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第5話 レストラン「八月軒」の待ち伏せ
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「師匠、どこ行くんですか?」
ハーフエルフの娘はハラハラと小麦粉を撒き散らかしながら、おれを追ってくる。
いったいどれだけ粉をかぶっているんだろう?
「宿屋」
おれは周囲を気にしつつ、そっけなく答えた。
今のところ、見つかってはいないようだ。
「え、宿屋? 早速ですか? ケダモノですね、師匠。わかりました、あたしも弟子にしていただくからには、覚悟を決めましたから」
「何を言ってやがる。荷物を取りに行くだけだ」
「はあ、荷物を取りに行く……なるほど、師匠は、好物はあとに取っておくタイプですね?」
「おまえの頭ん中はそのことでいっぱいなんだな」
「当たり前じゃないですか。誰だって初めてのことをするときは、緊張してそのことしか考えられなくなっちゃうでしょ? 他のこと考えられる余裕なんてないですよ」
「そうか、初めてか」
「そうですよ。あたしはこう見えても身持ちが堅いんです。馬鹿にしないでください」
「馬鹿になんかしてない。おまえ、いくつだ?」
「十六か、十八です」
「十七はないのか」
「ハイ、その可能性はないと思います」
どういう可能性だよ?
話がややこしくなりそうなので、それ以上年齢について突っ込むのはやめにした。
「『八月軒』の主人に変なことされそうになったことはないか?」
「ありませんでした。きっとあたしの魅力に気づかなかったんだと思います。どうしてそんなこと聞くんですか? ……あ、さては師匠、NTRで燃えるタイプですね?」
そうか。「八月軒」のやつはかなりくわしいな。
おれは納得して、さらに足を速めた。弟子もバタバタとついてくる。
「どうして、そんなに急ぐんですか? もっとゆっくり行きましょうよ。どうせ夜までしないんですよね?」
「ワクワクをムダにさせて申し訳ないんだが、おれはおまえに何もしないから。夜になろうと、朝になろうと、しない。どんなことになっても、おまえにそういうことはしないから、安心しろ。おれは、おまえにそんなことは期待していない」
「ホントに?」
「本当だ」
「そんなこと言って安心させたところを襲うとか、鬼畜的なアレはないでしょうね?」
「ないよ。大丈夫だ。安心しろ」
「良かった。やっぱり、師匠はあたしが思った通りやさしい人じゃないですか」
そういうことではなかったが、おれは黙っていた。
おまえの特殊能力〈生ける調味料〉が欲しいだけだなんて口が裂けても言えない。
それを言わないのは、単に軽蔑されたくないからだけじゃない。
特殊能力という存在の特性のためでもある。
特殊能力というのは本当に微妙なものなんだ。
この世界の仕様書によれば、特殊能力とは現地人が誕生するときに、きわめて低い確率で付与される能力で、遺伝や環境などとは一切関係がない。
だから、弟子が特殊能力を持って産まれたのは、母親がエルフだったからでも、父親が異種族大好きの変態オヤジだったからでもない。
しかも、与えられる能力はそのときそのときにランダムに生成される。
運が悪ければ、砂漠の遊牧民に「水中を高速で泳ぐ能力」なんてのが与えられる可能性もある。
そうなれば、その能力は一生発現しないまま終わるということになる。
まあ、こんな設定はあってもなくても、世界の歴史生成にはほとんど影響しない。
世界創造においてはオプション扱いである。――しかも、かなり高額の。
つまり、特殊能力があるかないかは、世界を発注したオーナー様の趣味と予算の問題だということだ。
そして、この世界には特殊能力が存在する。
「もしかして、師匠はあたしのコネチに期待してるんですか?」
「何だ、コネチって?」
この身近にいる特殊能力の持ち主は訳の分からないことを言った。
「だから、あたしは二年間も毎日パンを捏ねてきたわけでしょ。それは他人よりパンを捏ねるのが上手ということじゃないですか。つまり、あたしはパンを捏ねる能力値が高いってことですよ。パンを捏ねる能力値、すなわち、捏ね値」
「うーん、これまでの人生、コネチの高低で人を判断したことはないなあ」
「でも、あたし、ここしばらくは捏ねる気分じゃないですから。師匠が期待してもムダですよ」
おれは弟子のオツムの構造にほとほと呆れた。
だが、彼女の場合、その低スペックさが幸運だったのかもしれない。
特殊能力は魔法・魔力とは別物だ。
だから、どんな特殊能力も魔法で止めたり促進したりはできない。
ときどき魔法無効な英雄とか出てきたりするので、特殊能力が存在すること自体は、この世界の住民にも知られている。
だが、彼らはすぐに適当な理由をこじつけるので、これも所詮設定にすぎないなどとは考えもしない。
ただ、不思議なことをそのまま放っておくには、彼らは好奇心が強すぎる。
それで、彼らは彼らなりに特殊能力の特性を調べてきた。
その特性の一つが、特殊能力とはきわめて不安定な存在だということだ。
持ち主のちょっとした変化で、能力が増大したり消滅したりする。
たとえば、第三者の前では発動しないとか。
よくあるのは、自覚とともに使えなくなったり、消滅したりすることだ。
心理的な変化――子どもから大人になるとか、子を持って親になるとか、そういう心理的変化が能力の消長に影響することも知られている。
どうやら、わが弟子は自分の能力にまだ気づいていないようである。
自分がいると周りにいる人間がみんな美味しくゴハンを食べられるのだ、と彼女が知ったら――?
あるいは、彼女のおっぱいにクラクラして寝込みを襲ったりしたら――?
もちろん、彼女の特殊能力は消滅しないかもしれない。
だが、露と消えてしまったらどうする?
そんな馬鹿な賭けをする理由がどこにあるというんだ?
「八月軒」の主人もそれをよくわかっていた。
だから、本人には何も言わず、エッチなこともせず、店の地下でずっとパンを捏ねさせていたのだ。
そして、上の店では、お客たちが何も知らずに、主人の作る料理は絶品だと大喜びしていたわけだ。
しかし、今、あの店の美味の秘密はおれと一緒に町を歩いている。
不味くはないだろうが、これまでとは格段に味の落ちた料理を食べさせられている客たちは、どんな反応を示しているだろうか。
店の主人ももう、彼女がいないことに気づいているだろう。
人を出して、町中探し回らせているに違いない。
おれは一刻も早くハーフエルフの娘を連れて、町から脱出しなければならない。
「そういえば、まだおまえの名前を聞いていなかったな」
「エラです。エラ・ルーツ・ノルデンショルト」
「そうか、エラか」
「師匠の名前も教えてくださいよ」
おれは思わず足を止めてしまった。背中にエラがぶつかってきた。
「もうっ! 急に立ち止まらないでくださいよ」
「おれの名だが――」
困ってしまった。おれにだって名前はあるが、それはこの世界のものではない。
この世界の者には発音できないだろう。
今まで名前が必要なときは、そのときそのときで適当に名乗ってきた。
使い慣れた偽名のようなものはなかった。
しかし、弟子に聞かれるたびに違う名前を名乗るわけにもいかない。
ふと見ると近くにあった家の庭に松の木が生えていた。
「おれはキーファーだ。ヨーゼフ・キーファー。いいか、間違ってもヨーゼフなんて呼ぶなよ」
「はいはい、わかってますよ、師匠」
宿屋までは何もなく到着した。
部屋へ上がって荷物をまとめると、すぐに宿を出た。
宿代は前払いで三日先の分まで払ってあった。
宿の主人もおれがこのまま出て行くとは思わなかったろう。
おれはまっすぐ南の城門へ向かった。
オトランのダーゲンまでは、徒歩なら十日はかかる。
一人旅なら馬に乗って行くか、管理人の標準装備能力を使って日数を短縮するところだ。
だが、エラが一緒だとそうもいかない。
旅の鋳掛屋が馬になんか乗るはずがないからだ。
管理人の標準装備能力を使って歩いたら、彼女の足では到底ついてこられない。
管制には文句を言われるのを覚悟で、ゆっくり行くしかない。
エラの能力にはそれぐらいの価値がある……と思う。
やがて南側の城壁が見えてきた。
城門まではもうじきだ。
閉門時刻まではまだだいぶある。あわてなくても今日中には町を出られる。
あとは「八月軒」のやつらに見つかりさえしなければ――
が、さすがにそこまで上手い具合に物事は運ばない。
もともとツキに恵まれない方だからね、おれ。
エラを手に入れられただけでも、向こう十年分ぐらいの運を使ってしまったようなモンなのよ。
おれたちの前へばらばらと風体の良くないのが飛び出してきた。
人を雇うにしても、どうせその辺のゴロツキ程度だろうと思っていたのだが、「八月軒」の主人ともなれば、やはり金回りがいいらしい。
おれたちの進路をふさいでいるのは、思い思いの鎧に身を包んだ傭兵たちだった。
傭兵が八人。
種族は雑多だ。人もいれば、オーク、リザードマンもいる。
そいつらの後ろから、でっぷり太った男が歩み出た。
「八月軒」の主人だ。
「エラ、こっちにおいで」と猫撫で声。
「嫌です。あたしはもう捏ねたくないんです!」
エラは大声で返した。
「そうか。パンを捏ねるのが嫌だったんだね。だったら、そう言ってくれればいいのに。大丈夫。嫌なことなんてやらなくていいんだ。もうパンを捏ねなくてもいいよ。たしか魔法を身につけたいと言っていたね? うん、魔術師の先生もつけてあげよう。だから、戻ってきておくれ。私がどれくらいおまえを大事に思っているか、わかっているんだろう?」
エラは、どうしよう、という顔でおれを見た。
「あいつの言うことを信じるか?」
エラは首をかしげた。迷っていた。
おれは彼女の目を見て言った。
「パンを捏ねなくていいってのも、魔術師をつけてくれるってのも本当かもしれない。でも、お母さんには絶対に会いに行かせてもらえないだろう。あいつは、おまえが店を空けるのをたった一日だって許さないぞ。それだけは間違いないよ」
「エラ、そんなやつの言うことを信じるんじゃない。おまえをだましているんだよ。さあ、こっちに戻っておいで」
おれは「八月軒」の小狡そうな顔を睨みつけた。
「これまで自分がさんざんだましておきながら、今さら正直者のふりかい? そうか、それなら今ここでどちらがより正直か、彼女に本当のことを言い合うってのはどうだ? 正直比べだよ。そっちが先攻でいいぜ。さあ、話しな」
「本当のことを言えだと――」
「そう、本当のこと」
「うぐぐ、本当のことなど言えばどうなるか、そっちだってわかっているんだろう?」
「おまえが言えないなら、おれが言おうか?」
「やめろ!」
「本当のことって?」
エラが目にクエスチョンマークを浮かべて、おれを見た。
「エラ、おまえには――」
「やめろおおお!」
「八月軒」が叫んだ。
「ほら、エラ、わかったろう? あいつはウソつきなんだよ」
エラはうなずいて、おれの袖をつかんだ。
「ご主人。やっぱり、あたし、ご主人のことを信用できません。あたし、師匠と一緒に行きます。これまでいろいろと良くしてくれてありがとうございました。ごめんなさい!」
ぺこり、とハーフエルフの娘は頭を下げた。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。力づくでもおまえは行かせん。おまえはずっと、うちの店の地下にいなくてはいけないんだ!」
とうとう「八月軒」は馬脚を現した。
傭兵たちが一歩前へ出た。
「管制」とおれは囁いた。
――いつまでそこにいるのよ、あんた!
おれの呼びかけに彼女は素早く応えた。
「今、出て行こうとしているところだ」
――じゃあ、とっとと出て行きなさいよ。
「ところが、そうもいかない。緊急メンテナンス作業要請、動作速度を三分の一まで低下」
――え、何よ、突然。……申請事由を報告してください。
「現地人暴漢八名に行動を妨害されている。即時排除のため」
――そんなの、標準装備能力で何とかなるでしょ。
「見物が多すぎるんだ」
――しかたないわね。じゃあ、緊急メンテナンス作業申請を許可します。動作速度を三分の一まで低下。作業開始まであと、三。……二。……一。……開始。
頬に当たる風が弱くなった。
――のではない。
時間の速度を遅らせたのだ。
今、この世界は通常の三分の一まで時間の進みが遅くなっている。
もっとも、それはおれにとってだけの話だ。
世界内に存在しているすべてが同じ時間速度で動いているから、誰も時間の速度が変わったなどとは感じない。
というか、世界内から見れば何も変わっていないというのが事実だ。
「やっーちーまーえー」
間延びして聞こえた「八月軒」の主人の声も、本当はもっと必死な感じのはず。
傭兵たちがいっせいに、おれに向かって動き出した。
が、おれの目には踊り出したようにしか見えない。
おれはゆっくり前に出た。
普通に動いたら、世界内からはとんでもなく速く動いているように見えてしまう。
一番近くにいる傭兵に向かった。
まるで格闘技の型の演武でもしているようだった。
相手の突き出してきた拳を右手でそらし、がら空きの脇腹、膵臓のあたりを左拳でゆっくりと突く。
そのまま当てても十分な威力だが、あえて最後の数ミリだけ速度を上げた。
世界内では砲撃を喰らったような衝撃だろう。
傭兵の身体は浮かび上がり、ガスの入った風船のようにフワーっと飛んで行った。
そんなふうに残りの七人もかたづけた。
ゆっくりと「八月軒」の主人の前に立つ。
やつは目を丸くして俺を見ている。
「八月軒」の目にはきっと、おれはとてつもなくケンカの強い男に見えただろう。
練達の武闘家だと思っているかもしれない。
だが、魔法やおかしな能力を使ったとは見えていないはずだ。
「管制、作業終了。動作速度復旧願います。」
――了解。……只今、通常速度に復旧しました。
「ありがとう」
――とっとと出発しなさいよね。
「八月軒」が怪訝な顔でおれを見つめていた。
自分が「ありがとう」と言われたと思ったらしい。
「わかったろ? あきらめるんだな。エラはおれが連れて行く」
「あんた、エラを独り占めするつもりか?」
「ずっと独り占めしてきたおまえに言われたくはないな」
「それは違うぞ。私は彼女の力を私の店に来る客全員に提供してきたんだ」
「大金持ちだけにな」
「エラの力にはそれだけの値打ちがあるんだ」
「それは認めよう。でも、それはあの子の力で、おまえのものじゃない」
「おまえのものでもないぞ」
おれは「八月軒」の脂肪で膨らんだ腹に拳を叩き込んだ。
肥った身体が饅頭のように地面に転がった。
ハーフエルフの娘はハラハラと小麦粉を撒き散らかしながら、おれを追ってくる。
いったいどれだけ粉をかぶっているんだろう?
「宿屋」
おれは周囲を気にしつつ、そっけなく答えた。
今のところ、見つかってはいないようだ。
「え、宿屋? 早速ですか? ケダモノですね、師匠。わかりました、あたしも弟子にしていただくからには、覚悟を決めましたから」
「何を言ってやがる。荷物を取りに行くだけだ」
「はあ、荷物を取りに行く……なるほど、師匠は、好物はあとに取っておくタイプですね?」
「おまえの頭ん中はそのことでいっぱいなんだな」
「当たり前じゃないですか。誰だって初めてのことをするときは、緊張してそのことしか考えられなくなっちゃうでしょ? 他のこと考えられる余裕なんてないですよ」
「そうか、初めてか」
「そうですよ。あたしはこう見えても身持ちが堅いんです。馬鹿にしないでください」
「馬鹿になんかしてない。おまえ、いくつだ?」
「十六か、十八です」
「十七はないのか」
「ハイ、その可能性はないと思います」
どういう可能性だよ?
話がややこしくなりそうなので、それ以上年齢について突っ込むのはやめにした。
「『八月軒』の主人に変なことされそうになったことはないか?」
「ありませんでした。きっとあたしの魅力に気づかなかったんだと思います。どうしてそんなこと聞くんですか? ……あ、さては師匠、NTRで燃えるタイプですね?」
そうか。「八月軒」のやつはかなりくわしいな。
おれは納得して、さらに足を速めた。弟子もバタバタとついてくる。
「どうして、そんなに急ぐんですか? もっとゆっくり行きましょうよ。どうせ夜までしないんですよね?」
「ワクワクをムダにさせて申し訳ないんだが、おれはおまえに何もしないから。夜になろうと、朝になろうと、しない。どんなことになっても、おまえにそういうことはしないから、安心しろ。おれは、おまえにそんなことは期待していない」
「ホントに?」
「本当だ」
「そんなこと言って安心させたところを襲うとか、鬼畜的なアレはないでしょうね?」
「ないよ。大丈夫だ。安心しろ」
「良かった。やっぱり、師匠はあたしが思った通りやさしい人じゃないですか」
そういうことではなかったが、おれは黙っていた。
おまえの特殊能力〈生ける調味料〉が欲しいだけだなんて口が裂けても言えない。
それを言わないのは、単に軽蔑されたくないからだけじゃない。
特殊能力という存在の特性のためでもある。
特殊能力というのは本当に微妙なものなんだ。
この世界の仕様書によれば、特殊能力とは現地人が誕生するときに、きわめて低い確率で付与される能力で、遺伝や環境などとは一切関係がない。
だから、弟子が特殊能力を持って産まれたのは、母親がエルフだったからでも、父親が異種族大好きの変態オヤジだったからでもない。
しかも、与えられる能力はそのときそのときにランダムに生成される。
運が悪ければ、砂漠の遊牧民に「水中を高速で泳ぐ能力」なんてのが与えられる可能性もある。
そうなれば、その能力は一生発現しないまま終わるということになる。
まあ、こんな設定はあってもなくても、世界の歴史生成にはほとんど影響しない。
世界創造においてはオプション扱いである。――しかも、かなり高額の。
つまり、特殊能力があるかないかは、世界を発注したオーナー様の趣味と予算の問題だということだ。
そして、この世界には特殊能力が存在する。
「もしかして、師匠はあたしのコネチに期待してるんですか?」
「何だ、コネチって?」
この身近にいる特殊能力の持ち主は訳の分からないことを言った。
「だから、あたしは二年間も毎日パンを捏ねてきたわけでしょ。それは他人よりパンを捏ねるのが上手ということじゃないですか。つまり、あたしはパンを捏ねる能力値が高いってことですよ。パンを捏ねる能力値、すなわち、捏ね値」
「うーん、これまでの人生、コネチの高低で人を判断したことはないなあ」
「でも、あたし、ここしばらくは捏ねる気分じゃないですから。師匠が期待してもムダですよ」
おれは弟子のオツムの構造にほとほと呆れた。
だが、彼女の場合、その低スペックさが幸運だったのかもしれない。
特殊能力は魔法・魔力とは別物だ。
だから、どんな特殊能力も魔法で止めたり促進したりはできない。
ときどき魔法無効な英雄とか出てきたりするので、特殊能力が存在すること自体は、この世界の住民にも知られている。
だが、彼らはすぐに適当な理由をこじつけるので、これも所詮設定にすぎないなどとは考えもしない。
ただ、不思議なことをそのまま放っておくには、彼らは好奇心が強すぎる。
それで、彼らは彼らなりに特殊能力の特性を調べてきた。
その特性の一つが、特殊能力とはきわめて不安定な存在だということだ。
持ち主のちょっとした変化で、能力が増大したり消滅したりする。
たとえば、第三者の前では発動しないとか。
よくあるのは、自覚とともに使えなくなったり、消滅したりすることだ。
心理的な変化――子どもから大人になるとか、子を持って親になるとか、そういう心理的変化が能力の消長に影響することも知られている。
どうやら、わが弟子は自分の能力にまだ気づいていないようである。
自分がいると周りにいる人間がみんな美味しくゴハンを食べられるのだ、と彼女が知ったら――?
あるいは、彼女のおっぱいにクラクラして寝込みを襲ったりしたら――?
もちろん、彼女の特殊能力は消滅しないかもしれない。
だが、露と消えてしまったらどうする?
そんな馬鹿な賭けをする理由がどこにあるというんだ?
「八月軒」の主人もそれをよくわかっていた。
だから、本人には何も言わず、エッチなこともせず、店の地下でずっとパンを捏ねさせていたのだ。
そして、上の店では、お客たちが何も知らずに、主人の作る料理は絶品だと大喜びしていたわけだ。
しかし、今、あの店の美味の秘密はおれと一緒に町を歩いている。
不味くはないだろうが、これまでとは格段に味の落ちた料理を食べさせられている客たちは、どんな反応を示しているだろうか。
店の主人ももう、彼女がいないことに気づいているだろう。
人を出して、町中探し回らせているに違いない。
おれは一刻も早くハーフエルフの娘を連れて、町から脱出しなければならない。
「そういえば、まだおまえの名前を聞いていなかったな」
「エラです。エラ・ルーツ・ノルデンショルト」
「そうか、エラか」
「師匠の名前も教えてくださいよ」
おれは思わず足を止めてしまった。背中にエラがぶつかってきた。
「もうっ! 急に立ち止まらないでくださいよ」
「おれの名だが――」
困ってしまった。おれにだって名前はあるが、それはこの世界のものではない。
この世界の者には発音できないだろう。
今まで名前が必要なときは、そのときそのときで適当に名乗ってきた。
使い慣れた偽名のようなものはなかった。
しかし、弟子に聞かれるたびに違う名前を名乗るわけにもいかない。
ふと見ると近くにあった家の庭に松の木が生えていた。
「おれはキーファーだ。ヨーゼフ・キーファー。いいか、間違ってもヨーゼフなんて呼ぶなよ」
「はいはい、わかってますよ、師匠」
宿屋までは何もなく到着した。
部屋へ上がって荷物をまとめると、すぐに宿を出た。
宿代は前払いで三日先の分まで払ってあった。
宿の主人もおれがこのまま出て行くとは思わなかったろう。
おれはまっすぐ南の城門へ向かった。
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一人旅なら馬に乗って行くか、管理人の標準装備能力を使って日数を短縮するところだ。
だが、エラが一緒だとそうもいかない。
旅の鋳掛屋が馬になんか乗るはずがないからだ。
管理人の標準装備能力を使って歩いたら、彼女の足では到底ついてこられない。
管制には文句を言われるのを覚悟で、ゆっくり行くしかない。
エラの能力にはそれぐらいの価値がある……と思う。
やがて南側の城壁が見えてきた。
城門まではもうじきだ。
閉門時刻まではまだだいぶある。あわてなくても今日中には町を出られる。
あとは「八月軒」のやつらに見つかりさえしなければ――
が、さすがにそこまで上手い具合に物事は運ばない。
もともとツキに恵まれない方だからね、おれ。
エラを手に入れられただけでも、向こう十年分ぐらいの運を使ってしまったようなモンなのよ。
おれたちの前へばらばらと風体の良くないのが飛び出してきた。
人を雇うにしても、どうせその辺のゴロツキ程度だろうと思っていたのだが、「八月軒」の主人ともなれば、やはり金回りがいいらしい。
おれたちの進路をふさいでいるのは、思い思いの鎧に身を包んだ傭兵たちだった。
傭兵が八人。
種族は雑多だ。人もいれば、オーク、リザードマンもいる。
そいつらの後ろから、でっぷり太った男が歩み出た。
「八月軒」の主人だ。
「エラ、こっちにおいで」と猫撫で声。
「嫌です。あたしはもう捏ねたくないんです!」
エラは大声で返した。
「そうか。パンを捏ねるのが嫌だったんだね。だったら、そう言ってくれればいいのに。大丈夫。嫌なことなんてやらなくていいんだ。もうパンを捏ねなくてもいいよ。たしか魔法を身につけたいと言っていたね? うん、魔術師の先生もつけてあげよう。だから、戻ってきておくれ。私がどれくらいおまえを大事に思っているか、わかっているんだろう?」
エラは、どうしよう、という顔でおれを見た。
「あいつの言うことを信じるか?」
エラは首をかしげた。迷っていた。
おれは彼女の目を見て言った。
「パンを捏ねなくていいってのも、魔術師をつけてくれるってのも本当かもしれない。でも、お母さんには絶対に会いに行かせてもらえないだろう。あいつは、おまえが店を空けるのをたった一日だって許さないぞ。それだけは間違いないよ」
「エラ、そんなやつの言うことを信じるんじゃない。おまえをだましているんだよ。さあ、こっちに戻っておいで」
おれは「八月軒」の小狡そうな顔を睨みつけた。
「これまで自分がさんざんだましておきながら、今さら正直者のふりかい? そうか、それなら今ここでどちらがより正直か、彼女に本当のことを言い合うってのはどうだ? 正直比べだよ。そっちが先攻でいいぜ。さあ、話しな」
「本当のことを言えだと――」
「そう、本当のこと」
「うぐぐ、本当のことなど言えばどうなるか、そっちだってわかっているんだろう?」
「おまえが言えないなら、おれが言おうか?」
「やめろ!」
「本当のことって?」
エラが目にクエスチョンマークを浮かべて、おれを見た。
「エラ、おまえには――」
「やめろおおお!」
「八月軒」が叫んだ。
「ほら、エラ、わかったろう? あいつはウソつきなんだよ」
エラはうなずいて、おれの袖をつかんだ。
「ご主人。やっぱり、あたし、ご主人のことを信用できません。あたし、師匠と一緒に行きます。これまでいろいろと良くしてくれてありがとうございました。ごめんなさい!」
ぺこり、とハーフエルフの娘は頭を下げた。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。力づくでもおまえは行かせん。おまえはずっと、うちの店の地下にいなくてはいけないんだ!」
とうとう「八月軒」は馬脚を現した。
傭兵たちが一歩前へ出た。
「管制」とおれは囁いた。
――いつまでそこにいるのよ、あんた!
おれの呼びかけに彼女は素早く応えた。
「今、出て行こうとしているところだ」
――じゃあ、とっとと出て行きなさいよ。
「ところが、そうもいかない。緊急メンテナンス作業要請、動作速度を三分の一まで低下」
――え、何よ、突然。……申請事由を報告してください。
「現地人暴漢八名に行動を妨害されている。即時排除のため」
――そんなの、標準装備能力で何とかなるでしょ。
「見物が多すぎるんだ」
――しかたないわね。じゃあ、緊急メンテナンス作業申請を許可します。動作速度を三分の一まで低下。作業開始まであと、三。……二。……一。……開始。
頬に当たる風が弱くなった。
――のではない。
時間の速度を遅らせたのだ。
今、この世界は通常の三分の一まで時間の進みが遅くなっている。
もっとも、それはおれにとってだけの話だ。
世界内に存在しているすべてが同じ時間速度で動いているから、誰も時間の速度が変わったなどとは感じない。
というか、世界内から見れば何も変わっていないというのが事実だ。
「やっーちーまーえー」
間延びして聞こえた「八月軒」の主人の声も、本当はもっと必死な感じのはず。
傭兵たちがいっせいに、おれに向かって動き出した。
が、おれの目には踊り出したようにしか見えない。
おれはゆっくり前に出た。
普通に動いたら、世界内からはとんでもなく速く動いているように見えてしまう。
一番近くにいる傭兵に向かった。
まるで格闘技の型の演武でもしているようだった。
相手の突き出してきた拳を右手でそらし、がら空きの脇腹、膵臓のあたりを左拳でゆっくりと突く。
そのまま当てても十分な威力だが、あえて最後の数ミリだけ速度を上げた。
世界内では砲撃を喰らったような衝撃だろう。
傭兵の身体は浮かび上がり、ガスの入った風船のようにフワーっと飛んで行った。
そんなふうに残りの七人もかたづけた。
ゆっくりと「八月軒」の主人の前に立つ。
やつは目を丸くして俺を見ている。
「八月軒」の目にはきっと、おれはとてつもなくケンカの強い男に見えただろう。
練達の武闘家だと思っているかもしれない。
だが、魔法やおかしな能力を使ったとは見えていないはずだ。
「管制、作業終了。動作速度復旧願います。」
――了解。……只今、通常速度に復旧しました。
「ありがとう」
――とっとと出発しなさいよね。
「八月軒」が怪訝な顔でおれを見つめていた。
自分が「ありがとう」と言われたと思ったらしい。
「わかったろ? あきらめるんだな。エラはおれが連れて行く」
「あんた、エラを独り占めするつもりか?」
「ずっと独り占めしてきたおまえに言われたくはないな」
「それは違うぞ。私は彼女の力を私の店に来る客全員に提供してきたんだ」
「大金持ちだけにな」
「エラの力にはそれだけの値打ちがあるんだ」
「それは認めよう。でも、それはあの子の力で、おまえのものじゃない」
「おまえのものでもないぞ」
おれは「八月軒」の脂肪で膨らんだ腹に拳を叩き込んだ。
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「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」
晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。
追放シーフの成り上がり
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王都のギルドでSS級まで上り詰めた冒険者パーティー【オリオン】の一員として日々活躍するディーノ。
前衛のシーフとしてモンスターを翻弄し、回避しながらダメージを蓄積させていき、最後はパーティー全員でトドメを刺す。
これがディーノの所属するオリオンの戦い方だ。
ところが、SS級モンスター相手に命がけで戦うディーノに対し、ほぼ無傷で戦闘を終えるパーティーメンバー。
ディーノのスキル【ギフト】によってパーティーメンバーのステータスを上昇させ、パーティー内でも誰よりも戦闘に貢献していたはずなのに……
「お前、俺達の実力についてこれなくなってるんじゃねぇの?」とパーティーを追放される。
ディーノを追放し、新たな仲間とパーティーを再結成した元仲間達。
新生パーティー【ブレイブ】でクエストに出るも、以前とは違い命がけの戦闘を繰り広げ、クエストには失敗を繰り返す。
理由もわからず怒りに震え、新入りを役立たずと怒鳴りちらす元仲間達。
そしてソロの冒険者として活動し始めるとディーノは、自分のスキルを見直す事となり、S級冒険者として活躍していく事となる。
ディーノもまさか、パーティーに所属していた事で弱くなっていたなどと気付く事もなかったのだ。
それと同じく、自分がパーティーに所属していた事で仲間を弱いままにしてしまった事にも気付いてしまう。
自由気ままなソロ冒険者生活を楽しむディーノ。
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サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
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