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第34話 管理人異世界転生の危機

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「師匠!」

 騒がしく撒き散らされている音の中に、エラの悲鳴のような声が聞こえた。

 おれは管制コントロールを呼んでみたが、返事はなかった。
 こんなときにどこへ行きやがった?
 まあ、ヒロ君のところだろうが――

 外骨格がふらふらと立ち上がった。
 おれの方へやってくる。
 腰が痛むのだろう、歩き方がおかしかった。
 前屈みになって、肩を上下させ、だらりと垂らした腕が揺れる。

 やつはおれの前まで来ると、しばらく何もせずにおれを見下ろしていた。
 それから、全身がマヒしているおれの足首を掴んで、振り回した。
 腰ばかり責められたことにかなり腹を立てているようだ。
 石臼に何度も頭を打ちつけられた。
 痛みは感じないようにしているし、意識も飛んだりはしないが、おれは何も抵抗できなかった。

 真っ赤な血が純白の世界に飛び散った。

 泣いて暴れているエラが見えた。
 彼女をガイドの娘が羽交い絞めにしていた。

 外骨格の中の親父の脳へ直接に暗示を与えようともしてみたが、戦闘用強化外骨格は案の定、精神攻撃に対する防御も完璧だった。
 おれは振り回され、柱や石臼に叩きつけられ、壁へ投げつけられた。

 その間も、老人は続けざまに毒針をおれへ撃ち込んでいた。
 監視室での経験から、おれには毒の効きが悪いと思い込んでいるのだ。

 あまり毒をくらうと、前の基体ボディと同じことになってしまう。
 数日の間に二体も新規購入なんてことになったら、おれは破産だ。
 カンベンしてくれよ。
 しかし、今のおれは指一本動かすことができない。

 可能なのは頭を使うことだけ。
 今までのところ、意識ははっきりしている。
針銃ニードルガンの毒は毒キノコと違って、意識の方には働かないようだ。
 不幸中の幸い――だな。

 おれはソナーを使って、また周囲を「見」た。
 外骨格の位置、老人の位置、ガイドの娘、そして、彼女に取り押さえられているわが弟子が、手脚をバタバタさせて暴れているのまで、一挙に「見」えた。
 おれは石臼の周囲に小麦粉が溜まっているのを見つけると、それに意識を集中した。

 老人は針が尽きたか針銃ニードルガンを下ろし、息子の外骨格へ歩み寄った。
 何か言っていたが周囲の騒音にかき消されて、外骨格の中までは伝わらない。

 突然、強化外骨格の上半身が前と後ろにパカッと割れた。
 大柄な男が中から現れた。
 老人を二十年若くした顔だった。
 その顔は腰の痛みと怒りで真っ赤になっていた。
 レモネード売りの父親の現物だ。

 彼は外骨格から出てくると、老人に食ってかかった。
 何を怒っているのだろう?
 激しい腰痛のせいで誰彼区別なく当たり散らしているのかもしれない。
 老人がポケットから何かを出して息子に見せている。
 それは監視室の机の下に転がり込んだ輪っかリングだった。

 親子は禿げあがった頭をくっつけ合うようにして話していたが、おれはそれがいつまでも続くことを祈っていた。
 おれは石臼が吐き出す粉を相手に奮闘していた。
 もっとも奮闘と言っても、それは身体的フィジカルな意味ではなかったのだが。
 粉はハーフエルフの弟子の専門で、おれとは何の絡みもないはずだったのに、と肚の内でボヤいていた。

 おれの願いは空しく、息子の方は何だか納得したようで、強化外骨格の中へ戻って行った。
 老人は再起動した強化外骨格に輪っかリングを差し出した。
 外骨格の手首のところから細いマニピュレーターが伸びて、輪っかを受け取った。
 そういう小さい物を扱うときには、外骨格の指では太すぎるので、細いマジックハンドを使用するらしい。

 いずれにせよ、そいつはおれの指にはめられるのだ。
 そいつをはめられたら、おれはこの世界とはおさらばだ。
 どこか知らない世界で、魔物を倒したり、魔王になったり、貴族だったり、性別変わっちゃってたり、ハーレム作ったり、婚約破棄されたり、チートだったり、チートじゃなかったり、ギルドに入ったり、修行したり、ループしたり、いろいろとめんどくさいことのオンパレードだ。
 冗談じゃねえぞ、おい。

 外骨格の銀色に輝く手がおれに伸びた。
 無造作に頭を掴んで持ち上げた。
 おれの頭がミシミシと音を立てた。少しひしゃげたろう。
 高く掲げられたおれの身体はミノムシのようにぶらぶらと揺れた。
 透明な樹脂越しにレモネード売りの親父の顔が見えた。
 怒ってはいないが、嬉しそうでもなかった。
 彼の顔はいいかげんウンザリしてきたと言っているようだった。

 おれは必死に意識を粉へ集中していた。
 おれがほしいのは時間だけだ。
 あともう少しでなんとかなる。
 数十秒の猶予さえあればいいのだ。

 外骨格はおれの身体を太い柱の一本まで運んだ。
 そして、おれの身体を柱から突き出ているフックに引っかけた。
 背中から入った鈎の先端が胸から飛び出した。
 あらかたの血は使いつくしてしまったらしく、傷からは何も出てこなかった。
 百舌の速贄みたいになっているおれを見て、エラは泣き叫んでいた。
 感度を上げた聴覚で、エラの声だけ聞き分けることも可能だが、今はそんな余裕はなかった。

 外骨格はおれの左手を持ち上げた。
 輪っかを挟んだマニピュレーターが、おれの左手の薬指に狙いをつけた。
 微妙な操作が難しいのか、輪っかはわずかずつ薬指へ接近してくる。
 しかし、おれは指を一ミリだって動かせなかった。
 輪っかが赤く光り始めた。
 輪の内側にレンズがはまっているみたいに、向こう側が歪んで見えた。
 変な力場が発生しているのだ。
 マニピュレーターはまるでおれを焦らしているかのように、数ミリずつ伸びてくる。
 うなだれたまま動かせないおれの頭。
 そらすことのできない目の下で、外骨格の金属の指に挟まれて動かせないおれの手へと、輪っかは近づいてきた。

 もうダメかもしれない。
 間に合いそうもなかった。
 おれがいなくなったら、この世界はどうなるのだろう?
 科学が発展し、いずれオーナー様を激昂させて、廃棄の憂き目を見るのだろうか?
 どれくらい先の話かな?
 百年じゃないな。二百年から三百年というところか。

 他の世界に飛ばされたら、美味い物が食えなくなるのはしかたないとして――

 せめてエラを母親に会わせてやりてえな、畜生め。
 
 薬指と輪っかの間の空間がもう、枝豆一個挟むこともできないくらい近づいてしまったとき、おれはようやく準備を終えた。
 べつにおれはあきらめていたわけじゃなかった。

 粉の山から、オーブンに入れる前のジンジャーブレッドマンみたいのが、立ち上がった。

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【予告】次回「第35話 焼く前のジンジャーブレッドマンの襲撃」 お楽しみに。

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