ストレイキッズ号の約束

稲葉海三

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11.空回りのヒーロー

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 ストレイキッズ号に、二回目の乗車をした翌日。
 つまり、日曜日だ。
 ここでルールのおさらいをしておくと、『コンシェルジュ』は、三回目の乗車までに『お客さま』のなやみを解決しなくてはいけない。
 つまり、期限はあと一週間ということだ。
 今日、桐谷が父さんに手紙をわたして、家族問題が解決すれば、余裕でセーフとなる。
 おれもその場にいる約束なので、お祝いのクラッカーでも用意しとくか?
 ま、ふざけたことをすると、怒られそうなので、やめておこう。
 アッチッチ!
 おれは今、よそ行きのシャツに、アイロンをかけている。
 アイロンなんて、母さんにやってもらっていたが、見よう見まねでやると、意外とむずかしい。すみの部分までしっかりとピンと伸びないんだ。
 時間をかけて、ていねいにやったら、なんとか見られるようになった。
 桐谷の父さんがどんな人かわからないけど、礼儀正しい人なら、きちんとした格好の方がいいだろう。
 おれの予想だと、几帳面で髪型を七三分けでビシッとした、スマートなおじさんだ。
 おっと、そろそろ時間だな。
 時計を見ると、午後一時四十分。
 待ち合わせは二時なので、もう出ないといけない。

 待ち合わせの公園に行くと、すでに桐谷は来ていた。
「あれ、待たせちまったか。ごめんな」
「ううん、わたしも今きたところ」
 休日にふたりで待ち合わせて出かける。
 ある意味、ショウヘイの言っていたデートの約束みたいだと気づいて苦笑する。
 もちろん、実際のデートのような、ウキウキした楽しいものではない。
  おれたちの運命を決める、大事な勝負の日。
 朝から緊張して、何度も水を飲んでしまった。
「どうだ、きちんと手紙を書けたか?」
「うん。朝から図書館に行ってずっと書いてた。一生懸命、今の気持ちを伝えるためにがんばったよ」
「そうか、がんばったな」
 桐谷はピンク色の封筒を取り出す。
 中には、便せんが入っているのだろう。
 おれはもらったことないけど、ラブレターみたいに見える。
 いや、そこらのラブレターなんかより、よっぽど気持ちのこもった手紙だろう。
 ……桐谷の気持ち、伝わるといいな。
「よし、準備は万端だな! さっそく行こうぜ。案内してくれよ」
「うん」
 おそらく桐谷もすごく緊張しているのだろう。
 おれは安心させるために、わざと明るい声をだした。
 桐谷に先導してもらって、あとからついていく。
 無言で公園から住宅街に向かって五分ほど歩くと、桐谷はある一軒家の前で立ちどまった。
「ここが、うちだよ」
「おう。いい家だな」
 桐谷の家は、青い屋根のきれいな家だった。
 ただ、庭の草木が伸び放題になっているのが、気になった。
 桐谷の父さんは仕事があるし、桐谷だけだと手が回らないのかもしれない。
 結構大きな家だけど、ここにふたりでくらすってのは、さびしいよな。
 おれもじいちゃんの家で、ときどき、たまらなくさびしくなるときがある。
「お父さん……休みだからずっと家にいるはず」
「そうか、なら都合がいいな」
「ただ、鳴瀬くんが来るとは言ってないから、だらしない格好していたら、ごめんね」
「気にすんな。おれのとこだって、じいちゃんがふんどし姿で、歩いているときがあるし」
「さすがに、お父さんは服を着ているよ」
 桐谷がおかしそうに笑う。
 いい感じで、緊張もほぐれたようだ。
「ただいま」
「おじゃまします」
 おれはあいさつをしながら、ろうかを桐谷に案内されて歩いていく。
 家の中はそうじをしてあるようで、結構きれいになっている。
 でも、ろうかを歩いていると、なんか変なにおいがただよってくる。
 ……なんだ、このにおい?
 ゴミみたいないやなにおいでもないけど、あんまり好きなにおいではない。
「お父さん、まさか!」
 桐谷のあせったような声をだすと、部屋のドアを開けた。
 ドアを開けると、一気に、においが強くなる。
 部屋の中は居間のようで、ソファとガラスのテーブルがおいてある。
  おそらく桐谷の父さんだと思われる人が、ソファに力なくもたれかかりながら、ガラスのグラスで何かを飲んでいる。
 そばに散乱しているビンがあるし、飲んでいるのは酒なのだろう。
 さっきからにおっていたのは、アルコールの臭いだったのか。
 ソファに座っているおじさんは、ボサボサの髪とヒゲに、しわだらけのシャツ。
 桐谷の父さんが、想像していたのとまったくちがうので、思わず「うわぁっ」と声を上げそうになった。
 ……昼から酒って、ただのだめな大人じゃねえか。
「……お父さん、お酒はやめるって言ったのに」
「うるせー! だれもいないなら、飲むしかねーじゃねーか」
 完全に酔っぱらっているみたいだ。
 桐谷はため息をついてテーブルに手紙をおくと、散らかっているビンなどを片づけはじめた。
「ごめんなさい、鳴瀬くん。お父さんがこんな状態だから、時間をおいてからにするね」
「うん。それがよさそうだな」
「……おい、そいつは誰だ?」
 おじさんは、おれに気づいたようで、アルコールで濁った目を向けてくる。
「クラスメイトの鳴瀬くん」
「はじめまして」
 おれは頭を下げるが、おじさんはおれを無視して桐谷を見ると、
「勝手に家に連れてくるんじゃない!」
 と、しかるように言った。
「ごめんなさい。わたしがムリに言って、来てもらったの」
  おじさんはブツブツと何かを言っていたが、「チッ、まあいい」と目をそらす。
  ひどくだるそうで、フラフラしながらテーブルに手をついた。
  すると、おじさんの手が、桐谷の手紙にふれる。
「何だ……これ?」
  おじさんは、手紙を持ち上げると、桐谷に聞いた。
「……今は無理だと思うから、あとで読んでくれる。その……お母さん――」
 桐谷の「お母さん」という言葉を聞くと、眠そうだったおじさんの目は、カッと見開く。
「あいつのことは、もう忘れろと言っただろ!」
「あっ……」
 ビリッ。
 おじさんは手紙を力まかせに、破いてしまう。
 ……何しやがるんだ!
 おれは桐谷の気持ちが、引き裂かれた思いがした。
  目がくらむほどの怒りがこみ上げる。
  だけど、桐谷はおじさんのことをまっすぐに見て、話しかける。
「お母さんを忘れるなんて……できないよ! 今ならわかる。わたしたちは、みんな少しずつ悪かったの。おねがい、お父さん。もっと話し合おう――」
「うるさぁぁい! 子どもが口をだすんじゃない!」
 おじさんは顔を真っ赤にしながら、立ち上がる。
 桐谷に向かって、大きく手を上げる。
 ……ふざけんな!
 桐谷が叩かれそうになるのを見て、おれの体が勝手に動いた。
 怒りにまかせて、おじさんの足を思い切り払う。
 柔道の『足払い』という技である。
 おじさんの体は宙にういて、あお向けに床に放り出される。
 ドサッ。
 受け身も取れずに、床に頭をしたたか打ちつけたおじさんは、ピクリとも動かない。
「お父さん! お父さん! 」
 桐谷はあせった顔で、倒れたおじさんに呼びかける。
 おれの熱くなっていた頭から、一気に血の気が引いてしまった。
 ……またやっちまった。
 本来なら、相手の上体をつかみながら技をかけ、終わったあとも、相手が頭を打たないようにしなくてはいけない。
  かたい床で技をかけるなんて、絶対にしちゃいけないんだ!
  あわてて、おじさんをソファに寝かしつける。
  ケガをせず、ただ意識を失っただけですんだみたいなので、おれはほっとした。
「……ごめん。桐谷」
「どうして……」
 桐谷はおれの顔を見ずに、おじさんの顔を見ながら、つぶやくように続ける。
「なんで、男の人はすぐに暴力をふるおうとするのかな……」
「……おれは、桐谷のことを守ろうとして」
 自分でもわかっている。
 こんなのは、ただの言い訳だ。
 桐谷はぐったりとつかれたような顔を上げて、おれを見る。
「こんな……こんなつもりじゃなかった。鳴瀬くんなんて、呼ばなきゃよかった……」
 桐谷からの明確な拒絶。
 おれの胸の中に、黒くて熱いものがこみ上げてくる。
「はっ、何だよそれ! おまえが呼んだから来てやったんだろ! ふざけんなよ!」
 ちがうっ……そんなことを言いたいわけじゃない。
 おれの意思に関係なく、口からイヤな言葉があふれ出す。
「……帰ってくれるかな。もう、鳴瀬くんの顔も見たくないよ」
 こおるような冷たい水を、全身にあびたような気分だ。
 目の前の景色がにじんで、見えにくくなる。
「あっ……」
 桐谷が何か言いかけたが、よく見えない。
 おれは右腕で顔をこすると、背を向けてかけ出した。
 何か声が聞こえたような気がするが、立ちどまる気はない。

  どうやって帰ったかはおぼえていない。
  部屋についたら、枕だけだして、畳の上で横になる。
  ただ、自分がゆるせなかった。
  手紙を破られても、一生懸命、おじさんと話そうとしていた桐谷は立派だった。
  それにくらべて、おれは……。
  いくら腹が立っていたからといっても、おじさんをとめる手段はいくらでもあったはずである。
  あげくの果てに、桐谷にあたって、泣いて帰る。
  サイテーでかっこ悪い……。

『お兄ちゃんは、あずさにとってスーパーヒーローだよ!』

 ……ごめん、あずさ
 おれは……ヒーロー失格だ。
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