすっくと背筋を伸ばし、侑斗の前に白い封筒を差し出した。

「これは?」

「さっき男の人が来て、『神澤侑斗に渡してくれ』って……」

 封を開け、二つ折りになった手紙を開く。
 途端、目に飛び込んだ文字に、侑斗の心臓が跳ね上がった。

『ーーー侑斗へ。

 元気か?
 俺は、就職が決まって春からそっちで働きます。
 会社の寮に入ります。住所と連絡先はーーー』

 差出人の名前は書かれていない。
 しかし、侑斗にはこの手紙が誰からのものなのかすぐに解った。

「これッ! これ、持ってきた人! 今どこにッ?」

 身体が震えて声が上擦る。

「さぁ。預かったの結構前だし、もう帰っちゃったと思いますけど……」

 返事を聞くのもそこそこに、侑斗は、「新太!」と叫んで通りへ駆け出した。
 思い切り背伸びして辺りを見渡す。
 駅へと続く道は、学生服に身を包んだ卒業生たちが、卒業証書を片手に長い列をなしている。
 その中に新太らしき後ろ姿は見当たらない。
 しかし、侑斗の脳裏には新太の姿がはっきりと映し出されていた。

 ーーーまた会える。

 震える胸を押さえながら、侑斗は、手元のメッセージを読み返した。

 約束。絶対。

 あの日の続きがここにある。
 再会の時を思い描きながら、侑斗は、真っ直ぐに伸びた道に大きく足を踏み出した。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

魔帝王
2022.01.22 魔帝王

モブレが足りないわよモブレが!!
もっとゆうとが犬になってひくひくケツ穴自分でほじくりながら尿噴水飛ばさないとおじさんこれじゃお気に入りはあげられないな~

瀬楽英津子
2022.01.23 瀬楽英津子

コメントありがとうございます。
モブレ要素、大事ですよねー。個人的には大好物です。今回は、高校が舞台なんで一応自粛しているんですが……やはり手がウズウズします。

解除

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