二人の果て

瀬楽英津子

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二人の果て〜二つの想い

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 関係者以外立ち入り禁止の扉を開けると、一足先に出勤していた池亀と出会い頭にぶつかった。

 「あれ、真樹さん、日曜は来ないんじゃなかったんすか? てか、どうしたんすか、その顔!」

  池亀を押し除け、デスクに飛びつきパソコンを立ち上げる。
  顧客管理用のファイルを開き、一覧の中から〝加賀谷祐介〟を選択して個人情報を画面に表示させ、引き出しからペンとメモを取り出して、生年月日と住所を書き写した。
  
  生年月日と名前が解ればたいていのことは解ると菊池が言っていた。問題はその先。頼みの綱の菊地は病に伏している。丸山に頼むのが一番手っ取り早いとは思うものの、交換条件として、兼ねてから承諾を迫られている菊地との養子縁組の話を持ち出してくるのは目に見えていた。
  
   必然的に、真樹は内藤に連絡を取っていた。

 「頼みたいことがある。謝礼は、あんたが欲しがってた土地でどうだ?」

  真樹の申し出に、内藤は、しばらくの沈黙の後、「事態が飲み込めませんが」と落ち着き払った口調で答えた。

 「気が変わったんだ。あれは菊地が俺に残した財産だ。やっぱただでやるわけにはいかない」

 「つまり、取り引きしろと?」

  真樹は、「そうだ」と答えた。

 「どうしても……助けて欲しいヤツがいるんだ。助けてくれたら、金でも土地でも全部あんたにやる。本当だ。嘘じゃない」

  それに対する返事はせず、内藤は、「また連絡します」とだけ言って電話を切った。


  その翌日、内藤の使いだと名乗る男から早速連絡があった。
  土日も営業している関係上、フェイムは月曜定休という形をとっている。今日がその月曜ということも幸いし、真樹は使いの男とフェイムで会うことにした。

  男は真樹を見るなり、「お久しぶりです」と会釈し名刺を差し出した。

  ライフテラス・吉祥 代表 松岡吉祥。

  松岡と名乗る男は、以前、何度か真樹に会ったことがあると言った。
  真樹は当然ながら覚えていなかったが、松岡という名前は菊地がたびたび口にしていたので聞き覚えはあった。
  真樹の記憶が正しければ、腕っ節が強く、人情味が厚い。群れを嫌う一匹狼だが、一本筋の通った信用出来る男、との事だった。

  松岡は、「お元気そうで安心しました」と懐かしそうに真樹を眺めた後、早速本題に入った。

 「単刀直入に申し上げて、この件にはあまり首を突っ込まない方がよろしいかと思います」

 「それはどういう意味です……」

 「加賀谷の実家の鉄工所ですが、真樹さんが心配した通り、二ヶ月前に高価な工作機械を入れてます。コンピュータ制御で、複雑な加工が一度に出来る優れモノです。真樹さんが見た意味不明な記号はおそらくプログラミングに用いる作業コードでしょう。これがあれば銃のコピーパーツの量産は可能です」

 「つまり、黒、というわけですか……」

 「ええ、限りなく。しかし問題はそれだけではありません。加賀谷鉄工の所在地は相模原です。相模原と言えば皆川会系の島村一家のシマです」

 「敵対勢力……?」

 「ええ。ヘタにつつけば抗争に発展しかねません。実際、昨晩偵察に行った時、それらしいのが二、三人うろついてました。それに、島村一家は過去にも一度銃の密造に関わってます。もっともその時は、在日中国勢に圧されてポシャりましたが、その時の密造に加賀谷鉄工が絡んでるとしたら、加賀谷と島村一家はかなり密接な関係にあると言っていい。
  そこへ横ヤリを入れるとなると、それ相応の血が流れることになるでしょう」

  松岡の穏やかだが説得力のある声に真樹は下唇を噛み締めて項垂れた。

 「指を咥えて見てろって言うのか……」

  松岡の言うことは理解出来る。しかし真樹には到底飲み込めなかった。
 『別件で頼まれている仕事がある』
 『すぐには動けないが落ち着いたら』
  祐介はそう言ったが、ヤクザ絡みの仕事がそれほど甘いものでない事は、真樹自身、嫌というほど身に染みている。
  奴らは利用できるものはとことん利用し、しゃぶり尽くす。
  事実、真樹の父親は、たった一度、海上で覚醒剤を自分の舟に積み替え港に運んだだけで、密輸グループの一員にされ、さんざん利用された挙句、家族もろとも極寒の海に沈められた。
  最初は中身も知らされず騙し討ちのような形で運ばされたこと、父親が運ばされていたクスリが実は横流し品で、雇い主のヤクザが自分たちの罪が露見するのを恐れて口封じのために真樹の家族を殺したのだということを、真樹は後になって知った。
  小型漁船で細々と漁を営んでいた田舎の一漁師が、たった一度ヤクザと関わったばっかりに、知らない間に犯罪者にさせられ命を奪われる。
  非道がまかり通るのがヤクザの世界だ。祐介の実家、加賀谷鉄工だとて一度で終わるとは思えない。話に乗ったら最後、利用するだけ利用され、やばくなったら始末される。身を持って経験しているだけに、真樹は黙って見過ごすわけには行かなかった。

 「何か、助ける方法は無いのか……」

  喉が震え、声が掠れた。

 「だってこんなのおかしいだろ。あいつはヤクザと関わるようなヤツじゃない。どうしてあいつがこんな目にあうんだ……」

 「真樹さん……」

 「あいつを助けてくれ。頼むから。大切な人を奪われるのはもうたくさんだ。あいつ……祐介にもしものことがあったら俺は……」

  言いながら、自分自身の言葉に真樹は自分でハッとした。
  
  あいつの為じゃない。これは自分の為だ。

  祐介が自分と同じ恐怖を味わうのかと思うと胸が張り裂けそうになる。
  いつの間にかこんなにも心を奪われてしまっていた自分に驚く。
  祐介の優しい声、大きな手、逞しい胸板、触れ合う唇、祐介の全てが愛おしく、あの感触が自分の前から消えてなくなるのかと思うと気が狂いそうになる。
  悲しさ、寂しさ、心細さ、色々な感情が一気に押し寄せ、真樹は思わず自分の顔を両手で覆った。

 「俺はどうすれば……」

  一度こぼれ始めた涙はもう自力では止めようが無かった。
  手首の内側で両眼を押さえると、ふいに、松岡の大きな手が肩に触れた。

 「しっかりして下さい真樹さん。まだ助ける方法が無いと決まったわけじゃないです。幸い、まだ製造段階には入っていないようですし、向こうさんもさすがに今すぐ加賀谷をどうこうすることは無いでしょう。ただ…」

  ふいに口籠る松岡に不安を感じ、真樹は咄嗟に顔を上げた。

 「ただ、なんですか?」

 「ただ、ブツが完成してしまったらその時は解りません。使えるモノが出来たら、それを作るのは別に加賀谷じゃなくても良い。完璧な設計図とプログラムさえあればその先はどうにでもなるんです。作らせるだけ作らせて出来たらノウハウごとごっそりいただいて自分んとこで回す。ヤクザじゃなくても、大企業なんかがよくやる手です」
 
 「それじゃ本当に使い捨てじゃないか!」
 
  見上げた先で、松岡の闘志を秘めたような瞳が真っ直ぐに真樹を見返していた。

 「だから、そうなる前に何とか手を打たなければ……」

  真樹はゴクリと息を飲んだ。

  作らせるものか。

  身体が燃え立つように熱く、心臓が激しく鼓動した。
  



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




  異変には直ぐに気が付いた。

  まず、靴が無い。

  一人でいることに慣れているせいか、いつもあったものが無くなっている事よりも、いつもは無かったものが突然現れることのほうに身体が反応する。
  ドアを開けて真っ先に真樹の靴を探してしまったのは、出掛けに玄関先で見た、いつもはある筈の無い真樹の靴が祐介に強烈なインパクトを与えていたからだ。
  それが忽然と姿を消していた。
  祐介は、転がるように部屋に上がり辺りを見回した。
  当然、真樹の姿は無い。
  怒らせるようなことをしたつもりは無かったが、驚かせてしまった自覚はあった。
  昨夜、一緒に住もうと真樹に伝えた。
  先日、真樹がアパートに訪ねてきて自分の部屋のベッドで身体を重ねて以来、祐介はずっと真樹のことを考えていた。
  真樹とは週に一度のペースで会っているとは言うものの、会った回数で言えばまだ十回にも満たず、当然ながら、一緒に暮らすにはまだまだ知らないことだらけだった。
  にも関わらず、もう片時も離れていたくないほど惹かれてしまっている。そんな自分に、祐介は、戸惑う反面、感動にも似た胸の高鳴りを覚えていた。
  男にしか欲情しない事をしっかりと自覚している祐介は、逃げ道が無い分、自分の分をわきまえ、ドライな恋愛を選んできた。
  日常の中で自然に人を好きになり、恋人同士になることなど自分には無縁だと思っていた。
  出会いはもっぱら仲間内。同じ目的の者同士、適当に相手を見付けて適当に寝る。相手の全てを知りたいとも思わないし、長く続けようと思ったことも無い。
  それが、真樹に対しては真逆に反応していた。
  それまでの自分が嘘のように、祐介は、真樹の全てを知りたいと思い、真樹を自分だけのものにしたいと思った。
  諦めていたものが手の届くところに舞い降りてきた幸運、この幸せだけれどもどこか絵空事のように感じていた真樹との関係が、真樹を自分の部屋の、自分の匂いの染み付いたベッドの上で抱いたことで、途端に、ありふれた日常の中の現実として祐介の前に降りてきた。
  この現実を再び夢物語にしたくは無かった。
  その焦りが祐介を先へ急がせた。一緒に暮らしたいという気持ちは嘘では無かったが、突然すぎて説得力に欠けていたのかも知れない。何の前触れもなく切り出し、驚かせたのも悪かった。

  真樹に引かれてしまったのだろうか。

  よくない思いが頭をよぎり、祐介は、咄嗟にアパートを飛び出した。
  コンビニの袋が地面に落ちるのも気に止めず、大通りに向かって走りながら、ズボンのポケットからスマホを取り出し慌てて電話を掛けた。
    真樹は、何度めかのコールでようやく応答した。

 「真樹、今、どこにいる?!」

 「タクシーの中」と、虫の羽音のような微かな声で真樹は言った。

 「タクシー? なんで? 俺が変なこと言ったから怒ったのか?」

 「変な、こと?」

 「だからその……俺と……一緒に暮らそう、とか……」

  真樹はしばらく黙り込み、やがて、「ううん……」と小さく否定した。

 「怒ってない……。それは凄く嬉しかった……」

 「ホントに?」

 「本当だ。嬉しくて泣きそうだったよ……。でも……」

 「でも?」

  ふたたびの沈黙の後、もうこのまま何も話さないのかと思うほど間を空けて、真樹は、ようやく絞り出すように言った。

 「祐介……俺に何か隠してないか……?」

 「隠すって何を……?」

  聞き返したが返事は無かった。真樹はただ、何かに怯えるように、泣きだしそうに声を震わせた。
  
 「ごめん。何でもない……。……好きだよ、祐介……」

 「真樹……」

 「何があっても……俺は、祐介が好きだ……」

  吐息を吐くように呟き、真樹は一方的に電話を切った。
  祐介は、スマホを耳に当てたまま、真樹の潤みを含んだ声を頭の中で繰り返していた。
 
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  兄の真一から連絡があったのはベランダから見える空がすっかり茜色に染まった夕暮れ時だった。
  祐介の声を聞くなり、真一は、「今から来れないか?」と唐突に切り出した。
  
  真樹からはあれから何の連絡も無く、祐介からも何度か掛け直したが、結局繋がらないまま夕方になった。
  相模原の実家までは、高速を使えば一時間も掛からない。このまま真樹を思って悶々と過ごすより実家へ行った方が気が紛れると考えた。
  それに、真一から頼まれたものも完成していた。
  期日は来週の日曜だったが、専門学校で機械工学を学んでいた祐介は、当初の予定より早くそれを仕上げた。真一のためと言うよりも、一刻も早く自分の手元から放してこの件から完全に離れたかった。
  パソコンのデータをUSBメモリに落とし、先日真一に借りた参考資料を封筒ごと鞄に入れて、祐介は部屋を出た。

  真一は祐介の持ってきた図面を満足気に眺めながら、祐介の仕事の早さをしきりに感心した。

 「やっぱりちゃんと勉強した奴は違うな」

 「喜ぶのはまだ早いよ。これをプログラミングして実際に動くかどうか確認して、それから実際にパーツ作って、組み立てて……」
  
 「解ってる……」

  マシンの操作盤に向かいプログラムを入力するモードに切り替え、ディスプレイを見ながら入力作業を進める。
  黙々と指を動かしながらも、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じる。

 「本当にこれで良かったんたろうか……」

  拭いきれない思いが言葉となって自然と漏れ出た。入力作業の手を止めると、隣で見ていた真一が、これでいいんだ、とばかり祐介の肩を叩いた。

 「俺だってこれが良い事だとは思わない。でもここを続けていくためには運転資金が必要なんだ」

 「これでその運転資金とやらが出来るのか……」

 「ああ。それに、うちにアレがまだ残ってたって事は、これは親父の遺志でもある。俺だって同じ気持ちだ。お前のその手を絶対に無駄にはしない。お前を傷付けたままでは終わらせないから」

  誰が傷付いたままだって?

  喉元まで出かかった言葉を祐介は無理に飲み込んだ。

  傷付いたままなのは、自分の息子の指が吹き飛ばされるのを間近で見ていた父親と、傷付いた手を呆然と眺める祐介に、「お前は機械を触ってこうなったんだ」と嘘を付くことを強要した兄、真一の良心だろう。
  祐介の中では、あの時のことはもう過去の出来事になっている。
  耳をつんざく音も、激しく突き飛ばされた衝撃も、焼けるような熱さも、火薬の臭いも、祐介にとってはもはや済んでしまった過去の話しだ。
  この、恐ろしく感覚の鈍い醜い右手も今は結構気に入っている。
  なぜなら今は真樹がこの手を愛おしそうに眺めてくれるからだ。

  真樹のためにも、さっさと終わらせて忘れたい。
  この仕事が終わったら、真樹と一緒に部屋を探そう。
  何があっても好きだ、と言ってくれた。真樹の言葉を信じたい。もう離れていたくはない。
  思いを巡らせながら、祐介は再び操作パネルに向かった。

  プログラムの入力を終えると、指示通りに動くかどうかを空運転で確認し、祐介は作業台を離れた。
  真一は早く作りたがっていたが、普段動いていない時間に機械の音がしては近所に怪しまれると説得し、後日出直すことにした。

 こうして全ての作業を終えた時には、時刻は既に午前0時を回っていた。
  真一は、お茶でも飲んで行けと引き止めたが、明日も仕事だからと断りドアを開けた。

  外へ出て、直ぐに違和感を感じて足を止めた。
  敷地内の駐車場に見慣れない車が駐まっている。
  躊躇しながら進むと、助手席のドアが開き、いかにもチンピラといった風貌の男がのっそりと降りてきた。

 「どーも。仕事は順調に進んでますか?」

  男が発注元のヤクザ関係者だということは直ぐに解った。祐介と目が合うと、男は、威嚇するようにわざとゆっくり近付き、口の端に品の無い薄ら笑いを浮かべながら、祐介の鼻先にぬぅっと顔を突き出した。

 「で、いつ頃完成する予定ですか?」

 「まだ解りません……」

 「解らない?」

 「まだテストもしてないし、これから試作を繰り返して微調整していかなきゃならないんです。てか、そもそも一度で完璧なものが出来ると思ってもらっては困りますよ。こっちは何もかも初めてなんだから」

  祐介が答えると、男は瞬時に顔色を変え、その筋らしい凄みのある声で迫った。

 「初めてじゃねーだろ? こちとらそんな余裕は無ぇんだ。おやっさんの描いた通りに作りゃすぐに完成するだろ!」

 「そんな無茶な!」

 「うるせぇ! 口応えするな!」

  チンピラごときに怖気付く祐介では無かったが、真一が関係している以上、迂闊に反抗するわけにはいかなかった。下手に機嫌を損ねて真一にまで害が及ぶのは忍びない。
  祐介は、言葉を濁し、男から離れた。
  自分の車に向かおうと足を踏み出すと、二、三歩進んだところで、ふいに呼び止められた。

 「そう言えば、あんたんとこに出入りしてる綺麗なお兄さん。いくら男とはいえ、あんな色っぽいナリしてたら夜道はさぞかし危険だろうねぇ……」

  瞬間、祐介の心臓がドクンと鳴った。

 「真樹に何かしたのか!」

  殆ど反射的に、祐介は男の胸ぐらを掴んでいた。しかし男は少しも動じず、むしろ、ムキになる祐介を面白がるように笑った。

 「まぁそう早まんなって! あんたがさっさと仕事すりゃ何もしねぇさ。だが、用心するに越したことはねぇよ。俺たちはあんたらが思ってるよりもずっと気が短いんでね……」

  笑いながらも、目の奥に突き刺すような眼光を宿した男の視線に、祐介の背中がゾクリと波立った。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  真樹とはその後も連絡が取れず、祐介は一睡も出来ないまま朝を迎えた。
  仕事に行ける気分ではなかったが、昨夜のチンピラの言葉が頭から離れず、有給休暇をもらって鉄工所の仕事に集中しようと考えた。
  朝一で届けを出し、今日中に許可が下りれば明日からでも作業に取り掛かる。真樹に危害を加えられる前に仕上げることが、今の祐介の最優先課題だった。
  職場に行き、キリの良いところまで仕事を片付け帰途についた。その間も真樹からの連絡は無かった。
  電話も通じない、家も知らない、行きそうなところも解らない。唯一の頼みの綱であるフェイムは運悪く定休日ときている。
  池亀のことは気に入らないが背に腹は変えられない。今夜のうちに連絡がつかなければ、明日、フェイムに行って池亀に聞いてみよう。そう思った矢先だった。
  突然、真樹から折り返しの電話が入り、祐介は慌てて通話ボタンを押した。

 「真樹! 今どこだ! 何してる!」

  真樹は、「部屋の前……」と答えた。

 「部屋って……」

  玄関に駈け出しドアを開けると、部屋を出てすぐ横の地べたに真樹が膝を抱えて蹲っていた。

 「真樹……。どうしてこんなところに……」

  真樹は何も答えず、何かを訴えるような切な気な顔で祐介を見上げた。

 「連絡しなくて悪かった……」

 「気にすんな。それより、こんなとこにいたら無用心だ。早く中へ……」

  腕を掴んで立ち上がらせると、真樹がいきなり胸元に飛び込んできて、祐介は、押し倒されるように玄関先に仰向けにひっくり返った。

 「祐介……」

  抱きつかれた肩越しに真樹の髪が甘く香る。飼い主に甘える猫のように、真樹は、祐介のうなじに顔を埋め、鼻先を擦り付けた。柔らかい髪が頬をなぞり、吐息がうなじを熱く湿らせた。 

 「どうしたんだよ真樹。この前からおかしいぞ」

 「何でもない。お前と早くこうしたかっただけだ……」

  身に付けたサーモンピンクの綿のシャツがやけに冷たくなっている。ひょっとしてずっとここにいたのだろうか。聞こうとするも、真樹に荒々しく唇を塞がれ祐介の言葉は疑問とともに喉の奥に追いやられた。

 「真樹……ちょっと待て。ここ、玄関……」

 「待てない……」

  咀嚼し、飲み込むように舌を絡ませながら、片手をスウェットズボンの中に滑らせ、ペニスを直に握る。
  どんなに乱暴に振る舞おうと真樹の力などたかが知れている。跳ね除けようと思えば簡単に跳ね除けられるのにそうしないのは、自分を見つめる真樹の目が今までにないくらい切なく歪んでいたからだった。

 「祐介は何もしなくていい。俺が全部するから……」

  思い詰めたように呟くと、真樹は、祐介の唇に短く口付け、少し間を置いてからおもむろに上体を起こした。
  祐介の太ももにまたがり、祐介と視線を合わせたまま、身に付けたシャツのボタンを外し、両肩から床へ滑り落とす。
  薄くなだらかな胸と、すっきりと窪んだ腹部。外気に晒され隆起した乳首が、白い胸の両側で色素を増して祐介を誘っている。
  憂いを帯びた表情とはうらはらな官能的な肢体に、祐介の下半身が自然と反応した。

  知ってから知らずか、真樹は、シャツを脱いだ手を自分のズボンに掛けて下着と一緒に引き下ろすと、祐介の足に寝転びながらお尻を浮かせて足首から抜き取り、自分が全裸になってから、祐介のズボンに手を掛けた。

 「真樹!」

  祐介の状態はもう誤魔化しようが無かった。真樹は祐介のスウェットズボンを下着ごと下ろしてペニスを露出させ、芯を持ち始めた陰茎を手のひらに握り込んだ。

 「ちょっ……待て!」

  祐介の股間が目の前にくるように体勢を変え、根元を掴んで顔を近づけ、手からはみ出た先の部分を音を立てて吸い上げる。唇に圧をかけながらカリの部分を上下に激しく舐め扱き、カリ首の回りを舌の先でぐるりと撫で、ウラ筋をくすぐるように舐め上げた。

 「ま……て。んなことしなくていっ……から……」

  口では言うものの、一心不乱にペニスを咥える真樹の恍惚とした表情に欲情しないわけがなかった。理性を保ちたい気持ちとはうらはらに、祐介のペニスは別の生き物のようにドクドクと脈を打ち、みるみる猛々しく反り勃った。
  真樹もまた、祐介の昂りに触発されたように、自分の口の中で跳ね回るペニスを愛おしそうに舌で絡め取り、包み込んで喉の奥に飲み込んで行く。

  おかしくなりそう、とはこういうことを言うのだろう。
  自分ではコントロールできない快楽。真樹の熱く湿った舌がペニスに絡みつき、頬の粘膜と合わさって絶妙にうねりながら喉の奥を行き来する。

 「真樹、ダメ、これ、マジでやばい……」
  
  このままではイッてしまう。

  思った時には遅かった。

  どうしようもなく熱い塊が身体の奥から湧き上がり、祐介は身体を震わせながら果てた。
 咄嗟に身を捩ったので真樹の口の中に出すのは免れたが、予想以上に勢いが良く、真樹の頬を少しかすめた。
  真樹は気にする様子もなく、膝立ちをして祐介の腰の上まで進むと、みぞおちに溜まった祐介の精液を指先ですくい、それを自分の後孔に擦り付けた。

 「真樹、何してんだ……」

  確認するまでもなく、真樹は、自分の後孔を自分でほぐしていた。

 「そんなんじゃ無理だって……やるならベッド行こう……」

 「大丈夫だから……」

  祐介の腰の上に立て膝をついてまたがり、真樹は、胸を張るように背中を反らせ、片手を後ろに回して後孔に指を忍ばせている。
  祐介の位置からは見えないが、見えないだけに、真樹の細長い指がどんなふうに後孔に抜き差しされているのかを想像すると、祐介のペニスは否が応でも堅く反り始めた。


 「本当に大丈夫なのか?」

 「んっ……」

  眉間を顰めて悶える真樹を見ながら、逞しく勃起したペニスを扱き、先端から溢れる蜜を手のひらで伸ばして包み込んだ。
  それが合図のように、真樹が、祐介の股間の真上に立て膝をついて跨ぎ、赤黒く反り立ったペニスを自分の後孔に押し当てる。
  それから、一呼吸おいて、ゆっくりと腰を沈め、楽な場所を探しなから、少しづつ体重をかけ、更に奥深くへと沈み込んだ。

 「あんま無理すんな……」

 「だい……じょ……ぶっ……」

  大丈夫でないことは、いつもより深く刻
まれた眉間のシワからも想像がついた。
  それでも真樹は、大きく息を吐きながら腰を沈め、根元まで入れたところでまた一呼吸おき、祐介のお腹に両手をついて、飲み込んだペニスを肉壁に擦り付けるように腰を前後にグラインドさせた。

 「ま……き、これ……ヤバ……」

  途端に、真樹の熱い粘膜が祐介のペニスに隙間なく貼り付きキュウキュウと締め上げる。持って行かれそうな吸い付きに腰を突き上げて対抗すると、ふいを突かれた真樹が泣き出しそうに唇を曲げて祐介を睨んだ。

 「動くな、バカっ……」
  
  痛みのせいか、それとも興奮か、目の周り一帯がトロンと赤らみ何とも言えず色っぽい。
  抗議する目もか弱く潤み、祐介の中に眠っていた、愛おしいからこそ虐めたい、子供じみた嗜虐心を刺激した。

 「マジでやべえ。止まんねぇ」

  祐介は、主導権を取り戻すかのように腰を揺り動かし、真樹が快楽に喘ぎ始める頃合いを見計らい、真樹の脚を、Mの字型になるよう座り直させ、太ももに両手をついて上体を反らせるよう促した。

 「あっ、やめ……んっ、ん……あはッ……」

  仰け反らせたことでお尻を手前に突き出す格好になり、真樹の後孔に祐介のペニスが出入りする様子が目の前に曝け出される。
  自分の赤黒く反り勃つペニスが、ぬらぬらと光りながら真樹の中を出たり入ったりするのを見るのは卑猥の一言だった。

 「ずげぇ、入ってる。たまんねぇよ、真樹……」

 「やっ……んな、見る……なっ……」

  突き出した胸が、硬く盛り上がった乳首を強調し、むしゃぶりつきたい衝動を起こさせる。
  真樹の身体が祐介の上で跳ねるたび、真樹の、色素沈着の無い綺麗なペニスが股間で激しく躍動し、体感だけでく視覚的にも官能を刺激した。

 「真樹……すげぇイイ……。真樹は? 真樹は気持ちイイ?」

 「んああああっ……そ……ゆこと……聞くなっ……ひッ、ぁああっ、あっ……」

   グイッと、上に擦り上げるように、深く腰を突き上げ、激しく小刻みに揺さぶる。同時に、真樹のペニスを握り込んで激しく扱き上げると、真樹が泣き声に近い悲鳴を上げて激しく身体をしならせた。

 「やっ、だっ……だめだっ、触んな……んっ、んあっ…」

 「もっと気持ち良くしてやる……」

 「やめっ! ああっ、だめだっ、だめっ、出る……なんか出るからっ……やっ……」

 「出して……真樹……」

 「だっ……くそっ……んんんっ、あっ……」

  真樹が果てるのは時間の問題だった。
  眉間を苦悶に歪めながら下唇をギュッと噛みしめ、あああっ、と突き抜けるような声を上げて真樹は果てた。
  と同時に、祐介もまた真樹の中で果てた。
  中に出すつもりは無かったが、真樹の、気をやる瞬間の匂い立つような艶かしさに、堪えていた欲望がストッパーを振り切り溢れ出た。鳥肌が立つような快感に身体の中心がビリビリと痺れる。
  強烈な余韻が全身にへばりつき、果ててからも、祐介はしばらく動けないでいた。
  
  真樹もまた、祐介の上に突っ伏したまま大きく肩で息をしていた。
  放心しているのだろう。目を開いているものの瞳は虚で焦点が合っていない。

  余韻が引くのを待ち、玄関先に脱ぎ散らかした衣服を手繰り寄せ、手に持ったまま、真樹を抱き上げ、ベッドへ運んだ。
  仰向けに寝かせて口付けすると、真樹が、「シャワーが浴びたい」と舌を拒んだ。
  中出しした後の処理が大変なのは祐介も理解している。祐介としては、このまま二回目の行為に突入したいところだったが、中出ししてしまった手前、真樹の気持ちを優先せざるをえなかった。

  真樹は、いつもより長めにシャワーを浴び、下着一枚で濡れ髪をタオルで拭き取りながら戻ってきた。
  祐介がベッドに誘うと、「喉が渇いた」と、キッチンの棚からマグカップを取り出し、水道水を注いでベッドに戻ってきた。

 「水道水飲むなんて珍しいな」

  真樹は、「喉がカラカラなんだ」と答え、「お前も飲むか?」と、マグカップの水を一口、口に含み、身を乗り出して、口移しで祐介に飲ませた。
  祐介が飲み込むのを確認すると、再びマグカップの水を一口含み、顔を近づけて口移しで飲ませる。
  唇の内側が青っぽく見えるのは気のせいだろうか。
  確かめようと思ったが、思った矢先に真樹に唇を塞がれ、祐介は、応えるように唇を合わせた。

 「祐介……好きだ……」

  喘ぐように言いながら、真樹は、荒々しく舌を割り込ませ、祐介の口の中の奥深くをめちゃめちゃに掻き回した。
  上唇を舐め、下唇を唇で挟んで甘噛みし、忙しなく角度を変えながら、何度も何度も唇を貪る。

 「祐介……俺も、一緒に暮らしたい。ずっと一緒にいたい……」

  恍惚の中、真樹の声が子守唄のように響く。  
  心地よい睡魔に襲われ、祐介はとろけるように瞼を閉じた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  どれくらい眠っていたのだろう。
  鳴り止まない着信音に意識を叩かれ、祐介はぼんやり目を開けた。
  サイドテーブルから手探りでスマホを取る。寝ぼけ眼で通話ボタンを押すと、兄、真一の切羽詰った声が響いた。

 「祐介! 頼むから今すぐアレを持ってきてくれ」

 「アレ……?」

 「ああ、アレだ。……なんか、どこかに嗅ぎ付けられたとかで、二、三日中に作れって言われたんだ。……作れなきゃこの話は白紙にするって。機械の借金もあるのに話が白紙になったらいよいよ工場を畳まなきゃならなくなる。だから、早く機械動かして、アレ……親父のアレ、分解して、パーツ確認して、さっさと……」

 「兄貴……」

 「頼むよ祐介。お前だけが頼りなんだ! 早く作らなきゃ、俺は……俺は……」

 「落ち着けよ兄貴!」

  真一のただならぬ様子に、祐介の眠気はいっぺんに覚めた。

  取り敢えず行くから、と伝え、電話を切ったついでにスマホの時計を見る。
  デジタル表示が午前11時を知らせてる。昨夜、真樹が来たのが8時頃だったから十二時間以上寝ていたことになる。
  真樹の姿は当然無く、ベッドサイドのテーブルに置き手紙だけが残されていた。

 『好き』

  たった一言。

  見た瞬間、恥ずかしいような、くすぐったいような嬉しさが込み上げ、祐介は思わず吹き出した。
  シンプルだからこそ胸に迫る。真樹がどんな顔でこのメモを残したのかを想像すると、胸の内側がウズウズする。
  真樹との未来のためにも、一刻も早くこの後ろ暗い事案から離れたかった。
  よし、と、 気合を入れてベッドから起き上がり、真一に頼まれたものを用意するため隠し場所に向かった。
そして、取り出そうと手を伸ばし、祐介は青ざめた。

  無い。

  手を伸ばせばすぐに触れるはずのものが忽然と姿を消している。

  どうして。

  気のせいかと思い、中をくまなく覗き込む。

  しかし何度見ても結果は同じだった。

  どうしてなんだ。

  祐介は完全にパニックになっていた。

  自分以外知らない。誰にも見せていない。誰にも言っていない。

  そもそも、自分以外誰もいない。誰も来ないし、誰も使わない。

  思いを巡らせ、「いや、待て……」とハタと気付く。

  真樹。

  真樹だけがここへ来た。

  自分以外、真樹だけがここに来て、ここを使った。

  でも何故……。

  頭が混乱し、祐介はその場にへたり込んだ。
  壁に貼り付けられた半身鏡に青ざめた自分の顔が写った。
  心なしか口の端が青いような気がする。

  そう言えば真樹の唇も青かった。

  祐介は頭を抱えて背中を丸めた。
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