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第1話 婚約破棄っておいしいの?

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「サラ・ポーツマス嬢。今宵限りで婚約はなかったことにしてもらう」

ハーバート・ウィザスプーン卿の紺碧の瞳が憎々し気にゆがめられる。


学園の年末パーティで公開する話じゃないと思うの。

いくらここに居る人たちほとんどが、知っていたに違いない話だとしても。

世の中外聞とか体裁とか、いろいろ気にするべきことがあるでしょう?

ハーバートの横には、なんとも愛らしい、でも、私に言わせれば相当頭が足りないオバカキャラの少女がしがみついていた。

この子は中年になったら絶対太る!

私は全く余計な確信を抱いた。

「だって、サラさまったら、怖いのですもの」

侯爵令嬢の私に向かって、どこぞの裕福な平民に毛が生えたような泡沫男爵家の娘が何を言っている。

ていうか、怖いと思え。
当たり前だ。

貴族社会は狭い。婚姻関係は網の目のように張り巡らされ、全く関係のなさそうな、何の接点もない人物同士が従兄弟同士だったり、不仲でお互いに冷淡な令夫人が実は腹違いの姉妹だったり(そのせいでお互い接触しないように振舞っているのだ)いろんなところに落とし穴がある。

ハーバートはとにかく、1年前に叙爵して半年前に入学してきたマリリン嬢が、その全部を把握しているわけがない。

「私のことをにらむのですもの。私、何も悪い事なんかしていないのに」

いえいえいえいえ! してますってば。人様の婚約者に遠慮会釈なくくっついて、昼食も放課後もいつでも一緒でベタベタしているのは、どう見ても「悪い事」でしょう。

「まるで私が悪人のような目つきでご覧になるのですもの。傷付きますわ」

それは、こっちのセリフですっ

何も口にはしないけどね。
だって、この人たちに正論をぶちかましても、変な誤解されそうだわ。

「私はただ……」

マリリン嬢が何事か言いかけた。嫌な予感がする。

そこで顔を赤らめるとか、やけに嬉しそうになるとか言うのはやめてもらってもいいでしょうか。

「私、真実の愛を知ってしまったのです」

「あー。そう」

黙っておこうと思ったのだけど、うっかり反応してしまった。

マリリン嬢は真っ赤になって怒り出した。

「あなたみたいな冷たくて感情のない方にはどうせわからないだろうと私も思っていました。婚約すら、契約、契約って! 貴族の方には自由な心はないのですか?」

「よせ。マリリン。こいつにはそもそも心なんかないから」

ハーバート様が止めに入った。

止めに入ったのかしら? それとも、放火しに来たのかしら? よくわからないわ、このセリフ。

その後、二人はペンが一本折られたことがあるとか、宿題が増やされたのは私の差し金に違いないだとか、デートの予定していたのに私の侯爵家へのお茶会の予定に邪魔されたとか、本当にどうでもいい被害届を散々並べ立てて、結局、こういった。

「ポーツマス侯爵家サラ嬢の、度重なる極悪非道なる振る舞いにより、この婚約を継続することは困難になった。原因はサラ嬢にある。サラ嬢の有責で婚約破棄のやむなきに至った。残念だ」

あほらしい。

「それでは、ウィザスプーン卿、それらの証拠をすべて取りそろえたうえでご提出ください。当事者からの申し立てだけでは客観性がありませんから、しかるべき証人等をご用意ください。申し立てを行ったのはウィザスプーン家側ですので、立証責任はウィザスプーン家にあります。有責だとおっしゃるなら、慰謝料等も問題になると思われますので、それらの資料が金額の根拠となります」

ハーバート様は、ぽかんと口を開けていた。

マリリン嬢は、眉を寄せていた。なんの話か半分もわからなかったのだろう。


婚約者によるエスコートは、(驚くべきことに、他の女性と行きたいからという理由で)もともと予定になかったので激怒した兄が代わりについてきてくれていた。
隣の兄は青くなったり赤くなったりして怒っている。

兄は高級官吏である。

ハーバート様のウィザスプーン家は、大領主様。何もしなくても、領土からの上りだけで、のんびり暮らせる。そのためか、呑気で、思ったことをそのまま敢行する人々だった。

対する当家は、領地こそウィザスプーン家みたいに広くはないものの、王都に近い場所を占め、交通の要所を押さえている。

両者が結びつけば、特にヴィザスプーン家にとっては、領地から上がる品物の販売などに便宜が図られ、とても都合が良かろうと結ばれたものだ。

当主同士は仲が良かったしね。

それはとにかく、こうなってしまっては仕方ない。

「お兄様、それでは参りましょうか。あとはお兄様とお父様にお任せしますわ」

ハッと我に帰った兄は、ハーバートに向かってあざけるように言った。

「ああ。任せておいてくれ。ウィザスプーン卿、本日のお申し越しは忘れない。あなたは私が王家で法務担当の仕事をしていて、父が財務に詳しいことをお忘れのようだ」

「そんなこと、愛になんの関係があるって言うの?」

途中で、甲高い声が割って入った。

マリリン嬢だ。

私は薄気味悪く微笑んで、マリリン嬢を見つめた。

兄も驚いたのかマリリン嬢の方へ視線を向けた。

ちなみに兄はびっくりするくらい美男子なのだ。
実の兄が男前だろうが、どうでもいいので、たまに友達から取り持ちを頼まれる時以外、思い出しもしなかったけど、マリリン嬢の目は正直だった。

誰やねん、真実の愛とか騒いでいたのは。

「ま、まあ!……なんて……」

兄はササッと目線を逸らした。

そしてハーバート・ウィザスプーン卿の顔を睨みつける作業に戻った。

「では、また」

悠然と兄は彼らに告げると、私を伴ってその場を離れようとした。

「ちょっと、それだけ? 長年の婚約者に何か言うことはないの?」

「何をでしょうか?」

「だからっ そのっ どうして婚約破棄するのかとか、なぜ捨てられるのかとか……納得できないでしょう?」

「え?」

「あなたったら、おかしいんじゃないの?」

(この一言で、隣の兄が超絶イラッとしたらしい)

「恋人に捨てられたのよ? もっと、泣き喚くとか、すがるとか……」

なぜ、そう言う場面を期待するのだろうか。

見たくはなかったけれど、ハーバート・ウィザスプーン卿の顔も確認した。
こいつも、そんなこと期待してたのだろうか?
そして、もしかすると、泣いてすがられて、それより自分達の崇高な愛の勝利を宣言したかったとか?

できれば、大勢の前で、それをやらかして、みんなの前で勝利宣言したかったんでしょうか?

「そんな必要はありませんからね」

ハーバートは婚約者である。

でも、それだけの人だった。

泣いてすがる訳がない。

この二人に向かって説明する気力もなければ、時間もない。何より値打ちがない気がする。わかってもらえなさそう。わかってくれるくらいなら、おそらく最初から婚約破棄劇場なんかしないでしょう。

「お兄様、参りましょうか」

「そうだな」

兄はポツリと言った。

「明日から忙しくなるからな」

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