初恋迷路

稲葉海三

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3.わたしは信じてるよ!

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 家の中が、ドタドタとさわがしい。
 ……なんだろう?

「あずさ、具合はどう?」

 ドアをあけて、スーツ姿のお母さんが入ってくる。
 えっ? と頭を起こそうとすると、パサッとタオルが落ちた。
 ひたいにのっていたらしい。
 しめっていて冷たいので、しぼったばかりみたいだ。

「あれ? お母さん、もう帰ってきたの?」

 よく寝た気分である。
 頭のイタみがなくなり、すごくスッキリしていた。

「36.6℃……すっかり平熱になったみたいね。カケルくんの看病のおかげかしら。あとでお礼をしないと」

 体温計を見て、お母さんがホッとしたような顔で言った。

「えっ、カケルって?」
「さっきまで、わたしたちのかわりに、あずさの看病をしてくれてたでしょ? カケルくんのおかげで、今日は助かっちゃった」
「えっ、えっ、カケルがいたの? わたしずっと寝てて、気づかなかったよ」

 わたしのひたいにのっていたタオルは、カケルがやってくれたのかな。
 時計を見ると、午後の3時になっている。
 わたしってば、ずっと寝ていたみたい。
 だから、あんなに長い夢を見ていたんだ。
 ……なつかしい夢だったな。

「よっぽど薬が効いてたのかしら? カケルくんには、あとでちゃんと、お礼を言っておきなさいよ」
「はーい」

(……ずっと寝ていたなんて、あとでバカにされるだろうな……)

 今さら、寝顔を見られて恥ずかしいってのはないけどさ。


 次の日になると、わたしの体調は、すっかり元通り。
 わたしは、部屋に置いてあったサッカーボールを、久しぶりに手にとった。
 昨日の夢のせいで、さわりたくなっちゃって。

(あ、久しぶりにあれをやろっかな)

 わたしは庭に出ると、ボールを地面に置く。

「えいっ!」

 つまさきにボールをのせると、そのまま空中にけり上げて、落ちてきたボールを、もういちどつまさきでけり上げる。
 リフティングってやつだ。
 ポーン、ポーン、ポーン……あっ。
 3回もすると、ボールのコントロールをミスして、あさっての方向に転がっちゃった。

(まえは、10回まではできたんだけどな……)

 カケルやカズトさんに教えてもらいながら、練習したんだ。
 それが、昔より下手になってると思うと、くやしくてムキになってしまう。
 わたしは夢中になって、何度もくり返した。


 ……どのくらい、やっていただろうか。
 1時間……いや、2時間くらいたっていたかもしれない。
 くり返しているうちに、じょじょに、昔の感覚を思い出してきた。力まずに、ひざをのばして、足首をやわらかくしするのがコツだったんだよね。
 そして、ついに、

「やったー!」

 気が抜けたせいか、10回けったところで、ボールは庭の向こうに転がっていってしまった。
 だけど、10回はクリアしたもんね!
 達成感で、胸がいっぱいだ。

「……やるじゃん」

 急に声をかけられたので、ビクッとした。声のしたほうを向くと、カケルが自分の家の庭から、こっちを見ていた。
「よっと」かけ声を上げると、ヘイの上に手をついて、そのままうちの庭にとびこんでくる。
 そして、足もとに落ちていたサッカーボールを拾った。

(いつから見ていたのかな?)

 わたしは、まったく気づいていなかった。

「あ……あのね、これは……」

 サッカーをしていたので、カケルが怒ってないか心配だった。今度こそ、ボールを捨てられてしまうかもしれない。
 でも、意外なことに、カケルは怒っていないみたい。
 ボールをじっと見つめている。
 そして、ボールを地面に置くと、リフティングをはじめた。

 ポーン、ポーン、ポーン……。

 その場からまったく動かずに、規則正しくボールを宙にはずませていく。
 この光景を見るのが久しぶりで……。
 なつかしくて、うれしくて……。
 わたしはなんだか泣きたくなってしまい、あわてて目もとをこすった。
 カケルはそんなわたしの様子に気づかず、リフティングをつづけ、50回ほどやったところで、ボールを手でキャッチした。

「すごい! すごいよ!」

 わたしは、拍手をしてみせた。
 わたしのあぶなっかしいリフティングとは、レベルがちがう。少しくらいサッカーをしていなくても、全然下手になってないよ。昔とまったく同じだ。

(そんなに上手いんだし、サッカーを続けたら?)

 のどもとまで、そんな言葉が出かかったけど、のみこむ。
 わたしが、言ってはいけない。
 カケルの決めることだ。
 かわりに、昨日のお礼を言うことにした。

「カケル、昨日は看病してくれてありがとね。わたし、ずっと寝ちゃってたみたいだけど」
「別に……。タオルを頭にのせるくらいしか、やってない」

 カケルは、わたしのほうを見ずに返事をした。サッカーボールを、じっと見つめている。怒っていて、わたしを無視しているわけじゃなく、手の中のサッカーボールに夢中になっているような……。

(どうしたんだろう?)

 カケルはもう、サッカーボールを見るのもキラいになっていると思っていたのに。
 いきなり、リフティングをするなんて、ありえないはずだった。
 でも、カケルは、ボールを大切な友だちのように、やさしい目で見つめている。
 そして、ゆっくりと顔を上げると、わたしを真っ直ぐに見つめてきた。
 その瞬間、ドクンッとわたしの心臓がはねる。
 ビックリするくらい真剣なひとみ。すいこまれちゃいそうだ。

「あずさはさ。オレがすごいサッカー選手になれるって、今でも思ってるのか?」

 カケルの質問に、わたしは迷わずうなずいた。


「わたしは、カケルが将来、すごいサッカー選手になれるって信じているよ!」


 わたしの考えは、あのときと変わらない。
 むしろ、あのときよりも確信していた。
 今のカケルは、身長ものびてきたし、足もすごく速くなっている。
 がんばり続ければ、きっと、すごい選手になれるはず……。
 わたしは、サッカーにくわしいわけじゃない。専門家じゃない。
 でも、信じてるんだ!

「そうか」

 わたしの言葉に、どこか吹っきれたように笑うカケル。

「あずさがそう言うなら、もういちど、がんばってみるかな」

 カケルの顔は、ここ最近の、イライラした感じが抜けていた。
 雲ひとつない青空のように、さわやかな笑みだ。

(あっ……)

 わたしの胸の中に、うれしいって気持ちが、あふれてくる。
 トクンッ、トクンッ。カケルに聞こえないか心配なくらい、わたしの胸は、はげしく高鳴った。

「このボール、返してもらっていいか?」
「え……あ、うん。もちろん」
「サンキュー! じゃ、いかないとな」
「どこに?」
「練習だ! 今までの分を取り返さないと。見てろよ! オレは兄貴よりもすごい選手になってやる! それじゃ、またな」

 そう言うと、カケルはボールを持って、走っていってしまった。
 わたしは、ポカーンとしてしまう。
 カズトさんよりも、すごい選手になる?
 人に言ったら、笑われてしまうだろう。

 でも……。
 大きな目標に向かって、まっすぐにかけていくカケルがまぶしくて、キラキラとしていて……。

 ずっと、目をそらしていたけど。
 わたし……まだ……カケルのことが……。
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