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第8話 天下無双のド変態とハッピーキノコ

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――それで魔物退治を手伝うことにしたわけ?

 管制コントロールの口調には、彼女のお怒りがにじみ出ていた。
 おれの〈寄り道〉が気に入らないのだ。

「だって、歌う石板だぜ?」
――たしかにそれは気にかかるけど。うーん、スマホだという可能性は否定できないとしてもね。

「だろう? もし歌う石板がスマホなら、ダーケンのスマホ一個じゃないってことになるよな? 二個見つかったらそれは、三個、四個、ほかにもあるってことじゃないか? もしかしたら、スマホはこの世界にザクザクあるのかもしれない。それって結構大変な問題だろう?

――あんた、得意そうに話してるけどさぁ、それって、管理人であるあんたの、管理不行き届きってことでもあるんだからね。わかってる?

「あ、そうなのか?」
――バカ! バカ、バカ。あんたのミスはあたしの成績にもひびくんだからね。しっかりしてよ。

「♪フン、フン、フ~ン ♪パン~、パンを~捏ねる~ ♪かわいいあたし~」

 聞こえてきたのは、エラの鼻歌だった。

――なに、それ? そばに誰かいるの?
「えっ? なに? 何か聞こえる?」

「♪あたしのパンは~ ♪捏ねられて~、捏ねられて~ ♪捏ねられまくる~」

――混線してる? 何かしきりに捏ねられてるんだけど。
「ああ、安宿だからな。壁が薄くて隣の部屋の声が筒抜けなんだよ」

――こんな夜に、隣室じゃパンを捏ねてるわけ?
「旅回りのパン屋らしいよ。村から村へ、パンを売って回っているんだってさ」

――移動式パン屋なの? カマドはどうしてるわけ?
「携帯オーブンなんて物があってだね……」

「♪小鳥さんも、いらっしゃい~ ♪フン、フン ♪ウサギさんも、いらっしゃい~ ♪フン、フン」

――あんたの世界の技術力じゃ、携帯用って言っても結構大きいよね?
「うん、だから、背中に背負ってる」

「♪キツネさんも、いらっしゃい~ ♪フン、フン ♪リスさんも、いらっしゃい~ ♪フン、フン」

――鋳鉄製のオーブンでしょ? 隣の部屋って女の子よねえ? 持てるの?
「まあ、ダッチオーブンの大きいやつくらいかな。何とかなるみたいよ」

「♪みんなまとめて捏ねてやる~ ♪パンと一緒に捏ねてやる~」

――ちょっと、ヤダ。怖いこと言ってるわよ。あんた、その部屋、変わった方がいいんじゃない? 夜中に捏ねられちゃうかもしれないよ。
「忠告ありがとう。十分気をつけることにするよ」

――じゃあ、歌う石板の件は、わかり次第報告をちょうだい。とにかく急いでね。
「了解!」

 管制コントロールとの通話は終わった。

「♪捏ねて~ 捏ねて~ 捏ねくりこかす~ ♪それが~ あたしの~ 人~生~」

「うるさい!」おれはカーテンを開けてエラを怒鳴りつけた。

「キャーッ」
 泡だらけの弟子がタライの中で悲鳴をあげた。

 そうだった。彼女は今、湯浴み中だった。ずっと我慢してきた身体が洗えて上機嫌なのだった。

 おれは慌ててカーテンを閉めた。
 エラの姿は見えなくなったが、彼女の胸のふくらみは、しかとわが網膜に焼きついていた。
 網膜なんてないけどな。

「ゴメン!」
「そっかー、師匠はそういう趣味だったんですかあ。わかりました、納得、納得」

「納得すんなよ」
「いーんですよー。世の中、いろんな人がいるんですから。師匠には師匠の好みってものがあっていいんです。それを恥ずかしがる必要なんて、ぜんっぜんないんですから」

 何だよ、この上から目線は?

「いや、そういうことじゃないから」
「大丈夫です。あたしなら平気ですから。弟子になると決めたときから覚悟はできてます。お風呂を覗かれることぐらいで音を上げてちゃ、とても修業はできないということですよね?」

「だから、そういうことじゃないって」
「気にしないでください。覗きたくなったら、いつでも覗いていいですから。他の人が何と言おうと、あたしだけは師匠の理解者ですからね。もうバンバン覗いちゃってくださいよ。覗いて、覗いて、覗き倒しちゃってください」

「いや、違うって――」
「ちがう? 違うんですか? あ、申し訳ありませんでした、師匠。この弟子は考えが足りませんでした。そういうことではないのですね?」

「そうだよ、やっとわかってくれた?」
「はい、よーくわかりました。覗かれても平気、というのは、師匠的にはうれしくない。そういうことですね? キャーキャー言われてこその覗きだと。師匠は乙女の恥じらう姿にこそ興奮なさるのですね! はい、エラ・ルーツ・ノルデンショルト、承知いたしました。今後も覗かれれば必ず悲鳴をあげますから」

 おれはもうあきらめた。誤解を正そうとしても、エラは絶対に見当違いの方向へ話を進める。
 脳みその構造がそうなっているんだから、しかたがない。
 最高に美味しいゴハンと引き換えに、ややこしいハーフエルフの面倒を見なければならなくなったというだけのことだ。

 その「だけのこと」が大変なのだが、美味しい食事には代えられない。

 おれは眠ることにした。なんだかいろいろなことのあった一日だった。プラス・マイナスで考えたら、きっとプラスの一日だったろう。少なくともそう考えなきゃ、やっていられない。

 翌朝、食堂へ行くとアギーレたちはすでに朝食をすませ、出発する支度を整えていた。
 追手のことを考えたら、おれたちもぐずぐずしているヒマはないのだが、エラと食べる朝食の誘惑には勝てなかった。
 女将はおれたちが食べた鶏と魚の骨からダシをとり、塩味だけで具もないスープを用意していた。
 おれがどうしようもないライ麦パンと具のないスープに感涙しながら食事を終えると、待ちくたびれたアギーレが痩せ馬にわざと騒々しく鞍をつけていた。

「魔物の住む森は遠いのですか?」
「ここから半日もかからぬ。昼前にはたどり着けよう」

 アギーレはカブトをかぶりながら答えた。その声には緊張が感じられた。

「魔物の種類などはわかっているのですか? それによって対策の立てようも変わってくるかと思いますが」
「ふむ。どうだったかな、アンドレ?」

 ロバ男は自分のロバに鞍をつけているところだった。その様子をエラがじっと見つめている。わが弟子は今日もロバに乗って行くつもりのようだ。
 アンドレは主人を振り返り、はつらつと答えた。この男には何もつらいことがないように見えた。

「殿様、たしか魔物の親玉はオーガでございました。噂ではよわい百歳を越えるオーガだとか」
「強敵であるな。しかし、こちらにはキーファー殿がついておる」
「左様でございますな。心強いことでございます」

 オーガか。
 アギーレたちはやけに大物扱いしているが、この世界の設定ではどちらかと言えば雑魚モンスターだ。

 この世界の初期設定では存在しなかったモンスターで、オーナー様からの要望(バランスが悪いとか何とか、よくわからない理由)によって、最初の改修工事で導入されたと記録にはある。

 そういう経緯があったので、そんなに多くの場所には生息していない。この地方では珍しくないが、北の方ではほとんど見かけない種だ。
 これといった特別な能力を持っているわけではなく、力が強くて狂暴という単純さ。百年物でも大した脅威とは言えない。

 また、繁殖力が強くないので、むしろ絶滅しないように気を使わなくちゃならない。
 手間ばかりかかるくせに、あまりオーナー受けが良くないので、管理人仲間では評判が悪い。

 あ、そうだ。
 人食を好むって特徴もあったっけ。

「足手まといにならぬよう奮闘いたしますので」
 おれは老いぼれ騎士殿を立てて言った。

 おれにとってオーガを倒すことぐらいわけはない。方法はいくらでもある。
 雷を一発落としたっていいし、相手の体の中に爆弾を出現させてバラバラに吹き飛ばしたっていいし、視覚神経を麻痺させて後ろから大きな石で頭を潰したっていい。
 四肢を動けなくして、呼吸が止まるまでくすぐってやることだってできる。

 ただ、エラやアギーレたちが見ていることを考慮すると、彼らを不思議がらせないよう、それなりに面倒なやり方を選ぶ必要があった。

 まあ、現場に行けば何とかなるだろう。
 問題はやっぱり、歌う石板の方だ。

 森の外れに着いたのは予定より少し遅く、お日さまはもう頭の上まで登っていた。

 おれは激しく後悔していた。
 昼食の用意をしていなかった。宿屋でパンと干し肉でも分けてもらえばよかった。

 腹が空いている。
 傍らには〈生ける調味料リヴィングシーズニング〉のエラがいる。
 しかし、食料がない。

 こうなると、うちの弟子はまったくのムダだ。ムダ以外の何物でもない。
 何の役にも立ちゃしない。

「んー、師匠、何か怒ってます?」
「いや、怒ってなんかいないよ」

「ウソですよお、絶対怒ってますもん。そーゆー顔ですもん。そうだ! おっぱい見せたら、機嫌直してくれます?」
「いらない。そんなモン見たって何にもならない」

「そ、そ、そんなモンって。ひっどーい。師匠ったらひっどーい。弟子がどんな思いで『おっぱい見せる』って言ってると思ってんですか。死にそうなくらい恥ずかしい気持ちなんですよ。それを、そんなモン、なんて。昨夜はあんなに喜んでいたくせにー」

 エラはロバの上でおっぱいを揺らしながら憤慨していた。いやもう、ムダどころではない。百害あって一利なしの弟子である。
 ロバの手綱を取っているアンドレが目を丸くして、おれを見ていた。
 彼の頭の中ではきっと、天下無双の武芸者ヨーゼフ・キーファーはド変態ということになっているだろう。

「やめろ。人聞きが悪い」
「カッカッカ、まあ良いではござらぬか。英雄色を好む、とも言うからのう」

 アギーレまでが誤解している。

「おれはなあ、エラ、腹が減っているだけなんだよ」
「なあんだ、そうでしたか。師匠って子どもみたいですね」

「たしかに腹が減りましたな。腹が減っては戦はできぬ、と申す。いかがかな、キーファー殿。ここらで食事休憩といたすか?」

「はあ、そうしたい気持ちはやまやまなのですが、昼食の用意をせずに出てきてしまいました」

 おれは老いぼれ騎士に肩をすくめてみせた。
 魔物退治を手伝ってやるんだ。ジイさん、食い物持ってるなら出せよな。

「申し訳ないが、われらも食料は持っておらん。フム、じゃが、心配はいらん。こちらをご覧あれ」

 アギーレのジイさんの槍の先が木の根方を指していた。そこには茶色く丸々としたキノコの群生があった。

「ミナミヤマタケというキノコじゃ。これがなかなかにいけるのじゃ。のう、アンドレ?」
「さようでございますな、殿様」

 アンドレはアギーレが馬から降りるのを助けた。それは降りるというより転げ落ちるのに近かった。従者の手伝いがなければ、鎧をつけた騎士は馬からまともに降りられそうもなかった。

「かようなときに草臥せの騎士の経験が生きるというものじゃ。しばし、待たれよ。今、集めてくるのでな」

 アンドレとアギーレは、あっという間に山になるほどのミナミヤマタケを採集した。

「さあ食おうではないか」
「生で?」
「うむ。ミナミヤマタケは生がいちばん美味いのだ」

 そう言うなり、アギーレのジイさんは一番上の一個を取って、口の中へ放り込んだ。
 むしゃむしゃと咀嚼しながら、美味い、と言った。

 恐れを知らないエラも一口かじり、オイシー、と叫んだ。
 それを見てから、おれもキノコに手を伸ばした。
 
 しかし、いくら〈生ける調味料リヴィングシーズニング〉が美味いと言ったからといって、本当に生で食べるキノコがそんなに美味いだろうか。

 おれはおそるおそる、傘の端っこを齧ってみた。

 生でかじるキノコは思いのほかジューシー。
 サクッとした歯触りがあって、香味あふれる汁が噴き出してくる。
 濃厚な甘味はまるで熟した果物のようだ。
 自然の苦味とピリッとした辛味がアクセントになって、食べ飽きるということがない。

 おれはわれを忘れてミナミヤマタケをむさぼり食った。

 腹がくちくなって、おれたちは意気揚々と再び歩き出した。
 森の奥へ。森の奥へ。
 オーガを退治しに――。

 とても愉快な気分だ。何でもできそうな気がする。
 というか、おれにできないことなんてないだろう。
 あはあは。

 オーガなんて一発だし、オーパーツやスマホが何だ!
 ははは、そんなモン、全部まとめてウリャーである。

 そして、おれは本社に帰り、ぐふふ、秘書課のポーちゃんと受付のマインちゃんと結婚するのだ、ぐへへへへ。
 3Pはダメだから、寝室は別にしなきゃな。

 いやもう、寝られませんわ、ひひひ。
 スタミナつけないと。ニラレバとかさ、とろろとかさ。ムフフ、精のつく物を食わないととても身が持ちません。

 あ、そうだ。
 ポーちゃんやマインちゃんが料理上手だとは限らないし、ここは一つ、エラも一緒に連れて行こうか。
 うむ、グッドアイデア!
 おれって天才だわ、あは、あは、あははは。

「アンドレや、ははは、拙者が十六のみぎり、わはは、初陣で敵将の首級をあげた話は、イヒヒ、聞かせたことがあったかのう……うむ、ヒヒヒ、あれは拙者が十六歳のときであったぞ、むふふ、いや、待て、はは、十五の歳であったかの? オホホ、アンドレや、拙者はいくつであったかのう? まあ、何でもいい……」

「殿様ー、畑をですなあ、ははは、耕すとですね、うふふ、そこから足が生えてくるんです、うふふ、抜いても抜いても、生えてくる、ふふふ、足がですよ、生えてくるんですわ、ははは、臑毛がモジャモジャの男の足がですね、へへへ、あっちにもこっちにも、生えてくるわけですよ。ホントですよ、殿さま。これはね、へへへ、つまり、だれの責任なのかと、あはあは、私は村長にですね……」
 
 これはおかしい。ははは……さっき食べたミナミヤマタケの中に……へへへ……毒キノコが混ざっていたのだ。ぶふふふ……そうとしか考えられない状況である。……ぷっ、もしかしたら、ミナミヤマタケというのは毒キノコなのかもしれない。

 老いぼれ騎士ならありそうな話だ、ぎゃはははは。

 どうする? どうすればいい?
 ダメだ、考えがまとまらない。
 おれの身体から毒を消すことはできるはずだが、頭に霞がかかったようにぼんやりしていて、うまくできない。
どうやらおれの今の身体は、ミナミヤマタケの毒成分に弱い体組成のようだ。
 飲み過ぎて二日酔いになったときと同じだった。

 足がもつれてまっすぐ進めない。平衡感覚もおかしくなっていて、おれは何度も転んだ。
 
 こんなところを「八月軒」が差し向けた追手に見つかったら、何もできないまま、エラをさらわれてしまうだろう。

 エラ、エラ。どこだ? どこにいる?
 おまえは無事か?

「ひゃっほー、突撃ぃ!」

 そのとき、ロバに乗ったエラは奇声を発して、おれの傍らを走り抜け、そのまま森の奥へと突進して行った。
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