セラフィムの羽

瀬楽英津子

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〜悪の覚醒

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 誰かに呼ばれたような気がして、亜也人あやとは閉じかけた目をハッと見開いた。
 異変に気付いた松岡が、殆ど同時に胸元に埋めていた顔を上げる。

「すまん、痛かったか?」

 甘ったるいキスの後、松岡は、亜也人の上半身に這いつくばり、亜也人の小さな乳首をずっと愛撫し続けていた。
 片方の乳首を口に含み、もう片方の乳首を指で揉んだり引っ張ったりしながら、時々左右を変えては同じように繰り返す。
 さんざん弄られ吸われ続けた乳首が全く痛くないと言えば嘘になるが、松岡の愛撫は、呆れるほどしつこくはあるものの、触れる指先は柔らかく、舌先は絶妙な力加減で亜也人の敏感な乳首を舐め転がす。痛がる素振りをするのは気が遠くなるような快楽への怖さからで、本当のところ、亜也人は、松岡の愛撫に身も心も開かされ、痛みすらも甘い痺れとして受け入れていた。
「痛かったから止める。久しぶりだから、つい、ガッツいちまって……。ったく、いい歳してみっともねぇ……」
 
 誰かに呼ばれたような気がして、とは言えなかった。
 自分を呼んだその“誰か”が誰であるか、亜也人はとうに気付いていた。
 松岡にとってその名は鬼門だ。
 たとえただの気のせいだとしても、亜也人の心の中にその存在が入り込むことを松岡は許さない。もちろん、亜也人が入り込むことも。

「お前が嫌だって言うならすぐに止める……」
 
 吉祥きっしょうのせいじゃない。
 心の中で叫びながら、亜也人は、申し訳なさそうに項垂れる松岡の首に両腕を巻き付けた。
 
「大丈夫。全然痛くない……」

「無理しなくて良い」

「無理なんてしてない。ホントにすごく気持ち良い……」

「本当か?」

「うん……」

 だからもっとして、と甘えるように首を傾けると、途端に松岡の目が妖しく光った。

「お前は、すぐにそうやって俺を煽る……」

「煽ってなんかないよ。本当に気持ち良いから素直に言っただけだし……」

「それが、煽ってる、って言ってんだよ」

 熱い視線が合図だった。

「俺をその気にさせてタダで済むと思うなよ?」

 たちまち、松岡の唇が唇を塞ぐ。
 いつになく情熱的なキスだ。
 亜也人の頭がベッドに沈み込むほど強く唇を押し付け、舌の先で唇をこじ開け、前歯の隙間から強引に舌を割り込ませる。
 舌先が触れ合ったと思ったら瞬く間に絡め取られ、強く吸い出されて口の中をぐちゃぐちゃに掻き回された。

「んふぅッ……んはぁ……はぁぁぁッ……」

 上顎から内側の歯列、舌の裏側まで、粘着く舌を上下左右に動かしながら、口の中の粘膜の隅々までをも舐め尽くす。
 激しいキスに朦朧としながらも、亜也人は、自分から舌を突き出し、松岡に絡め取られて吸いつかれるままに身を任せた。

「お前の唇……すげぇ熱い……」

「んはっ……はぁふぅん……んん……むふぅッ……」

 松岡の心臓の鼓動が、絡まり合った舌の先から喉の奥へと伝わっていく。
 粘膜の熱さに頭が痺れる。
 震える吐息が、唇と言わず顔の前面を熱く湿らせ、唇を離すと、亜也人と松岡の舌の先で、唾液がねっとりと糸を引いた。

「火を点けたのはお前なんだから、ちゃんと責任取ってくれよ」

 蕩けた眼差しで言うと、松岡は、耳の付け根の弱い部分を舌先でくすぐり、そこから、首筋、鎖骨へと短いキスを繰り返しながら唇を移動させ、充血して膨らんだ乳首を左右交互に小さくチュッと吸った後、みぞおちから臍へと舌を這わせた。

「あっ、やんッ……」

 臍の周りを撫でるように舐め、舌の先を穴の奥へと差し込み、中のコリコリとした部分をほじくるように舐め上げる。
 ピチャ、ピチャ、ピチャ、という音が、松岡の口元から亜也人の耳に響く。
 最初は、くすぐったいだけで不快にすら感じていたが、何度もこうされているうちに、亜也人は、松岡のこの臍舐めに、次第に性的な疼きを覚えるようになっていった。
 舌の先で揉んだり舐めたり、唇を当てて吸ったり甘噛みしたり。松岡の愛撫は、亜也人の眠っていた官能を刺激し、じわじわと揺り起こす。
 自分でも気付かないうちに、亜也人は、松岡によって新たな性感帯をいくつも目覚めさせられていた。

「こっちも、もう、こんなに元気んなってる……」

 亜也人の臍をくまなく堪能すると、松岡は、一旦顔を上げ、そのすぐ下辺りにまで迫ったペニスの先端に目を向けた。
 お腹の奥を揺さぶるような舌使いに、亜也人のペニスがジンジン熱を上げる。生理現象とはいえ、まじまじと見られるのはさすがに恥ずかしかった。

「そんな、顔、くっつけんなッ……」

 逃れようと身を捩ると、たちまち腰を持たれて戻され、「隠すな」と優しく嗜められた。

「今更恥ずかしがらなくてもいいだろう? お前の反応はいつ見ても可愛くてたまらないぜ?」

 勃ち上がったペニスを手のひらに包み、親指を立てて指の腹で敏感な裏スジをくすぐるようにさする。
 弱い部分を刺激され、亜也人のペニスが、張ち切れそうに腫れ上がってビクンと跳ねた。

「やだッ……あッ……」

「痛くないように優しくしてるだろ?」

「……じゃなくて……ぁひッ……」

 裏スジの次は、竿の真ん中を二本の指で摘んでブルブル揺らす。
 振動がペニス全体を切なく疼かせ、赤く膨れた先端が小さな口をヒクつかせながら甘美な蜜を滴らせる。
 グッショリと濡れた先端を指先で弄り回すと、松岡は、粘着く蜜で光る指先を亜也人の目の前に近付けた。

「ほら、お前のここ、こんなんなってる……」

 ニヤリと笑い、粘液で濡れた指を口に咥える。
 あまりの恥ずかしさに顔を逸らすと、いきなり両膝をガバッと開かれ、股間に顔を埋められた。

「ちょ……なッ!」

「今日はお前のここを思う存分舐めてやる」

「まっ、待って!」

 松岡の肩を両手で掴み、身体を左右に揺すって抵抗する。

「俺ばっかりヤダ! 吉祥もッ!」

 必死の思いで伝えると、松岡がふと顔を上げた。

「俺も?」

 亜也人は小さく頷いた。

「いつも吉祥にやってもらってばっかだから、たまには俺がッ……」

 松岡は一瞬目を丸め、すぐに、くしゃっと目を細めた。

「ありがとな。だが、お前はそんなことしなくても良いんだ。その気持ちだけありがたく受け取っておくよ……」

「でもそれじゃ吉祥が……」

「俺はいいんだ。俺は、こうしてお前を抱けるだけで充分幸せなんだから」

「だからそうじゃなくて……もう、いいから俺にもやらせてってばッ!」

 吐き捨て、松岡の肩にしがみ付いて起き上がり、そのまま松岡の胸をドンと押して尻餅をつかせて股の間に割り入った。
 松岡の男根は、すでに血管が浮き出るほど膨れ上がり、赤黒くいきり勃った先端をヌラヌラと光らせながら反り返っている。
 自分のものとは違う迫力に圧倒されながらも、亜也人は、松岡の筋張った男根を手のひらに包み、ゆっくりと顔を近づけた。
 すると、

「ちょっと待て」

 突然、松岡に止められ、亜也人はビクッと首を竦めた。
 それも束の間、今度は、いきなり脇の下に手を入れられて身体を後ろ向きにひっくり返され、足を掴んでズルリと下げられる。
 あれよという間に、亜也人は、松岡にお尻を向けて松岡の身体の上に四つん這いに跨がされた、俗に言う、シックスナインの体勢を取らされていた。

「やっ、なにこれ……吉祥!」

「これなら二人一緒に出来るだろ? いいからもっと尻を上げろ」

「あんっ!」

 有無を言わさずお尻を持ち上げられ、太ももの内側に腕を回されて、お尻に齧り付くような形でガッシリと固定された。
 睾丸に松岡の鼻先が当たっている。早くしなければ、いつものように松岡に感じさせられてばかりで終わってしまう。
『何もしなくて良い』と松岡は言うが、身の回りの世話から精神的な支えまで、何もかも松岡におんぶに抱っこの生活を与えられながら、愛の行為であるセックスまでも与えられてばかりというのは、さすがに亜也人の気が済まなかった。
 俺だって吉祥を気持ち良くしたい。
 思いながら、亜也人は、目の前に反り立つ松岡の男根を掴んだ。
 ゆっくりと口に含んで舌を這わせると、松岡が、負けじと亜也人の睾丸を舌の先でツーッと舐め上げる。
 突然の快感に身体がビクッと震え、反動で、口いっぱいに頬張った男根が喉の奥に当たり、思わず、うぇっ、と嘔吐えずいてしまった。

「おいおい、大丈夫か。無理しないでくれよ?」

「らいっ……じょぶ……ッ……」

 咥え込めるところまで咥え込み、裏筋を舌の先でくすぐりながら、頬の粘膜で締め付ける。
 松岡の男根が更に張りを増し、先走りが喉の奥を伝い流れる。このまま唇で挟んで扱き上げれば、さすがの松岡も快感に身悶えるに違いない。
 思ったのも束の間、ふいに、松岡にお尻の肉を鷲掴みにされ、亜也人は、口に咥えた松岡の男根をつるんと吐き出した。

「やぁッ……なにすんだよぉッ……」

 松岡は、亜也人のお尻を左右に開き、薄っすらと口を開けた窄まりに息を吹きかけたり、親指を器用に動かして窄まりを広げたり縮めたりして楽しんでいる。
 至近距離で見上げられているだけでも充分恥ずかしいものを、後ろの穴まで広げられて覗かれているのかと思うと、羞恥のあまり身体中が火を吹いたように熱くなる。
 松岡は、顔を真っ赤にして震える亜也人を弄ぶように、大きく開いたお尻の間へ鼻先を埋め、ねっとりと湿った舌先を後孔に押し付けた。

「あああっ……やッ……まっ……待って……やあぁぁっ……」

 窄まりの表面を下から上へと舐め上げ、シワの一つ一つに丹念に舌を這わせていく。内側から覗く粘膜を舌の先でしつこく揉みほぐし、入り口が柔らかくなったところで外側から内側へ円を描くように舌を滑らせ、真ん中から少しづつ穴の中へと差し込んで行く。

「んあぁんっ! あぁぁぁ、ダメッ……それ、ダメぇ……」

 松岡の男根を咥えている余裕はもはや亜也人には無い。
 松岡を気持ち良くしたいというその意気込みも消えぬうちに、亜也人は、松岡の絶妙な舌技に意識を奪われ、松岡の股間に突っ伏しながら快感に身悶えた。

「あぁッ、あんッ、やっ……マジで、待って、って……マジ……ヤバいって……あぁッんッ……」

 抵抗はむしろ逆効果。
 亜也人が、「やめて」と切なく喘ぐたび、松岡が、舌先をヘビのように俊敏に動かして窄まりをズブズブと突く。
 入り口が緩んでヒクつき始めると、亜也人のペニスの先から染み出す先走りを指先ですくい、その指を、舌の代わりに充血して膨らんだ窄まりにゆっくりと差し入れた。

「やぁッ……」

 第ニ関節まで埋め込み、小さく抜き差ししながら感じるポイントを指の腹でギュウっと押さえつける。
 途端、身体の奥にビリっと電流が走り、亜也人は堪らず背中を跳ね上げた。

「あひッ! やッ……やあぁぁッ、だッ!」

 先ほどまでの慎重さから一転、松岡の節くれ立った太い指が、迷うことなく亜也人の性感帯を捉え、容赦なく擦り上げる。
 お尻を振って抵抗するものの、かえって松岡の興奮の後押しをしただけだった。
 
「……ッ、ゃだッ、やだ……そんな、いじんないでえぇッ!」

「たっぷりほぐさねぇとお前の大事なここが傷ついちまうだろ?」

「あぁっ、は……はあぁ、やめぇっ……」

 肉壁にもう一本指をねじ込み、二本の指を開いて中を広げ、交互に搔き出すように動かす。
 感じる部分をグリグリと刺激されるたび、お腹の奥に振動が伝わり、ゾクゾクとした快感を揺り起こす。
 カァッと身体が熱くなった次の瞬間、お腹の奥がドクンと波を打ち、身震いするような絶頂感が亜也人を襲った。

「もうイッたのか。可愛いな……」

「ちがっ……」

 否定したところで肉壁の痙攣は止められない。至近距離で見ている松岡の目はなおさら誤魔化せなかった。

「こんなにヒクつかせといて、なにが違うんだ?」

 揶揄うように言うと、松岡は、後孔に埋めたままになっていた指をぐにぐにと曲げて肉壁をいじり、ふいに一気に引き抜いた。
 縋るものを無くした肉壁が途端に蠢き出し、入り口が物欲しそうにパクパク喘ぐ。

「いいところで抜かれちまったからツライんじゃないのか? お望みとあらば指でもチンポでも何でも入れてやる。どっちが欲しい? 指か? チンポか?」

「バカぁっ……」
 
 逃れようと寝返りを打つと、一足先に松岡が起き上がり、寝返り途中で横向きになった亜也人を後ろから腕ごと抱きすくめた。

「言ってくれよ。どっちが欲しいんだ?」

 選択を迫りながらも、松岡は、硬く張り詰めた股間を亜也人のお尻の割れ目に、これみよがしにグリグリ擦り付けている。
 答えは口にするまでもなかった。
 暗黙の了解のもと、松岡が、ヘッドボードの棚からローションを取り出し、自身の男根にたっぷりと塗り付ける。
 亜也人の後孔も同様に、余ったローションを指先に溜めて入り口に入念に馴染ませると、松岡は、横向きになった亜也人の片脚をひょいと抱え上げ、後ろから、ヒクつく窄まりに先端を突き立てた。

「ああぁぁっ、はあぁぁっ、ああっ」

 カリの部分までズブズブ埋め込み、そこからゆるゆると前後しながら奥を割り開いていく。
 少し入れては止まり、また少し入れては止まり、じれったくなるほどの慎重さでじわじわと根元まで埋め込むと、松岡は、しばらく亜也人の身体の中の感触を愉しむようにじっと動きを止め、やがて、ゆっくりと腰を突き上げた。

「あぁっ、んはぁッ、はあぁぁぁッ……」

 逞しく勃起した男根が穴の中で肉壁と擦れ合い、硬く張ったカリ首が弱い部分を引っ掻きながら前後する。
 背後から抱き締められているせいで、敏感な耳の裏側を舐められたり吸われたりしているのも快感に拍車を掛けた。松岡の男根に突き入れられるたび、身体がよじれ、肉壁がキュウキュウと収縮するのが自分でも解る。
 繰り返される刺激に、亜也人は男根を引き戻されるだけで声を上げ、グンッ、と突き入れるたび身体を反らせて悶え泣いた。

「も……やだ……あっぁあ、あぁっ、あ……」

「待て……そんな、シメんな……」
 
「あひっ、中で大きくすんなぁぁッ!」

「仕方ないだろ。お前が良すぎるんだから……」

 繋がった部分が焼けるように熱く、隙間なく埋められた男根が肉壁をミチミチと広げながら膨張する。
 イヤイヤと首を振る亜也人を横目に、松岡は男根を硬く強張らせ、亜也人の性感帯を擦り上げながらより深い部分へと先端を突き立てる。
 逃れようにも、片足を抱えられているせいで身動き出来ない。
 そうこうしているうちにも、松岡が亜也人の足を抱えたまま起き上がり、上げていない方の太ももに跨り、亜也人の後孔に真横から男根をねじ込んだ。

「あっ、やぁっ!」

 持ち上げた足を支えにして、太ももの内側を腰に叩き付けるように深く入れ込む。
 いつもとは違う角度からの刺激に、亜也人が堪らず悲鳴を上げる。
 躊躇するのは条件反射みたいなものだろう、亜也人の悲鳴に一旦は動きを止めたものの、さほど深刻ではないと解ると、松岡は、亜也人の片足を更に高く上げ、外側から腕を回して胸の前で抱きかかえながら激しく突き上げた。

「あぁぁん、やだッ……これッ……変なとこ当たっちゃ……んんッ……」

「気持ち良いとこに当たってるだろ? お前の中、ギュウギュウ締めつけやがる……」

「あ……いや、……そんな動かしたら……変になるぅッ……」

「変になっちまえよ。遠慮しないでどんどん感じればいい。……俺はお前をたくさん感じさせてやりてぇんだから……」

「やっ……だぁッ……俺ばっか……」

 松岡が腰をグイグイねじ込むたび、後孔にみっちりと嵌った男根が肉壁を抉りながらあらぬ角度で奥を突く。
 反動で、無防備に投げ出されたペニスがプルプル揺れる。感じる部分を繰り返し突かれたせいで亜也人のペニスはすでに充分な硬さを持ち、赤く腫れた先端をズキズキと脈打たせている。
 亜也人の身体に跨り見下ろす松岡が、それに気付いていないわけは無かった。  

「後ろで何度もイッたわりにはしっかり勃ってんじゃん……」

 ふいに、松岡が低く呟く。

「触らないで」

 言おうとした時には、松岡の骨ばった手が亜也人のペニスを握り締めていた。

「ああぁっ……だめッ……や、やだッ、……やだってばぁ……」

 松岡は、横向きになった亜也人の上半身を仰向けに返し、亜也人のペニスを扱き上げた。

「すげぇ、どんどん硬くなる。お前のここは本当に可愛いな……。いくら見てても飽きない……」

「ばかッ……あっ……」

 すでに硬さを持った亜也人のペニスは、松岡がほんの少し扱いただけで先端をぐっしょりと湿らせる。
 クチュ、クチュ、クチュ、といやらしい音を立てながら、松岡の骨ばった太い指が、亜也人のペニスを扱き、裏筋を弄り回す。
 そうしている間も後孔への挿入は止まず、今までよりも一段と張りを増した松岡の男根が、ペニスを扱くのと同じスピードでガンガンと奥を突く。
  容赦の無い挿入に、吸う息までもが喘ぎ声に変わり、亜也人の口からひっきりなしに湿った声が漏れた。

「あっ、あぁっ、やっ、あぁぁッ、いっ、いやだッあッ、ああんッ」

 切ない訴えとはうらはらに、松岡は、亜也人のペニスを握り締めながら、ラストスパートとばかり動きを早めて行く。

「ああ……亜也人……マジで……可愛い……」

「あ……あっ……ダメッ……いッ、イッちゃ……イッ……」

「俺も……あ、亜也人ぉッ!」

 気の遠くなるような感覚に、すがるものを求めて両手を伸ばすと、松岡の大きな手が、宙をもがく 亜也人の手をしっかりと握り締め、同時に最奥へと男根を突き入れた。
 瞬間、焼け付くような快感がお腹の奥からペニスを突き上げ、亜也人は、「ああああああぁぁっ!」と女のような甲高い悲鳴を上げながら射精した。
 松岡もほぼ同時に絶頂を迎え、痙攣の止まらない亜也人の最奥に二、三度ビクンと腰を突き立てて最後の一滴まで精液を搾り出すと、そのまま亜也人の身体の上に突っ伏し、片手で亜也人の頭を優しく撫でた。

「すげぇ良かった……。お前は? 気持ち良かったか?」

 もちろん、とすぐにでも答えたかったが、息が上がって言葉が出なかった。返事の代わりに、松岡の広い背中にギュッと抱き付くと、松岡が、察したように亜也人のおでこにおでこを擦り寄せた。

「良かった。熱くなるとついやり過ぎちまうから……」

 鼻先に口付け、唇を軽く吸い、隣にゴロンと横になって腕枕をしながら胸元に抱き寄せる。
 腕枕した手は優しく亜也人の髪を撫で、もう片方の手は、亜也人の手を指と指を絡めて握り締める。
 イッた後でも松岡の優しさは変わらない。むしろ、始める前より熱っぽい視線で亜也人を見詰め、いつまでも抱き締めて離さない。
 自分が大切にされていることが、触れ合った皮膚から全身に伝わる。
 自分が愛されていると実感する。この先も永遠に変わらないと信じられる。
 しかし、松岡の愛情に震えるような幸せを噛み締める一方で、亜也人は、松岡に対して消せない負い目を抱えていた。
 松岡に精一杯の愛情を伝えたところで、他の男にさんざん弄ばれ汚された身体が元に戻るわけではない。
 松岡だけのものでいたいのにそう出来ないもどかしさ。ならばせめて、自分にとって松岡がいかに特別な存在であるかを伝えたいのに、それすらもままならない自分自身への不甲斐なさ。
 松岡の愛情の深さに触れるたび、亜也人の中にある松岡への負い目が顔を出す。

「俺……何にも出来なくて……」

 どうしようもない思いに項垂れると、松岡に頭を軽く小突かれ、亜也人は、その先の言葉を飲み込んだ。
 松岡は、亜也人が言おうとしていることなどお見通しとばかり、亜也人の方を見ずに、厳しいけれど温かみのある声だけを亜也人に向けた。

「何度も言うようだが、俺は、お前とこうしていられるだけで充分幸せなんだ。だからお前が余計な気を使うことはない。そうでなくても、お前の方が身体の負担はデカいんだから」

「でもそれじゃあ俺の気が……」

 亜也人がなおも食いつくと、松岡は、亜也人の方へ寝返りを打ち、「なら……」と、真っ直ぐな視線を向けた。

「なら、ずっと俺のそばにいてくれ」

 亜也人は、何を言われたのか解らずキョトンとした。
 松岡は、目を丸める亜也人を愛おしそうに見詰め、ゆっくりと言葉を続けた。

「俺はお前とずっとこうしていたい。だから、お前が俺に何かしなきゃ気が済まないっていうなら、この先もずっとずっと俺のそばにいると約束してくれ」

 頭がようやく言葉を理解した途端、身体が勝手に動いていた。
 答えるよりも先に、亜也人は松岡に抱き付いていた。

「なんだ、なんだ? これじゃ答えになってないぞ?」

 答えなど口にするまでもない。
 この先もずっとずっと松岡のそばにいる。
 松岡がそう思うように、亜也人にとっても、松岡はかけがえのない恋人。もはや松岡のいない人生など考えられない。
 松岡が好き。他の何よりも。松岡が。

 ーーーだからずっとそばにいる。
 
 ーーー松岡が好きだから。この先も、ずっと、ずっと、そばにいる。

 思いを噛み締めながら松岡の胸に頬を擦り寄せる。
 すると、ふと、妙な胸騒ぎを覚えて我に返った。

 ーーー前に、同じようなことを言った覚えがある。

 瞬間、過去の記憶が唐突に甦り、亜也人は瞳を引き攣らせた。

『俺が好きか?』

 良二の声だ。

『俺が好きなら俺から離れるな。ずっと俺の側にいろ』

 その声に、自分の声が重なり響く。

『良二が好き』
『良二だけが好き』

 過去の声が亜也人の耳の内側を叩く。
 自分自身の、けれども、見知らぬ他人のような声。

『ずっと側にいる』
『絶対に離れない』

 容赦なく襲う声に、動悸が速まり背筋に悪寒が走る。
 
「亜也人……?」
     
 忘れていた過去が堰を切ったように溢れ出し、亜也人の頭をギシギシと軋ませる。
 受け止め切れない感情に、喉の奥が詰まり、激しい吐き気が迫り上がる。
 心を掻き毟られるような苦しさに耐えながら、亜也人は、松岡の逞しい胸にしがみついた。
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「あらー、これはお久しぶりです、丸山さん」

 紀伊田きいだの、場違いとも取れる軽快な声に、逢坂がギョッと目を丸める。
 声を掛けられた当の丸山は、さほど驚きもせず紀伊田を見上げている。
 N企画のビルの前。若衆の運転する送迎車から丸山が逢坂とともに降りてすぐだった。何処からともなく紀伊田がひょいと現れ、事務所へ向かう丸山の足を止めた。

「いやー、偶然! たまたま通りかかったんで、逢坂ちゃんいるかなー、と思ってフラリと寄ったんですよー。まさか丸山さんに会えるなんてー」

 もちろん偶然ではない。丸山の行動を調べ上げ、鉢合わせするよう、わざと先回りして待ち伏せたのだ。
 丸山とは、積川良二がN企画が経営する風俗店で暴れ出した頃、被害を受けたキャストを秘密裏に治療する闇医者を紹介した縁で知り合った。
 石破組の若頭と、石破組の周りをうろつく情報屋。お互い顔と存在は知っていたものの、直接言葉を交わしたのはその時が初めてだった。
 にもかかわらず、二人の間に旧知の仲のような親密さが漂うのは、紀伊田の、他人に警戒心を抱かせない穏和な雰囲気と、表情の端々に微かに漏れる色香のせいだろう。寡黙で厳格な丸山が、紀伊田には、珍しく甘い一面を見せる。もっとも、そうなるよう仕向けているのだから紀伊田にとっては狙い通りなのだが、普段の丸山を知る逢坂には目も当てられない光景らしく、紀伊田と丸山のやり取りをいつも不機嫌そうに眺めていた。
 今も、逢坂は、丸山に近づく紀伊田を撫然とした顔で睨み付けている。
 一方、丸山は、逢坂の嫌う甘い表情で紀伊田を見、事務所の中へ案内した。

「お前さんがわざわざ来たってことは何かおねだりがあるんだろ?」

 応接室のソファーに座ると、丸山は、背もたれに両手を伸ばして踏ん反り返って足を組み、向かいに座る紀伊田をわざと威圧的に見下ろした。
 優位に立とうと虚勢を張っているのだ。こういう態度には慣れている。怖くはない。むしろ可愛らしいとすら思う。

「おねだりなんて人聞きが悪いなー。たまたま通り掛かっただけだよー」

「よく言うぜ。お前が何の用もなしにこんなところに来るわけ無ぇだろう」

 丸山は、呆れたように吐き捨て、しかしすぐに唇の端に微かな笑みを浮かべた。

「でもまぁ、せっかく来たんだから話ぐらいは聞いてやるよ。どうせ積川絡みだろ?」

 同じ石破組の組員でありながら、丸山と積川の間には大きな溝が存在する。
 正確には、丸山と、現在の組長である内藤との間に出来た溝。
 丸山は、元は先代の組長である菊地に忠誠を誓った菊地の“組長付き”であった。
 その菊地が癌に冒され、治療に専念するため当時若頭であった内藤に組を任せたことが確執の始まり。菊地の不在をいいことに、内藤は、菊地が他団体との間に築き上げた信頼関係を根こそぎ覆すような強引なやり方で勢力を拡大し、その名を闇界隈に広めていった。
 菊地の意向を無視した内藤の行いに丸山が反感を抱かないわけがなく、丸山は、菊地がこの世を去り、内藤が四代目を襲名した時には、組を辞めてヤクザから足を洗うつもりでいた。
 しかし内藤とて馬鹿ではない。
 忠誠心に熱く部下への思いやりも深い丸山は、石破組内部だけでなく、上部団体や他の傘下組織からの人望も厚い。かたや、内藤が目を掛けている積川良二は、実力こそ認められているものの、その素行の悪さは幹部会でも取り上げられるほどで、組内では、積川を擁護する内藤への不信感から、内藤への代替わりを機に、組を離れる者も少なくないと噂されていた。
 丸山を失うことにでもなれば、内藤と積川を支持する者は激減し、ひいては石破組の存続に関わる事態にもなりかねない。
 それを阻止するために、内藤は、丸山に組に残るよう要請し、若頭というポストを用意した。
 事情を知らない若衆は、丸山の若頭就任を手放しで喜んだが、実際は、従わなければ、丸山本人はもちろん、菊地が可愛がっていた部下や家族の身に危険が及ぶと暗にほのめかされ、仕方なく従ったにすぎない。
 その若頭就任も、のちに積川良二を若頭にするための体の良い繋ぎでしかないことを、丸山本人は最初から見抜いていた。

『あんな若造をいきなりナンバー2にしたんじゃ周りが黙っちゃいねぇだろ? 奴が一人前になりゃ俺なんてすぐにお払い箱さ。もっとも、俺にとっちゃぁその方がありがたいけどな』

 これまでの経緯を、紀伊田は、誘い出した酒の席で、丸山本人の口から直接聞いた。
 ほろ酔い気分でご機嫌だった丸山が、その時ばかりはゾッとするような鋭い目で遠くを睨み付けていたのを紀伊田はつい昨日のことのように思い出す。
 視線の先にいたのは内藤か積川か。
 いずれにしてもこの二人が全てを狂わせる。
 松岡も、亜也人も、丸山も、紀伊田自身も。

「それで今度は何をしようって言うんだい」

 丸山は言うと、背もたれに伸ばした手を足組した膝の上に重ねて握った。
 紀伊田は、丸山を真っ直ぐに見、おもむろに切り出した。

「俺に覚醒剤エスを売って欲しいんです。それと注射器ポンプも」

 丸山は途端に背もたれから飛び起きた。

覚醒剤エスだと! なんでそんなもん……」

「キメセクする……とでも思っていただけたら」

 間髪入れずに答える紀伊田に、丸山が、「はあぁっ?」と大声を上げて目をひん剥く。

「てめぇ、何言ってやがる!」

 今にも飛び掛かってきそうな丸山の目を真っ直ぐに見返しながら、紀伊田は言葉を続けた。

「心配しなくても、丸山さんには一切迷惑は掛けません。直接が無理なら小売りを紹介してもらえればそっちから買いますし……」

「そういうことじゃねぇだろう! あんなもんに手ェ出したらどうなるか、てめぇだってよく解ってるだろう!」

 予想外の反応に、紀伊田は、「参ったな」と苦笑いした。

「もっとすんなり売って貰えるものだとばかり思ってたのに……」

「馬鹿やろう! 誰がてめぇの身内に売り付けるか! ーーーったく、何が“キメセク”だ! てめぇの歳を考えやがれッ!」

 自分とこの商品にはキメセクさせて何本もビデオ出演させているくせに。
 思いながらも、紀伊田は、丸山の身勝手な矛盾には触れず、わざと砕けた調子で答えた。

「歳を考えろ、とは酷いなぁ。これでもまだまだイケると思ってんだけど」

 笑ってみたものの、丸山は、こんなことで誤魔化されるような男ではなかった。
 一向に止まない丸山の噛み付くような視線に、紀伊田は、作り笑顔をスッと引っ込め、真剣な表情で丸山を見返した。

「心配してくれてありがとう。でも、俺が使うんじゃないから安心して……」

 丸山は一瞬緊張を緩めたものの、すぐに訝しげに目を細めた。

「お前が使わないなら誰が使うんだ?」

 紀伊田は、何も答えない。
 丸山は暫く紀伊田を睨み付け、やがて、何かを悟ったように目を尖らせた。

「まさか、妙なこと企んでるんじゃねぇだろうな……」

 答える代わりに、紀伊田は、丸山と視線を合わせたまま、姿勢を正し、テーブルの上に両手を突いてゆっくりと頭を下げた。

「俺に、覚醒剤エス注射器ポンプを売って下さい。お願いです」
 
 静寂が紀伊田の両肩に重くのし掛かる。
 長い長い沈黙の後、ふいに、丸山が、根負けしたとばかり大きなため息をついた。

「わかったよ。その代わり、勝手に動くな。動く時は俺に知らせろ」

 紀伊田は下を向いたまま、更に静かに頭を下げた。
 
 
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 物心ついた頃から母親はいなかった。
 父親だと思っていたのが実は祖父だったと知ったのは小学校低学年の時。
 高学年になって物事が多少理解出来るようになると、その祖父が、自分とは全く血の繋がらない赤の他人であることを、偶然耳にした大人たちのうわさ話で知った。
 どうやら自分は、どこぞの誰かが不始末をしでかして出来た子供で、当時、その、“どこぞの誰か”に弱みを握られていた祖父が、弱みと引き換えに面倒を見るよう言われて引き取った貰いっ子であるらしい。
 小学生が受け止めるには重すぎる真実を、積川良二は幼い心でたった一人で受け止めた。
 驚きはしたが、不思議とショックは受けなかった。
 むしろ、やはり、という気持ちが強かった。
 常日頃から祖父は良二を壊れモノにでも触れるかのように大切に扱ったが、祖父の目が自分ではない別のところに向けられていることを、良二は、幼心にも敏感に感じ取っていた。
 その目が、自分の後ろにいる“どこぞの誰か”に向けられているのだとしたら、祖父の、よそよそしいまでの優しさも合点がいく。
 自分を見ているようで全く見ていない、目の前にいるのに誰もいない感じ。
 突然突き付けられた真実は、良二がずっと胸に抱えていたモヤモヤを吹き飛ばしはしたものの、同時に、良二を、吹きっさらしの風の中に捨て置かれたような寒々とした気持ちにさせた。 
 一緒にいるのにいつも一人。
 悲しい、というのとは違う、自分が何をどう感じているのか考えるのも面倒臭いような、もう何もかもがどうでも良いような気持ちになった。そのくせ、自分が可哀想な子供だと思われるのが嫌で、さほど仲が良いわけでもないクラスメイトを無理やり誘い出しては街中を連れ回した。
 良二が小学生にしては大人びていたせいもある。
 その頃から良二は不良に絡まれることが多くなった。
 怖がらせても顔色一つ変えずに睨み返す良二を、不良たちは「生意気だ」と追い回した。
 やがてそれは学校にも知れ渡り、クラスメイトの親たちは、自分の子供が良二の喧嘩の巻き添えになることを恐れ、良二と関わることを禁じた。
 一人になった良二は、新しい仲間を求めて繁華街をうろついた。
 一人になったことで、喧嘩も増えた。
 自分よりも体格の良い中高生を相手に一人で戦うことを余儀なくされた良二は、自ら望んだわけではなく、自分の身を守るため、必要に迫られて強くなった。
 喧嘩は日常的になり、中学を卒業する頃には、良二は、地元では知らない者はいないほどの不良になっていた。
 喧嘩に明け暮れる日々の中で、良二は、強ければ全てが思い通りになることを知った。
 強ければ、仲間も、女も、遊ぶ金も、向こうから自然にやって来る。実際、良二の周りには、良二の強さにあやかろうする人間が絶えず群がり、良二を称え媚びへつらった。
 高校に上がるとすぐに不良グループの次期リーダーとして迎え入れられ、そのつてで内藤と知り合った。
 内藤は、良二を、“特別”だと言った。
『お前は特別だ』『お前には素質がある』
 内藤の言葉には、良二が今まで知り合った人間たちから向けられた、口先だけの好意も、保身の為のおべんちゃらも無かった。
 内藤は、良二を認め、信頼しているかのようだった。
 ヤクザという圧倒的な力を持ちながら、内藤は、力で脅すわけでも見下すわけでもなく、良二を一人前の男として対等に扱った。
 内藤の、己の力を誇示しない態度と余裕に満ちた表情は、それまで良二が抱いていたヤクザのイメージを一掃し、良二に強者の風格を見せ付けた。
 本当の強さとはどういうもかのを、良二は、初対面の内藤から教わったような気がした。
 以来、良二は内藤と行動を共にするようになった。
 内藤の見せる優勝劣敗の闇社会は、退屈を持て余す良二にはうってつけの刺激的な世界だった。
 内藤は、闇社会のあらゆる現場に良二を連れ出し、良二も内藤からさまざまなものを吸収した。
 スティンガーを任されてからは、自分の存在価値を見出し、自分に与えられた使命をも意識するようになった。
 内藤に期待されることが嬉しく、期待に応えることにやり甲斐や喜びを感じるようにもなっていた。
 こういう生き方も悪くない。
 自分にはこの世界が向いている。おそらくこの先もずっと、自分は、この世界で生きていくのだろうと思っていた。
 それが、亜也人に出会って変わった。
 正確には、亜也人と出会ったことで良二の価値観が大きく崩れた。
 心が亜也人を一番に求めていると認識した途端、それまで良二が大切にしていた地位や名誉といったものが、良二の中でみるみる色褪せていった。
 力も、金も、どうでもいい。
 内藤を慕う気持ちは変わらないが、以前のように、認められようと躍起になるほどの情熱は無くなった。
 亜也人さえいればそれでいい。
 いつの間にか良二の心は亜也人で埋め尽くされていた。
 
『公衆便所』
『淫乱』
『男を惑わす悪魔』

 亜也人に纏わるどんな中傷も良二の耳には入らない。
 しかし内藤の言葉は別だった。
 内藤は、良二の心の変化をいち早く見抜き、亜也人との交際に警鐘を鳴らしていた。

『清純そうに見えても身体には淫乱の種が植え付 
けられている』
『一人で満足出来るわけがない』

 内藤の言う通り、亜也人の周りにはいつも男が溢れていた。
 自分の綺麗な顔としなやかな身体がどれほど男を誘惑しているのかも知らず。いや。本当は知っていてわざと引き寄せているのかも知れない。
 内藤の警告は、余裕の無くなった良二を疑心暗鬼にさせ、良二の独占欲を増長させた。
 亜也人への想いは、壮絶な嫉妬となり、狂気的な支配欲となった。
 自分が自分でなくなる感じ。
 内藤は、それを、『心の弱さ』だと言った。
『心が弱いから自分を疑う』
 克服するには、自分自身が強くなる必要がある。
 今よりももっともっと、自分が自分の強さをはっきりと自覚できるくらい、自分が自分の強さを信じて疑わないくらい強くなれば、周りの雑音は自ずと消えて無くなる。
 大切なのは何事にも動じない自信を持つこと。そのための力を持て、と内藤は言った。
 だから離れた。
“そのための力”を持つために、良二は、内藤の指示通り、神戸へ向かった。
 それなのに、今のこの状態は何だ。

『本当なら、寺田亜也人が集団レイプされて風俗に送られていた……』

 言葉が呪縛のように耳にこびりつく。

「そんな筈はない……」

 動揺が心臓を激しく鼓動させ、煮えたぎるような熱さが全身を震わせる。
 背中を起こすと、手首に鋭利な痛みが走った。

 ーーー鎖?

 拘束されていることはすぐに解った。
 新庄の仕業か。
 しかし一体何故。
 思い出そうとしたが、記憶がすっぽりと抜けて何も思い出せなかった。

「……っくしょう!」

 力任せに腕を引っ張り、両手に嵌められた手枷をフックごとヘッドボードから引きちぎった。
 衝撃を受けた部分が擦り切れて血を滲ませる。
 同様に足枷も外すと、上体を起こして床に足を付き、ベッドのへりに両手を付いてゆっくりと立ち上がった。
 両手を壁に突き、ふらつきながら、壁伝いにドアへ進む。
 身体が重く、頭が痺れて思考が上手く働かない。
 それでも、自分のやるべきことは解っていた。

 ーーー亜也人に会わなければ。

 意識を集中させながら、良二はドアノブに手を掛けた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 最初は微かなイビキ。
 それが新庄の呻き声だと気付いた時には、頭に鋭い衝撃が走り、視界がぐにゃりと歪んだ。
 目を開けると、白いトレーナーを真っ赤に染めた新庄が視界に飛び込み、紀伊田はいっぺんに目を覚ました。
 冷たい床の感触に、自分が床の上に全裸でうつ伏せに寝かされていることを理解する。
 両手を後ろ手に縛り上げただけでは飽き足らず、結び目を別の縄にかませて腕ごと胴体に巻き付け、足は、後ろに折り曲げられ、真っ直ぐに伸ばせないよう、太ももとふくらはぎをぐるぐる巻きに固定されている。
 自由に動かせるのは頭くらいなもので、それも衝撃を受けた時の影響で未だにズキズキ痛んだ。

 丸山との面談の後、結局、紀伊田は、その日のうちに覚醒剤エス注射器ポンプを手に入れ、積川のマンションを訪ねた。
 動く時は知らせろ、と丸山に言われたが、丸山や逢坂を巻き込むわけにはいかない。丸山に尾行を付けられる前に、紀伊田は、覚醒剤エスを手に入れたその足で積川のマンションへ向かった。
 新庄が積川と一緒に暮らしていることは、前回訪れた時に目にした玄関に置かれた靴の数やリビングにあった荷物などから察しは付いていた。
 新庄を訪ね、クリニックで治療中のウリセンボーイの治療経過にかこつけて部屋に上がり込み、新庄を薬で眠らせた隙に、注射器ポンプに仕込んだ覚醒剤エスを積川に打つ。
 普通の状態ならいざ知らず、薬物過剰摂取オーバードーズで自分を見失なっている積川が覚醒剤エスにのめり込むのは目に見えている。
 つまり、積川を覚醒剤中毒者ジャンキーにする。
 紀伊田は、ただ、そのきっかけを与えるだけ。
 一度味を覚えれば、放っておいても積川は覚醒剤エスを常用するようになる。
 組の覚醒剤シナモノに手を付けるようにでもなれば格好の脅しネタになる。そうならなくとも、積川が覚醒剤中毒者ジャンキーになったとなれば、組の威信を保つ為にも、内藤は、すぐに積川の断薬治療に入るだろう。
 回りくどい方法だが、これが、積川良二を亜也人から引き離すための、今出来る最善策だと紀伊田は考えた。
 エントランスの呼び出しボタンで部屋番号を押すと、紀伊田が何も言わないうちから新庄は早々にロックを解除した。
 拍子抜けしつつも、建物内を進み部屋の前でインターフォンを鳴らす。今度は何故か反応が無い。不審に思ってドアノブに手を掛けるとすでに鍵は開いていた。
 この時点で様子がおかしいことに気付いていれば、紀伊田は全裸で縛られることは無かった。
 しかし、紀伊田は、新庄の名前を呼びながら恐る恐る部屋の中へ足を踏み入れた。
 そしてこのザマだ。
 冷たい床に這いつくばりながら、紀伊田は、目の前で横たわる新庄を注意深く見た。
 新庄は、トレーナーの背中を血で染めながら、両手をだらりと下げてうつ伏せに倒れている。
 向こう側を向いているせいで表情は見えない。出血量から考えて、ただの切り傷でないことは素人目にも解る。
 息をしてるのかどうか目を凝らして見てみたが、トレーナーの厚みで、呼吸する身体の動きははっきりとは確認出来なかった。
 
 ーーーいったい何があったんだ……。

 しかし、新庄の心配をしている場合ではなかった。
 ふいに、後ろ手にされた腕を引っ張られ、紀伊田は、クッ、と顔を顰めた。
 積川だ。
 積川がうつ伏せになった紀伊田の真横に立ち、火傷の痣の残る顔を冷酷に歪めながら紀伊田を見下ろしている。
 手にしているのはロープの端。ロープの先は、積川の拳の下から紀伊田の背後に続き、後ろ手に縛られた手首に繋がっている。
 積川が手を引くたび、拳から伸びたロープがピンと張り、手首が引っ張られて両肩に鋭利な痛みが走る。
 まるで、紐に繋いだ飼い犬を嗜めるように、積川は、握り締めたロープを何度も引きながら、痛みに顔を顰める紀伊田を面白そうに眺めた。

「返り討ちにあった気分はどうだ? 紀伊田さんよぉ」

 名前を呼ばれ、紀伊田は咄嗟に顔を上げた。
 積川は笑っている。

「俺が知らないとでも思ったか? 俺らをコソコソ嗅ぎ回ってるネズミ野郎が!」

 ガツン、と、ロープを引かれ上半身を海老反りに浮かされる。
 肩がビリビリするような鋭い痛み。それも束の間、背中で縛られた手首を鷲掴みにして仰向けにひっくり返され、紀伊田は堪らず声を上げた。

「うあぁッ!」

 足を後ろに折り畳まれているせいで、両手足を自分の背中の下敷きにするような格好で仰向けにされ、無理に伸ばされた筋肉が悲鳴を上げる。
 仰向けにされたことで股間を晒す形になってしまったが、恥ずかしがっている余裕は無かった。
 少しでも楽な体勢になろうと、紀伊田は後ろに折られた足をジタバタと横にずらした。
 紀伊田が足を動かすたび、反動で剥き出しになったペニスが揺れる。
 それを見ながら積川は口の端を吊り上げてケタケタ笑った。

「こいつぁいいや。色男がフリチンで誘ってやがる」

 紀伊田は構わず足をずらし、やがて、両足を手前に抜いた。
 足は楽になったが、今後はお尻の割れ目がはっきり見える格好になった。
 伸ばせないよう太ももとふくらはぎを固定された足をハの字にして股間を隠す紀伊田を、積川はなおも面白そうに眺めた。

「俺をどうする気だ」
 
「どうする? そりゃあこっちの台詞だ」

 紀伊田を睨み付けると、積川は、床に散らばった荷物の中から銀色に光るものを拾って紀伊田の目の前に突き付けた。
 丸山にもらった覚醒剤エス注射器ポンプだ。四角いステンレスのケースに入れた状態でカバンの中に入れていた。
 それをケースごと手のひらに乗せ、スライド式のフタをこれみよがしに開けると、積川は、中に入っていた注射器を取り出し、右手に構えて紀伊田の鼻先に近付けた。

「ご丁寧にすぐ打てるように準備しやがって……。新庄とグルんなってこの俺様をヤク漬けにしようったってそうはいかねぇぜ!」

 尖った針先が、スッと首筋に滑る。
 冷たい感触に、紀伊田の表情が一瞬にして凍り付く。

「やめろ……」

 ただの脅しでないことは、積川の注射器を持つ手に込められた力で解る。
 紀伊田の予想を裏付けるように、積川は紀伊田の訴えには一切耳を貸さず、針先を首筋に押し付けた。

「こんなことして何になるッ!」

 積川は、ククッ、と喉を鳴らした。

「あんたは大切な交渉材料だ……」

「交渉材料?」

 紀伊田の目の前で、積川の薄い唇が不気味に吊り上がった。

「あんたの身柄と引き換えに亜也人を返してもらう」

 瞬間、紀伊田の心臓がドクンと跳ねた。

「何をバカなことを! なんで俺が……」

 訴えると、ふいに、紀伊田の言葉を遮るように、積川が注射器を持っていない方の手で紀伊田の膝を鷲掴みにし、股間を隠そうと胸の前で揃えた脚を真横に開いた。

「この、圭吾、ってのは組長オヤジの名前だろ?」

 積川の目は、紀伊田の太ももの付け根に彫られた名前を食い入るように見詰めている。
 圭吾。
 かつて、紀伊田がまだ若かりし頃、青臭い情熱のまま肌に刻んだ愛しい名前。
 忌まわしくも未だ忘れられないその名前が、紀伊田の心臓の鼓動を早めた。

「丸裸にしちまえば逃げれねぇだろうと思ってひん剥いてみたが思わぬ収穫だったぜ。
 噂にゃ聞いてたが、あんたホントに組長オヤジの色だったんだな……。でなきゃこんなとこに名前なんか彫らねぇだろ」

 実際には何もない。
 しかし、太ももの内側に刻まれた内藤の名前を見られてしまった今、何を言っても通用しないことは解っていた。
 黙りこくる紀伊田を、積川は、したり顔で見下ろした。

組長オヤジが俺から亜也人を取り上げようとしてることはもうバレてんだ。てめぇも松岡って奴もどうせグルなんだろう? 俺が近くにいないことを良いことに、よってたかって俺から亜也人を遠ざけやがって……」

 攻撃的な、それでいて、恐ろしく醒めた目だ。
 店で暴れ狂っていた時とは違う、今にも噛み付きそうに尖りながらも、その内側に深い絶望を宿しているような、爆発寸前の狂気を静かに研ぎ澄ましているかのような瞳。
 おそらくこれが本来の積川だ。
 積川は、しっかりと覚醒している。
 理解した途端、全身の毛が逆立つような戦慄が紀伊田の背筋を駆け上がった。

「俺をどうする気だ……」

 積川は、紀伊田を見据え、口許だけに歪んだ笑いを浮かべた。

「さて、どうするかな」

 首筋に当てられた針先が皮膚にめり込む。
 痛いほど鳴り狂う自分の心臓の音を聞きながら、紀伊田は堅く目を閉じた。
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