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第8話 王子様、脱ぎたがる
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ヘロリ王子様は博識だったし、意外とぶれない人物だった。
「二ヶ月経ったら、隣国へ渡ろうと思っている。国内では顔が知れ渡っているからね」
「竜はどうするのですか?」
「竜って言うのはね、ずっと昔から存在している」
王子様は説明してくれた。
「なんの害悪も及ぼさない。でも、絶対に勝てない。だから討伐隊なんか意味がない。だけど王家としては皆がおびえるから討伐隊の恰好だけはつけなきゃいけない。それだけさ」
「それは意味がないと思うわ。まるで日照りの時に差し出されるいけにえのようだわ、効果はわからないのに」
ヘロリ王子は陰のある微笑みを浮かべた。
「うまいこと言うね。その通りだ」
私は話を変えようと思った。そんな風習吹っ飛ばせばいいのに。どうして唯々諾々と従っているのかしら。
「竜、見てみたいと思いませんか?」
ヘロリ王子様はびっくりしたらしかった。
「その好奇心と命とどっちが大事?」
「だって、優しい竜かもしれないじゃないですか」
ヘロリ王子様は落ち着いた目で私のことを見つめた。
「竜が怖くないなんて。君は人間じゃないよね」
私は憤慨した。私は確かに魔女だけど、同時に人間でもあると思っている。
ヘロリ王子の目が薄青く光った。
「君は魔女だよね」
うーん。この場合、なんといって答えたらいいのか。
私は黙っていた。
王子様はちょっとへろっと笑った。いつものように、一見気弱そうに見えるあれだ。
「僕はナタリアが好きだ。ナタリアが竜を見に行くなら、僕も行く」
王子様は思いがけないことを言いだした。私はあわてた。行かなくていいから。
「いいですか? 王子様。あなたの役目はもう済みました」
「うん」
「出発パレードをした時点で終了です」
「そうだね」
「お金をいっぱいもらっているんでしょう?」
良く聞いてみれば、最初から仕組まれた計画だった。勇者と僧侶はいわば証言役。王子様は頑張りました、でも、竜にはかないませんでした。
王子様は死んだ。……と見せかけて実は悠々自適の生活を送る。第四王子だから、国から特に何か役割を期待されているわけでもない。
私の家の庭先でオッサン騎士たちと一緒になって騒いでいたあの第三王子より、この王子様の方が政治の補佐には向いている気がするので活用しないのはもったいない気がしたが、それが王家の意向なら仕方ない。
「もう少しで、竜の棲む山だね」
王子様が山を見ながら言った。
この時間が終わる。
本当は、私が先に離脱してから、王子様が竜討伐の旅から離脱するはずだったが、順番が逆になってしまった。
私が、竜を見に行きたいなんて考え出してしまったからだ。
私は魔女。人間より強い。それに、経験豊富だからと母が付けてくれたゾラが保証するのだ。
『見に行けばいいではありませんか。ナタリア様、あなたは魔女です。竜だって、見られるくらい許してくれますよ。人間に対して、あなた方魔女と竜は、いわば仲間ですからね』
でも、王子様は人間。私を守ってくれると言うが、まあ無理。竜が怒って人間の王子様を殺すと言われたら、私では王子様を守り切れないだろうしね。
そもそも竜討伐隊というネーミングからして怒りを買っているのではないかしら。
そろそろお別れだわ。
「では、王子様、私はここでお別れします」
丸一月経った頃、私は言った。
その頃には、王子様からの支払い予定が金貨で百八十五枚にものぼっており、私はそろそろ王子様の口約束が心配になって来たのだった。
王子様の目が大きく見開かれた。
ものすごい衝撃を受けたような顔をしている。
えっ? なんで?
「ナタリア、どうして別れるの?」
「別れるに決まっているではありませんか」
「ずっと一緒にいる約束だろう?」
そういや、この王子様、いっつもこんな調子だったな。まあ、面白かったけど。
「そんな約束していませんが! 最初から、いつ離脱してもいいって言ってませんでしたか?」
「まさか、本気にしてたの?」
「まさか、ずっと一緒にいるつもりだったんですか?」
王子様はコクンとうなずいた。
弱い人間の、ヘロリとかいう名前からして弱そうな、さらには立場的にも肉体的にも、いろいろと弱々しい人間のお守りをどうしてずっとしなくちゃいけないんだ。こいつ、料理も結局無理だったんですよ!
「いやでも、足手まといですから」
「そんなことない。君は有能だ」
違う。足手まといは王子様、テメエだ。
「私は魔女です」
遂に私は言った。もう二度と会わないだろうから。
「魔女……」
王子様は別に驚くでもなく繰り返した。
「全然、オッケーだよ。僕はそんなこと気にしない。君と一緒にいたい」
どこまでポジティブなんだ。そうではなくてですね。
「私は竜に会いに行きたいんです。でも、人間は弱すぎる。足手まといは要らないんです。それにあなたは竜に会いたくなんかないでしょう」
王子様はネガティブ情報満載の私の言葉に聞き入った。だが、ポツンと出てきた言葉は一つだった。
「君と一緒にいたい」
わ、私だって、王子様のことは気に入っている。彼はネコみたいだ。
いてもいなくても、和ませる空気の持ち主だ。違う。いないと寂しい。
でも、だからこそ一緒にいない方がいい。竜に会わせるわけにはいかない。彼が死んでしまったら、私は悲しいもの。一番いいのは、私の帰りを待っていてくれたらいいのだけど。
でも、彼は料理ができない。
「竜に会わないではいられない気がするので」
竜退治をする必要がないのと同様、この王子様と一緒にいる理由がない。竜に会ってみたい魔女の私が、迷惑をかけられどおしのこのヘロリ王子様の為に、自分の希望を引っ込める理由もない。
「僕も行く」
「迷惑だからやめなさい。弱いくせに」
王子様の目がキラッと光った。しまった、怒らせたかな?
「そんなことはない。ずっとトレーニングに励んできたんだ」
「トレーニングでどうこうできる問題ではない!」
「何を言う!」
王子様はいきなりバッと上着を脱いだ。
「やっとシックスパックと言えるようにまでなったんだ。この旅は竜退治に名を借りた僕の再生の旅だったんだ」
「再生……」
「やりたいことを言う! したいことをする! 君を見ていて、僕にはそういう部分が足りなかったんじゃないかと反省した」
そんなに私、したい放題でしたか?
「あの出発パレードの壇上で、僕は感動した!」
いや、感動するとこ、なかったでしょう。大体、勇者様と僧侶様は、生まれてこの方、やりたいことを言って、したいことをしていただけだと思う!
彼らが幼馴染だって言うなら、私を見るまでもなく、あの二人で十分したい放題を見てきたと思う!
「やりたい放題の種類が違う!」
王子様は息巻いた。
「ま、まあ、それは確かに」
「君はあの二人に向かって、きちんと言い返していた」
きちんと?
「キモ変態とかボッチデブとか」
「ああ、あれ」
ただの事実だと思いますが。
「あれを聞いているうちに、やらなきゃいけないことがある。そう思った。だから体を鍛えた」
話の飛躍について行けない。あっ、でも、それ以上、脱ぐのは止めてください! 誰か止めてー!
「ギャーッ」
と叫んだのは私ではなくて王子様だった。
背中にはゾラがくっついていて、ズーとゾラが王子様の背中を落ちていくと同時に立派なひっかき傷がついていた。血が筋になっていく。
『このド変態!』
ゾラがいつもの渋い声で罵った。
『ナタリア様に何をしようとした』
「とにかく、傷薬、傷薬」
あれは痛いわ。私は焦った。
『薬なんかいりません。ほっときなさい。ネコのひっかき傷なんて、命にかかわりませんから。ちょっとカッコ悪いけどねー』
ゾラが普段と違って、愉快そうにあざけった。
『裸になんかなるからですよ。ザマァ』
それでも私はうずくまって痛そうにプルプル震えている王子様のところへ駆け寄って、背中に薬を塗ってあげた。
「痛いですか?」
「痛い」
王子様は上目遣いに私を見た。
「もっと右。そこ。痛い」
「ここですか? 血は流れてないですけど」
「もっと、こう、手のひら全体で塗って」
ゾラの後ろ足がパカーンと王子様の頭をどついた。
『ネコの爪立て攻撃をちゃっかりミニエロイベントに変えるとは、恐るべき狡猾ヤロウだ』
飛び蹴り攻撃をスマートに決めて、スチャッと着地したゾラは罵った。
ゾラの一撃は普通のネコの一撃とは違う。
なにしろ鹿もイノシシも簡単に倒す。おかげで私はジビエ料理の大家になりそうだ。
『さあ、こんなヤツ、捨てて先に進みましょう』
「大丈夫かしら」
『大丈夫、大丈夫。熊に食われても言い負かしそうです』
熊と会話が通じるのか、すごく気になったけど、ゾラが大丈夫だと言うならそうかも知れない。
ゾフの言うことは当たるのだ。
念の為、パンと肉をお供えして手を合わせておいたのだけど、ゾラに『それ、肉食獣への撒き餌ですか?』と聞かれて、やっと気づいた。
「そうね。肉を食べにくるわね」
『ナタリア様が、こやつが生きたまま食われるのをご希望とは存じませんでした』
肉とパンは撤去して、とりあえず上から布をかけてそのまま撤退した。いや、置き去りにした。
『まあ、長くても数十分で目が覚めます。あの王子のことですから、自分で何とかするでしょう』
私は横目でゾラをにらんだ。
「随分、王子様のことを買っているようじゃないの」
ゾラは珍しくカラカラと笑った。
「面白い奴でした。あんな男を手放さなくてはならなかったとは、王家も気の毒ですな」
もう誰に聞こえてもいいので、ゾラは声に出していった。渋いいい声をしているのだ。今まで、にゃおんとしか聞こえないとは気の毒だった。
「さあ、ここからは山道になりますが、箒に乗りますか?」
「嫌だわ。箒だなんて今どきはやらない。私は気球に乗ります」
「あのう、気球は目立つと……」
「籠だけ気球なの。低空飛行が可能なの。竜に気付かれたくないから。こっそり見るだけよ」
「ドッキリですか?」
「なんのこと?」
竜が棲む山は、瘴気があふれてると言う噂だったが、全くそんなことはなかった。
むしろ空気は清浄で、明るい森だった。流れる水も透明できれいで、深瀬では青や緑を帯びた水が豊富に流れていた。
「美しいところだわ」
でも、警戒を怠ってはならない。
野営する時は、夜中に時々何者かの気配を感じることがあった。
警戒心の強いゾラがまるで気にしていないので、大丈夫だろうと思うが、なんだか気持ちが悪い。
気配はどうも大勢いるらしく、ガサガサ動いたり、聞き取れないような鳴き声で騒いだり、ケンカをしているような時もあった。
「野営のテントが揺らぎもしないのだから、問題ありますまい」
「でも不眠症になりそう……」
私はぼやいた。置き去りにした王子様のこととか、ここは竜の支配下の森だとか、気になることはいっぱいあるはずなのだが、何しろ猛烈に眠い。いろいろとおざなりになってしまった。
三日目の朝、ゾラは誇らしげに言った。
「ドラゴン様の御殿はこの上です!」
私は首をほぼ九十度に曲げて上を見た。
それは断崖絶壁、絶対に上れないような傾斜と高さだった。
「二ヶ月経ったら、隣国へ渡ろうと思っている。国内では顔が知れ渡っているからね」
「竜はどうするのですか?」
「竜って言うのはね、ずっと昔から存在している」
王子様は説明してくれた。
「なんの害悪も及ぼさない。でも、絶対に勝てない。だから討伐隊なんか意味がない。だけど王家としては皆がおびえるから討伐隊の恰好だけはつけなきゃいけない。それだけさ」
「それは意味がないと思うわ。まるで日照りの時に差し出されるいけにえのようだわ、効果はわからないのに」
ヘロリ王子は陰のある微笑みを浮かべた。
「うまいこと言うね。その通りだ」
私は話を変えようと思った。そんな風習吹っ飛ばせばいいのに。どうして唯々諾々と従っているのかしら。
「竜、見てみたいと思いませんか?」
ヘロリ王子様はびっくりしたらしかった。
「その好奇心と命とどっちが大事?」
「だって、優しい竜かもしれないじゃないですか」
ヘロリ王子様は落ち着いた目で私のことを見つめた。
「竜が怖くないなんて。君は人間じゃないよね」
私は憤慨した。私は確かに魔女だけど、同時に人間でもあると思っている。
ヘロリ王子の目が薄青く光った。
「君は魔女だよね」
うーん。この場合、なんといって答えたらいいのか。
私は黙っていた。
王子様はちょっとへろっと笑った。いつものように、一見気弱そうに見えるあれだ。
「僕はナタリアが好きだ。ナタリアが竜を見に行くなら、僕も行く」
王子様は思いがけないことを言いだした。私はあわてた。行かなくていいから。
「いいですか? 王子様。あなたの役目はもう済みました」
「うん」
「出発パレードをした時点で終了です」
「そうだね」
「お金をいっぱいもらっているんでしょう?」
良く聞いてみれば、最初から仕組まれた計画だった。勇者と僧侶はいわば証言役。王子様は頑張りました、でも、竜にはかないませんでした。
王子様は死んだ。……と見せかけて実は悠々自適の生活を送る。第四王子だから、国から特に何か役割を期待されているわけでもない。
私の家の庭先でオッサン騎士たちと一緒になって騒いでいたあの第三王子より、この王子様の方が政治の補佐には向いている気がするので活用しないのはもったいない気がしたが、それが王家の意向なら仕方ない。
「もう少しで、竜の棲む山だね」
王子様が山を見ながら言った。
この時間が終わる。
本当は、私が先に離脱してから、王子様が竜討伐の旅から離脱するはずだったが、順番が逆になってしまった。
私が、竜を見に行きたいなんて考え出してしまったからだ。
私は魔女。人間より強い。それに、経験豊富だからと母が付けてくれたゾラが保証するのだ。
『見に行けばいいではありませんか。ナタリア様、あなたは魔女です。竜だって、見られるくらい許してくれますよ。人間に対して、あなた方魔女と竜は、いわば仲間ですからね』
でも、王子様は人間。私を守ってくれると言うが、まあ無理。竜が怒って人間の王子様を殺すと言われたら、私では王子様を守り切れないだろうしね。
そもそも竜討伐隊というネーミングからして怒りを買っているのではないかしら。
そろそろお別れだわ。
「では、王子様、私はここでお別れします」
丸一月経った頃、私は言った。
その頃には、王子様からの支払い予定が金貨で百八十五枚にものぼっており、私はそろそろ王子様の口約束が心配になって来たのだった。
王子様の目が大きく見開かれた。
ものすごい衝撃を受けたような顔をしている。
えっ? なんで?
「ナタリア、どうして別れるの?」
「別れるに決まっているではありませんか」
「ずっと一緒にいる約束だろう?」
そういや、この王子様、いっつもこんな調子だったな。まあ、面白かったけど。
「そんな約束していませんが! 最初から、いつ離脱してもいいって言ってませんでしたか?」
「まさか、本気にしてたの?」
「まさか、ずっと一緒にいるつもりだったんですか?」
王子様はコクンとうなずいた。
弱い人間の、ヘロリとかいう名前からして弱そうな、さらには立場的にも肉体的にも、いろいろと弱々しい人間のお守りをどうしてずっとしなくちゃいけないんだ。こいつ、料理も結局無理だったんですよ!
「いやでも、足手まといですから」
「そんなことない。君は有能だ」
違う。足手まといは王子様、テメエだ。
「私は魔女です」
遂に私は言った。もう二度と会わないだろうから。
「魔女……」
王子様は別に驚くでもなく繰り返した。
「全然、オッケーだよ。僕はそんなこと気にしない。君と一緒にいたい」
どこまでポジティブなんだ。そうではなくてですね。
「私は竜に会いに行きたいんです。でも、人間は弱すぎる。足手まといは要らないんです。それにあなたは竜に会いたくなんかないでしょう」
王子様はネガティブ情報満載の私の言葉に聞き入った。だが、ポツンと出てきた言葉は一つだった。
「君と一緒にいたい」
わ、私だって、王子様のことは気に入っている。彼はネコみたいだ。
いてもいなくても、和ませる空気の持ち主だ。違う。いないと寂しい。
でも、だからこそ一緒にいない方がいい。竜に会わせるわけにはいかない。彼が死んでしまったら、私は悲しいもの。一番いいのは、私の帰りを待っていてくれたらいいのだけど。
でも、彼は料理ができない。
「竜に会わないではいられない気がするので」
竜退治をする必要がないのと同様、この王子様と一緒にいる理由がない。竜に会ってみたい魔女の私が、迷惑をかけられどおしのこのヘロリ王子様の為に、自分の希望を引っ込める理由もない。
「僕も行く」
「迷惑だからやめなさい。弱いくせに」
王子様の目がキラッと光った。しまった、怒らせたかな?
「そんなことはない。ずっとトレーニングに励んできたんだ」
「トレーニングでどうこうできる問題ではない!」
「何を言う!」
王子様はいきなりバッと上着を脱いだ。
「やっとシックスパックと言えるようにまでなったんだ。この旅は竜退治に名を借りた僕の再生の旅だったんだ」
「再生……」
「やりたいことを言う! したいことをする! 君を見ていて、僕にはそういう部分が足りなかったんじゃないかと反省した」
そんなに私、したい放題でしたか?
「あの出発パレードの壇上で、僕は感動した!」
いや、感動するとこ、なかったでしょう。大体、勇者様と僧侶様は、生まれてこの方、やりたいことを言って、したいことをしていただけだと思う!
彼らが幼馴染だって言うなら、私を見るまでもなく、あの二人で十分したい放題を見てきたと思う!
「やりたい放題の種類が違う!」
王子様は息巻いた。
「ま、まあ、それは確かに」
「君はあの二人に向かって、きちんと言い返していた」
きちんと?
「キモ変態とかボッチデブとか」
「ああ、あれ」
ただの事実だと思いますが。
「あれを聞いているうちに、やらなきゃいけないことがある。そう思った。だから体を鍛えた」
話の飛躍について行けない。あっ、でも、それ以上、脱ぐのは止めてください! 誰か止めてー!
「ギャーッ」
と叫んだのは私ではなくて王子様だった。
背中にはゾラがくっついていて、ズーとゾラが王子様の背中を落ちていくと同時に立派なひっかき傷がついていた。血が筋になっていく。
『このド変態!』
ゾラがいつもの渋い声で罵った。
『ナタリア様に何をしようとした』
「とにかく、傷薬、傷薬」
あれは痛いわ。私は焦った。
『薬なんかいりません。ほっときなさい。ネコのひっかき傷なんて、命にかかわりませんから。ちょっとカッコ悪いけどねー』
ゾラが普段と違って、愉快そうにあざけった。
『裸になんかなるからですよ。ザマァ』
それでも私はうずくまって痛そうにプルプル震えている王子様のところへ駆け寄って、背中に薬を塗ってあげた。
「痛いですか?」
「痛い」
王子様は上目遣いに私を見た。
「もっと右。そこ。痛い」
「ここですか? 血は流れてないですけど」
「もっと、こう、手のひら全体で塗って」
ゾラの後ろ足がパカーンと王子様の頭をどついた。
『ネコの爪立て攻撃をちゃっかりミニエロイベントに変えるとは、恐るべき狡猾ヤロウだ』
飛び蹴り攻撃をスマートに決めて、スチャッと着地したゾラは罵った。
ゾラの一撃は普通のネコの一撃とは違う。
なにしろ鹿もイノシシも簡単に倒す。おかげで私はジビエ料理の大家になりそうだ。
『さあ、こんなヤツ、捨てて先に進みましょう』
「大丈夫かしら」
『大丈夫、大丈夫。熊に食われても言い負かしそうです』
熊と会話が通じるのか、すごく気になったけど、ゾラが大丈夫だと言うならそうかも知れない。
ゾフの言うことは当たるのだ。
念の為、パンと肉をお供えして手を合わせておいたのだけど、ゾラに『それ、肉食獣への撒き餌ですか?』と聞かれて、やっと気づいた。
「そうね。肉を食べにくるわね」
『ナタリア様が、こやつが生きたまま食われるのをご希望とは存じませんでした』
肉とパンは撤去して、とりあえず上から布をかけてそのまま撤退した。いや、置き去りにした。
『まあ、長くても数十分で目が覚めます。あの王子のことですから、自分で何とかするでしょう』
私は横目でゾラをにらんだ。
「随分、王子様のことを買っているようじゃないの」
ゾラは珍しくカラカラと笑った。
「面白い奴でした。あんな男を手放さなくてはならなかったとは、王家も気の毒ですな」
もう誰に聞こえてもいいので、ゾラは声に出していった。渋いいい声をしているのだ。今まで、にゃおんとしか聞こえないとは気の毒だった。
「さあ、ここからは山道になりますが、箒に乗りますか?」
「嫌だわ。箒だなんて今どきはやらない。私は気球に乗ります」
「あのう、気球は目立つと……」
「籠だけ気球なの。低空飛行が可能なの。竜に気付かれたくないから。こっそり見るだけよ」
「ドッキリですか?」
「なんのこと?」
竜が棲む山は、瘴気があふれてると言う噂だったが、全くそんなことはなかった。
むしろ空気は清浄で、明るい森だった。流れる水も透明できれいで、深瀬では青や緑を帯びた水が豊富に流れていた。
「美しいところだわ」
でも、警戒を怠ってはならない。
野営する時は、夜中に時々何者かの気配を感じることがあった。
警戒心の強いゾラがまるで気にしていないので、大丈夫だろうと思うが、なんだか気持ちが悪い。
気配はどうも大勢いるらしく、ガサガサ動いたり、聞き取れないような鳴き声で騒いだり、ケンカをしているような時もあった。
「野営のテントが揺らぎもしないのだから、問題ありますまい」
「でも不眠症になりそう……」
私はぼやいた。置き去りにした王子様のこととか、ここは竜の支配下の森だとか、気になることはいっぱいあるはずなのだが、何しろ猛烈に眠い。いろいろとおざなりになってしまった。
三日目の朝、ゾラは誇らしげに言った。
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