1 / 1
登る、登る。
しおりを挟む
今僕は、日本最高峰の山「富士山」を登っている。ヘッドライトの光を頼りに、岩場の多い斜面を慎重に登っていく。
あたりを見渡すが、そこにあるのは人間が決して介入できない「闇」。無限に続くかのように思える道に足を着け、進む。
共に登ってきた友人は八合目で音を上げ、僕は孤独と戦いながら道を進む。
どうして登っているのだろう。
疲れるだけなのに。
そんな思いが足枷となり、活力も奪っていく。
後ろを見返し、八合目の山小屋の光を見る。さっきまで自分が居たはずの場所は、もう点のように見えた。
そこで改めて実感する。ここまで来たのだと。そう自分を奮い立たせてはまた足を動かす。
今は標高何メートルだろうか。本八合目の地点で、確か三千四百メートルだったような気がする。
あいつはまだ山小屋にいるのだろうか、山頂についたら電話してやろう。
辛い感情を押し流すように、頭を思考で埋めていく。
富士山は初心者も登りやすい山と言われているけれど、今進んでいるのは、登山に慣れた人が行くようなルート。軍手が恐ろしく役に立っている。
登る、登る。
暗がりの中で目の端に何かを捉え横を見ると、岩ではない何かが照らされた。
『ここは九合目』
九合目を示す看板だ。この調子で行けば間に合う。
ザックから水を取り出し、喉を潤す。
富士山には自動販売機があり飲料水を買えるが、標高が高くなるにつれ、その値段も高くなる。だから、あらかじめ水を買っておく登山者も多い。ザックの重量は増えるが、それを軽くするためにも、水分補給を意識させられる。一石二鳥だろう。
山頂までは、後三十分といったところだろうか。
残った力を足に込め、登る。
脳がやめろと言っているのだろうか、登ることに意味はあるのかと、堂々巡りの疑問が再び生まれた。
登ることだけを考えたくて、頬をつねってみる。
なぜだか痛みは感じなかった。その瞬間、体が思い出す。
寒い。
登山前に調べた情報を思い出す。
富士山は夏でも真冬並みの寒さ。標高も高いし風も強い、夜登山なら尚更。体感温度は氷点下にも達する。
登山服を着ているのでそこまではいかないが、顔など、肌が露出しているところは流石に寒い。
ふと、後ろを振り返るが八合目と思われた点は、霧が深く、もう見えなかった。
しっかり歩こう。
視界が悪い中は危険だ。地面を目で確認し、そこに足を出す。
今、着実に進んでいるのだと、そう思えた。
登る、登る。
世界が色を取り戻すように、視界は明るく、明瞭になっていた。
段々、ガヤガヤという声が大きくなっている。別のルートから来た人たちが大勢いるのだろう。孤独と戦っていたというのは間違いだったかもしれない。
そう思いながら顔を上げた。
山頂。
外国人やおじいちゃん、山ガールから山ボーイまで、一堂に介していた。それぞれが、記念写真を撮ったり、抱き合ったり、上を見上げて座り込んでいる人もいた。
やっと、着いた……!
喜びと感動を心の中で噛みしめる。
思わず一人でガッツポーズをしてしまった。
相変わらず寒く、足も動きそうにないが、それ以上の達成感がある。
とりあえず、近くにあったちょうどいい岩に腰を下ろした。
喜びを分かち合うべく、八合目で突っ伏しているであろう友人に電話をかけようとした。
しかし、スマホを撮ろうとした右手は何故か止まる。疲労感からではない。ただ、眩しい。
顔を上げると、眼の前が一瞬真っ白になり、そのキャンパスが鮮やかに彩られていく。使われている色は青と白、白い絨毯の上に力いっぱいの青色がこれでもかというように広がっている。
それを描くのは人ではない。自然であり、光だ。
まるで、世界は今この瞬間始まったかのように美しかった。
それは、僕が求めていたもの。ここに来た理由。富士登山の計画を立てている時、「これを見たい!」と心を踊らせていたのを思い出す。
富士山山頂から見る、「ご来光」。
多種多様な人達。さっきまでは別々に楽しんでいたのに、今はただ同じものを見て、同じように感激し、眼前に広がる光景に圧倒されている。
その時ばかりは、道中の苦難や苦痛も忘れていた。
いや、違う。その道中があったからこそ、この光景を見られ、感じられる。苦難や苦痛も、『今』を見られる事を誇りに思う、そのためにあったのかもしれない。
登る、登る。
どうやら、さっきまでいた場所は、厳密に言うと山頂ではなかったらしい。
僕はさっきの場所でいくらか放心状態になった後、本当の意味での山頂を目指していた。斜面はもうない。
どれくらいあそこにいたのだろうか。
今は時間の束縛から開放されたい気分だった。
そんなことを思って歩いているうちに、いつの間にか目的の場所に到着していたようだ。
ここが紛れもなく日本で一番高い場所。
標高3776.24メートル。
そんな事実を頭の中で確認し、現実感が無いなと思った。
岩の先端に立ち、少しジャンプをしてみる。
これで、三十センチくらい富士山より高い位置だ。
そんな子供のようなことをしていると、不意に後ろから声がかけられた。
「山頂に着いたなら電話くらいしろよ」
「呆れた」という言葉を漏らす彼の姿に、僕は驚いた。八合目でヘロヘロになっていた彼がここに居るという事が、どこか可笑しかった。
僕はただ彼に笑いかけ、こう言う。
「また登ろう」
登る、登る。
終わり
あたりを見渡すが、そこにあるのは人間が決して介入できない「闇」。無限に続くかのように思える道に足を着け、進む。
共に登ってきた友人は八合目で音を上げ、僕は孤独と戦いながら道を進む。
どうして登っているのだろう。
疲れるだけなのに。
そんな思いが足枷となり、活力も奪っていく。
後ろを見返し、八合目の山小屋の光を見る。さっきまで自分が居たはずの場所は、もう点のように見えた。
そこで改めて実感する。ここまで来たのだと。そう自分を奮い立たせてはまた足を動かす。
今は標高何メートルだろうか。本八合目の地点で、確か三千四百メートルだったような気がする。
あいつはまだ山小屋にいるのだろうか、山頂についたら電話してやろう。
辛い感情を押し流すように、頭を思考で埋めていく。
富士山は初心者も登りやすい山と言われているけれど、今進んでいるのは、登山に慣れた人が行くようなルート。軍手が恐ろしく役に立っている。
登る、登る。
暗がりの中で目の端に何かを捉え横を見ると、岩ではない何かが照らされた。
『ここは九合目』
九合目を示す看板だ。この調子で行けば間に合う。
ザックから水を取り出し、喉を潤す。
富士山には自動販売機があり飲料水を買えるが、標高が高くなるにつれ、その値段も高くなる。だから、あらかじめ水を買っておく登山者も多い。ザックの重量は増えるが、それを軽くするためにも、水分補給を意識させられる。一石二鳥だろう。
山頂までは、後三十分といったところだろうか。
残った力を足に込め、登る。
脳がやめろと言っているのだろうか、登ることに意味はあるのかと、堂々巡りの疑問が再び生まれた。
登ることだけを考えたくて、頬をつねってみる。
なぜだか痛みは感じなかった。その瞬間、体が思い出す。
寒い。
登山前に調べた情報を思い出す。
富士山は夏でも真冬並みの寒さ。標高も高いし風も強い、夜登山なら尚更。体感温度は氷点下にも達する。
登山服を着ているのでそこまではいかないが、顔など、肌が露出しているところは流石に寒い。
ふと、後ろを振り返るが八合目と思われた点は、霧が深く、もう見えなかった。
しっかり歩こう。
視界が悪い中は危険だ。地面を目で確認し、そこに足を出す。
今、着実に進んでいるのだと、そう思えた。
登る、登る。
世界が色を取り戻すように、視界は明るく、明瞭になっていた。
段々、ガヤガヤという声が大きくなっている。別のルートから来た人たちが大勢いるのだろう。孤独と戦っていたというのは間違いだったかもしれない。
そう思いながら顔を上げた。
山頂。
外国人やおじいちゃん、山ガールから山ボーイまで、一堂に介していた。それぞれが、記念写真を撮ったり、抱き合ったり、上を見上げて座り込んでいる人もいた。
やっと、着いた……!
喜びと感動を心の中で噛みしめる。
思わず一人でガッツポーズをしてしまった。
相変わらず寒く、足も動きそうにないが、それ以上の達成感がある。
とりあえず、近くにあったちょうどいい岩に腰を下ろした。
喜びを分かち合うべく、八合目で突っ伏しているであろう友人に電話をかけようとした。
しかし、スマホを撮ろうとした右手は何故か止まる。疲労感からではない。ただ、眩しい。
顔を上げると、眼の前が一瞬真っ白になり、そのキャンパスが鮮やかに彩られていく。使われている色は青と白、白い絨毯の上に力いっぱいの青色がこれでもかというように広がっている。
それを描くのは人ではない。自然であり、光だ。
まるで、世界は今この瞬間始まったかのように美しかった。
それは、僕が求めていたもの。ここに来た理由。富士登山の計画を立てている時、「これを見たい!」と心を踊らせていたのを思い出す。
富士山山頂から見る、「ご来光」。
多種多様な人達。さっきまでは別々に楽しんでいたのに、今はただ同じものを見て、同じように感激し、眼前に広がる光景に圧倒されている。
その時ばかりは、道中の苦難や苦痛も忘れていた。
いや、違う。その道中があったからこそ、この光景を見られ、感じられる。苦難や苦痛も、『今』を見られる事を誇りに思う、そのためにあったのかもしれない。
登る、登る。
どうやら、さっきまでいた場所は、厳密に言うと山頂ではなかったらしい。
僕はさっきの場所でいくらか放心状態になった後、本当の意味での山頂を目指していた。斜面はもうない。
どれくらいあそこにいたのだろうか。
今は時間の束縛から開放されたい気分だった。
そんなことを思って歩いているうちに、いつの間にか目的の場所に到着していたようだ。
ここが紛れもなく日本で一番高い場所。
標高3776.24メートル。
そんな事実を頭の中で確認し、現実感が無いなと思った。
岩の先端に立ち、少しジャンプをしてみる。
これで、三十センチくらい富士山より高い位置だ。
そんな子供のようなことをしていると、不意に後ろから声がかけられた。
「山頂に着いたなら電話くらいしろよ」
「呆れた」という言葉を漏らす彼の姿に、僕は驚いた。八合目でヘロヘロになっていた彼がここに居るという事が、どこか可笑しかった。
僕はただ彼に笑いかけ、こう言う。
「また登ろう」
登る、登る。
終わり
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】クラスメイトが全員死んだ
夏伐
ライト文芸
夢を追うためにとある学校に入学した俺は卒業後に地獄をみることになる。
入学時の契約は、一部では知的財産強奪権と揶揄されていた。
その時は最善の選択、今はその時選んだことを後悔している。そのせいで夢を一緒に追っていた仲間が俺を残して全員死を選んでしまったから。
※ノベルアップとカクヨムにも投稿してます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

虹色のショーウィンドウ
朝日みらい
ライト文芸
時計屋のゲンじいさんは、時計の修理をして生きてきた。奥さんを失ってから、友達とは話さないし、作ろうとも思わなかった。そんなある日、みっちゃんが来てから、ゲンじいさんは少しずつ変わっていきます。ほのぼのとしたおじいさんと女の子の交流の物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる