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第24話 はじめての魔法修行
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左手に湖を眺めながら平坦な道を西へ、のんびり歩いて行った。
これがアップローン街道である。
この辺りまで来ると対岸が見えるようになっていた。
あっちはもうジランデ領だ。
自分一人なら夜中に水上を歩いて渡るところだ。
それなら関所を通る面倒もない。
しかし、弟子連れではそうもいかないわけだ。
きっと管制は今夜の一泊の理由を聞いてくるだろう。
彼女のことだから、きっとまた怒っているに違いない。
何か彼女が納得できるような理由を、それまでに考えておく必要がある。
いやはや、難問山積なのだ。
「師匠、さっきの件ですけど……」
「耳か? 耳の話か?」
「違います! 修行の話です」
「……ああ、そっちね」
「急にヤル気なくすのやめてください。あたしは今、燃えているんですから。あ、エロい意味じゃないですよ」
「そんなこと言われなくてもわかってる」
「だって、師匠、すぐカン違いするんだもん」
「しねえよ。それより修行したいんだろ? 修行ってのは時間がかかるし、成果もなかなか出ない。つらいことばかり多いものだからな。覚悟しておけよ」
「はい! がんばります! じゃあ、早速、昨日の傭兵の鼻を燃やした魔法、アレを教えてください」
「おまえ、本当に人の話を聞かないよな。おれは今、時間がかかるって言ったろう? そんな簡単にあんな高等呪文が使えるわけないじゃないか」
実際には、アレは「魔法」じゃない。おれの「能力」というのとも違う。アレはつまり、管理人の「権限」だ。
見方を変えれば、それだけのことでしかない、とも言える。
エラに教えようったって教えられないし、彼女に使えるものでもないのだ。
エラにはちゃんとした魔法を教える必要がある。
そうでなければ、母親の住む森には入れてもらえないだろう。
「なら、何か簡単な呪文を教えてくださいよ」
「おまえねえ、そんな簡単に『呪文を覚えたら魔法が使えます』ってわけにはいかないんだよ。それでいいんだったら、そこらじゅう魔法使いだらけになっちまう」
「わかりました。いくら払えばいいんですか? さいわい今、あたしの財布には一二〇〇ギルばかり現金がありましてねえ」
「いや、そういうことではなくてだね――」
「はあ……やっぱりこのカラダですか……」
「カネでもカラダでもない!」
思わず大きな声を出してしまったおれに、おれたちと同じく大水車見物に向かうために集まってきた人たちの目が集まった。
「ちょっと、師匠、大声出さないでくださいよ。恥ずかしいんだから、もう」
「ごめん」
興味深げにこっちをチラチラ見ている人たちに、エラはわざとらしい笑顔を振りまいて言った。
「皆さん、すみません。気になさらないでください。あんちゃんが一人、若い血をたぎらせてるだけですから」
どうしてそういう含みのある言い方をするかなあ。
ほら、みんな、よけいに注目しちゃってるじゃん。
おれは誰とも目が合わないように下を向いて黙々と歩いた。
同時に、おれは頭の中で、仕様書の魔法のところを読み返していた。
魔法に関する部分はかなりの分量になる。
今はそのうちの習得方法についてだけでいいのだが、それでも嫌になる量だ。
まずは入門編。初級の初級。
魔法習得を志したらまず何をすべきなのか?
一般的に「イメージ化」から身につけるのが筋のようだ。
イメージ化とは、現実化したい事象を具体的に思い描くことで、これが鮮明にならないと呪文を唱えたところで何も起きない。
ただ、短時間ではっきりしたイメージを抱けるようになるまでに相当時間がかかる。
仕様書には、早くて三年、まれに十年以上を要する場合もある、とあった。
とにかく、魔法というのは一朝一夕に使えるようになるものではない。
「エラ、必要なのは時間だ」
「カネでもカラダでもなく?」
「そう。地道な訓練とそのための時間だ」
ハーフエルフの娘はため息をついて肩を落とした。
何でここでそこまで落胆する?
「どれくらいかかるんですか? 三日ぐらい?」
おまえは三日ごときの訓練ですでにため息をついていたのか!
「短すぎっ! 最低三年は覚悟しろ」
「さ、三年? 今から三年ていったら、あたしたち、子どもが二人はいることになりますよ」
どうしてそこに子どもが生まれるんだよ?
「大丈夫、そうはならないから。どうだ、がんばれるかい?」
「うーん……、師匠がちゃんと育児に協力してくれるなら、がんばってみますけど――」
「はい、師匠は後半だけ聞きました。エラくん、がんばっていこう!」
そういうのを男の身勝手と言うんだ、とかなんとか――エラはしばらくぶつぶつ言っていた。
「エラ、おまえはどんな魔法を身につけたい?」
「えー、もう師匠とおんなじのでいいですよ」
なんか腹の立つ言い方だな。
「おれは鋳掛屋だから、修復系や燃焼系の魔法しか教えられないよ」
とりあえず予防線を張っておく。
好き勝手を言わせたら、この娘のことだから、海底に沈んだ古代都市から旧支配者を召喚したいとか、わけのわからぬことを言いだすに違いないのだ。
「燃焼系って燃やすヤツですよね? それがいいです。あたし、捏ねる方はカンペキじゃないですか。だから、次は焼く方をできるようになれば、何が来ても怖いもの無しじゃないですか」
何が来てもって、おまえが捏ねて焼いたところへ来るのはパンを求める客だけだと思うぞ。
おまえはいったい何と戦うつもりなんだ?
「そうか。燃焼系か。それなら一番最初は『アマルフ』だな。これは燃焼系基本呪文で、炎を作り出す呪文だ。片手を前に出してごらん。右でも左でもいいよ」
「こうですか?」
ハーフエルフの娘は右手を身体の前へ突き出した。その瞬間に歩き方がぎこちなくなった。
どうやらウチの弟子は一度に一つのことしかできない生き物らしい。
彼女の進路がだんだん右の方へずれていって路傍の草むらに転げ落ちそうになるのを、おれは左腕を掴んで止めた。
「手をつなぎたいならつなぎたいと言えばいいんですよ、デートなんだし」
「違う、デートじゃないから。今、キミは修行を始めようとしているところ。いいかな?」
「はあ、なんとなく」
「じゃあ、手のひらを上に向けて。そこに豆粒くらいの炎があるのを具体的にイメージして――」
「師匠、豆って何豆ですか?」
「べつに何豆でもいいよ」
「でもー、具体的にイメージするんですよね? 何豆かわからないとイメージできませんよ」
「いや、イメージするのは炎だからね。豆じゃないから。豆粒って言ったのは、それくらいの大きさって意味だからさ」
「あー、そういうことですか。それなら、何豆するか、あたしが決めてもいいですか?」
「いいよ」
「じゃあ、大豆にします」
「はい、大豆ね。じゃあ、大豆の大きさの――」
「豆モヤシが好きなんです」
「はい?」
「あたし、豆モヤシをごま油で和えたのが好きなんですよ。だから、その大きさをイメージするってことでいいですか?」
手のひらに豆モヤシの大きさの炎をイメージ?
ま、いいか。
「じゃあね、エラのその手のひらの上に豆もやしの大きさの火をね――」
「はい、師匠、質問です。豆モヤシのモヤシの部分はどうすればいいですか?」
「モヤシの部分? うん、そこは入れなくていいんじゃないかな。うん、なくてもいいと思うよ」
「えー、モヤシのところがなかったら、豆モヤシはただの豆になっちゃいますよ」
「うん、大事なのは豆の方だから。ただの豆でいいんだよ」
「ただの豆をごま油で和えてもなあ。やっぱりアレはシャキシャキとした歯ざわりを楽しむものでしょ?」
「いや、食べる話じゃないから。それに豆モヤシをごま油で和えたのって、どう考えてもこの世界設定に合わないから。大きさだけわかればいいの、オーケー?」
「あ、大きさだけわかればいい? そうでした、そうでした。豆モヤシやめます」
「うん、そうしてくれる? これ、魔法の修行だからね、歯ざわりとかね、そこはこだわるところじゃないから」
「はい、豆モヤシはやめて、枝豆にします」
「うーん……エラくん、エラ・ルーツ・ノルデンショルトくん、キミは師匠の話をまったく何も聞いてないようだ。豆モヤシの次は枝豆? キミはどこにいるんだ? ここはどこだ? 居酒屋か? 『すぐにお出しできるおつまみ』を聞いてるんじゃないんだよ!」
「エー、枝豆ダメですかあ? あたし、枝豆好きなのにー」
枝豆好きのハーフエルフって何だよ?
そんな設定が許されるのかよ?
と、一応、おれは仕様書を確認してみた。
驚いたことに、豆モヤシのナムルも、枝豆の塩茹でもこの世界に存在する料理だった。
あの酔っ払いオーナー様のたっての希望だったんだろう。
おれは裏設定に「冷奴」があるのまで見つけた。
オーナー様は、この世界を「ビアガーデン」か何かとカン違いしているようだ。
「いいよ、枝豆でもいい。好きにしていい。いいかい、手のひらの上に枝豆の大きさの炎をね、イメージして、それから――」
「待って、待って、師匠、待って! 早いです。ちょっと待って!」
「はい? そんなに急いではいないと思うんだけど……」
「ちょっと待ってくださいよ。あたし、まだ、枝豆をサヤから出している最中なんですから――」
「サヤから出す? そこからイメージしてるのか? そこは飛ばせよ。もう豆だけにしたところから始めろよ!」
「何言ってんですか! 枝豆というのは、あのサヤからプチッて出すのも含めての枝豆じゃないですか! あの作業を抜きにしたら美味しさ半減ですよ」
「食うな―! だから、食うな―! 豆は大きさのため! 食べるためじゃないよ!」
「あ、そうでした。すみません。枝豆食べません。わかりましたから。そんなに怒らないでください。もう枝豆は食べませんから。はいはい、もう二度と食べません。絶対食べません。死ぬまで食べません」
エラは拗ねて頬を膨らませた。
おれは気にせず話を進めることにした。
こんなのいちいち相手をしていたら、三年ですむ修行が六年になり九年になってしまう。
「豆粒の大きさの炎をイメージするんだ。はっきりとイメージ化するんだぞ。このイメージした現象を呪文が現実化させるんだ。これができるまでで、だいたい三年かかる。いいかな? だから、これから毎日、時間があればこの訓練をくり返すんだ」
「はあ……イメージ化に三年ですか……毎日これをねえ……えっと、この魔法の呪文は何でしたっけ?」
「アマルフ、だな」
「アマルフですね……、ほい、『アマルフ』! ……あ、師匠、できました」
「何言ってんだよ。三年かかるって言ったばかりだろ。初心者だからって、いいかげんなことを言っちゃいけな――おお、おおおっ!」
エラがひろげた手のひらの上に、枝豆一粒ほどの小さな炎が揺らめきながら浮かんでいた。
「これ、できたってことでいいですよね?」
エラ自身も、目を丸くして自分の手のひらを見つめていた。
おれは仕様書の魔法入門編のところをもう一度見てみた。
イメージ化の習得までに早くて三年、まれに十年以上を要する場合もある、と確かに書いてある。
よく見ると、その後ろに小さな文字で但し書があった。
〈ただし、エルフ、リッチ等の魔法属性を有する種族の血をひく者はこの限りにあらず。〉
これ、さっきも書いてあったかあ?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【予告】次回「第25話 大水車の前で」 お楽しみに。
感想をいただけるとうれしいです。
これがアップローン街道である。
この辺りまで来ると対岸が見えるようになっていた。
あっちはもうジランデ領だ。
自分一人なら夜中に水上を歩いて渡るところだ。
それなら関所を通る面倒もない。
しかし、弟子連れではそうもいかないわけだ。
きっと管制は今夜の一泊の理由を聞いてくるだろう。
彼女のことだから、きっとまた怒っているに違いない。
何か彼女が納得できるような理由を、それまでに考えておく必要がある。
いやはや、難問山積なのだ。
「師匠、さっきの件ですけど……」
「耳か? 耳の話か?」
「違います! 修行の話です」
「……ああ、そっちね」
「急にヤル気なくすのやめてください。あたしは今、燃えているんですから。あ、エロい意味じゃないですよ」
「そんなこと言われなくてもわかってる」
「だって、師匠、すぐカン違いするんだもん」
「しねえよ。それより修行したいんだろ? 修行ってのは時間がかかるし、成果もなかなか出ない。つらいことばかり多いものだからな。覚悟しておけよ」
「はい! がんばります! じゃあ、早速、昨日の傭兵の鼻を燃やした魔法、アレを教えてください」
「おまえ、本当に人の話を聞かないよな。おれは今、時間がかかるって言ったろう? そんな簡単にあんな高等呪文が使えるわけないじゃないか」
実際には、アレは「魔法」じゃない。おれの「能力」というのとも違う。アレはつまり、管理人の「権限」だ。
見方を変えれば、それだけのことでしかない、とも言える。
エラに教えようったって教えられないし、彼女に使えるものでもないのだ。
エラにはちゃんとした魔法を教える必要がある。
そうでなければ、母親の住む森には入れてもらえないだろう。
「なら、何か簡単な呪文を教えてくださいよ」
「おまえねえ、そんな簡単に『呪文を覚えたら魔法が使えます』ってわけにはいかないんだよ。それでいいんだったら、そこらじゅう魔法使いだらけになっちまう」
「わかりました。いくら払えばいいんですか? さいわい今、あたしの財布には一二〇〇ギルばかり現金がありましてねえ」
「いや、そういうことではなくてだね――」
「はあ……やっぱりこのカラダですか……」
「カネでもカラダでもない!」
思わず大きな声を出してしまったおれに、おれたちと同じく大水車見物に向かうために集まってきた人たちの目が集まった。
「ちょっと、師匠、大声出さないでくださいよ。恥ずかしいんだから、もう」
「ごめん」
興味深げにこっちをチラチラ見ている人たちに、エラはわざとらしい笑顔を振りまいて言った。
「皆さん、すみません。気になさらないでください。あんちゃんが一人、若い血をたぎらせてるだけですから」
どうしてそういう含みのある言い方をするかなあ。
ほら、みんな、よけいに注目しちゃってるじゃん。
おれは誰とも目が合わないように下を向いて黙々と歩いた。
同時に、おれは頭の中で、仕様書の魔法のところを読み返していた。
魔法に関する部分はかなりの分量になる。
今はそのうちの習得方法についてだけでいいのだが、それでも嫌になる量だ。
まずは入門編。初級の初級。
魔法習得を志したらまず何をすべきなのか?
一般的に「イメージ化」から身につけるのが筋のようだ。
イメージ化とは、現実化したい事象を具体的に思い描くことで、これが鮮明にならないと呪文を唱えたところで何も起きない。
ただ、短時間ではっきりしたイメージを抱けるようになるまでに相当時間がかかる。
仕様書には、早くて三年、まれに十年以上を要する場合もある、とあった。
とにかく、魔法というのは一朝一夕に使えるようになるものではない。
「エラ、必要なのは時間だ」
「カネでもカラダでもなく?」
「そう。地道な訓練とそのための時間だ」
ハーフエルフの娘はため息をついて肩を落とした。
何でここでそこまで落胆する?
「どれくらいかかるんですか? 三日ぐらい?」
おまえは三日ごときの訓練ですでにため息をついていたのか!
「短すぎっ! 最低三年は覚悟しろ」
「さ、三年? 今から三年ていったら、あたしたち、子どもが二人はいることになりますよ」
どうしてそこに子どもが生まれるんだよ?
「大丈夫、そうはならないから。どうだ、がんばれるかい?」
「うーん……、師匠がちゃんと育児に協力してくれるなら、がんばってみますけど――」
「はい、師匠は後半だけ聞きました。エラくん、がんばっていこう!」
そういうのを男の身勝手と言うんだ、とかなんとか――エラはしばらくぶつぶつ言っていた。
「エラ、おまえはどんな魔法を身につけたい?」
「えー、もう師匠とおんなじのでいいですよ」
なんか腹の立つ言い方だな。
「おれは鋳掛屋だから、修復系や燃焼系の魔法しか教えられないよ」
とりあえず予防線を張っておく。
好き勝手を言わせたら、この娘のことだから、海底に沈んだ古代都市から旧支配者を召喚したいとか、わけのわからぬことを言いだすに違いないのだ。
「燃焼系って燃やすヤツですよね? それがいいです。あたし、捏ねる方はカンペキじゃないですか。だから、次は焼く方をできるようになれば、何が来ても怖いもの無しじゃないですか」
何が来てもって、おまえが捏ねて焼いたところへ来るのはパンを求める客だけだと思うぞ。
おまえはいったい何と戦うつもりなんだ?
「そうか。燃焼系か。それなら一番最初は『アマルフ』だな。これは燃焼系基本呪文で、炎を作り出す呪文だ。片手を前に出してごらん。右でも左でもいいよ」
「こうですか?」
ハーフエルフの娘は右手を身体の前へ突き出した。その瞬間に歩き方がぎこちなくなった。
どうやらウチの弟子は一度に一つのことしかできない生き物らしい。
彼女の進路がだんだん右の方へずれていって路傍の草むらに転げ落ちそうになるのを、おれは左腕を掴んで止めた。
「手をつなぎたいならつなぎたいと言えばいいんですよ、デートなんだし」
「違う、デートじゃないから。今、キミは修行を始めようとしているところ。いいかな?」
「はあ、なんとなく」
「じゃあ、手のひらを上に向けて。そこに豆粒くらいの炎があるのを具体的にイメージして――」
「師匠、豆って何豆ですか?」
「べつに何豆でもいいよ」
「でもー、具体的にイメージするんですよね? 何豆かわからないとイメージできませんよ」
「いや、イメージするのは炎だからね。豆じゃないから。豆粒って言ったのは、それくらいの大きさって意味だからさ」
「あー、そういうことですか。それなら、何豆するか、あたしが決めてもいいですか?」
「いいよ」
「じゃあ、大豆にします」
「はい、大豆ね。じゃあ、大豆の大きさの――」
「豆モヤシが好きなんです」
「はい?」
「あたし、豆モヤシをごま油で和えたのが好きなんですよ。だから、その大きさをイメージするってことでいいですか?」
手のひらに豆モヤシの大きさの炎をイメージ?
ま、いいか。
「じゃあね、エラのその手のひらの上に豆もやしの大きさの火をね――」
「はい、師匠、質問です。豆モヤシのモヤシの部分はどうすればいいですか?」
「モヤシの部分? うん、そこは入れなくていいんじゃないかな。うん、なくてもいいと思うよ」
「えー、モヤシのところがなかったら、豆モヤシはただの豆になっちゃいますよ」
「うん、大事なのは豆の方だから。ただの豆でいいんだよ」
「ただの豆をごま油で和えてもなあ。やっぱりアレはシャキシャキとした歯ざわりを楽しむものでしょ?」
「いや、食べる話じゃないから。それに豆モヤシをごま油で和えたのって、どう考えてもこの世界設定に合わないから。大きさだけわかればいいの、オーケー?」
「あ、大きさだけわかればいい? そうでした、そうでした。豆モヤシやめます」
「うん、そうしてくれる? これ、魔法の修行だからね、歯ざわりとかね、そこはこだわるところじゃないから」
「はい、豆モヤシはやめて、枝豆にします」
「うーん……エラくん、エラ・ルーツ・ノルデンショルトくん、キミは師匠の話をまったく何も聞いてないようだ。豆モヤシの次は枝豆? キミはどこにいるんだ? ここはどこだ? 居酒屋か? 『すぐにお出しできるおつまみ』を聞いてるんじゃないんだよ!」
「エー、枝豆ダメですかあ? あたし、枝豆好きなのにー」
枝豆好きのハーフエルフって何だよ?
そんな設定が許されるのかよ?
と、一応、おれは仕様書を確認してみた。
驚いたことに、豆モヤシのナムルも、枝豆の塩茹でもこの世界に存在する料理だった。
あの酔っ払いオーナー様のたっての希望だったんだろう。
おれは裏設定に「冷奴」があるのまで見つけた。
オーナー様は、この世界を「ビアガーデン」か何かとカン違いしているようだ。
「いいよ、枝豆でもいい。好きにしていい。いいかい、手のひらの上に枝豆の大きさの炎をね、イメージして、それから――」
「待って、待って、師匠、待って! 早いです。ちょっと待って!」
「はい? そんなに急いではいないと思うんだけど……」
「ちょっと待ってくださいよ。あたし、まだ、枝豆をサヤから出している最中なんですから――」
「サヤから出す? そこからイメージしてるのか? そこは飛ばせよ。もう豆だけにしたところから始めろよ!」
「何言ってんですか! 枝豆というのは、あのサヤからプチッて出すのも含めての枝豆じゃないですか! あの作業を抜きにしたら美味しさ半減ですよ」
「食うな―! だから、食うな―! 豆は大きさのため! 食べるためじゃないよ!」
「あ、そうでした。すみません。枝豆食べません。わかりましたから。そんなに怒らないでください。もう枝豆は食べませんから。はいはい、もう二度と食べません。絶対食べません。死ぬまで食べません」
エラは拗ねて頬を膨らませた。
おれは気にせず話を進めることにした。
こんなのいちいち相手をしていたら、三年ですむ修行が六年になり九年になってしまう。
「豆粒の大きさの炎をイメージするんだ。はっきりとイメージ化するんだぞ。このイメージした現象を呪文が現実化させるんだ。これができるまでで、だいたい三年かかる。いいかな? だから、これから毎日、時間があればこの訓練をくり返すんだ」
「はあ……イメージ化に三年ですか……毎日これをねえ……えっと、この魔法の呪文は何でしたっけ?」
「アマルフ、だな」
「アマルフですね……、ほい、『アマルフ』! ……あ、師匠、できました」
「何言ってんだよ。三年かかるって言ったばかりだろ。初心者だからって、いいかげんなことを言っちゃいけな――おお、おおおっ!」
エラがひろげた手のひらの上に、枝豆一粒ほどの小さな炎が揺らめきながら浮かんでいた。
「これ、できたってことでいいですよね?」
エラ自身も、目を丸くして自分の手のひらを見つめていた。
おれは仕様書の魔法入門編のところをもう一度見てみた。
イメージ化の習得までに早くて三年、まれに十年以上を要する場合もある、と確かに書いてある。
よく見ると、その後ろに小さな文字で但し書があった。
〈ただし、エルフ、リッチ等の魔法属性を有する種族の血をひく者はこの限りにあらず。〉
これ、さっきも書いてあったかあ?
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【予告】次回「第25話 大水車の前で」 お楽しみに。
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