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第9話 痩せた貧乏騎士
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ふつうなら何も起きない。
だが、ヒュッと軽い音がして、私は荷物もろとも、全く同じ紋様の魔方陣の上に座っていた。
周りが明るい。
ガヤガヤ音がする。
荷物を背中から下ろして、私は窓に駆け寄った。
城とほぼ同じ作りの屋根裏部屋で、窓が付いていた。雪空に覆われることが多いリンデの村の空と違い、真っ青な空だ。
だが、カーテンを跳ね除けると、隣の家の屋根が目に入った。屋根、屋根、屋根がずっと連なっている。
ここは住宅密集地なのだ。窓ガラスに手を当てると、冷たくない。暖かい場所なのだ。
私は、階段を駆け降りた。
まず、どんなところか確かめなくちゃ。
この屋敷には、反対側の裏通路に面した狭い出入り口と、表通りに面した店があった。
店は板で閉められていて、小さな通用口だけかろうじて開閉できた。
人一人が、背をかがめてようやく出入りできるくらいのくぐり戸を開けて外に出て、私はびっくりした。
通行人にぶつかりそうになったからだ。
「おおっ」
しかし通行人は気に留める様子もなくそのまま通り過ぎていった。
なんて大きな街なのだろう!
ガレンの王城に居た時、私は一度も街に出なかった。
こんな所だなんて知らなかった。馬車も通る。人も大勢通る。隣は大きな食料品店だった。これなら商売しても、売れるに違いない!
「よしっ!」
「ねえ、何してんの?」
一時間後、私は泣きそうだった。
せっかく、紙に滋養強壮剤売ります! と書いて貼ったのに、誰も振り向きもしなかった。
「薬を売っています」
私は声をかけてきたヒョロヒョロの若い男に応えた。
「だから何の薬?」
「滋養強壮剤です」
「何に効くの?」
「全体……かな? あと、そう! ウサギ印のポーションも売ってます」
「ウサギ印?」
私は初めてその若い男を見た。
黒いフードを深く被り、青い目だけが中からのぞいていた。
貧乏そうななりだな……と思った。格好は騎士の格好だったが、コートは袖口が擦り切れ、フードの生地もささくれ立っていた。お金なんかまるでなさそうだった。
私もショールを改めて深く被り直し、正体がバレないよう髪を隠した。
念のため、髪は金色じゃなくて薄い茶色に染めておいた。ガレンでは青目だけでも目立つと言う。
「ウサギ印って」
彼は笑った。
「最近、噂で聞いたことがあるよ。ほんのちょっとしか出回っていない幻の薬だって」
せせら笑いだった。
「偽ものか……」
「偽じゃありません」
ムッとして私は答えた。
だが、同時に頭を巡らせていた。
そんなに有名になっていただなんて知らなかった。
そういえば村の雑貨屋の亭主のところには、街の商人がしつこく、もっとポーションがないか聞きに来てるって言ってたっけ。
「ウサギ印とかいう嘘はとにかくとして……その滋養強壮剤はいくらなの?」
「お買い求めありがとうございます!」
私はピョンと飛び上がった。こんな貧乏そうな形をしていても、お客さまだ!
お客様は大事にしなくちゃ!
だが、その男は忌々しげに手を振った。
「値段を書かなきゃ、モノは売れないよ? 俺は商売の基本を指摘しただけだ」
私は値段を決めていなかったので、その貧乏そうな男相手にいくらで売れば妥当か聞いてみた。
「何で、そんな相談に乗らなきゃいけないんだ。俺だって薬の値段なんか知らないよ!」
「私だって、直販なんですからよくわかりません! 森の中から出てきたんですから!」
「商売人のくせに開き直るな」
大変、偉そうな態度の男である。
思わずムッとして、私は言った。
「まるで、どこかの貴族の御子息みたいな口の利き方ですわね!」
「そっちこそ、どこかの王宮勤めの侍女みたいな喋り方だよ!」
そんなこと、どうでもいい。
「そうねえ……大体三十ジルくらいってことかしら?」
「俺に聞くな」
「とりあえず、それで売ってみましょう」
「俺に礼はないのか? 礼をしてくれたら、一つ、いいことを教えてやるぞ?」
「それより買ってください」
「三十ジルも持っていない」
「チッ」
思わず口の中でぼやいた。
「じゃあ、半分やるから、効き目があったら報告しなさい」
男の目が見開かれた。
「うっわー。偉そー」
「無料なのよ?」
「どうせならウサギ印のポーションがいい」
「あれは高いのよ。三百ジルはくだらないわ」
「何でも治るそうだ」
男はどこか遠い目をして言った。
「戦いで利き手の右の筋を切られた。もう、騎士としてはやっていけない」
ああ、なるほど。それでこんな貧乏そうななりをしているのか。
「婚約者が乗っていた馬車だった。俺は婚約者を迎えに行ったんだ。襲撃されて、俺は彼女を守るために戦ったんだが、その時に傷を受けた」
「へ、へええ?」
「……と言うわけだ」
「そうですか」
「ウサギ印のポーション、十五ジルでくれる気にはならない?」
私はハッとした。
「は、はーん。もしかして、今の、同情を買う作戦ですか!」
「かわいそうだろ?」
「いやー、真偽のほどもわかりませんしね。あーでも……」
私は滋養強壮剤の方を半分に減らして彼に渡した。
「大負けに負けて十ジル。結果を教えてくれたら、もう一回だけ十ジルで売ったげますよ」
「五ジルだけ払おう。あと、商売上すごっく大事な秘訣を教えてやるから、耳を貸せ。それでチャラにしとこう」
何だか、信用ならない話だが、一応、私は用心深く半分だけ、その男の方に体を向けた。
彼はサッと私のショールをめくって、私の顔をさらけ出した。
「うん」
男はニヤリとした。
「その格好で値段をハッキリ書いて売るんだ。絶対、客が付く」
「え?」
「いやあ、美人ていいね。君の顔だけでわんさか男が寄ってくるよ。しかも滋養強壮剤だしね。いいんじゃない?」
「え? え?」
「あ、何トボケてるの? まさか意味わかってなくて売ってるんじゃないよね?」
私は騎士だという若い男を見上げた。完全にバカにしている顔だった。
なんだか無性に腹がたって、顔が熱くなった。
「バカにしないでちょうだい! あなたはなんだか失礼ね!」
だが、ヒュッと軽い音がして、私は荷物もろとも、全く同じ紋様の魔方陣の上に座っていた。
周りが明るい。
ガヤガヤ音がする。
荷物を背中から下ろして、私は窓に駆け寄った。
城とほぼ同じ作りの屋根裏部屋で、窓が付いていた。雪空に覆われることが多いリンデの村の空と違い、真っ青な空だ。
だが、カーテンを跳ね除けると、隣の家の屋根が目に入った。屋根、屋根、屋根がずっと連なっている。
ここは住宅密集地なのだ。窓ガラスに手を当てると、冷たくない。暖かい場所なのだ。
私は、階段を駆け降りた。
まず、どんなところか確かめなくちゃ。
この屋敷には、反対側の裏通路に面した狭い出入り口と、表通りに面した店があった。
店は板で閉められていて、小さな通用口だけかろうじて開閉できた。
人一人が、背をかがめてようやく出入りできるくらいのくぐり戸を開けて外に出て、私はびっくりした。
通行人にぶつかりそうになったからだ。
「おおっ」
しかし通行人は気に留める様子もなくそのまま通り過ぎていった。
なんて大きな街なのだろう!
ガレンの王城に居た時、私は一度も街に出なかった。
こんな所だなんて知らなかった。馬車も通る。人も大勢通る。隣は大きな食料品店だった。これなら商売しても、売れるに違いない!
「よしっ!」
「ねえ、何してんの?」
一時間後、私は泣きそうだった。
せっかく、紙に滋養強壮剤売ります! と書いて貼ったのに、誰も振り向きもしなかった。
「薬を売っています」
私は声をかけてきたヒョロヒョロの若い男に応えた。
「だから何の薬?」
「滋養強壮剤です」
「何に効くの?」
「全体……かな? あと、そう! ウサギ印のポーションも売ってます」
「ウサギ印?」
私は初めてその若い男を見た。
黒いフードを深く被り、青い目だけが中からのぞいていた。
貧乏そうななりだな……と思った。格好は騎士の格好だったが、コートは袖口が擦り切れ、フードの生地もささくれ立っていた。お金なんかまるでなさそうだった。
私もショールを改めて深く被り直し、正体がバレないよう髪を隠した。
念のため、髪は金色じゃなくて薄い茶色に染めておいた。ガレンでは青目だけでも目立つと言う。
「ウサギ印って」
彼は笑った。
「最近、噂で聞いたことがあるよ。ほんのちょっとしか出回っていない幻の薬だって」
せせら笑いだった。
「偽ものか……」
「偽じゃありません」
ムッとして私は答えた。
だが、同時に頭を巡らせていた。
そんなに有名になっていただなんて知らなかった。
そういえば村の雑貨屋の亭主のところには、街の商人がしつこく、もっとポーションがないか聞きに来てるって言ってたっけ。
「ウサギ印とかいう嘘はとにかくとして……その滋養強壮剤はいくらなの?」
「お買い求めありがとうございます!」
私はピョンと飛び上がった。こんな貧乏そうな形をしていても、お客さまだ!
お客様は大事にしなくちゃ!
だが、その男は忌々しげに手を振った。
「値段を書かなきゃ、モノは売れないよ? 俺は商売の基本を指摘しただけだ」
私は値段を決めていなかったので、その貧乏そうな男相手にいくらで売れば妥当か聞いてみた。
「何で、そんな相談に乗らなきゃいけないんだ。俺だって薬の値段なんか知らないよ!」
「私だって、直販なんですからよくわかりません! 森の中から出てきたんですから!」
「商売人のくせに開き直るな」
大変、偉そうな態度の男である。
思わずムッとして、私は言った。
「まるで、どこかの貴族の御子息みたいな口の利き方ですわね!」
「そっちこそ、どこかの王宮勤めの侍女みたいな喋り方だよ!」
そんなこと、どうでもいい。
「そうねえ……大体三十ジルくらいってことかしら?」
「俺に聞くな」
「とりあえず、それで売ってみましょう」
「俺に礼はないのか? 礼をしてくれたら、一つ、いいことを教えてやるぞ?」
「それより買ってください」
「三十ジルも持っていない」
「チッ」
思わず口の中でぼやいた。
「じゃあ、半分やるから、効き目があったら報告しなさい」
男の目が見開かれた。
「うっわー。偉そー」
「無料なのよ?」
「どうせならウサギ印のポーションがいい」
「あれは高いのよ。三百ジルはくだらないわ」
「何でも治るそうだ」
男はどこか遠い目をして言った。
「戦いで利き手の右の筋を切られた。もう、騎士としてはやっていけない」
ああ、なるほど。それでこんな貧乏そうななりをしているのか。
「婚約者が乗っていた馬車だった。俺は婚約者を迎えに行ったんだ。襲撃されて、俺は彼女を守るために戦ったんだが、その時に傷を受けた」
「へ、へええ?」
「……と言うわけだ」
「そうですか」
「ウサギ印のポーション、十五ジルでくれる気にはならない?」
私はハッとした。
「は、はーん。もしかして、今の、同情を買う作戦ですか!」
「かわいそうだろ?」
「いやー、真偽のほどもわかりませんしね。あーでも……」
私は滋養強壮剤の方を半分に減らして彼に渡した。
「大負けに負けて十ジル。結果を教えてくれたら、もう一回だけ十ジルで売ったげますよ」
「五ジルだけ払おう。あと、商売上すごっく大事な秘訣を教えてやるから、耳を貸せ。それでチャラにしとこう」
何だか、信用ならない話だが、一応、私は用心深く半分だけ、その男の方に体を向けた。
彼はサッと私のショールをめくって、私の顔をさらけ出した。
「うん」
男はニヤリとした。
「その格好で値段をハッキリ書いて売るんだ。絶対、客が付く」
「え?」
「いやあ、美人ていいね。君の顔だけでわんさか男が寄ってくるよ。しかも滋養強壮剤だしね。いいんじゃない?」
「え? え?」
「あ、何トボケてるの? まさか意味わかってなくて売ってるんじゃないよね?」
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