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10 親子対決!斎藤卓対斎藤弥七
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世の中を二つに分けるとするなら、それは『陽キャ』と『陰キャ』だろう。
大勢の友達と楽しくワイワイやるのが好きな陽キャと、一人で机に座り読書を嗜むのが好きな陰キャ。
斎藤卓はその『陽キャ』の側の人間だ。
「きゃーっ!卓くーん!」「頑張ってー!!」
女の子たちの黄色い声援を浴びながら、ドリブルをしながら相手選手を躱し、果敢に相手の陣地に攻め込んでいく。卓は地元のサッカークラブのエースストライカーだ。スポーツ万能で顔も男前でイケメン。学校の成績は……まあ悪くはないだろう。そんな卓を女の子たちが放っておくことはなく、こうしてサッカーの試合ともなると黄色い歓声を送ってくれる。それはすごく嬉しいことだ。
「おい、卓。また女の子たちに声援もらってるぜ。いいなあ」
「へへ、羨ましいだろ?」
チームメイトの男子がからかうように声をかけてくる。卓はそれに余裕のある笑みで返す。そんなやり取りはいつものことだ。
だからといって、男子から嫉妬を集めているというわけでもない。男友達の数の多さも自慢のひとつだった。
「なあ、卓。おまえ子どもの日のプロレス大会に出てみない?」
それは4月にはいり。5年生に進学したときのことだった。友達にそう誘われたのだ。
「ええ?どうして俺が出ないといけないんだよ」
卓は眉間にしわを寄せて、心底嫌そうな表情で答える。
「だって、おまえって運動神経いいしさ、足も速いし、それにイケメンだろ?絶対向いてるって。それにさあ、おまえの父ちゃんって羽柴村プロレスのレスラーじゃん?だったら子ども向けのプロレスなんて楽勝でできるだろ?」
「いや、父ちゃんは父ちゃん、俺は俺だから。それに……俺は痛いのとか嫌いだし」
卓は顔をしかめながら答える。
子どもの日のプロレス大会といえば、だいたいは5年生か6年生が出るものだ。あまり学年が下すぎると、プロレスの技が危険だから。そして、5年生や6年生の子どもはある程度体も大きく、プロレスの技にも耐えられるから。
だから誰かがこんなことを言ってくるんじゃないか、とは思っていた。
「ええ?なんだよ。おまえ、痛いのが嫌とか、そんなんじゃ男らしくないぞ?」
「じゃあお前が出ればいいじゃねえか」
「いやあ。俺じゃ見栄えが良くないだろ?こういうのはお前みたいにイケメンな奴の方が絵になるからさ」
そう言われたところで、嫌なものは嫌だ。そう断ろうとした時だ。
「なあ、みんな!卓が大人とプロレスするところみたいよな!」
そう、クラス中の生徒たちに問いかけるように叫んだのだ。
(こいつ……!)
卓は友達のその態度に腹が立った。卓の話となったら、女子が食いついてこないわけがないのだ!
「ええっ!?卓君、プロレスに出るの!?」「すごーい!絶対見に行くね!」
案の定、女子たちはあっという間に卓の話で盛り上がり始める。
「な?そうだろ!?みんな卓のかっこいいところ、見たいよな!?」
「うん!見たい!」「私もー!」
「はは……。いや、あの……」
卓が何か言おうとすると、それを遮るように別の男子が声を上げる。
「おっ!俺たちも絶対に見に行くよ!」
「女子にかっこいいとこ見せなきゃな!」
「男の子なんだから頑張ろうよ!」
口々に囃し立てる友達と、それによって喜ぶ女子。どうやら完全に外堀を埋められたようだ。
「……わかったよ」
卓は観念したようにそう答えたのだった。
「……なんて相手がよりにもよって親父なんだよ……」
出場口に立つ卓は絶望感で一杯だった。
相手は自分の父親、弥七だ。羽柴村プロレスでは所属レスラー8人に明確な順位付けがされているわけではないが、それでも弥七は間違いなく4番目に強いレスラーだ。
8人中4人、といえば微妙に聞こえるかもしれないが。上位2人はプロの格闘家。それもプロの中でも上澄みの格闘家であり、3番目は柔道黒帯にして、警察格闘術をマスターしている重蔵だ。そこにきての4番目ともなれば、卓にとってプレッシャーがかかるのは無理もないことだろう。
だが、時間は待ってはくれない。
『赤コーナー!153センチ39キロ!斎藤卓!!』
レフェリーに呼ばれ、卓は花道を歩く。その足取りは緊張で少しぎこちなかった。
「おおっ!イケメンの登場だぜ!」「頑張れよ!坊主!!」
卓の心も知らないで、観客たちは大盛り上がりだ。
「青コーナー!182センチ128キロ!斎藤弥七!!」
卓がリングに上がると、すぐに反対側の花道から弥七が姿を現す。弥七はプロらしく、まったく緊張しているような素振りも見せず堂々としており。「うおおおおっ!!」と雄たけびを上げてファンにアピールをしている。
リングに上がってきた弥七との身長差は30センチ。頭一つ分の差がある。体格についていえば――弥七はまるでボディービルダーのような肉体美を誇っている。胸板は分厚く、筋肉で膨れ上がっており。腹筋はバキバキに割れている。さすがの卓の父親というだけあって、顔立ちも男らしいハンサムだ。筋肉の量だけでいえば間違いなく羽柴村プロレスで一番あるだろう。
どうしてここまでの肉体美を誇るのか、といえば。
『羽柴村長。弥七さんは凄い肉体美ですね。どうしてここまでの筋肉をつけているのでしょうか?』
実況席に座る羽柴小学校の校長先生、鳳智也が解説席に座る羽柴哲司に問いかける。実況と解説とはいっても二人ともプロというわけではないためそこまでマイクパフォーマンスが上手いというわけでもなく。ゆるっとした雰囲気が漂っているのだが。
『いい質問ですね。斎藤さん……いえ、今回は二人とも斎藤さんのため弥七さんと呼びますが。弥七さんは大学時代はボディビル部に入っていて。そこで徹底的に鍛えられたんだそうです』
『なるほど。だからここまでの肉体美を誇っているんですね』
『はい、そういうことです。ですが今のプロレスに最適化され、全体のバランスがさらに良くなった、いわば『進化型』の肉体美ともいえるこの体のほうが私は好きですね』
……ということのようだ。そんな相手と向かい合っていると、その威圧感も相まって実際の体の大きさよりも大きく感じてしまう。
「それでは両者、準備はいいですか?」
レフェリーに呼びかけられ、卓は「はい」と答える。対する弥七はまるで支度体操をするように体を伸ばしながら「いいぜ!」と答えた。
「それでは……レディー、ファイッ!」
レフェリーが試合開始を告げる。卓は弥七の出方を伺うように距離を取って様子を見る。
「どうした?試合はもう始まったんだぜ?」
弥七はにやりと笑い、指をくい、くいと折り曲げて挑発をしてくる。どうやら卓のほうから向かってこい、と言っているようだ。
だが。そもそもそんな挑発に乗れるようであれば、ここまで緊張もしていないし恐怖も感じていない。なにより卓は流されて試合に出ることになってしまっただけであって、本気でプロレスをする気はないのだ。
だから卓は、一歩一歩足音をたてながら近づいていくと、軽くジャブを出してみる。軽く肘を伸ばしてみせるが弥七はそれをあえて受けてみせている。見ている観客たちからは「おお!やってるな!」「いいぞ!もっとやれ!」と歓声があがっていた。
「なんだなんだ?そのへっぴり腰はよお」
弥七は余裕のある表情でそう言うと、ジャブを繰り出す。それは卓の顔面にクリーンヒットし、卓は「ぐあっ!」と呻きながら後方へと仰け反っていく。鍛え抜かれた弥七の拳は卓の拳とは全然違う。その衝撃は身体の芯まで響き、卓は何もできずにガードを固めて後ずさるしかなかった。
「なんだ?それで終わりかよ」
弥七はそう言うと、両腕を広げてみせる。卓の攻撃をすべて受けて見せる、という余裕の表れだ。
(っていったって、そんな鋼みたいな身体に俺の拳なんて通用するわけねえじゃん!)
卓の拳なんて、せいぜいが同級生との喧嘩で「痛い」と思わせる程度のものでしかない。ボクサーや空手家のように殴られることが致命傷になるほどの拳ではないし、ましてプロレスラーの筋肉にそんな攻撃が通用するわけがない。
だが、だからといって何もせずにやられるわけにはいかない。
「このっ!!」
卓は再びジャブからストレートパンチに繋げるコンビネーションを繰り出す。しかし弥七の体にそれが当たると、自分の拳のほうがじいん、と痺れてしまう。良質の筋肉にはほどよい弾力があるというが、弥七の弛緩させている筋肉に当たっているから拳に怪我をしないが、もしも体に力を入れていれば拳のほうが割れてしまっていたかもしれない。
「それくらいか?んじゃ、こっちから行くぜ!」
弥七は余裕の表情でそう言うと、卓との距離を詰めてくる。
(やべっ!)
自分の攻撃が効いている気がしない以上、どんな攻撃をしてくるかわからない相手に距離を取る以外になすすべはない。卓はすぐに弥七から距離を取ろうとするが、実力差があるためその距離を詰められてしまうのにそう時間はかからなかった。
弥七は卓を抱え上げると。
「それじゃあいくぜっ!」
「親父!ちょっとま……うがあっ!?」
投げられた、とはいっても弥七の腰の高さよりも少し高い位置からのボディスラムであり、力づくでたたきつけられているわけでもない。だがそれでも、弥七に投げられた衝撃は凄まじく、卓はリングのマットの上で「げほっ、げほっ」と咳き込むことしかできなかった。
「ほら、どうした!まだまだいくぞ!」
弥七がそう叫ぶと、今度は股の下に頭を入れられてしまう。
(ちょっ!?こ、これってあれだよな!?)
そうして弥七の肩に両足を回され、前向きに肩車をするように抱え上げられる。パワーボムの体勢だ。先ほどの高さでも痛かったというのに、それよりもはるかに高い位置からのパワーボムなんて受けたらどれほどいたいのか。考えただけでもぞっとしてしまう。
『弥七選手、卓選手を抱え上げた!これはパワーボムの体勢だ!!』
『卓選手はまだ小学生ですからね。これを受けたらひとたまりもないでしょう』
『確かに。しかし弥七選手は余裕の表情ですね。パワーボムは弥七選手の得意技ですから、卓選手が果たして耐えられるのか』
『そうですね。おっと、ここで卓選手、必死の反撃だ!!』
投げられてはたまらない、とばかりに。サッカーで鍛え上げられた足の強さを利用して、卓の首を両足で締めにかかる。この太い首にどれほどの効果があるのかは卓には分からないが、それでも一矢報いんとする子供のような本能だった。
「やめて……。親父、やめてくれ……!」
必死に懇願するような言葉を口にしながらも必死に弥七の首を締め上げてくる卓の姿に、「やればできるじゃねえか」とばかりに弥七はにやりと笑うと。
「うおっ!?」
と。短い悲鳴をあげながらその場でバク転をして。後頭部からリングに突っ込んでいく。その様子はまるで、卓がフランケンシュタイナーを弥七に仕掛けたかのようにも見える。
『おおっと!ここで卓選手、起死回生のフランケンシュタイナーを繰り出した!』
『いやあ、実に鮮やかな動きですね。今日の試合のための特訓でもしたんですかね?まあ、やけくそ感は否めませんが』
そんな言葉と共に、観客席からは。
「卓君、すごい!!」「かっこいい!!」
と、黄色い歓声があがる。だが、とうの卓自身はわけがわからない、といった具合だ。それもそうだろう。自分からすすんで技を放ったわけではないのだから。
だが、それでも。ひとつだけわかったことがある。
(親父は俺が格好良く見えるように試合をしてくれるんだ!)
そのことが、卓の心を安心させた。
大勢の友達と楽しくワイワイやるのが好きな陽キャと、一人で机に座り読書を嗜むのが好きな陰キャ。
斎藤卓はその『陽キャ』の側の人間だ。
「きゃーっ!卓くーん!」「頑張ってー!!」
女の子たちの黄色い声援を浴びながら、ドリブルをしながら相手選手を躱し、果敢に相手の陣地に攻め込んでいく。卓は地元のサッカークラブのエースストライカーだ。スポーツ万能で顔も男前でイケメン。学校の成績は……まあ悪くはないだろう。そんな卓を女の子たちが放っておくことはなく、こうしてサッカーの試合ともなると黄色い歓声を送ってくれる。それはすごく嬉しいことだ。
「おい、卓。また女の子たちに声援もらってるぜ。いいなあ」
「へへ、羨ましいだろ?」
チームメイトの男子がからかうように声をかけてくる。卓はそれに余裕のある笑みで返す。そんなやり取りはいつものことだ。
だからといって、男子から嫉妬を集めているというわけでもない。男友達の数の多さも自慢のひとつだった。
「なあ、卓。おまえ子どもの日のプロレス大会に出てみない?」
それは4月にはいり。5年生に進学したときのことだった。友達にそう誘われたのだ。
「ええ?どうして俺が出ないといけないんだよ」
卓は眉間にしわを寄せて、心底嫌そうな表情で答える。
「だって、おまえって運動神経いいしさ、足も速いし、それにイケメンだろ?絶対向いてるって。それにさあ、おまえの父ちゃんって羽柴村プロレスのレスラーじゃん?だったら子ども向けのプロレスなんて楽勝でできるだろ?」
「いや、父ちゃんは父ちゃん、俺は俺だから。それに……俺は痛いのとか嫌いだし」
卓は顔をしかめながら答える。
子どもの日のプロレス大会といえば、だいたいは5年生か6年生が出るものだ。あまり学年が下すぎると、プロレスの技が危険だから。そして、5年生や6年生の子どもはある程度体も大きく、プロレスの技にも耐えられるから。
だから誰かがこんなことを言ってくるんじゃないか、とは思っていた。
「ええ?なんだよ。おまえ、痛いのが嫌とか、そんなんじゃ男らしくないぞ?」
「じゃあお前が出ればいいじゃねえか」
「いやあ。俺じゃ見栄えが良くないだろ?こういうのはお前みたいにイケメンな奴の方が絵になるからさ」
そう言われたところで、嫌なものは嫌だ。そう断ろうとした時だ。
「なあ、みんな!卓が大人とプロレスするところみたいよな!」
そう、クラス中の生徒たちに問いかけるように叫んだのだ。
(こいつ……!)
卓は友達のその態度に腹が立った。卓の話となったら、女子が食いついてこないわけがないのだ!
「ええっ!?卓君、プロレスに出るの!?」「すごーい!絶対見に行くね!」
案の定、女子たちはあっという間に卓の話で盛り上がり始める。
「な?そうだろ!?みんな卓のかっこいいところ、見たいよな!?」
「うん!見たい!」「私もー!」
「はは……。いや、あの……」
卓が何か言おうとすると、それを遮るように別の男子が声を上げる。
「おっ!俺たちも絶対に見に行くよ!」
「女子にかっこいいとこ見せなきゃな!」
「男の子なんだから頑張ろうよ!」
口々に囃し立てる友達と、それによって喜ぶ女子。どうやら完全に外堀を埋められたようだ。
「……わかったよ」
卓は観念したようにそう答えたのだった。
「……なんて相手がよりにもよって親父なんだよ……」
出場口に立つ卓は絶望感で一杯だった。
相手は自分の父親、弥七だ。羽柴村プロレスでは所属レスラー8人に明確な順位付けがされているわけではないが、それでも弥七は間違いなく4番目に強いレスラーだ。
8人中4人、といえば微妙に聞こえるかもしれないが。上位2人はプロの格闘家。それもプロの中でも上澄みの格闘家であり、3番目は柔道黒帯にして、警察格闘術をマスターしている重蔵だ。そこにきての4番目ともなれば、卓にとってプレッシャーがかかるのは無理もないことだろう。
だが、時間は待ってはくれない。
『赤コーナー!153センチ39キロ!斎藤卓!!』
レフェリーに呼ばれ、卓は花道を歩く。その足取りは緊張で少しぎこちなかった。
「おおっ!イケメンの登場だぜ!」「頑張れよ!坊主!!」
卓の心も知らないで、観客たちは大盛り上がりだ。
「青コーナー!182センチ128キロ!斎藤弥七!!」
卓がリングに上がると、すぐに反対側の花道から弥七が姿を現す。弥七はプロらしく、まったく緊張しているような素振りも見せず堂々としており。「うおおおおっ!!」と雄たけびを上げてファンにアピールをしている。
リングに上がってきた弥七との身長差は30センチ。頭一つ分の差がある。体格についていえば――弥七はまるでボディービルダーのような肉体美を誇っている。胸板は分厚く、筋肉で膨れ上がっており。腹筋はバキバキに割れている。さすがの卓の父親というだけあって、顔立ちも男らしいハンサムだ。筋肉の量だけでいえば間違いなく羽柴村プロレスで一番あるだろう。
どうしてここまでの肉体美を誇るのか、といえば。
『羽柴村長。弥七さんは凄い肉体美ですね。どうしてここまでの筋肉をつけているのでしょうか?』
実況席に座る羽柴小学校の校長先生、鳳智也が解説席に座る羽柴哲司に問いかける。実況と解説とはいっても二人ともプロというわけではないためそこまでマイクパフォーマンスが上手いというわけでもなく。ゆるっとした雰囲気が漂っているのだが。
『いい質問ですね。斎藤さん……いえ、今回は二人とも斎藤さんのため弥七さんと呼びますが。弥七さんは大学時代はボディビル部に入っていて。そこで徹底的に鍛えられたんだそうです』
『なるほど。だからここまでの肉体美を誇っているんですね』
『はい、そういうことです。ですが今のプロレスに最適化され、全体のバランスがさらに良くなった、いわば『進化型』の肉体美ともいえるこの体のほうが私は好きですね』
……ということのようだ。そんな相手と向かい合っていると、その威圧感も相まって実際の体の大きさよりも大きく感じてしまう。
「それでは両者、準備はいいですか?」
レフェリーに呼びかけられ、卓は「はい」と答える。対する弥七はまるで支度体操をするように体を伸ばしながら「いいぜ!」と答えた。
「それでは……レディー、ファイッ!」
レフェリーが試合開始を告げる。卓は弥七の出方を伺うように距離を取って様子を見る。
「どうした?試合はもう始まったんだぜ?」
弥七はにやりと笑い、指をくい、くいと折り曲げて挑発をしてくる。どうやら卓のほうから向かってこい、と言っているようだ。
だが。そもそもそんな挑発に乗れるようであれば、ここまで緊張もしていないし恐怖も感じていない。なにより卓は流されて試合に出ることになってしまっただけであって、本気でプロレスをする気はないのだ。
だから卓は、一歩一歩足音をたてながら近づいていくと、軽くジャブを出してみる。軽く肘を伸ばしてみせるが弥七はそれをあえて受けてみせている。見ている観客たちからは「おお!やってるな!」「いいぞ!もっとやれ!」と歓声があがっていた。
「なんだなんだ?そのへっぴり腰はよお」
弥七は余裕のある表情でそう言うと、ジャブを繰り出す。それは卓の顔面にクリーンヒットし、卓は「ぐあっ!」と呻きながら後方へと仰け反っていく。鍛え抜かれた弥七の拳は卓の拳とは全然違う。その衝撃は身体の芯まで響き、卓は何もできずにガードを固めて後ずさるしかなかった。
「なんだ?それで終わりかよ」
弥七はそう言うと、両腕を広げてみせる。卓の攻撃をすべて受けて見せる、という余裕の表れだ。
(っていったって、そんな鋼みたいな身体に俺の拳なんて通用するわけねえじゃん!)
卓の拳なんて、せいぜいが同級生との喧嘩で「痛い」と思わせる程度のものでしかない。ボクサーや空手家のように殴られることが致命傷になるほどの拳ではないし、ましてプロレスラーの筋肉にそんな攻撃が通用するわけがない。
だが、だからといって何もせずにやられるわけにはいかない。
「このっ!!」
卓は再びジャブからストレートパンチに繋げるコンビネーションを繰り出す。しかし弥七の体にそれが当たると、自分の拳のほうがじいん、と痺れてしまう。良質の筋肉にはほどよい弾力があるというが、弥七の弛緩させている筋肉に当たっているから拳に怪我をしないが、もしも体に力を入れていれば拳のほうが割れてしまっていたかもしれない。
「それくらいか?んじゃ、こっちから行くぜ!」
弥七は余裕の表情でそう言うと、卓との距離を詰めてくる。
(やべっ!)
自分の攻撃が効いている気がしない以上、どんな攻撃をしてくるかわからない相手に距離を取る以外になすすべはない。卓はすぐに弥七から距離を取ろうとするが、実力差があるためその距離を詰められてしまうのにそう時間はかからなかった。
弥七は卓を抱え上げると。
「それじゃあいくぜっ!」
「親父!ちょっとま……うがあっ!?」
投げられた、とはいっても弥七の腰の高さよりも少し高い位置からのボディスラムであり、力づくでたたきつけられているわけでもない。だがそれでも、弥七に投げられた衝撃は凄まじく、卓はリングのマットの上で「げほっ、げほっ」と咳き込むことしかできなかった。
「ほら、どうした!まだまだいくぞ!」
弥七がそう叫ぶと、今度は股の下に頭を入れられてしまう。
(ちょっ!?こ、これってあれだよな!?)
そうして弥七の肩に両足を回され、前向きに肩車をするように抱え上げられる。パワーボムの体勢だ。先ほどの高さでも痛かったというのに、それよりもはるかに高い位置からのパワーボムなんて受けたらどれほどいたいのか。考えただけでもぞっとしてしまう。
『弥七選手、卓選手を抱え上げた!これはパワーボムの体勢だ!!』
『卓選手はまだ小学生ですからね。これを受けたらひとたまりもないでしょう』
『確かに。しかし弥七選手は余裕の表情ですね。パワーボムは弥七選手の得意技ですから、卓選手が果たして耐えられるのか』
『そうですね。おっと、ここで卓選手、必死の反撃だ!!』
投げられてはたまらない、とばかりに。サッカーで鍛え上げられた足の強さを利用して、卓の首を両足で締めにかかる。この太い首にどれほどの効果があるのかは卓には分からないが、それでも一矢報いんとする子供のような本能だった。
「やめて……。親父、やめてくれ……!」
必死に懇願するような言葉を口にしながらも必死に弥七の首を締め上げてくる卓の姿に、「やればできるじゃねえか」とばかりに弥七はにやりと笑うと。
「うおっ!?」
と。短い悲鳴をあげながらその場でバク転をして。後頭部からリングに突っ込んでいく。その様子はまるで、卓がフランケンシュタイナーを弥七に仕掛けたかのようにも見える。
『おおっと!ここで卓選手、起死回生のフランケンシュタイナーを繰り出した!』
『いやあ、実に鮮やかな動きですね。今日の試合のための特訓でもしたんですかね?まあ、やけくそ感は否めませんが』
そんな言葉と共に、観客席からは。
「卓君、すごい!!」「かっこいい!!」
と、黄色い歓声があがる。だが、とうの卓自身はわけがわからない、といった具合だ。それもそうだろう。自分からすすんで技を放ったわけではないのだから。
だが、それでも。ひとつだけわかったことがある。
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