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第一章
1.一度目の夜桜夜会
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「あの縦巻きロール、なんとかならないのかしら?」
「地毛とか言っていたけど……本当かな」
「まあ、あれが地毛ならお可哀想です。こわいお顔がさらに怖く見えます」
「あんな縦ロール、だれも好きにならないよな」
煌びやかで豪勢な春の夜会。
外には満開に咲き誇る桜がヒラヒラと花を散らしている。
エルフリーデがお花摘みから戻ると、衝撃的な会話が繰り広げられていた。
友人だと思っていた赤い髪の令嬢に、自身の婚約者、それから近ごろ婚約者の周りによく現れるピンクブロンドヘアーの少女。
彼女らは、エルフリーデがいない間にエルフリーデの縦ロールを笑っていたのだった。
「あっ、エ、エルフリーデ……っ!」
彼女の婚約者・ユリアンは、エルフリーデが自分たちを見ていることに気が付きあからさまに怯えだした。
「きっ、聞こえてたかい……?」
背を向けていた令嬢ふたりも、おそるおそるといった調子で後ろを振り向く。
ふわふわなピンクブロンドの髪をした可愛らしい少女は、エルフリーデを見て「ひっ」と声をあげた。
エルフリーデの瞳には、悲しみのあまり、涙が溜まっている。
必死に涙をこぼさないようこらえているが、その様子を見た人々は、彼女が怒りで肩を震わせていると勘違いする。むしろ、陰口を言った三人に同情した。
「ぬ、ぬぬ、盗み聞きなんて。ひ、ひひひひどいなあ」
夜会の真っ最中だ。誰が話を聞いていてもおかしくない場で陰口を叩いておいて、そんなことを言う。
しかしエルフリーデは、心が痛くてなにも言えない。
――きっと、ここでなにを言ってもわたくしが悪者ね……。
「ひっ……」
長らく何も言わないエルフリーデに、いよいよ恐怖の色を隠さないユリアン。
彼は膝を地面につき、自身の頭を床に叩きつけた。
「悪かった! この通りだ……っ!」
その様子を遠目で見ていた大衆は、エルフリーデが好んでやらせているのだと恐れる。
エルフリーデも、そんな雰囲気を肌で察した。
「……」
――なにを言っても、なにも言わなくても、わたくしは悪女になってしまうのね。
エルフリーデはうつむき、その場から去った。
背中の向こうからは安堵の息が聞こえ、余計に胸が痛くなった。
「ふう……」
会場の中心から、一番遠く離れたバルコニー。ひっそりとしたここは、心を落ち着けるのには最適だった。
エルフリーデは手すりに寄りかかり、夜空を見上げる。
かつて「縦ロール、君に似合ってるよ」と言った婚約者は、その縦ロールを心底バカにしていた。誰が好きになるか、と。
友人だったはずの赤髪の彼女は、以前「貴族令嬢は威厳が大事ですもの。エルフリーデ様は素晴らしい威厳を放ってますわ」と言っていたように記憶している。あれすら、本当は心の中で笑っていたのだろうか。
ピンクブロンドの少女は――よく知らないが。そういえば、顔がこわいと言っていた。
みな、心のどこかで彼女の容姿を笑っていたらしい。
「私の顔、怖いのかしら……」
エルフリーデは、非常に美しい女性だ。が、いかんせん顔がきつい。
キリッとした琥珀色の瞳に、シャープな顎のライン。極めつけは、艶のある黒髪縦ロール。
巷で流行りのロマンス小説に出てくる「金髪縦ロール悪役令嬢」にそっくりであった。
――黒髪なぶん、それより少しマシ……ではなく、よりその顔つきの鋭さを助長している。
しかし、彼女の縦ロールは地毛。
ピンクブロンドの少女みたいな、あのふわふわな髪に憧れた時もあった。それでも諦めざるを得ないくらい、強固なくせっ毛なのだ。
――わたくし、一生怖がられて生きてゆくのかしら。
怖がられている自信はあった。なにをしてもしなくても、彼女の顔を見ると人は恐怖で怯える。
まさかそれが、自分の顔つきの怖さや髪型のせいだとは思わなかったが。
――お兄様もお母様も、わたくしに気をつかっていたのね……。
家族は彼女を「可愛い」と言う。だからこそ、まさか自分の顔が怖いとはゆめゆめ思わなかった。可愛いとも、思わなかったが。
「大丈夫?」
ふと、背後から男性の声がした。
エルフリーデが振り向くと、甘いマスクをした金髪碧眼の青年がこちらを見ている。心配そうな目で。
「さっきの騒動、遠目から見ていたんだ。あきらかに君が被害者なのに、みんな君を怖がって。目がおかしいよ」
「えっと、その……?」
エルフリーデはいまいち要領を得ないようで、不思議そうに首をかしげた。
青年は、そんな彼女を見て面白そうに目を細める。
「うん、噂は噂だね。君、公爵家のご令嬢でしょ? こうやって実際に話してみると、やっぱり全然悪い女性には見えないよ」
エルフリーデは、家族以外にそんなことを言われたのは初めてだった。
どきり、と胸が鳴る。
「髪の毛……」
青年はエルフリーデの髪をすくい、キスを落とす。
胸がさらに高鳴るのを感じる。
「どうして、巻いているの?」
「……地毛、ですのよ」
エルフリーデは心臓が止まりそうになった。
またバカにされたのか、と。
しかし、彼にそんなつもりはなかったらしい。
「君には、肩より上くらいの短い髪が似合うと思う。ずっとそう思って見てたんだ」
エルフリーデは一瞬固まり、すぐに気を取り直して答えた。
「肩の上だなんて、淑女の長さではないと笑われますわ」
――どうせ、この長さでも笑われるのだけれど。
「女性の髪は長くないといけないって、別に誰も決めてないよ」
「まあ、そうですけれど……」
それにしても、不思議な青年である。
貴族の令息であれば、顔と名前くらいエルフリーデには分かりそうだが。
しかし平民や商人の子にしては、仕草や口調が上品すぎる気もする。
「あなたは、いったい――?」
エルフリーデが青年に問いかけようとしたその瞬間、バルコニーに強い風が吹いた。
エルフリーデはよろけて、手すりをつかむ。
――が、その欄干は彼女の体重を支えきれず、ボロッと崩れた。
落ちる。
勢いよく落ちていく。
驚いた青年は非常に焦った顔をして手を伸ばすが、届くわけもなく。
落ちる。
――ここ、結構な高さだったわよね……?
そんなことを考えながら、彼女は迫りくる死にギュッと目をつむった。
「地毛とか言っていたけど……本当かな」
「まあ、あれが地毛ならお可哀想です。こわいお顔がさらに怖く見えます」
「あんな縦ロール、だれも好きにならないよな」
煌びやかで豪勢な春の夜会。
外には満開に咲き誇る桜がヒラヒラと花を散らしている。
エルフリーデがお花摘みから戻ると、衝撃的な会話が繰り広げられていた。
友人だと思っていた赤い髪の令嬢に、自身の婚約者、それから近ごろ婚約者の周りによく現れるピンクブロンドヘアーの少女。
彼女らは、エルフリーデがいない間にエルフリーデの縦ロールを笑っていたのだった。
「あっ、エ、エルフリーデ……っ!」
彼女の婚約者・ユリアンは、エルフリーデが自分たちを見ていることに気が付きあからさまに怯えだした。
「きっ、聞こえてたかい……?」
背を向けていた令嬢ふたりも、おそるおそるといった調子で後ろを振り向く。
ふわふわなピンクブロンドの髪をした可愛らしい少女は、エルフリーデを見て「ひっ」と声をあげた。
エルフリーデの瞳には、悲しみのあまり、涙が溜まっている。
必死に涙をこぼさないようこらえているが、その様子を見た人々は、彼女が怒りで肩を震わせていると勘違いする。むしろ、陰口を言った三人に同情した。
「ぬ、ぬぬ、盗み聞きなんて。ひ、ひひひひどいなあ」
夜会の真っ最中だ。誰が話を聞いていてもおかしくない場で陰口を叩いておいて、そんなことを言う。
しかしエルフリーデは、心が痛くてなにも言えない。
――きっと、ここでなにを言ってもわたくしが悪者ね……。
「ひっ……」
長らく何も言わないエルフリーデに、いよいよ恐怖の色を隠さないユリアン。
彼は膝を地面につき、自身の頭を床に叩きつけた。
「悪かった! この通りだ……っ!」
その様子を遠目で見ていた大衆は、エルフリーデが好んでやらせているのだと恐れる。
エルフリーデも、そんな雰囲気を肌で察した。
「……」
――なにを言っても、なにも言わなくても、わたくしは悪女になってしまうのね。
エルフリーデはうつむき、その場から去った。
背中の向こうからは安堵の息が聞こえ、余計に胸が痛くなった。
「ふう……」
会場の中心から、一番遠く離れたバルコニー。ひっそりとしたここは、心を落ち着けるのには最適だった。
エルフリーデは手すりに寄りかかり、夜空を見上げる。
かつて「縦ロール、君に似合ってるよ」と言った婚約者は、その縦ロールを心底バカにしていた。誰が好きになるか、と。
友人だったはずの赤髪の彼女は、以前「貴族令嬢は威厳が大事ですもの。エルフリーデ様は素晴らしい威厳を放ってますわ」と言っていたように記憶している。あれすら、本当は心の中で笑っていたのだろうか。
ピンクブロンドの少女は――よく知らないが。そういえば、顔がこわいと言っていた。
みな、心のどこかで彼女の容姿を笑っていたらしい。
「私の顔、怖いのかしら……」
エルフリーデは、非常に美しい女性だ。が、いかんせん顔がきつい。
キリッとした琥珀色の瞳に、シャープな顎のライン。極めつけは、艶のある黒髪縦ロール。
巷で流行りのロマンス小説に出てくる「金髪縦ロール悪役令嬢」にそっくりであった。
――黒髪なぶん、それより少しマシ……ではなく、よりその顔つきの鋭さを助長している。
しかし、彼女の縦ロールは地毛。
ピンクブロンドの少女みたいな、あのふわふわな髪に憧れた時もあった。それでも諦めざるを得ないくらい、強固なくせっ毛なのだ。
――わたくし、一生怖がられて生きてゆくのかしら。
怖がられている自信はあった。なにをしてもしなくても、彼女の顔を見ると人は恐怖で怯える。
まさかそれが、自分の顔つきの怖さや髪型のせいだとは思わなかったが。
――お兄様もお母様も、わたくしに気をつかっていたのね……。
家族は彼女を「可愛い」と言う。だからこそ、まさか自分の顔が怖いとはゆめゆめ思わなかった。可愛いとも、思わなかったが。
「大丈夫?」
ふと、背後から男性の声がした。
エルフリーデが振り向くと、甘いマスクをした金髪碧眼の青年がこちらを見ている。心配そうな目で。
「さっきの騒動、遠目から見ていたんだ。あきらかに君が被害者なのに、みんな君を怖がって。目がおかしいよ」
「えっと、その……?」
エルフリーデはいまいち要領を得ないようで、不思議そうに首をかしげた。
青年は、そんな彼女を見て面白そうに目を細める。
「うん、噂は噂だね。君、公爵家のご令嬢でしょ? こうやって実際に話してみると、やっぱり全然悪い女性には見えないよ」
エルフリーデは、家族以外にそんなことを言われたのは初めてだった。
どきり、と胸が鳴る。
「髪の毛……」
青年はエルフリーデの髪をすくい、キスを落とす。
胸がさらに高鳴るのを感じる。
「どうして、巻いているの?」
「……地毛、ですのよ」
エルフリーデは心臓が止まりそうになった。
またバカにされたのか、と。
しかし、彼にそんなつもりはなかったらしい。
「君には、肩より上くらいの短い髪が似合うと思う。ずっとそう思って見てたんだ」
エルフリーデは一瞬固まり、すぐに気を取り直して答えた。
「肩の上だなんて、淑女の長さではないと笑われますわ」
――どうせ、この長さでも笑われるのだけれど。
「女性の髪は長くないといけないって、別に誰も決めてないよ」
「まあ、そうですけれど……」
それにしても、不思議な青年である。
貴族の令息であれば、顔と名前くらいエルフリーデには分かりそうだが。
しかし平民や商人の子にしては、仕草や口調が上品すぎる気もする。
「あなたは、いったい――?」
エルフリーデが青年に問いかけようとしたその瞬間、バルコニーに強い風が吹いた。
エルフリーデはよろけて、手すりをつかむ。
――が、その欄干は彼女の体重を支えきれず、ボロッと崩れた。
落ちる。
勢いよく落ちていく。
驚いた青年は非常に焦った顔をして手を伸ばすが、届くわけもなく。
落ちる。
――ここ、結構な高さだったわよね……?
そんなことを考えながら、彼女は迫りくる死にギュッと目をつむった。
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