天才たちとお嬢様

釧路太郎

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危険な兄と妹編

亞燕と卑怨

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 禮禮屋に行って以来、俺は美桜ちゃんに会うことが無かった。夢の中でも学校でも美桜ちゃんに会うことは無かったのである。
 その代わりなのかわからないが、昼休みになると藤次郎さんが俺の様子を見にやってくるのだ。何かを話すわけでもなくただ黙って見られるだけの時間なのだが、藤次郎さんがやってくるたびに少しずつ怪我が増えているのだった。
「その怪我はどうしたんですか?」
「何でもない。何も問題はない」
 藤次郎さんは見た目とは裏腹に元気な声でそう言ってくるのだが、どう見ても問題があるようにしか見えないのだ。なぜあそこまで怪我が多いのかわからないが、心配をしても何も教えてもらえないのだ。
「おそらくなんですが、禮禮屋に行って以来、藤次郎さんは毎晩夢の中で美桜さんを止めようとしているのだと思いますよ。その甲斐もあってだと思いますが、将浩さんの夢の中に美桜さんはやってきてないんですよね?」
「そうですけど、どうしてそれがわかるんですか?」
「何となくなんですが、将浩さんが夢で美桜さんに襲われた次の日は嫌な感じがしてたんですよ。何とも言えないような得体のしれない気持ち悪さがあったのですが、禮禮屋に行って話しを聞いてからはそれが無くなったんです。私の考えでは、将浩さんの夢に入り込もうとしている美桜さんを藤次郎さんが止めているのだと思うのですが、その代償なのか藤次郎さんは体力も精神力も削られてしまっているのだと思います」
「それって良くない事じゃないんですか。今すぐやめさせた方がいいと思うんだけど、どうしたらいいんだろう」
「私もそろそろ藤次郎さんの限界は近いと思うのですが、おそらく彼は成し遂げるまでやめないでしょうね。ここでやめてしまっては意味がないと本気で思っているんだと思います」
「確かにそうかもしれない。ジェニファーさんはあとどれくらいで美桜ちゃんの魔剣亞燕を壊せると思うかな?」
「そうですね。今の感じで行くと仮定すると、一生無理じゃないですかね。実際にやりあっているところを見たことが無いのでわかりませんが、ずっと剣術を学んでいて技量差が大きいとはいえ、破壊するべき的があまりにも小さすぎるのでどんなに技術に優れていても破壊することは不可能だと思います。将浩さんは知らない子供が持っている宝石を壊せと言われてすぐに壊せると思いますか?」
「それは出来るんじゃないかな。奪い取って壊しちゃえばいいわけだし」
「では、その相手が知らない子供ではなく妹の璃々さんだとしたらどうでしょうか。璃々さんはもちろん抵抗もします。嫌がる璃々さんから宝石を奪って壊すことなんて出来るんでしょうか?」
「理由にもよると思うけど、出来るとは思うよ。でも、少しは苦戦するかもしれないな」
「その宝石がやっとの思いで手に入れた命にも代えがたい物で、本人はそれを本物だと思い込んでいるとします。ですが、それは璃々さんの欲しかった宝石ではなく見た目だけは似ている偽物であって、それを持っていると呪われて死んでしまう宝石だと将浩さんは知っているとします。上手に璃々さんを説得して奪い取って壊すことが出来ると思いますか?」
「璃々が相手だったら無理だと思う。無理やり力づくでどうにかすることは出来ると思うけど、言い合いになったら俺は絶対に勝てないと思う。でも、力づくだとしても俺は璃々がそこまで信じている物を奪い取ることなんて出来ないかもしれないな。なんだかんだ言って、璃々が悲しむところは見たくないと思うよ。それが呪われている物だと知っても璃々は本物だと信じているんだろうからね」
「藤次郎さんも同じような事を考えているんだと思いますよ。そうでなければあそこまで一方的にやられてるとは思いませんからね。もしかしたら、藤次郎さんは妖刀卑怨を使ってないんじゃないですかね。使ってたらあそこまで追い込まれることも無いと思いますし」
「さすがにそれは無いでしょ。夢の中とは言えさ、刃物を持っている相手に素手で立ち向かうはずは無いって」
 ジェニファーさんは時々とんでもないことを言いだすのだが、さすがに与えられた武器をもっていかずに刃物を持った相手に対峙するなんて普通ではないだろう。夢の世界とはいえ、無防備な姿で突入するのは無鉄砲すぎるというものだ。

「確かに、ジェニファーさんの言う通りで俺は妖刀卑怨を使ってはいない。美桜の夢に何度も入ってはいるのだが、夢の中とは言え美桜の顔を見てしまうと刀を持つ手に力が入らなくなってしまうのだ。小さいころから見ている美桜を俺の手で斬ることなんて出来ないんだ。魔剣亞燕を破壊してしまえばいいというのは分かっているんだが、俺の剣の軌道では美桜を傷つけずに破壊だけするなんて無理なんだ」
 なんという事だ。ジェニファーさんが言ったのと少し違ってはいたが、藤次郎さんはあれから毎晩美桜ちゃんの夢に出てはどこかへ行こうとしているのを阻止しているとのことだ。自分の妹に向かって攻撃を出来ないというのは俺も気持ちがわかるし、ジェニファーさんもその気持ちを理解しているので強く言えないのである。
「あまり心配をかけたくないので会話などは避けていたのだが、かえってそれが心配をかける要因になっていたようだね。でも大丈夫だよ。今夜こそ勝負をつけるから。それだけは安心してくれていいからね」
「あの、詳しく聞いたわけじゃないんで間違ってたらすいません。先輩は夢の中で中学生の妹と戦ってるって事なんですよね?」
「そうだけど。それがどうかしたのかな」
 突然愛華さんが話に割り込んできたので驚いてしまった。だが、それ以上に驚いていたのは藤次郎さんだった。今までずっと藤次郎さんを避けていた愛華さんが自分から藤次郎さんに話しかけてくるなんて誰も夢にも思わなかったからだ。
「どういうことになってるのか詳しく聞いてもいいですか?」
 俺刀藤次郎さんとジェニファーさんの三人は今まであった事を掻い摘んで説明した。愛華さんも知っていることは多少あったみたいだが、夢の世界で魔剣に呪われている話と俺がそれにターゲットになっていたという話はすんなりと受け入れてもらえたのだ。
「変だって思ってますよね。でも、嘘じゃないんですよ」
「信じますよ。私もそういうのに関わったことありますから。この世界に戻ってこれるまでに色々と体験してましたし、その中では夢の世界で戦ったって事もあったと思いますよ。そういう意味では、私の方が皆さんより先輩ってことになるかもしれませんね」
 そう言って愛華さんはおどけてみせたのだが、その目には少しだけ悲しさが宿っているようにも見えた。
「私は夢の世界で昌晃と戦って何度か殺してるんですよ。でも、昌晃は何度殺しても向かってくるんですよね。どうしてそんなに向かってくるんだろうって思ってたんですけど、私が逆にやられると夢の世界での戦いって一回で終わっちゃったんですよ。昌晃は何度私に負けても続いていたのに、私は一回負けただけで終わりなんだって思ってがっかりしたこともありましたよ。その時は私の方が悪の親玉みたいな感じだったみたいですよ。まあ、何が言いたいかと言いますと、夢の世界で何度殺したって平気だよって事です。先輩は目の前にいるのが妹さんだから攻撃するのに躊躇してしまうと思うんですが、夢の世界での出来事は体には負担はかかってないと思いますからね。遠慮しないで思いっきり妖刀を振り回しちゃえばいいと思いますよ。そうすれば先輩も楽になると思いますし、神山君も助かると思いますし、何より妹さんが一番楽になるんじゃないかなって思いますよ。先輩は妹さんが可哀想で攻撃できないんだと思いますけど、毎晩魔剣に振り回されている今の状態の方が妹さんには良くないと思いますからね。攻撃しないで毎晩魔剣に操られるくらいだったら、一回斬られて魔剣から解放された方がいいと思いますよ」
 俺と藤次郎さんはお互いに目を合わせていた。その表情を見た感じ、愛華さんの言葉に驚嘆しているようだった。
「そうだ。そうだな。俺は美桜の事を可愛そうだと思って斬ることが出来なかったのだが、魔剣に操られている今の状態を放置しておく方が可哀想だな。愛華さん、俺はあなたの言葉に強く感銘を受けました。あなたが仰ったことを胸に深く刻んで妹と向き合います。その結果、無事に魔剣から無事無傷な状態で妹を解放できましたら、俺と付き合ってください」
「先輩の剣術なら大丈夫だと思いますよ。普通にしていれば妹さんに負けないと思いますから。でも、それと付き合うのは関係ないですよね。私は先輩と付き合うつもりは未来永劫無いですから」
 藤次郎さんは最後までブレない人だなと思ったのだが、それ以前に愛華さんも全くブレることが無いなと感じていた。
 なんにせよ、これで美桜ちゃんが魔剣亞燕から解放される可能性が出てきたのは良いことだと思う。
「それにしても、魔剣亞燕に妖刀卑怨って、変な名前ですね」
 俺も最初からそれは思っていたのだがあえて口に出すことは無かった。だが、愛華さんがそれを言ってくれたことでみんなが思っていたことを口に出すことが出来たのだ。
 実際に何かを行動しなくても問題を解決に導いてくれる愛華さんは凄いと思ったのだが、俺達がずっと言えなかったことも言ってくれたのは心の重荷が取れたようでスッとした気分になれていたのだった。
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