セラフィムの羽

瀬楽英津子

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〜前兆

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「てめぇで用意したモンをてめぇで使うことになるとは夢にも思わなかっただろう?」

 プツリ、と首筋に針を刺すと、積川せきかわは、注射器ポンプの押子を引いて血が引けているのを確認し、紀伊田きいだがセットした水溶液を親指の腹でじわじわと血管の中に押し出した。
 こうして何人もの人間を闇の底に沈めてきたのだろう。積川の手は迷うことなく静脈に針先を突き立て、慣れた手付きで覚醒剤エスを流し込んでいく。
 血管がピリピリと痛み、心臓が鼓動を速めて行く。

「こんなことしたって……亜也ちゃんには会えない……ぞ……」

 唯一の抵抗手段である声を絞り出すと、積川は、最後の一滴まで打ち終えて空になった注射器ポンプを、これ見よがしに紀伊田の目の前にかざした。 

「なら、会えるようにするまでだ……」

 言うなり、紀伊田の両膝を掴んで力任せに左右に開く。
 いきなり股を開かされたことよりも、自分を見下ろす積川の獰猛な目に、紀伊田は、これからされるであろう行為を想像して戦慄した。 

組長オヤジがてめぇに甘いのはうちの組じゃ有名な話しなんだよ。なんせうちの組をチョロチョロ嗅ぎ回ってんのに見逃してやってんだからなぁ。ずっと不思議だったが、これでようやく合点がいったぜ」

 蒼ざめる紀伊田を嘲笑うように、積川は、火傷痕のある方の唇の端を吊り上げてニタリと笑った。

「だから、てめぇをブチ犯して殺すと組長オヤジに言ってやるのさ。この、組長オヤジの名前の入った太ももビクビク痙攣させながらイキ散らかしてんの見たらさすがの組長オヤジも焦んだろ」

 何をバカな。
 言い返そうと積川を睨み付ける。
 すると、突然、頭がぐわんと揺れ、紀伊田は口を開きかけたまま硬直した。
 なんだこれは。
 耳の奥がキーンと鳴り、心臓がドクドクと暴れ回る。
 身体中の毛穴という毛穴が開き、髪と言わず全身の毛がブワっと総毛立つ。
 暑いのか寒いのかも解らない。得体の知れない悪寒が足元から這い上がり、背中を震わせ、皮膚をぞわぞわと波立たせた。

「キマッたみたいだな……」

 自分が自分でないような感覚。
 意識を持って行かれないよう目を瞑って堪えると、ふいに鋭い快感が股間を走り、紀伊田は思わず仰け反った。

「なんだ、もうガンギマリじゃねぇか……」

 積川は、紀伊田の大きく開いた股の間に腰を据え、紀伊田のペニスを扱いている。
 これが覚醒剤エスの薬効か。
 先端をほんの少し弄られただけなのに、強烈な快感が突き上げ、バカみたいな喘ぎ声が自分の意思とは関係なく勝手に口から迸る。
 絶叫にも近い声を上げながら、紀伊田は、背中を弓形に仰け反らせ、後頭部を床に擦り付けてイヤイヤと首を振った。

「あぁッ! ぅあッ、あああぁぁッ!」

「あの量じゃせいぜい50ミリだろ? ひょっとして初めてか?」

「あぅッ……ぅッ……」

「返事も出来ねぇようだな」

 ククッと笑うと、積川は、ふいに立ち上がり、紀伊田の身体を荷物を持つようにひょいと持ち上げ、ベッドの上に放り投げた。

「んはッ!」

 うつ伏せにして両手の拘束を解き、次いで、太ももとふくらはぎをくっ付けて縛った足の紐を解く。
 手足を自由にしたのは、紀伊田がもう抵抗しないと解っているからだ。実際、紀伊田にはもうまともな抵抗は出来なかった。
 拘束を解くと、積川は、紀伊田の身体を仰向けに返して上に覆い被さり、開いた足の内側に自分の足をねじ込ませてさらに大きく開かせた。

「勘違いするなよ。俺はてめぇを気持ちよくしてやろうなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇ。てめぇは俺様の性欲処理のためのただのダッチワイフだ」

 紀伊田の顎を掴んで凄み、その手を胸へと滑らせる。
 薬効で敏感になった紀伊田の身体は、積川の指先にざわざわと鳥肌を立て、触れる前から乳首を尖らせた。

「こいつぁ、たいした淫乱野郎だな」

「あはぁぁぅッ!」

 実際に積川の指先が乳首を摘むと、あまりの快感に、ひとりでに身体がくねり叫び声が出る。

「ああああっ、それ、ダメッ……あッ……いッ……」 

「男のくせにしっかり摘めるぜ。今までどんだけ弄られてきたんだか……」

「あはッ……いやッ……ひねっちゃ……や……あ、やぁ……」

 こんな屈辱は耐えられない。
 思いながらも、身体は淫らに悶え、口は恥知らずなほど嬌声を張り上げる。
 意識はあるのに身体が逆らえない。
 紀伊田の反応を面白がるように、積川は、紀伊田の乳首を親指と人差し指で捻り上げ、両脇をギュッギュと揉み潰した。

「亜也人の乳首はちっせぇから、こうして両側から押したり揉んだりして勃たせてやったんだ……。てめぇのスケベ乳首にゃ必要ねぇから楽だわ……」

「あひぃぃぃッ!」

 両方の乳首を同時に引っ張られ、紀伊田が背中を大きく仰け反らせる。
 痛いはずなのに気持ち良い。身体が快感しか感じなくなってしまったかのような感覚。
 冗談じゃない、と頭の片隅では思いながらも、快楽には抗えず、紀伊田は、触ってくれとばかりに積川に胸を突き出した。

「そんなに乳首がイイのか?」

 積川は、ぷっくりと腫れた紀伊田の乳首に顔を近づけ、わざと息を吹き掛けるように言った。

「舐めて欲しいのか?」

「あひんッ!」と、紀伊田の鼻から鳴き声が漏れる。
 それも束の間、積川に千切れるほど強く乳首を吸われ、「あああぁぁぁっ!」と鳴き喚いた。

「うるせぇ淫乱野郎だ……。組長オヤジにもこうして可愛がってもらってるのか?」

「あぁぁあぁんッ、ちがッ、ぁひッ、いぃぁあぁッ」

 根元に歯を立ててギシギシと揉みしだき、口に含んでは吸い上げる。
 反対側の乳首は、指先で挟んでぐにぐに捏ね回し、吸うタイミングに合わせて強く捻り上げる。

「いッ、痛いッ……あはッ……はッ……痛いッ……よぉッ……」

「気持ち良い、の間違いだろ?」

「はぁぁぁッ……やぁッ……」

 オモチャにされているような乱暴な愛撫ですら、今の紀伊田には甘い悦楽となる。
 乳首を弄られただけで、全身の性感帯が連動したかのようにお腹の底が疼いてペニスが熱くなる。股の間に割り込んだ積川の足がそれに気付かないわけは無かった。

「乳首だけでイッちまいそうな勢いだな……」

 実際、最初に触れられた時からもう何度もイキかけている。
 見透かすように、積川は、紀伊田のペニスに膝をぐりぐり押し付けながら、トドメとばかり乳首をキツく吸い上げた。

「はぅぅんッ!」

 強烈な快感に紀伊田の腰がガクガク震える。
 小さく痙攣しながら喘ぐ紀伊田に、積川は声を上げて笑った。

「てめぇばっか良くなってねぇで俺も気持ち良くしろよ」

 今度は、紀伊田の髪を掴んで上体を起こし、いきり勃った男根を紀伊田の唇に押し付ける。

「舐めろ」

 後頭部をぐいと掴み、いきなり喉の奥まで男根をねじ込み腰をグイグイ前へ突き出す。
 簡単には収まりきらないサイズの男根を口一杯に詰め込まれ、むせ返った弾みで先走りの混じったヨダレが紀伊田の唇の隙間から迸る。
 紀伊田の苦痛などお構い無しに、積川は、左右の手で紀伊田の顔を押さえて動けないように固定し、反り勃った男根を容赦なく喉奥に打ち付けた。

「おら、しっかり咥えて奥まで飲み込めッ!」

 苦しい。息が出来ない。頭がぼぉっとする。

「こんくらいでオチんなよ……」
 
 窒息寸前まで喉を犯され、頭が真っ白になったところで、突然、咥え込んだ男根が舌の上でビクンと跳ね、熱いモノが勢いよく流れ込んできた。

「んぐッ! おぇ……んぐぁ……」

 射精しながらも、積川は、最後の一滴まで精液を胃袋に流し込んでやるとばかり、なおもグイグイ腰を突き入れる。
 息苦しさに紀伊田がジタバタと手を動かすと、チッ、という舌打ちの後、積川は、紀伊田の口からようやく男根を引き抜いた。

「売女のくせにだらしねぇ……」

 抜かれた弾みで、紀伊田は、口に残った精液を噴き出してむせ返った。
 積川は、身体を曲げてゴホゴホと咳き込む紀伊田の肩を乱暴に掴むと、うつ伏せに倒し、後ろから足をガバッと開いた。

「ケツを上げて、てめぇで広げてみせろ」

 紀伊田は一瞬ビクッと肩を竦め、しかし、すぐに、咳き込みながらよろよろと腰を上げ、細身ながらもむっちりとした丸みのあるお尻を積川の方へ突き出した。

「歳の割には良いケツしてんじゃねぇか。それをてめぇで、ガバッと広げるんだッ! 早くしろッ!」

 普段なら絶対にしない屈辱的なポーズ。
 しかし、そんなことは紀伊田にはもうどうでも良かった。
 身体の中を熱い塊がビンビン走り、シーツが擦れるだけでどうしようもないほどの甘い痺れが背筋を駆け上がる。強烈な官能に導かれるように、紀伊田は、両手をそろそろと後ろに回し、自分のお尻を両側から掴んで横に開いた。

「そうそう。そうやって広げてろ」

 空気に晒された粘膜が広がった皺の奥でヒクヒク収縮する。
 早く欲しい。
 しかし積川は、尻肉を広げさせただけで肝心の場所には全く触れてこない。
 無意識のうちに、紀伊田は、左右に開いたお尻を更に広げ、触って欲しいとねだるように腰を振っていた。

「こりゃまたいい眺めだなぁ~」

 積川は、紀伊田が大きく開いたお尻の割れ目にスマホをかざしている。
 触れてこなかったのはこの為か。振り向いた先にある光景に紀伊田は瞳を引き攣らせた。

「やぁ……撮るなぁ……」

「撮るに決まってるだろう? バカかてめぇは」

 お尻を捉えていたスマホカメラが紀伊田の顔に向けられる。
 朦朧としているとはいえ、これが内藤に見せるために撮影されているということぐらいは理解出来た。
 こんな姿を見られるのかと思うと背筋が凍り付く。
 しかし、後孔にローションを垂らされ指先で塗られると、そんな気持ちは何処かへ吹き飛んだ。 

「このままブチ込んでやりてぇとこだが、切れるとベッドが汚れるからな……」

「あはぁぁッ……やんッ……ッぁ……」

 表面の皺を解すのもそこそこに、積川は、後孔に指を突き立て、一気に根元までねじ込んだ。

「んんんはんッ!」
 
 そのままグリグリと回転させ、指先を曲げて肉壁を描き出すように何度も抜き差しする。
 一旦引き抜き、いきなり三本に増やして根元までねじ込むと、今度はその三本の指を後孔の中で開いて粘膜を広げ、そのままの状態で激しく抜き差しした。

「あひッ! やぁぁッ……だめぇッ……」

「年増のくせにスケベな声出してんじゃねーよ!」

「だって……ッそんなにしたらぁ……あッ……あッぁぁ……ぅくぅッ……」

 後孔の入り口がジュブジュプとローションを溢れさせる。
 三本の指が感じる膨らみを擦り上げ、肉壁を掘り返しながら往復する。
 止まらない刺激に腰が跳ねる。身体中の皮膚がぶるぶる震える。
 気持ち良い。それ以外考えられない。
 理性も正常な判断力も働かず、ただ快楽に導かれるまま、紀伊田は、積川にお尻を突き出した。

「ぐっちゅぐちゅだな、この淫乱め……」

 卑猥に引き伸ばされた後孔から指を引き抜くと、積川は、薄っすらと口を開けた後孔にヌラヌラと光る男根の先をくっ付けた。
 それを、カリ首まで埋め、そこから腰を掴んで
 、フンっ、と一気に奥まで突き入れる。
 いきなりの刺激に、紀伊田の背中がビクンと仰け反った。

「はぁぁぁッ、ぃぃぁやぁぁぁッ」

「ぐちゅぐちゅの割にはよく締まるじゃねぇか。はぁん?」
 
 一切の躊躇なく、積川の男根が蠢き重なり合う肉壁をこじ開け奥へと侵入する。
 焼けるような熱さと強烈な圧迫感。しかしそれで終わりではなかった。
 積川が、紀伊田の腰を掴み、さらに深い粘膜へとグイッと先端を突き入れる。
 途端に、お腹の底にビリリと電気が走り、紀伊田は絶叫した。

「なぁああぁぁぁッ!」

「いい声で啼くじゃねぇか。ひょっとして入れただけでイッちまったのか?」

「ぃッ、いゃあぁぁぁッ、むッ、無理ッ! も……んあぁぁぁッ!」

 肥大した先端が狭い粘膜を突き破り、内臓の奥深くを掻き回す。
 激しい振動が脳天を突き上げ、抑えていた声が我慢の限界を超えた。
 紀伊田の口から発せられるのは、喘ぎを通り越した壮絶な叫びだった。

「あひッ、やぁッ、深いッ! 深いぃぃぃ、ひッ……ぅあぁぁぁッ!」

「最高だぜ。どうなってんだ、てめぇのケツはよぉぅ!」

 狂ったように悶える紀伊田を戒めるかのように、積川は、男根に体重を乗せてズンと奥を突き、肉壁を抉りながらズルリと根元まで引き摺り出す。
 内臓をごっそり引き抜かれてしまうような衝撃に息を止めて踏ん張ると、すぐにまた両膝が浮き上がるほど激しく奥を突かれる。
 奥の粘膜を限界まで開かれ男根が抜けそうなほど引き摺り出される。深く突いては長く戻される。突いては抜いて、の繰り返し。
 気が狂いそうな快楽に、紀伊田は、背中をびくんびくんと波打せながら絶叫した。

「はあああぁぁ、あっ、だめぇッ、そこはぁッ、ああああっ、ああん、あはっ」

 積川は、ねだるように後ろに突き出した紀伊田の尻を横から平手で引っ叩き、無茶苦茶に男根を抜き差しする。
 殺される。
 頭の片隅に浮かんだ思いも、容赦なく襲う快楽にたちまち掻き消された。

「生チンコでガン堀りされてる気分はどうだ!」

「あっ、いっ、いいッ、気持ちいッ、ぃイッ!」

「そうか。なら、もっと啼け! もっともっと啼いて組長オヤジにその淫らな啼き声を聞かせてやれ!」

「あひぃぃぃッ!」

 パン、パン、パン、と腰骨がお尻にぶつかる音がする。

「ガンガン掘って、ケツから溢れるほど中出ししてやる! そうして欲しいだろッ! 欲しい、って言えッ!」

「ああああうぅぅっ! 欲し……くださ……ぁひッ……」

「はははは。ザマァねぇなぁ。組長オヤジ……内藤の野郎の悔しそうな顔が目に浮かぶぜ。はははは……もっともっと犯してブッ壊してやるッ! 俺様から亜也人を取り上げようとした罰だッ!」

 通常なら耐えられないほどの衝撃にも関わらず、全く痛みを感じないどころか鳥肌が立つような快感しか感じない。
 それでも涙がポロポロと零れ落ちるのは、積川の口から出た『内藤』という響きに反応していたからだった。

「けい……ご……」

 この期に及んでまだその名に狼狽える自分に嫌気がさす。あまりに憐れで。
 自分を内藤の想い人だと勘違いして腹いせをする積川もまた憐れだ。

「おらぁッ! もっと喚け! もっとケツを振れッ! 」

 どんなに腹いせをしたところで積川は亜也人に会えはしない。
 亜也人の心は松岡のものだ。
 積川は亜也人を手に入れることは出来ない。
 一番欲しいものは手に入らない。

 ーーー俺と同じ。

「どうした、キマリすぎて声も出せねぇか!」

 なら、そのアヘ顔をもっと見せてやれ、と、いきなり身体を仰向けに返された。
 積川の歪んだ顔が目に飛び込む。僅かに内藤の面影を漂わせた残忍な目に、紀伊田は何とも言えない虚しさを覚えた。

「可哀想なヤツ……」

 声に出した自覚はない。
 しかし、次の瞬間、積川の目が獰猛に光り、紀伊田の顔面に衝撃が走った。

「てめぇ、今、なんつった! 俺様が可哀想だとぉ? ふざけてんのかッ! あぁッ?」

 積川の拳が立て続けに容赦なく襲いかかる。顔が焼けるように熱い。耳がジンジンする。怒りに身を任せた積川の攻撃に紀伊田はなす術もなく髪を踊らせた。

「自分の状況が解ってねぇみてぇだな。俺様を怒らせてタダで済むと思ってんのかッ! 二度と生意気な口が利けなくなるようにしてやるッ!」

 言うなり、紀伊田を床に引きずり落とし、ごそごそと部屋を這い回る。
 リビングに続くドアの隙間に何かが動くのが床の上に寝そべった視界の先に見えたが、意識が朦朧として紀伊田にはそれが何なのか良く解らなかった。
 積川は、床の上に散らばったものを手で掻き分けて何かを見付けると、サイドテーブルにおかれたミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、なにやらごそごそした後おもむろに紀伊田の元へ戻ってきた。
 右手に何か光っている。
 注射器ポンプだ。
 シリンダーに詰められた覚醒剤溶液が、蛍光灯の明かりに透けてキラキラ光っている。

「全部で5グラムってとこか。 どこから引いてきたか知らねぇが、こんな上等なネタ気前良く持ってきたのが運の尽きだったな……」

 歪な笑いを浮かべると、積川は、紀伊田の脇にしゃがみ込み、片手で紀伊田の腕を押さえ、注射器ポンプを構えた。
 その針先が、浮き上がった血管に射し込まれ、ゆっくりと血液を引き上げる。

「死ぬほど喘ぎ狂わせてやるから覚悟しとけ」
 
 直後、焼けるような熱が血管を駆け上がり、電気を浴びせられたような震えが紀伊田を襲った。
 
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 電話越しの声に、逢坂は、「本当に新庄か?」と聞き返した。
 突然鳴った着信音に、またいつもの助っ人要請だろうと気乗りしないまま通話ボタンを押した。
 昨夜、アヤトという名のウリセンボーイが積川に殺されかけているところを止めに入ってからまだ丸一日と経っていない。
 昨日の今日で大暴れとは懲りない野郎だ。
 とはいえ、すぐに駆け付けてやれる状況ではなかった。
 いつでも協力するとは言ったものの、こう頻繁に呼び出されてはさすがに本業に支障が出る。特に今は、親団体の若頭となった内藤が神戸に滞在中の為、留守を預かる丸山のサポート的な仕事も任されるようになっていた。
 丸山の補佐は、本来、若頭補佐である積川の役目だが、今の積川にそれが務まる筈もなく、丸山の直属の部下である逢坂に話が回るのは当然の流れだった。
 逢坂には今日もこれから丸山の代行としての仕事が控えている。
 自分は丸山の部下であり新庄の部下ではない。
 それでも新庄からの着信を無視し続けることは、逢坂の性格上、出来なかった。
 今日のところは、スティンガーに多めの応援を頼み、新庄に積川を押さえ込むコツを教えて対応してもらうしかない。それを伝えるために逢坂は新庄の電話に出た。
 ところが。
 耳に飛び込んだ第一声に、逢坂はギョッと身体を硬直させた。

「新庄……? お前、本当に新庄か?」

 人とも獣ともつかない唸り声。
 聞いたこともない悲痛な声に逢坂の背筋がゾクリと震える。

「……たす……け……」

 いつもとは明らかに様子が違う。
 呼吸の合間に聞こえる振り絞るような声を、逢坂は聞き逃すまいと必死で耳を澄ませた。

「新庄ッ! どうした! 何があったッ!」

「りょじ……が……なかに、まだ……」

「なんだッて? もっぺん言ってくれッ!」

「りょ……じに……ささ……」

「ささ……? 刺されたのか! 今どこにいる
ッ!」

 新庄が、息も絶え絶えに、「ま……」と答える。

「ま……んしょ……そと。に、にげて……」

 マンション、外、逃げて。
 マンションの外に逃げた。積川に刺されて。
 事態を理解した途端、逢坂は、車を運転する部下を振り返り、積川のマンションへと行き先を変更させた。

「まだ……なかに……」

「はん? なんだ? なにが言いたいんだ?」

 耳を澄ましたが、声が小さすぎて聞き取れない。
 逢坂は、

「とにかく今、行くからそこでじっとしてろ!」

 一方的に言い付け、電話を切った。

 一刻を争う事態に間違いない。
 そうだ医者。
 医者を呼ばなければと、紀伊田に連絡を取る。
 しかし紀伊田は出ない。
 昼頃フラリと事務所に現れて丸山と親密そうに話し込んでいた時からもうずいぶん経っている。
 逢坂は、追い払われるように事務所を出たので二人がいつまでそうしていたのかは解らないが、丸山のスケジュールから考えて、すでに別れた後であることは確実だった。
 何処で油を売ってやがる。
 毒づきながらもう一度電話をかける。
 やはり出ない。
 いつもは呼ばなくてもしゃしゃり出てくるくせに、肝心な時に捕まらない。
 刃傷沙汰なだけに救急車を呼ぶのには抵抗があったが、紀伊田と連絡が取れない以上致し方ない。
 迷った末に、逢坂は、119を押そうとキーパッドを開いた。
 すると、突然メールの着信通知が鳴った。
 紀伊田からだ。
 わざわざメールしてくるとはよほど取り込み中なのか。
 思いながらも、逢坂は慌てて中を開いた。
 すると。

 ーーーなんだこれはッ!

 あまりの衝撃に、逢坂は言葉を失った。
 紀伊田だ。紀伊田が全裸で喘いでいる。

『あっ、あぁぁっ、もっと……そこッ……もっと欲しい……れふ……』

 様子が普通でないことは、虚ろな目と呂律の回らない口元を見れば一目瞭然だ。
 こういう顔をしながら犯される人間を、逢坂はこれまで嫌というほど見てきた。紀伊田は、その時の人間と同じ顔をしていた。

『あぅぅっ……あつい……なか……もっとぉ……』

 ベッドの上で、紀伊田は、全裸で仰向けになり、自ら両膝を抱えて局部を曝け出していた。
 白い脚をMの字型に開き、膝の裏側に腕を回して両脇に抱えながら真横に開く。
 限界まで開かれた股の間、その下の、お尻の丸い膨らみの真ん中を、男の大きな手が何度も出入りするのが見える。
 赤い火傷痕の残る手……。積川の手だ。積川の手が紀伊田の後孔に指を突き立て肉壁をまさぐっている。
 二本、三本。筋張った指がねちゃねちゃと糸を引きながら紀伊田の後孔を長く大きく出たり入ったりする。
 指が根元まで沈み込むたびに紀伊田の腰がビクンと跳ね上がる。
 ペニスは勃ち上がったまま股の間で揺れながら、精液なのか先走りなのか解らない液体を先端から撒き散らしている。
 完全にキマッた状態だ。しかもかなり深く。
 
 ーーーどういうことだ! なんで紀伊田がこんなことに!

 容赦なく目に飛び込む光景に、逢坂は愕然と瞳を凍らせた。

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 メインディッシュのハンバーグを一口頬張ると、亜也人が早速黒目がちな瞳を輝かせた。

「どお?」

 恋人として暮らし始めてからこれまで、たまに冷蔵庫の残り物で簡単な食事を作ることもあった亜也人であったが、今年に入って突然料理に目覚め、週に三回はこうしてお手製の夕食を松岡に振る舞うまでになった。
 メニューは亜也人が考え、食材は、亜也人に頼まれたものを松岡がその都度調達する。
 買い物ぐらい自分で行くと亜也人は言うが、松岡は、亜也人を極力表には出したくなかった。
 積川の入院以来、内藤からの性接待の依頼はぱったり途絶えている。各界の要人と言えど裸になればただの性欲丸出しの変態野郎。そんな輩に亜也人を触れさせずに済むのは松岡にとっては願ってもないことだったが、積川が入院治療のために地元に残ったことは性接待とは別の意味で松岡を震撼させた。
 すぐにでも駆け付けられる距離にあの積川良二がいる。そう思うと松岡は居ても立っても居られず、亜也人に一人での外出を禁じ、極力部屋から出ないよう行動を制限した。
 セキュリティーに強いマンションといえど、どこに危険が潜んでいるか解らない。現に、一度、宅配を装った積川に部屋の中に上がり込まれている。その時の光景は、今も松岡の記憶に悪夢となってへばりついている。
 同じ過ちを繰り返さないためにも、松岡は、
 マンションへの人の出入りも制限し、その影響か、以前は呆れるほど入り浸っていた紀伊田も、気を使ってめっきり訪ねて来なくなった。週二で入っていた家庭教師も月一に変更し、ただでさえ人と接することの少ない亜也人はますます孤立した。
 唯一の気晴らしは、家庭教師の佐伯と近場へ外出することぐらいで、それ以外は亜也人は一日の殆どを部屋の中で過ごした。
 全ては亜也人を積川から守るため。しかし亜也人にとっては窮屈な生活に他ならない。
 それでもこうして楽しみを見つけて日々を過ごしている亜也人を松岡は愛おしく思った。

「ああ、あっさりして旨いよ。大根おろしのソースも良い」

「良かった。ポン酢じゃなくて照り焼きにしたからどうかと思ったけど」

「俺は好きだぜ? もっとも前に作ったやつも好きだがな」

 口を付けなくても、出された料理が美味しいか美味しくないかは、料理をテーブルに運ぶ時の亜也人の表情を見れば解る。
 目をキラキラと輝かせている時は自信作、そうでない時は微妙。今日は、瞳を輝かせながら松岡の食べる様子を食い入るように見つめていたので、かなりの自信作だろうと踏んでいた。
 実際、亜也人の作った和風ハンバーグは想像以上の出来で、松岡の食事のペースも自然と上がった。

「デザートのアイスも作ったからあとで出すね」

 夢中でハンバーグを頬張る松岡を満足気に眺めると、亜也人は、弾むような足取りでキッチンへ向かい、シンクに溜まったお皿を軽くすすいで食洗機に並べ始めた。
 鼻歌混じりに後片づけをする後ろ姿が愛おしい。
 こんな状況でなければ、紀伊田や佐伯を家に呼んで手料理を振る舞うことも出来ただろう。
 あまりの美味しさに二人は目を丸めるに違いない。
 あの二人のことだから、見ているほうが恥ずかしくなるぐらいの大袈裟なリアクションで驚くのだろう。
 亜也人の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。二人に囃し立てられてはにかむ様子も。
 
 思いを巡らせていると、ふいに、リビングのローテーブルに置きっぱなしになっていたスマホが着信ランプを点滅させているのに気付き、ダイニングテーブルから席を立った。
 リビングに向かい、スマホを手に取り表示を見る。
 紀伊田からだ。
 思い出していたタイミングでメールをよこすとはいろんな意味で抜け目がない。
 調子の良さそうな笑い顔を思い浮かべながら何の気なしに中身を開く。
 すると、いきなり現れた画像に松岡は凍り付いた。
 紀伊田の動画。
 再生しなくとも、最初の静止画像で紀伊田の身に何が起きているのかは一目瞭然だった。
 相手は積川か。
 紀伊田の髪を掴む手に火傷痕が見える。

「吉祥! 洗い物終わったからアイス食べて良い?」

 ねえ吉祥! と、もう一度呼ばれてギクリと肩を竦める。
 亜也人に気付かれるわけにはいかない。
 松岡は、「ああ」と答え、慌てて画面を閉じた。

「悪い、仕事の電話が入ったから先に食ってろ」

 亜也人の顔を見ないよう、逃げるように仕事部屋へ駆け込み、内側から鍵を掛けて再び画面を開く。
 深呼吸してから音声を消して動画を再生し、紀伊田の尋常でない様子に、わなわなと唇を震わせた。

 ーーーどうして紀伊田がこんな目に。

 新庄。
 ふと、紀伊田が新庄と接触すると言っていたことを思い出した。
 スティンガーの頭代行、新庄武志。
『スティンガーは完全に積川の支配下だから行動を把握するには、新庄本人と親しくなって直接情報を引き出すしかない』
 紀伊田の言葉から考えて、この状況に新庄が絡んでいることは間違いない。
 しかし、松岡と新庄との間には直接的な交流はなく、当然ながら連絡先も解らなかった。
 助ける為には積川のマンションに乗り込むしかない。
 しかしどうやって。
「くそぉッ」と頭を抱え込むと、ふいに、握り締めたスマホが振動した。   
 丸山だ。
 荒ぶる気持ちを抑えながら、松岡は丸山からの電話を受けた。

「あれを見たか?」

 開口一番切り出す丸山に、松岡は思わず声を荒げた。

「あれは何だ! なんであんたがッ……」

 まぁ、落ち着け、と電話口の丸山が松岡の言葉を遮る。

「俺もさっき見たとこだ。うちの逢坂ンとこに送り付けてきやがったらしい。お前さんの差し金で内偵してんのかと思ったが、その様子じゃ何も知らないみてぇだな」

 さすがは石破組の若頭、といったところか。これまで組の有事をその度量と気概でいく度も乗り越えてきただけのことはあり、この緊急時にも、丸山の声は冷静沈着で少しの乱れもない。
 その冷静さが事態の迅速な解決には必要不可欠であると知りながらも、松岡は、丸山の落ち着き払った声に軽い苛立ちを覚えた。

「こんなこと俺が知るわけがない。それより、新庄って男が何か知ってるはずだ!」

「そいつなら積川に刺されて病院に搬送されたよ」

「刺された!?」

「ああ。その新庄って奴から逢坂にSOSがあった。逢坂の話しじゃ、その新庄を助けに行く途中でいきなりこの動画が送られてきたそうだ」

 頭の中が混乱し上手く事態が飲み込めない。
 黙り込む松岡を気遣うように、丸山は、紀伊田が今日、N企画の事務所を訪ねて覚醒剤エス注射器ポンプを持って行ってことを、ひと言ひと言、言い聞かせるように説明した。

「5グラムほど工面してやった。使われてるのはヤツが持ってったネタだろう。あの様子じゃ、相当追い打ちされてる」
 
 追い討ちは、一発目よりも回りが早い。そう考えれば紀伊田の目を疑うような痴態も頷ける。
 しかし問題なのはその量だった。

「まさか全部打ち込むなんてバカな真似はしねぇだろうが、半分だって充分すぎるほどの致死量だ……」

 丸山の言葉に、松岡の心臓が震え上がる。

「どうしてこんな……」

「お前さんが聞くのか?」

 打ちひしがれる松岡に追い討ちをかけるように丸山は言った。

「積川の目的が何なのかはお前さんが一番良く解ってる筈だ」

 亜也人の顔が瞬時に浮かぶ。
 亜也人を手に入れるために積川が紀伊田をこんな目に遭わせているということは、紀伊田の相手が積川だと気付いた瞬間から解っていた。
 解っていながら解らないフリをしていた。
 亜也人のために、正確には、亜也人を手放したくないという自分の利己的な思いのために紀伊田が犠牲になっているという事実を、松岡は直視出来ないでいた。
 受け止め切れない思いが胸を締め付け、切り裂かれるように心が痛い。
 それでも松岡は自分の思いを諦めることは出来なかった。
 
「なんとか助け出すことは出来ないのか……紀伊田も、亜也人も……両方、助け出すことは……」

 身勝手なのは承知の上。
 しかし丸山の返事は意外にも好意的だった。

「俺に出来ることなら協力する。あいつに覚醒剤エスを売った責任もあるしな」

 吐き出すように言い、少し間を置いてから再び口を開く。

「しかし、今回は内藤が絡んでるからちょいと厄介かもな……」

「内藤が?」

「なんだお前さんあの動画見なかったのか? 『俺様から亜也人を取り上げようとした罰だ』って積川のセリフ、ありゃ、内藤に対して向けたモンだろう?」

 映像は見たが、音声は消していた。
 丸山から知らされた事実に、松岡は嫌な胸騒ぎを覚えた。
 
「積川が、そんなことを……」

「内藤が紀伊田のことを憎からず思ってることは、古い人間の間じゃ暗黙の了解さ。積川がどこから嗅ぎつけたのかは知らねぇが、紀伊田を盾に取られたとなりゃさすがの内藤も動かざるを得ないだろう」

 即ちそれは、内藤が紀伊田を助ける、ということか。
 松岡が尋ねると、丸山は、「そうなるだろうな」と答えた。

「内藤のことだ。紀伊田と引き換えに、お前さんとこのカワイコチャンを積川に引き渡すかも知れん……」

「そんなことさせてたまるかッ!」

「まぁ、落ち着け。まだそうなると決まったわけじゃねぇ。こっちも色々調べてっから、それまでは大人しくしてな」

 松岡が言い返すのを見透かしたように、丸山は、口を挟む隙もないほど一方的に伝えると、唐突に話を切り替えた。

「そんなことより、カワイコチャンは大丈夫なのかい」

 松岡は、え? と聞き返した。
 丸山は、おいおい、と呆れた口調で言った。

「このメールだよ。見たとこ紀伊田のアドレス帳に一斉送信されてるみてぇだけど……」

「一斉送信……?」

 瞬間、松岡の全身が総毛立った。
 思考が止まり、丸山の存在も一瞬にして吹き飛んだ。

「亜也人!!」

 弾かれるように、松岡は部屋を飛び出した。
 リビングへ続くドアを開け、キッチンに視線を向ける。
 亜也人はテーブルの横に茫然と突っ立っていた。
 青褪めた顔。
 手にはスマホが握り締められている。
 一足遅かった。
 松岡の声に気付くと、亜也人はスマホ画面に向けていた顔を首だけを傾けてゆっくりと振り向いた。

「吉祥……これ……」

 答えるよりも先に、松岡は、亜也人に駆け寄り、その、か細い身体を抱き締めていた。

「大丈夫だ。何も心配するな」

 亜也人の心臓の音が、抱きしめた身体越しに胸に伝わる。
 不安が心臓の鼓動を速め呼吸を荒くして行くのが解る。
 ズキズキと脈打つ亜也人の鼓動を身体に受けながら、松岡もまた言い知れぬ戦慄に胸を震わせていた。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 その頃、神戸の内藤の別宅では、主人あるじの異変に家中が竦み上がっていた。
 突然沸き起こった嵐のように、床が揺れるほどの勢いで血相を変えて部屋に飛び込んできた内藤に、食事を運んでいた給仕が料理を皿ごと床にぶちまけ、リビングで談笑していた若衆たちが一斉に静まり返る。
 いつもの冷静沈着な様子からは想像もつかないほどの荒々しさに、ある者は目を丸め、ある者は呆けたように立ち尽くした。

「すぐに車を回せッ!」

 出先から戻ってくつろいでいた運転手役は、「早くしろッ!」といきなり胸ぐらを掴まれ問答無用で玄関に引き摺られ、靴を揃えようとしたご機嫌取りは、身を屈めたところを蹴り倒されて後ろにひっくり返った。
 未だかつて誰も見たことのない内藤の激しい一面に、取り巻く人間はもちろん、部屋の壁や空気までもが震撼する。
 何事にも動じない冷酷な瞳は猛火を巻き上げるように赤く血走り、抑揚のない声は突き上げる怒号となって轟き渡る。
 まさに、豹変。
 もはや手の付けのようもない。
 皆が固唾を呑んで見守る中、内藤は、憤怒の焔を上げながら闇の中へと呑み込まれていった。
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