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真昼のストレンジャー
第四章 2
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庄野は闇雲に走っていた。無力だと今の自分を突きつけられ、打ちのめされていた。
ミイナのところに子猫を連れて行けば何とかなると思った。茶々よりも年を重ねたミイナなら、何か助ける手立てを知っていると思っていた。
けれどミイナの答えは茶々と同じだった。
『ここに連れてきても何もできないのよ』
猫も人間と一緒だ。弱いと分かれば切り捨てる。生きているのに。茶トラの子猫はますますぐったりとして、もう鳴き声すら上げない。さっきまで黒とじゃれ合っていたのに。自然の中、淘汰される命。そうやって強いものだけが残り弱いものは死んでいく。
そんなこと分かっているのだ、自分だって。けれど目の前で尽きようとする命があるなら、何とかしたいと思うのはいけないことなのか? これは人の驕りなのか?
『猫の生活もそんなにいいもんじゃねえぞ?』
ルイの言ったとおりだ。猫がいいなんて気楽に思ってしまった自分に腹が立つ。
「ちくしょう――」
弱っていく子猫が自分に見えた。結局、子猫に託けて自分が救われたかったのだ。
「ナオ」
「……ルイか」
ずいぶん走った気がしたが、噴水塔のところに戻ってきていた。
「何やってのかと思えば。夕日に向かってランニングか?」
「どこが夕日だ。太陽は真上だろうが」
「夕日は例えな、例え。大昔に流行ったセイシュンドラマってやつには出てくんだとさ」
「それもおっさんが言ってたことかよ」
庄野は苛立ちを隠せず、石畳の上に寝転がった。ルイがしなやかに足音も立てずに側に来る。
「あのさ、ナオ。茶々のこと責めんなよ」
どこで聞いてきたのか、ルイは知っていた。
「……分かってるよ。俺はそこまでバカじゃない。自分に頭来てるだけだ」
それは自然の摂理。生きていけない命は淘汰される。強い命だけ長らえる。当たり前のことだ。
「けど自分に力があったらって思うよ。俺が今人間だったら、あのちび連れて獣医行ったのに。何だか肝心なところで役に立たないよな、俺」
「あんたが気に病むことないんだ。この界隈だけでああやって助からない命がどれだけあるっていうんだ。無理だ」
「それでも俺の尻尾齧って遊んでたあのちびを助けたいよ。そして同時に思ってるんだ。ちびは俺が助けるから、誰か俺を助けてくださいって。ひどい話だ」
「そんなに人間に戻りたいのか?」
庄野は、身を起こすと腹這いに座り直して、いや、と首を振った。
「助けるって、そういう意味じゃない。浅ましい人間のエゴさ。免罪符代わりにしようとしてるんだ。逃げたのは自分なのにな」
「ナオ。あんたが心から望むものは何だ? オレは叶えられるんだ。本当に助かりたいって思っているなら、助けてやる」
ルイが、くん、と鼻先を庄野に近づける。
「それってさ、心から望むものなんだろ? これでも、逃げるためにお前に叶えてもらうのは違うんだと思ってる。だからこの望みはダメだな。なあ、望みを叶えるって、一個しかダメなのか?」
いくつも叶えられるなら、悩まないのに。
「そういうこと言うヤツは多いよな。一個だから価値があるんじゃねえか」
「ちっ。じゃあ、あのちび助けてくれよ」
「無理」
ルイはあっさり言い切る。
「何でだよ」
「あんたは今、ちびはちびの寿命を精いっぱい生きればいいって思ってるから」
「おい、待てよそれ。何言ってんだ、お前。そういうどうにもならないことを叶えてくれるから魔法なんだろ?」
「でも無理なんだ。オレが叶えられるのは、あんた自身の、本当に、自分ではどうにもならないっていうものなんだ」
「何だよ、望みを叶えるって大そうなこと言う割りには、ちっとも使えないじゃないか」
「いろいろ条件があんだよ。そう簡単に叶えられますかっていうの」
ルイは開き直るように言って、くるりと背を向けた。
そんなルイの肩が小刻みに震えていることに庄野は気づいた。
「……あんたはここにいろ」
「どこ行くんだ、ルイ?」
答えずルイは駆け出して行った。
庄野はこっそりルイのあとをつけた。ここにいろと言われたが、ついてくるなとは言われていないと屁理屈つけて。
ルイはミイナのところにいた。その横で茶々が動かなくなった子猫を抱きかかえ嘗めていた。ときどき前足で撫でるように子猫の体に触れて。この子はダメだと言っておきながら。
庄野は見つからないよう茂みの陰で様子を窺いながら、その光景に胸が痛くなる。淘汰されると分かっている命でも、親の思いは別にあることを目の当たりにしていた。
ルイが不意に茶々の腕の中から子猫を銜え上げた。
何をする気だ――と思ったが、庄野には分かっていた。子猫を連れて行くのだ。どこか猫たちの目のつかないところに。
「ずいぶん優しい死神だな」
つらい役を。残された命は生きなければならないから。
ミイナのところに子猫を連れて行けば何とかなると思った。茶々よりも年を重ねたミイナなら、何か助ける手立てを知っていると思っていた。
けれどミイナの答えは茶々と同じだった。
『ここに連れてきても何もできないのよ』
猫も人間と一緒だ。弱いと分かれば切り捨てる。生きているのに。茶トラの子猫はますますぐったりとして、もう鳴き声すら上げない。さっきまで黒とじゃれ合っていたのに。自然の中、淘汰される命。そうやって強いものだけが残り弱いものは死んでいく。
そんなこと分かっているのだ、自分だって。けれど目の前で尽きようとする命があるなら、何とかしたいと思うのはいけないことなのか? これは人の驕りなのか?
『猫の生活もそんなにいいもんじゃねえぞ?』
ルイの言ったとおりだ。猫がいいなんて気楽に思ってしまった自分に腹が立つ。
「ちくしょう――」
弱っていく子猫が自分に見えた。結局、子猫に託けて自分が救われたかったのだ。
「ナオ」
「……ルイか」
ずいぶん走った気がしたが、噴水塔のところに戻ってきていた。
「何やってのかと思えば。夕日に向かってランニングか?」
「どこが夕日だ。太陽は真上だろうが」
「夕日は例えな、例え。大昔に流行ったセイシュンドラマってやつには出てくんだとさ」
「それもおっさんが言ってたことかよ」
庄野は苛立ちを隠せず、石畳の上に寝転がった。ルイがしなやかに足音も立てずに側に来る。
「あのさ、ナオ。茶々のこと責めんなよ」
どこで聞いてきたのか、ルイは知っていた。
「……分かってるよ。俺はそこまでバカじゃない。自分に頭来てるだけだ」
それは自然の摂理。生きていけない命は淘汰される。強い命だけ長らえる。当たり前のことだ。
「けど自分に力があったらって思うよ。俺が今人間だったら、あのちび連れて獣医行ったのに。何だか肝心なところで役に立たないよな、俺」
「あんたが気に病むことないんだ。この界隈だけでああやって助からない命がどれだけあるっていうんだ。無理だ」
「それでも俺の尻尾齧って遊んでたあのちびを助けたいよ。そして同時に思ってるんだ。ちびは俺が助けるから、誰か俺を助けてくださいって。ひどい話だ」
「そんなに人間に戻りたいのか?」
庄野は、身を起こすと腹這いに座り直して、いや、と首を振った。
「助けるって、そういう意味じゃない。浅ましい人間のエゴさ。免罪符代わりにしようとしてるんだ。逃げたのは自分なのにな」
「ナオ。あんたが心から望むものは何だ? オレは叶えられるんだ。本当に助かりたいって思っているなら、助けてやる」
ルイが、くん、と鼻先を庄野に近づける。
「それってさ、心から望むものなんだろ? これでも、逃げるためにお前に叶えてもらうのは違うんだと思ってる。だからこの望みはダメだな。なあ、望みを叶えるって、一個しかダメなのか?」
いくつも叶えられるなら、悩まないのに。
「そういうこと言うヤツは多いよな。一個だから価値があるんじゃねえか」
「ちっ。じゃあ、あのちび助けてくれよ」
「無理」
ルイはあっさり言い切る。
「何でだよ」
「あんたは今、ちびはちびの寿命を精いっぱい生きればいいって思ってるから」
「おい、待てよそれ。何言ってんだ、お前。そういうどうにもならないことを叶えてくれるから魔法なんだろ?」
「でも無理なんだ。オレが叶えられるのは、あんた自身の、本当に、自分ではどうにもならないっていうものなんだ」
「何だよ、望みを叶えるって大そうなこと言う割りには、ちっとも使えないじゃないか」
「いろいろ条件があんだよ。そう簡単に叶えられますかっていうの」
ルイは開き直るように言って、くるりと背を向けた。
そんなルイの肩が小刻みに震えていることに庄野は気づいた。
「……あんたはここにいろ」
「どこ行くんだ、ルイ?」
答えずルイは駆け出して行った。
庄野はこっそりルイのあとをつけた。ここにいろと言われたが、ついてくるなとは言われていないと屁理屈つけて。
ルイはミイナのところにいた。その横で茶々が動かなくなった子猫を抱きかかえ嘗めていた。ときどき前足で撫でるように子猫の体に触れて。この子はダメだと言っておきながら。
庄野は見つからないよう茂みの陰で様子を窺いながら、その光景に胸が痛くなる。淘汰されると分かっている命でも、親の思いは別にあることを目の当たりにしていた。
ルイが不意に茶々の腕の中から子猫を銜え上げた。
何をする気だ――と思ったが、庄野には分かっていた。子猫を連れて行くのだ。どこか猫たちの目のつかないところに。
「ずいぶん優しい死神だな」
つらい役を。残された命は生きなければならないから。
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