異世界最強職「管理人」の旅 ~〈生ける調味料〉娘を弟子にしました~

綾瀬文蔵

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第9話 森のオーガ

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 おれは立つこともできず四つん這いになって、エラを追った。

「いかがいたされた、キーファー殿。いざ、オーガ討伐に参ろうぞ~、あははは」

 最高にハッピーな状態の騎士に追い抜かされた。

「足が、いひひ、足が、いひひ……」

 アンドレもふらふらと森の奥へ入って行く。

 どうやらキノコの毒はおれに一番効いているらしい。
 調子に乗って食い過ぎたかなあ。

 頭の中にこの世界の仕様書を展開、ミナミヤマタケを検索。
 ありました。

【ミナミヤマタケ】毒キノコ。チトセケ大陸南部の広域に見られる。食べると数分から一時間で「多幸」「万能感」「幻覚」「幻聴」の症状が出る。まれに運動神経に麻痺の出ることもある。致死性はないが中毒性は高い。南部のコボルト少数部族で祭儀に用いることでも知られている。

 げっ、いわゆるマジックマッシュルームじゃん。
 なんて物を食わせるんだ、ジジイ。

 おれは木にすがってなんとか立ち上がった。
 このままでは先へ行った連中は全滅だ。オーガがいくら雑魚だといっても、キノコでヘラヘラになっているやつらに討たれはしないはず。
 老いぼれ騎士とその従者なんかどうなっても構わないが――いっそオーガに食われてしまえ――うちの弟子だけは守らなくては。

 しかたがない。最後の手段だ。

管制コントロール! 管制コントロール!」
――あら、意外と早かったわね。モグモグ。歌う石板はどうだったの? モグモグ。

 ヤバい。彼女は食事休憩中だ。

「そいつはまだなんだ」
――えー? じゃあ、何で連絡してきたの?

 たちまち不機嫌になった彼女に、いつもなら適当な言い訳を考えるところだが、今はそんな余裕はなかった。

「助けてくれ。毒キノコを食っちまった」
――はい? 今、毒キノコって言った? 好きよ。

「今、好きって言った?」
――はあ? ブチ殺されたいの、あんた? 前からずっと好きだったのよ。何で毒キノコなんか食べんのよ? 魔物退治に出かけたんじゃなかったの?

 まいった。この状況で告白されてもなあ。

「昼メシでほかに食うモンがなかったんだ」
――一食ぐらい抜いたって死にゃあしないわよ。何だか暑くなってきちゃったわ。脱いでもいい? どんな状況なのよ? 食べたキノコの種類はわかるの?

「ミナミヤマタケっていうキノコだ。足にきてる。ふらふらだよ。キミは暑いんなら脱げばいい」
――何言ってんのよ? 全部脱いじゃった。あたしが今、どんな格好してるか想像してみて。足にきてるってそれは食べ過ぎよ。あなたも脱いだら?

 おいおい、職務中だぞ? 本気かよ?

「え、全部かい? 今、ここで全部脱ぐの?」
――何であんた、服を脱ごうとしてるのよ!

「だって、キミが脱げって言ったから――」
――言ってない。そんなこと一言も言ってない。

「キミもスッポンポンなんだろ?」
――あたしゃ、どこの裸族だ? どうして全裸で仕事しなきゃならない? バカか、あんた? いや、バカなのはわかってた。あんた、真性のバカだね。それは幻聴よ!

「おれがバカだってところは幻聴?」
――いや、そこは本当!

 つまり、管制コントロールはおれに告白もしていなければ、服を脱いでもいないということか。
 おれはしぶしぶズボンをはいた。

「毒を消してくれ」
――ちょっと待って。今、あんたのその世界での基体ボディを調べているところだから。…………あんた、ホントどうしようもないわ。何でこんな薬物耐性のない肉体を使ってんのよ?

 だって、薬物耐性を上げるといくら飲んでも酔っ払えないんだもん、って正直に答えたら怒るだろうなあ。
 おれは「現地人とのバランスがゴニョゴニョ」とお茶を濁した。

――もう、あんたったら調子に乗って食べ過ぎよ。現地人なら完全に廃人レベルだわ。
「つまり、どういうこと?」
――もう毒性を完全に消すことはできないってこと。これは基体ボディごと交換するしかないわね。

 全交換かよ。まいった。これは経費じゃ落ちないかもしれない。しかし、背に腹は代えられない。

「わかった。そうしてくれ。急いで。頼む」
――急いで頼むって言われても、過去ログから何から何まで移し替えなくちゃいけないし、服とかだってコピーの必要があるんでしょ? そっちの時間で三〇分から一時間くらいかかるわよ。

「かかり過ぎだよ」
――かかり過ぎったって自分のせいじゃないの。あんたがキノコなんか食べなければ良かったのよ。

「それじゃ、基体ボディ交換の準備を進めてくれ。それと今の基体ボディの方も応急処置を頼む」
――応急処置だけでいいの?

「急いでいるから、それだけでいい」
――了解。……処置終了しました。どう?

 身体の中にわだかまっていた、ぼんやりした熱のようなものが、すっきり消えていた。顔を洗ったように意識もはっきりしていた。飛び跳ねても問題ない。

「いい感じだ」
――そりゃ毒が回っている状態に比べればマシでしょうよ。でも、気をつけて。その基体ボディの各スペックは初期設定の一割近くまで落ちてるんだから。つまり、今のあんたはそこの現地住民と大差がないってことよ。

 そいつは想定にない話だ。おれは頭を掻いた。

「オーガと比較したらどうなんだ? 石板を持ってる魔物ってのがオーガなんだ」
――うーん……殴り合いをしようとか思わない方がいいわね。雷撃とか熱線とか爆破とか、そういう派手なのもちょっと控えた方がいいわ。使えてもせいぜい一回だし、どうせ手の届く範囲ぐらいにしか飛ばないから。

「じゃあ、何ができるんだ?」
――そうねえ……近くまで行ったら悪口くらいは言えるんじゃないかしらね。でも、一〇メートル以内に近づかないこと。相手の方が足が速い。まあ、次の基体ボディを用意しておくから死ぬ心配はないけど、オーガは人を食べるからねえ。頭からガリガリかじられるのはちょっと痛いと思うわよ。

 こっちの難儀など他人事で、どこか面白がってもいるような管制コントロールに新しい基体ボディの準備をできる限り急いでくれるよう頼んで、おれはエラが走って行った森の奥へ向かった。

 できるかどうか不安だったが、頭の中に地図を展開してみた。周辺部がぼやけていたが、森の中だけなら十分使える精度だった。エラを探す。彼女を示す光点は少し離れた場所で停止していた。

 止まっているとはどういうことだろう?
 オーガに遭遇し戦闘中なのか、それとももう殺されてしまったのか? あれ、死んでしまっても地図には示されるのだったっけ?

 おれは道からはずれ、樹々の間を、エラの光点に向かって、最短距離を進んで行った。大きな木の根元でアンドレを見つけた。騎士の従者は大木に巻きついた蔦に向かって、畑に生えた足について、涙ながらに語っていた。バッドトリップだよなあ、と思いながら、おれは先を急いだ。

 老いぼれ騎士のやつはどこにいるんだ?
 地図で探すとアギーレのジイさんは少し遠い場所にいた。ジイさんは川沿いを上流方向へ移動中だった。その辺りは急流で、川は切り立った絶壁の間を流れている。ジイさんがいるのは、その絶壁の上だった。

 おれはジイさんを無視して、まずはエラの方へ向かった。

 樹々の連なりが途絶えて、急に視界が開けた。そこだけ小さな広間のように平らになっていた。
 午後ののどかな日差しを受けて、ロバが草を食んでいた。おれの気配に気づいてビクッと頭を上げたが、近づいているのがおれだとわかると、また食事に戻った。
 エラはロバのすぐそばに、頭を草むらに突っ込んで尻だけ高く持ち上げた、妙に扇情的な姿勢で倒れていた。ロバから落ちたようだ。一瞬死んでいるのかと思ったが、近づくにつれ規則正しい寝息が聞こえてきた。

 おれはエラの尻を蹴とばした。

「あ、ひひょう、おはようほはいまふぅ」

 エラは口元のよだれを拭いながら起き上がった。これからオーガ退治に行こうとは思えない暢気さだった。

「騎士さんたちはどこ行ったんですかあ?」
「みんなバラバラになっちまった」
「さてはこの森に結界魔法がかけられていたのですね? それで奥へ行こうとする者は皆、離れた場所に飛ばされてしまう」
「いやいや、そんな高級な仕掛けなんかありゃしませんって」

「じゃあ、どうして? だいたい、何で、あたしはここにいるんでしょ? あたたた、思い出そうとすると頭が痛くなる」

「頭が痛くならなくたって思い出せないくせに。昼飯にキノコを食ったのは覚えてるか?」
「はい、おいしかったですよね?」
「あれ、毒キノコだった」
「はあ? 毒キノコ? はあ?」

エラは唐辛子でもかじったみたいに真っ赤になった。

「あのジジイ、今度会ったらタダじゃおかねえ。ブッ殺してやる」
「おいおい、口が悪いよ」

 おれはエラの腕をつかんで立たせると、川へ向かった。その方向にはアギーレがいるはずだった。

 突然、吠え声が森に響いた。ひっ、とエラは首を縮めた。おれも突然のことで肝を冷やした。オーガはおれたちの誰かに気がついたのかもしれない。
 声が聞こえてきた方向はよくわからなかった。聴覚が低下しているせいだ。五感のすべてが鈍っている。いつもの感覚が失われていることに、おれは不安を覚えた。

 おれは周囲を見回した。
 オーガらしい気配は感じられなかったが、標準装備能力が現地一般人レベルまで下がっている身では、どれだけ近くにいても感じることはできないかもしれない。

 頭の中の地図に大型動物をすべてマーキングさせた。全部で五つ。この中のどれかがオーガということだ。端から確認していくしかないだろう。

 つんつん、とエラに袖を引っ張られた。

「ねえ、師匠、このまま逃げちゃいません?」
「おまえには責任感というものがないのか?」

「そんなもの、いくらあったって何の役にも立ちゃしません! 責任感でパンが捏ねられますかってんです! あたしなんか、そんなもの、とうの昔に犬に食わせてやりましたよ!」

「何で怒ってんだよ?」
「こわいからですよ! 決まってんじゃないですか!」

 ハーフエルフの娘は、おれの胸にしがみついてきた。
 おれはその背中をポンポンと軽く叩いた。

「それってもっと胸を押しつけろってサインですか?」
「違う。安心しろって意味だ。おれがいる限り大丈夫だよ」
「へへ、やっぱり師匠はやさしいです」

 エラはおれの胸に顔を埋めた。
 大口を叩いたものの、今のおれでは彼女を守りきれるかどうか覚束ない。
 とにかく一刻も早く替えの基体ボディが準備されることを祈るしかない。

 エラの華奢な身体を引き剥がすと、アギーレを探しに行くと告げた。

「わかりました。ブン殴りに行くんですね?」
「いや、殴りたいのはやまやまだが、いつどこでオーガと遭遇するかわからない状況だからな、今は二人より三人でいる方がいい。あれでも一応騎士だから、盾がわりぐらいにはなるさ」

 おれはアギーレのいる場所へとまた歩き出した。地図では、ジイさんはさっきから動いていなかった。ジイさんのすぐそばに大型動物を示す点が光っていた。
 助けが必要なのはおれたちよりもむしろジイさんの方らしい。

 おれは急ぎたかったが、エラがまだ毒が抜けきっておらず、ふらふらと泳ぐような足取りだった。

 アギーレのいる川原にたどり着く前に、激流の水音に混ざって、オーガの吠え声が聞こえてきた。どうやら想像通りの状況らしい。

 おれたちは樹々の間から様子をうかがった。

 痩せ馬が急流に首を突っ込んで倒れていた。腹が大きく裂かれて、はらわたがはみ出していた。

「おジイさんが危ないですよ」
 エラが囁いた。
 そんなこと、彼女に教えてもらわなくてもわかる。

 アギーレは年寄りのわりに健闘していた。すでにカブトはどこかに飛んでいて、額からは血が流れていた。鎧の胸当ては大きく凹み、盾は無惨に割れていた。

 オーガはアギーレを水際まで追い詰めていた。太い棍棒を振り回して、老騎士をいたぶっていた。

 重い騎士鎧は動きを鈍くする分、アギーレに不利に働いていた。振り下ろされる棍棒を何とか剣で受けているが、それもいつまで続くものか危うかった。

 しかし、今のおれが出て行ったところで、アギーレ以上のことができるわけでもない。二人まとめてやられてしまうだけだろう。

 オーガが牙を剥き出して吠えた。アギーレが濡れた石の上で足を滑らして尻もちをついた。おれの隣でエラが身をすくめた。

 おれは管制コントロールを呼んだ。
「あとどれくらいだ?」
――もうじきよ。作業終了次第、そこへ送るわ。

 オーガが棍棒を横へ薙いだ。アギーレの剣が中ほどから折れて、刃は川へ落ちた。

「もうじきって何分だ?」
――大急ぎで二分!

 ダメだ、間に合わない!

 オーガが棍棒を振りかぶった。
 アギーレはあきらめたのか、祈るようにうなだれた。
 おれは叫び声をあげながら、木の陰から飛び出した。

「うわあああああああああ」

 オーガの注意がこちらへ向いた。棍棒を持った手が頭の上に振りかざしたまま止まった。
 おれは全力でオーガの下半身へタックルした。

 おれとオーガはもつれるようにして川へ落ちた。
 激流がおれたちを呑み込んだ。

「師匠ー!」
「キーファー殿!」

 泡立つ水がおれとオーガを翻弄した。上も下もわからなくなった。今のおれには息ができないことでさえ苦しかった。頭や肩や腰に川底の石がぶつかった。

 オーガの手がおれを引き離そうと頭をつかんだ。おれは死に物狂いでオーガの腰にしがみついた。鼻や口から冷たい水が入ってきた。

 ぐるぐる回転しながら、おれたちは川の中ほどへと運ばれて行った。
 苦しいのはオーガもいっしょだった。やつの指がおれの右目に食い込んだ。

 おれはオーガの胃袋に、今残っている力で作れる一番大きな爆弾を出現させた。そして、爆発させた。
 オーガの身体が飛散するのがわかった。そして、おれの身体も。

 世界が白い光に覆われ、おれの意識も消えた――。




 …………目の前に苔に覆われた大樹の根っこがあった。
 ……遠くないところから、娘の泣き叫ぶ声が聞こえた。

 おれは両手を前に出して、開いたり閉じたりしてみた。どの指もちゃんと動く。
 立ち上がり、木の下から川原へ降りて行った。
 爽快な気分だった。新しい基体ボディは軽く、スムーズに動いた。

 アギーレは川べりに立って、水面を凝視していた。そんなところに何を見つけようとしているのだろう?

 おれは、川原に突っ伏して慟哭しているハーフエルフの娘に向かって、歩いて行った。
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