天才たちとお嬢様

釧路太郎

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危険な兄と妹編

脱がされた俺

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「将浩さんってこういう時は素直なんですね。ちょっと意外でした。でも、そういうところは好きですよ」
 ジェニファーさんは俺の脇腹を優しく撫でながらそう言ったのだが、俺のシャツが視界を塞いでその表情までは見えなかった。どんな顔をしているのか気になってはいたのだが、俺からはジェニファーさんの表情を確認することは出来なかった。逆に考えると、ジェニファーさんも俺の顔が見えないという事なのだろう。たぶん俺はとても情けない顔をしていると思うので、見られていないというのは少しだけ安心出来るのであった。
「どうですか、痛かったりしないですか?」
「痛くは無いですけど、ちょっとくすぐったいです」
「痛くないんですね。これくらい強く押しても痛くないですか?」
「痛くは無いですけど、やっぱりくすぐったいです」
「そうですか。それならこれで終わりですね」
 ジェニファーさんは脱げかけの俺の服を元に戻してくれたのだが、まるで何事も無かったかのように掃除を始めていた。その姿に呆気にとれていたのだが、そんな俺を無視するようにジェニファーさんは掃除機のスイッチを入れていたのだ。俺はさっきまで行われていたことが何だったのか気になっていたのだが、自分からそんな事を聞きだすことも出来ずにただただ掃除をしているジェニファーさんを見ていることしか出来なかったのだ。
「あ、やっぱり掃除は任せてくださるんですね。自分の部屋だから大丈夫だって言ってましたけど、私がやった方が綺麗になりますもんね。恥ずかしがらずに最初から言ってくれれば良かったんですよ。私は将浩さんに頼まれたことは大体断らないですから」
「いや、そう言うわけじゃないんですけど。さっきのは何だったんだろうって思って」
「さっきの?」
「えっと、そこで俺のシャツを」
「ああ、それですか。それならあまり気にしなくても大丈夫ですよ。ちょっと確認したいことがあっただけですから。変な意味に受け取らなくても大丈夫ですから。将浩さんは何も気にしなくていいですからね」
 そう言われて気にしない男がいるのだったら教えてもらいたい。あんなに近くまで来られてシャツをめくられて脇腹を何度も触られて気にしなくていいと言われても、そんなのを気にしない男なんているのだろうか。それも、ジェニファーさんは綺麗でいい匂いがするんだから黙って何も無かったことになんて出来ないだろう。だが、俺は言われた通り気にしなくなっちゃうんだろうな。
「やっぱり将浩さんって素直ですね。どうしてあんなことをしたんだって聞かないですもんね。聞かれたら素直に答えようと思ったんですけど、こういう言い方をしたら将浩さんは尋ねてくるんだろうなって思うんですが、やっぱり気になっちゃいますか?」
「もちろん、気になりますよ。なんであんなことしたんですか?」
 誰だってあんなことをされたら気になってしまうだろう。いきなり近付かれて服を脱がされたら誰だってドキドキしてしまうものだと思う。それなのに、いきなり気が変わったかのように掃除をし始めたのも何が何だかわからなかった。
「どうしてあんなことをしたのか。それについてお答えしますと、綾乃お嬢様に確認するように頼まれたからなんですよ。綾乃お嬢様の話では、将浩さんが何者かにわき腹を刺された可能性があるって事だったんです。将浩さんが怪我をしたという情報はどこにもなかったのでそんなことは無いだろうと思って確認したんですが、触って確かめてもどこにもそのような跡は無かったですよね。右も左も刺されていなかったんですが、最近何者かに刺されたって記憶はありますか?」
「そんなのないですよ。刺されてたとしたら病院に行ってますし、こうして普通に過ごしてないと思いますよ」
「それもそうですよね。でも、綾乃お嬢様はとても心配していたようでしたし、まるで将浩さんが刺されたところを見てきたような感じでしたよ。綾乃お嬢様っていったい何を見たんでしょうね」
 思い当たる節と言えば、夢の中で美桜ちゃんに刺されたことくらいなのだが、俺が見た夢をなぜ綾乃が知っているのだろうか。もしかして、綾乃も俺と同じような夢を見たという可能性があるのかもしれないが、たまたまそんな夢を見たとしてジェニファーさんに俺の体を確認させるような事を指示するはずがない。
「確認なんですが、綾乃は俺が刺されたところを見たって言ってたんですか?」
「どうなんでしょうね。綾乃お嬢様は将浩さんが刺されているかもしれないから確認して都は言ってましたけど、刺されたとは言ってなかったかもしれないですね」
「なんで綾乃は俺が刺されたって思ったんでしょうね。そもそも、誰に刺されたと思ったんだろう?」
「さあ、詳しく聞いていないのでわからないですね。私は将浩さんが本当に刺されたのか確認して欲しいと頼まれただけですし。確認したところ、そのような傷はありませんでしたけどね」
 ジェニファーさんは俺の服の上から軽く俺の脇腹を突いてきた。いきなりの出来事で俺は身構えることも出来ずに受けてしまい変な声を出してしまったのだが、その声を聞いたジェニファーさんは笑いをこらえきれなかったというような感じで小さく笑っていた。
「ごめんなさい。変な声を出すから笑ってしまいました」
「いきなりそんな事をされたら誰だって変な声出ますよ。ジェニファーさんが男だったら仕返ししているところですよ」
「あら、別に私に触れてもいいんですよ。将浩さんがそうしたいって思うならいくらでも触ってくれていいですからね。ほら、触りたいところを指さしてくれてもいいんですよ」
 ジェニファーさんは俺を挑発するように体を揺らしながら真っすぐに俺の事を見ていた。俺はその視線を避けるようにしてうつむいてしまっていた。
「そうなんですか。やっぱり将浩さんも男の子なんですね。私の胸を触りたいなんて大胆ですよ。ダイタンです」
「ち、違いますって。そういう意味じゃなくてうつむいただけですって。それに、触りたいだなんて思ってないですし」
「思ってないんですか。将浩さんだったら触らせてあげても良いのになって思ったんですけどね。触ってもらえないなら我慢しないとですね」
 俺は驚いて顔を上げてしまったのだが、俺を見ているジェニファーさんは今にも吹き出してしまうと言った感じで笑いをこらえているようだった。
 こんなに簡単に騙されてしまうなんて思っても見なかったのだが、ジェニファーさんが人を騙すのが上手いというだけの話なのかもしれない。というよりも、俺が単純なだけなのだろうと思っていた。
 いつの間にか雨はやんでいたのだが、俺の心は晴れることは無かったのだった。
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