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登る、登る。
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今僕は、日本最高峰の山「富士山」を登っている。ヘッドライトの光を頼りに、岩場の多い斜面を慎重に登っていく。
あたりを見渡すが、そこにあるのは人間が決して介入できない「闇」。無限に続くかのように思える道に足を着け、進む。
共に登ってきた友人は八合目で音を上げ、僕は孤独と戦いながら道を進む。
どうして登っているのだろう。
疲れるだけなのに。
そんな思いが足枷となり、活力も奪っていく。
後ろを見返し、八合目の山小屋の光を見る。さっきまで自分が居たはずの場所は、もう点のように見えた。
そこで改めて実感する。ここまで来たのだと。そう自分を奮い立たせてはまた足を動かす。
今は標高何メートルだろうか。本八合目の地点で、確か三千四百メートルだったような気がする。
あいつはまだ山小屋にいるのだろうか、山頂についたら電話してやろう。
辛い感情を押し流すように、頭を思考で埋めていく。
富士山は初心者も登りやすい山と言われているけれど、今進んでいるのは、登山に慣れた人が行くようなルート。軍手が恐ろしく役に立っている。
登る、登る。
暗がりの中で目の端に何かを捉え横を見ると、岩ではない何かが照らされた。
『ここは九合目』
九合目を示す看板だ。この調子で行けば間に合う。
ザックから水を取り出し、喉を潤す。
富士山には自動販売機があり飲料水を買えるが、標高が高くなるにつれ、その値段も高くなる。だから、あらかじめ水を買っておく登山者も多い。ザックの重量は増えるが、それを軽くするためにも、水分補給を意識させられる。一石二鳥だろう。
山頂までは、後三十分といったところだろうか。
残った力を足に込め、登る。
脳がやめろと言っているのだろうか、登ることに意味はあるのかと、堂々巡りの疑問が再び生まれた。
登ることだけを考えたくて、頬をつねってみる。
なぜだか痛みは感じなかった。その瞬間、体が思い出す。
寒い。
登山前に調べた情報を思い出す。
富士山は夏でも真冬並みの寒さ。標高も高いし風も強い、夜登山なら尚更。体感温度は氷点下にも達する。
登山服を着ているのでそこまではいかないが、顔など、肌が露出しているところは流石に寒い。
ふと、後ろを振り返るが八合目と思われた点は、霧が深く、もう見えなかった。
しっかり歩こう。
視界が悪い中は危険だ。地面を目で確認し、そこに足を出す。
今、着実に進んでいるのだと、そう思えた。
登る、登る。
世界が色を取り戻すように、視界は明るく、明瞭になっていた。
段々、ガヤガヤという声が大きくなっている。別のルートから来た人たちが大勢いるのだろう。孤独と戦っていたというのは間違いだったかもしれない。
そう思いながら顔を上げた。
山頂。
外国人やおじいちゃん、山ガールから山ボーイまで、一堂に介していた。それぞれが、記念写真を撮ったり、抱き合ったり、上を見上げて座り込んでいる人もいた。
やっと、着いた……!
喜びと感動を心の中で噛みしめる。
思わず一人でガッツポーズをしてしまった。
相変わらず寒く、足も動きそうにないが、それ以上の達成感がある。
とりあえず、近くにあったちょうどいい岩に腰を下ろした。
喜びを分かち合うべく、八合目で突っ伏しているであろう友人に電話をかけようとした。
しかし、スマホを撮ろうとした右手は何故か止まる。疲労感からではない。ただ、眩しい。
顔を上げると、眼の前が一瞬真っ白になり、そのキャンパスが鮮やかに彩られていく。使われている色は青と白、白い絨毯の上に力いっぱいの青色がこれでもかというように広がっている。
それを描くのは人ではない。自然であり、光だ。
まるで、世界は今この瞬間始まったかのように美しかった。
それは、僕が求めていたもの。ここに来た理由。富士登山の計画を立てている時、「これを見たい!」と心を踊らせていたのを思い出す。
富士山山頂から見る、「ご来光」。
多種多様な人達。さっきまでは別々に楽しんでいたのに、今はただ同じものを見て、同じように感激し、眼前に広がる光景に圧倒されている。
その時ばかりは、道中の苦難や苦痛も忘れていた。
いや、違う。その道中があったからこそ、この光景を見られ、感じられる。苦難や苦痛も、『今』を見られる事を誇りに思う、そのためにあったのかもしれない。
登る、登る。
どうやら、さっきまでいた場所は、厳密に言うと山頂ではなかったらしい。
僕はさっきの場所でいくらか放心状態になった後、本当の意味での山頂を目指していた。斜面はもうない。
どれくらいあそこにいたのだろうか。
今は時間の束縛から開放されたい気分だった。
そんなことを思って歩いているうちに、いつの間にか目的の場所に到着していたようだ。
ここが紛れもなく日本で一番高い場所。
標高3776.24メートル。
そんな事実を頭の中で確認し、現実感が無いなと思った。
岩の先端に立ち、少しジャンプをしてみる。
これで、三十センチくらい富士山より高い位置だ。
そんな子供のようなことをしていると、不意に後ろから声がかけられた。
「山頂に着いたなら電話くらいしろよ」
「呆れた」という言葉を漏らす彼の姿に、僕は驚いた。八合目でヘロヘロになっていた彼がここに居るという事が、どこか可笑しかった。
僕はただ彼に笑いかけ、こう言う。
「また登ろう」
登る、登る。
終わり
あたりを見渡すが、そこにあるのは人間が決して介入できない「闇」。無限に続くかのように思える道に足を着け、進む。
共に登ってきた友人は八合目で音を上げ、僕は孤独と戦いながら道を進む。
どうして登っているのだろう。
疲れるだけなのに。
そんな思いが足枷となり、活力も奪っていく。
後ろを見返し、八合目の山小屋の光を見る。さっきまで自分が居たはずの場所は、もう点のように見えた。
そこで改めて実感する。ここまで来たのだと。そう自分を奮い立たせてはまた足を動かす。
今は標高何メートルだろうか。本八合目の地点で、確か三千四百メートルだったような気がする。
あいつはまだ山小屋にいるのだろうか、山頂についたら電話してやろう。
辛い感情を押し流すように、頭を思考で埋めていく。
富士山は初心者も登りやすい山と言われているけれど、今進んでいるのは、登山に慣れた人が行くようなルート。軍手が恐ろしく役に立っている。
登る、登る。
暗がりの中で目の端に何かを捉え横を見ると、岩ではない何かが照らされた。
『ここは九合目』
九合目を示す看板だ。この調子で行けば間に合う。
ザックから水を取り出し、喉を潤す。
富士山には自動販売機があり飲料水を買えるが、標高が高くなるにつれ、その値段も高くなる。だから、あらかじめ水を買っておく登山者も多い。ザックの重量は増えるが、それを軽くするためにも、水分補給を意識させられる。一石二鳥だろう。
山頂までは、後三十分といったところだろうか。
残った力を足に込め、登る。
脳がやめろと言っているのだろうか、登ることに意味はあるのかと、堂々巡りの疑問が再び生まれた。
登ることだけを考えたくて、頬をつねってみる。
なぜだか痛みは感じなかった。その瞬間、体が思い出す。
寒い。
登山前に調べた情報を思い出す。
富士山は夏でも真冬並みの寒さ。標高も高いし風も強い、夜登山なら尚更。体感温度は氷点下にも達する。
登山服を着ているのでそこまではいかないが、顔など、肌が露出しているところは流石に寒い。
ふと、後ろを振り返るが八合目と思われた点は、霧が深く、もう見えなかった。
しっかり歩こう。
視界が悪い中は危険だ。地面を目で確認し、そこに足を出す。
今、着実に進んでいるのだと、そう思えた。
登る、登る。
世界が色を取り戻すように、視界は明るく、明瞭になっていた。
段々、ガヤガヤという声が大きくなっている。別のルートから来た人たちが大勢いるのだろう。孤独と戦っていたというのは間違いだったかもしれない。
そう思いながら顔を上げた。
山頂。
外国人やおじいちゃん、山ガールから山ボーイまで、一堂に介していた。それぞれが、記念写真を撮ったり、抱き合ったり、上を見上げて座り込んでいる人もいた。
やっと、着いた……!
喜びと感動を心の中で噛みしめる。
思わず一人でガッツポーズをしてしまった。
相変わらず寒く、足も動きそうにないが、それ以上の達成感がある。
とりあえず、近くにあったちょうどいい岩に腰を下ろした。
喜びを分かち合うべく、八合目で突っ伏しているであろう友人に電話をかけようとした。
しかし、スマホを撮ろうとした右手は何故か止まる。疲労感からではない。ただ、眩しい。
顔を上げると、眼の前が一瞬真っ白になり、そのキャンパスが鮮やかに彩られていく。使われている色は青と白、白い絨毯の上に力いっぱいの青色がこれでもかというように広がっている。
それを描くのは人ではない。自然であり、光だ。
まるで、世界は今この瞬間始まったかのように美しかった。
それは、僕が求めていたもの。ここに来た理由。富士登山の計画を立てている時、「これを見たい!」と心を踊らせていたのを思い出す。
富士山山頂から見る、「ご来光」。
多種多様な人達。さっきまでは別々に楽しんでいたのに、今はただ同じものを見て、同じように感激し、眼前に広がる光景に圧倒されている。
その時ばかりは、道中の苦難や苦痛も忘れていた。
いや、違う。その道中があったからこそ、この光景を見られ、感じられる。苦難や苦痛も、『今』を見られる事を誇りに思う、そのためにあったのかもしれない。
登る、登る。
どうやら、さっきまでいた場所は、厳密に言うと山頂ではなかったらしい。
僕はさっきの場所でいくらか放心状態になった後、本当の意味での山頂を目指していた。斜面はもうない。
どれくらいあそこにいたのだろうか。
今は時間の束縛から開放されたい気分だった。
そんなことを思って歩いているうちに、いつの間にか目的の場所に到着していたようだ。
ここが紛れもなく日本で一番高い場所。
標高3776.24メートル。
そんな事実を頭の中で確認し、現実感が無いなと思った。
岩の先端に立ち、少しジャンプをしてみる。
これで、三十センチくらい富士山より高い位置だ。
そんな子供のようなことをしていると、不意に後ろから声がかけられた。
「山頂に着いたなら電話くらいしろよ」
「呆れた」という言葉を漏らす彼の姿に、僕は驚いた。八合目でヘロヘロになっていた彼がここに居るという事が、どこか可笑しかった。
僕はただ彼に笑いかけ、こう言う。
「また登ろう」
登る、登る。
終わり
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