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第13話 天使って呼んでもいいよ

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 おれは腹が減っているのを思い出した。厨房へ行って何か食べられるものを探すとしよう。
 こっちが腹を満たしている間に、修道女たちが地下室から出てきてくれればありがたい。

 おれは階段を登り、食堂へ戻った。
 エラは床に転がったままだった。怯えた表情だったが、目だけ動かしておれに気づくと、その頬の緊張が緩んだようだった。

「修道院長も一時的なものだって言っていたから、そのうちしびれは取れるだろう。心配はいらない」

 エラは必死に右手を上げようとした。おれに手招きしたいらしい。どうせまたくだらないことしか言わないんだろうと思ったが、彼女のところへ行ってその身体を抱き上げるとテーブルの上へ移した。

「師匠……人が動けないと思って……変なことをするつもりですね?」
「するか、バカ」

 まあ、エラは大丈夫だろう。時間さえ経てば元に戻る。彼女が動けるようになったら、ここを出ていくことにしよう。ただ、だいぶ時間をロスしてしまう。管制コントロールが怒るのは何とかしのぐとしても、「八月軒」が放った追手はきっと近くにいるはずだ。これから国境まで、かなり警戒して動かなければならない。

 おれは食堂を出て隣の厨房へ行った。エラに見られていないのを確かめてから、光の球を天井のそばに浮かべた。これで暗かった厨房の中は、隅々まで明るくなった。

 ベーコンが吊るしてあるのを見つけた。ナイフで厚く切ってフライパンで焼いた。香ばしい良い匂いが漂い出す。食堂へまで流れて行ったのだろう。エラが唸り声をあげる。あいつ、このうえまだ何か食いたいのか。

 玉子も一緒に焼きたかったが、見つけられなかった。代わりに干乾びかけたライ麦パンを見つけた。おれはベーコンからフライパンへ滲み出た脂をパンに吸わせながら焼いた。どちらもこんがり焼けたところでかまどから下ろし、そのままフライパンから食べた。

 エラの特殊能力〈生ける調味料リヴィングシーズニング〉の助けがなくても、ぞくぞくするほど美味かった。

 鍋にはまだシチューが残っていた。こっちはエラも食べている。つまり、これを食べれば彼女の力によって増幅された美味を味わうことができるのだ。全身がマヒすることを割り引いてもまだ、かなり迷わされる誘惑だった。

――ねえ、何であんた、まだそんなところにいるわけ?

 管制コントロールの不機嫌な声が急に聞こえて、おれは一瞬心臓が止まりそうになった。
 心臓なんかないけどな。

――しかも、そこって、女子修道院よねえ。どうしてそんなところにいるのよ?
「いやあ、あの石板がここのだったんだよ。それを届けに来たら、礼を言われて引き留められちゃってさ」

――へえ、それで修道女たちが命乞いのお祈りをしているんだ。どういうことか、ぜんぜん、わかんないんだけど。
「へ?」

――へ? じゃないわよ。いったい何してんのよ? わかってる? 聖職者が神に祈ってるんですからね。つまり、オーナーへの直接請求ですよ。オーナー様からは至急の対応依頼がこちらに回ってきています。
「早いなあ。どんな内容だよ?」

――修道院が暴漢に襲われて、修道女たちが生命の危機だって。早く何とかしてくれないと、お祈りがうるさくって眠れないって、オーナー様はすでに半分怒ってます。
「えー、もう怒ってんの?」

――あんた、三百年も管理人をやってりゃわかるでしょ? あんたのとこのオーナー様は短気なのよ。ただでさえ、その世界はあまり面白くないって、オーナー受けが良くないんだからさ。気をつけてほしいのよ。
「わかった。気をつける」

――もう遅いの。こっちじゃ現地の管理人に至急対応させますって、マニュアル通りの返事をしたわけ。それで、あんたは今どこにいるのかと確かめたら、何とビックリもう現場に到着してるじゃない。あら、結構やるやつじゃん、と思ったら、何とまあ、修道女たちのお祈りが始まるずいぶん前から、そこにいらっしゃるじゃありませんか。
「そんな前でもないんだけど――」

――他に暴漢らしきやつもいないみたいだしさ。どう考えても、こりゃあんたが暴漢じゃない。どういうこと? オーナー様にばれたら、クレームどころじゃすまないわよ。
「わかった! お祈りをやめさせればいいんだよな?」

――そうだけど……皆殺しとか全員発狂とか、あとで問題になりそうな方法は避けてちょうだいよ。
「そこは上手くやるよ。信用してくれ」

 おれはベーコンの残りを頭陀袋に突っ込んだ。ワインの樽もあったので、栓をひねって流れ出た赤ワインを口で受けた。甘味は少なくすっきりしていた。渋味も強くない。クセのない飲みやすい味だった。酒を入れる皮袋はすぐに見つかった。パンパンに膨らまして、それは肩から下げた。

 食堂に戻るとエラがテーブルの上に起き上がっていた。おれを見ると、なぜなのか恥ずかしそうに笑った。

「ベーコン食べたでしょ?」
「明日食わせてやるよ」

「もしここを出られたらですよね?」
「まあ、大丈夫だろう。それよりおまえの方はどうなんだ? 起き上がって平気なのか?」

 彼女はヒョイとテーブルを飛び降りて、おれの方へ歩いてきた。少しふらついていた。

「眠って起きれば出発できると思います」

 そう言ったそばから、エラはあしをもつれさせて転びそうになった。おれはあわててその身体を支えた。

「えへへ、やっぱり師匠はやさしいです」

 おれはエラを椅子に座らせた。そして、また地下へ戻った。

 光の球を頭の上に浮かべて階段を降りる。真昼のような明るさにネズミたちが逃げて行った。

 修道女たちは依然として、地下室に立て籠もったままだった。扉の中からはもう泣き声は聞かれなかった。彼女たちは声を揃えて祈祷していていた。
 そうやって彼女たちが真剣に祈っているせいで、うちのオーナー様は眠ることができずご立腹なのだ。
 理不尽な話だ。

 おれは扉をノックした。
 扉の中では、悲鳴があがり、祈祷が途絶えた。

「怯んではなりません。皆さん、神に祈りましょう。神様はきっと私たちの祈りを聞き届けてくださいます」
 院長の声が聞こえた。

 院長の言う通りだよ。
 オーナー様は聞き届けてくださった。
 うるさいから早く何とかしろって、うちへお怒りの連絡があったんだからな。
 おかげでおれは最悪クビかもしれない。
 理由はともかく、君たちにとって、結果的には同じことだろう?

 おれはまたノックした。
「すみませーん。話を聞いてもらいたいんですがー」

 祈祷はやまなかった。

 おれは扉を平手でバンバン叩いた。そして、
「うるせえんだよ! 少し黙ってろ!」
 と中にいる修道女一人ひとりの頭の中へ直接話しかけた。

 祈祷がやんだ。

「あなたはいったい?」
 中から院長が問いかけてきた。

「この扉を開けなさい」
 おれは普通に話しかけた。

「あなたは何者です?」
「この扉を開けたら答えましょう」

 まあ、こんなこと言われて開けるやつはいないだろうと思ったが、やはり扉は動かなかった。

 おれは光源の位置を調整して、頭の後ろに浮かべるようにした。
 足元にスモークを焚いて、モヤモヤ~とさせる。
 そして、なんともかぐわしい香りを辺りに漂わせた。

「開けないのなら開けるまでです」

 扉の開け方はいくらでもあるが、吹き飛ばすなんて乱暴なのはいけない。
 今回はおとなしいやり方が求められる。

 おれは扉を透視した。太いカンヌキがかかっていた。
 こいつを、スーッと横へ引き抜く。
 ふとあることに気がついていったんストップ。
 地下室は真っ暗なので、このままじゃ中の人間には見えない。
 そこで、カンヌキを光らせてみることにした。
 再度引き抜きスタート。

 きゃあ、と声がした。
 修道女たち、今は目を丸くしてみているところだろう。
 目の前でカンヌキが光りながら、勝手に動いて抜けてしまうのだから。

 おれはカンヌキを最後まで抜いて、床に落とした。
 カランッと大きな音が響いた。

 おれは扉に手の届かない位置まで下がってから、手を触れずに扉を開けた。
 扉が開き切る直前にハープの音をひびかせた。

   ♪チャラチャラチャラ~ン

 まっ暗い地下室の中に、修道女たちの怯え驚く顔が浮かび上がった。
 おれが眩しいのだろう、どの女も目を細めている。

 彼女たちには、おれがこう見えたはずだ。

 ハープの音とともに扉が開き、その向こうには、足元に雲がたなびき後光のさす人影。どこからともなく清々しい香りがして――

 完璧な演出である。これ以上神々しい登場のしかたは、この状況じゃちょっとムリだろう。

「あなたはいったい?」
 目の上へ手をかざしている院長のために、少し光を暗くして、おれの顔がはっきり見えるようにしてやった。

「わたしは神の使いです」とおれは言った。

 あながち間違いじゃない。
 おれは、この世界のオーナーが契約した会社に雇われている管理人だ。
 短く言えば「オーナー様の管理人」。
 現地住民たちの言い方に直せば「神様の使い」。

 わたしは神だ、と言ったなら、オーナーを詐称したとして大問題になる。
 おれのクビがとぶくらいじゃすまされない。
 まずおれは損害賠償で破産。
 直属の上司は降格されて、どこかに飛ばされるだろう。
 上司の上司も出世はあきらめなければならない。

 でも、「神の使い」ならぜんぜんオッケー。
 管理マニュアルにも、どうしても管理人であることを現地住民に伝えなければならない場合には、この言い方を使うよう推奨されている。

「あ、あなた様は、て、天使様?」
 院長は動転していた。

 天使と聞いて、修道女たちはひれ伏した。

 天使――まあ、そういう言い方もあるかな。

「あなた方は誤解していたようです」

「申し訳ございません。てっきり下品で乱暴な鋳掛屋だとばかり」
「この鋳掛屋ヨーゼフ・キーファーの身体を借りて、この地に降臨したのです」
「ははあー」院長は床に額をこすりつけた。

「ちなみに鋳掛屋ヨーゼフは信仰心篤い善男子です。下品でも、乱暴者でも、ましてやエロくもありません」
「ははあー」

「わたしの使命は、このキャンペ女子修道院の聖なる宝『歌う石板』を返すことでした」
「ははあー、ありがとうございます」

「ふむ、院長。本当にありがたいと思っていますか?」
「もちろんでございます。ただ――」

「ただ、何でしょう?」
「ご存知の通り、あの石板は夜になりますと聞くに堪えない歌を歌うのでございます。歌のせいで修道女たちの信心が惑わされることも――」
「だまらっしゃい!」
「ははあー」

「♪×××× ××××~ ♪×××× ×××~ ♪×××× ××××~ ♪×××× ×××~」

 今も石板の歌は階上から聞こえてきていた。
 絶好調というべきなのか。もはや歌詞の一言一句、すべてがエロい。
 ヒワイすぎて何が何だかわからない。

「あれは神があなた方に与えたもうた試練なのです。あのようなものでぐらつく信仰心など真の信仰心とは言えません!」
「はい、その通りでございますぅ」
 院長はおでこを床にこすりつけた。そこですりおろそうとしているみたいにゴシゴシやっていた。

「それよりもです。あなた方はおのれの罪を反省しなければいけません」
「罪と言いますと――」

「罪とは、あの石板をオーガの住む森に捨ててきたことのほかにありますか?」
「ええっ、それは――」
 院長は驚いて顔を上げた。おでこに血がにじんでいた。

 おれは、最初に出てきた修道女が石板が戻ってきたと知ったときの表情を見たときから、わかっていた。

 修道院なんて貧乏の極みみたいなところへ泥棒が入るはずがない。
 ましてや、「歌う石板」なんか盗んでどうする?
 近くじゃここの物だとわかっているから売り払うこともできないし、わざわざ遠方まで持っていくほどの価値はなさそうだ。
 オーガが修道女を食いに来ることはあっても、石板を盗みにくることなんてあるはずがない。

 となれば、答えはひとつ。
 修道女自身がオーガの森へ捨てに行ったのだ。
 オーガはそれを見つけて、珍しい物だから巣へ持ち帰っただけ。
 人食いオーガの物になってしまえば、ここへ戻ってくることはないと考えたのだろう。
 
 修道院では聖遺物が盗まれたと言い張る。
 石板の秘密は知られていないから、誰も疑う者がいない。
 
 きっと、この修道院では過去に何度も石板を捨てているのだ。
 湖に捨てたり、領民の年貢の代わりだと言って持って行かせたり。
 しかし、そのたびに戻ってくる。
 きっと、石板にはそういう機能も付けられているんだろう。

「神様の目を欺くことはできないのですよ」
「ははあー」

 院長はまた額を床にこすりつけている。そろそろおでこの皮がずる剥けになってしまうのではないかと心配になる。

「この件に関し、特別な罰を与えはしません。今後一層の信心に励めばよろしい」
「寛大なご配慮感謝いたします」

「わたしは明日出発いたします。この鋳掛屋には、ここを出たら石板の秘密のことは忘れさせましょう。安心なさい」
「あの……お連れの大食らいのハーフエルフの方はどうなるでしょうか?」

 ああ、あれね。あれはどうだろうなあ。この手の人の嫌がることは絶対忘れないタイプのような気がする。

「大丈夫。忘れさせます」

 こう言わなきゃ収まらないもんな。

「それから、わたしが神の使いであることはあの娘には内緒です。大食らいで下品ではありますが、あれもかわいそうな娘なのです。この二年間、悪いやつに地下室に閉じ込められておりましてね、ようやく逃げ出してきたところなのですよ」

「まあ、地下室に二年間も! そんなひどいことが! まあ!」
 そう言って、院長は今にも失神しそうになっていたが、一時間前までおれを一生地下室に閉じ込めると言っていたのも彼女だった。

 おれは修道院でいちばん柔らかいベッドをエラのために用意させた。二番目に柔らかいベッドはおれ自身のために。
 目を覚ますまで起こすな、と言ってベッドにもぐりこんだ。おれはすぐに眠ってしまった。
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