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第62話 古い手紙

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 私がアレキア人と話していたのはほんの一瞬で、彼は王妃様にご挨拶あいさつ出来て非常に光栄だったと、ルフラン語で大げさに礼を述べて、出て行った。



 翌日、読みたいわけではなかったが、私は思い切って封を開けた。

 子どもみたいな字で書いてある。殿下の字だった。間違いない。

『オーガスタへ。
 あなたに会いたい。僕が帰るまで待っていてくれ。僕を愛しているって書いて返事をください。待っている』

 相変わらずのたわごと。
 
 つたない殿下の字。深みも何もない、一方的に押し付けるだけの文。

 長い時を飛び越えて、何年も前の瞬間へ引き戻されたような錯覚を覚えた。

 何一つ変わらないだけに、逆に、そのまますぎる。殿下が生きて話しかけているようだ。



「オーガスタ、何をしているの?」

 突然、ラルフが姿を現した。私はビクッとして彼を見上げた。

『あなたの夫は、王太子殿下を憎んでいたんでしょう』

 アレキア人の言葉がよみがえった。
 この人は……

「あの……アレキアの公使が離任のあいさつに来たわ」

 ラルフの目が光ったような気がした。

「それはなに?」

 ラルフの目線は、殿下の古い手紙に落ちた。

 彼は一瞬で短い文を読み、意味を悟ると私の手から取り上げた。

「ダメよ」

 ラルフは厚手の上等の用箋だったのに、あっという間に引き裂いた。

「偽物だ」

「偽じゃないわ」

「こんなものに惑わされるな」

 引き裂かれた手紙の中から、はらりと小さな紙片が落ちた。

 私とラルフは同時に手を伸ばし、ほんのわずかの差で私が先に紙をつかんだ。

『月曜日。七時。小鹿亭』

 くちゃくちゃになった汚いメモ。ラルフの字だった。

 すぐにラルフの手が紙を取り上げ、粉々に引き裂いた。

 私は指先が冷たくなり、手が震えた。

 小鹿亭……殿下が殺されたその店の名。
 時間は七時過ぎ。合っている。
 曜日は知らない。
 だが、おそらくそうなのだろう。

 ラルフがメモを送ることは、立場上、無理じゃなかった。
 彼は公爵家でずっと殿下の接待係を務めていた。殿下は、ラルフの筆跡くらい知っているはず。信じただろう。

 私とラルフは、まるで仲違いして何年も会わなかった昔の友人が再会したみたいに、冷たい表情で警戒しあって、お互いを見つめた。

 やがて、私はつぶやくようにラルフに言った。

「あなただったのね。殿下の話をアレキアに教えたのは」


 永遠の沈黙がその場を支配した。

「殿下が死んだのはずっと前だ」

 ラルフの声は低くて、ほとんど聞き取れないくらいだった。

「どうしても気になっていたの。ずっとに落ちなかったの」


 ラルフは何とも言えない顔で私を見つめた。

「オーガスタ……」

 ずいぶん長い間黙っていたあと、ラルフは口を切った。

「セリムは嘘を言っている」

 私は冷たい目でラルフを見た。
 本当に誰が真実を語っているのかわからない。

 ラルフは早口で続けた。

「セリムは王都で商売をしていた時、市庁舎のパーティで殿下と知り合いになったらしい。僕は関係ない。それに僕は殿下が亡くなられた時、王都にいた。殿下と話など出来ない」

「セリムは王都であなたに会ったと言っていたわ。そして、殿下が砦の外に出ていると言う話を聞いて早馬を飛ばしたと。そして、あなたは殿下にメモを送ると約束した……」

「オーガスタ!」

 突然、ラルフは私に抱きついた。

「そんなこと、信じてはいけない。たとえ僕がセリムに何か話したとしても、関係ない。殿下はずっとアレキアに狙われていたのだ。当たり前だ。砦の外に出て行くなど、絶対にしてはいけないことだったのだ」

 私は首を振った。
 では、なぜ、砦の外に出ていることをセリムに教えたのだ。

  私はラルフを見上げた。
 
 

「……やつが憎かった」

 あのラルフが、ついに言葉を吐いた。

「死ねばいいと思っていた」

 ぽろぽろと言葉が出て来る。

「僕は、殿下が公爵家に来た時の話し相手を務めていた。殿下の話はいつもあなたのことばかり。殿下が不満だったのは、あなたがつれないから。満たされない気持ちで、いっぱいだった。エレノアと付き合い始めても、彼はあなたのことしか頭になかった」

 殿下はいつも何か不満そうだった。イライラしているようだった。だから……私のことを嫌いなんだと思っていた。

「結婚できるかも知れないと思った時、僕は覚悟した。権力者が女を手に入れたかったら、どうするか、知っている?」

「……知らないわ?」

 私はラルフと結婚した。だから、話はそれでおしまいのはずだ。

 ラルフは否定した。

「結婚くらいで忘れられるものか。多分、僕だけが殿下の気持ちを察していたと思う。殿下の唯一は、ベロス嬢でもエレノア嬢でもなかった。だから、いずれ婚約破棄が間違いだったことを悟って、殿下はあなたのところへ戻ってくる」

「そんなこと、あり得ないわ!」

 私は言ったが、ラルフの言葉が本当なのだとわかっていた。

「人妻を取り上げる場合、夫がどうなるか知っているかい? 離婚するだけでは済まないかも知れない。あなたは公爵家の令嬢。ベロス嬢が正妻なら、あなたを愛妾にするわけにはいかない。そして合意の上の愛人にあなたは決してならない。あの殿下すら、それは理解していた。残る道は、夫の不慮の死か、あからさまな夫の不貞による離婚か」

 ラルフは私を抱きしめた。

「もっとも傷がつかないのが、夫の死だ。白い結婚ならなおさらだ」

「そんな……」

「結婚式の日、公爵は殿下があなたに未練があるとは考えていなかった。でも、僕は覚悟を決めていた。結婚していても、たとえ僕がどれほどあなたを愛していても、やつは、あなたを取り戻すかもしれなかった」

「無理よ」

「王妃様が僕を殺すかもしれなかった。あるいは、知らない間に不貞行為がでっちあげられるかもしれなかった。あなたも見ただろう? セリムが証言した時、簡単に死罪を宣告した」

 私は身が震えるのを感じた。

「王と王妃は、あなたの方が妃として好ましいと思っていた。殿下の結婚式はまだだったし、ひっくり返る可能性はいつでもあった。やつが死なない限り」

「ラルフ……」

「賭けだった……」

 ラルフが言った。

「夜中、砦の外に出ると思う? 日時と場所を指定されたら、ワナに決まってる」

 私はラルフの顔を見つめていた。彼は私が見たことのない表情をしていた。

「だが、僕だけは知っていた。殿下は絶対に行くと。恋に狂っていると。賭けだ。命の賭けだ」

「どう言うこと?」

 私は口の中でつぶやいた。

「僕だって、そうなのだ。今の紙切れをもし誰かに見られたら、僕は確実に死ぬ」

 たちまち賭けと言う言葉を使った意味がわかった。
 ラルフか、殿下。そのどちらかしか残らない賭け。
 仕掛けたのはラルフ……

「だが、僕の自筆でないとヤツはあなたの誘いだと思わない。出て来ない。あなたと最後に会った時、あなたはヤツに微笑んだ」

「それは……知りたいことがあっただけで……」

 殿下に好意があったわけではない。

「ヤツの心に火を付けてしまった。あいつの元々なかった理性を吹っ飛ばした」

 ラルフが、いつも余裕綽々しゃくしゃくのラルフが、冷静さをなくして私の目をにらんでいた。むき出しの何かを見ているようだ。

「……ラルフ、私は……」

 殿下なんかちっとも好きじゃなかった。笑ってみせたのは、ただの方便で、そんなつもりじゃなかった。なぜ、そんなことになるの? 私は……

「このままだと、いつか必ず盗られるのだと悟った。殺してでも手に入れたかったのは、王位なんかじゃない。本当に欲しかったのは……」
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