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第54話 陰謀
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その場にいた全員が、身を乗り出した。
もちろん、王妃の手前、あからさまに動くわけにはいかなかったが、その場の空気は明らかに緊張して、変わってきた。
そのアレキア人を拷問して秘密を吐かせれば済む話……ではなさそうだった。
誰もが心の中で抱いていた疑惑だった。
なぜなら、ベロス嬢の妊娠があまりにも都合よすぎたからだ。殿下と付き合い始めてすぐの時期で、しかも新しい婚約者が決まる直前だった。誰もが懐疑的だった。
そして、真実なんかどうでもいいのではないだろうか。疑惑だけでも、致命的な気がする。そして、すでに、ここにいる全員に疑惑を植え付けてしまっている。
王妃様は呑気そうに笑うアレキア人を、殺しそうな目つきで見ていた。
「帰してくだされば、あなた様だけに証拠をお送りしましょう。そして永遠に黙っています」
「そんなこと信用できないわ」
「私はこの国には二度と足を踏み入れません」
「お前を殺せば済む話よ」
「私を殺しても何も変わらない」
その通りだった。だが、王妃様はアレキア人をにらみつけている。
「それより、私が死ねば真実がわからなくなる。私の帰りが遅くてもね。そのように手配しました。私はこの国に二度と足を踏み入れませんから、死んだも同様です。私は命が惜しい。さっきも言ったではありませんか。それに、真実を知りたくはありませんか?」
好奇心はネコをも殺す。
だが、この場合は、好奇心が問題なのではない。それに、この問題を持ち出されて致命的なのはベロス公爵だった。
「私が死ねば、真実は闇の中になります」
アレキア人は話を続けている。
遂に、他の貴族たちも、小声で隣の者とこそこそ話し始める者が出て来た。
王妃様は歯を食いしばっている。
王妃様にとって疑惑はショックだと思うけれど、真実は大事だった。
もし……ベロス嬢の子どもが本当は殿下の子どもではないと言うなら?
でも、私は早くこの話が終わらないかイライラしていた。
ラルフを助けなくてはいけない。
この場から出たい。
私は革命でもクーデターでも、戦争でも何でも起こす気だった。まだ、刑の執行など行われていないだろう。
今のうちだ。
出来ることはある。
私は人々の話をあまり聞いていなかった。ラルフを助ける方法に頭を集中していた。だんだん周囲が遠のいていく……
そうだ! 倒れればいいんだ! ここから出られる!
夫の死刑判決を聞いて妻が倒れる。当然だ。
私はその場に崩れ落ちるように倒れた。あんまり痛くないように。
回りがざわッとして、誰かが悲鳴を上げた。
薄目を開けていると、父のリッチモンド公爵が最初に駆け付けてきた。顔色が真っ青だ。ごめんなさい、お父さま。手段を選んでいられないのよ。
老チェスター卿も急いでやってくる。
「王妃様、オールバンス夫人が……」
人々は気の毒そうに私を見守っている。
女性たちが呼ばれ、うまい具合にシャーロットが混ざっていた。
「チェスター卿、自宅まで連れ帰って欲しい」
父の声が声高に響いた。
私をこの場に呼びつけた王妃様は黙っていた。
「夫の断罪劇を妻に見せつけようだなんて、なんて人の悪い……」
その頃には、人々はおおっぴらにザワザワ話を始めていた。
王妃様は私のことは無視することに決めたらしい。アレキア人との会話を再開していた。
「なんなの? それは脅しなの?」
王妃様はキンキン声でアレキア人を責めたて始めていた。
私はシャーロットとほかの何人かの侍女たちに抱えられ、ぐったりと出口の方に連れていかれた。
「オーガスタ様、ご気分はいかがですか? 誰かお屋敷の方へ医師を呼ぶように。馬車はまだか?」
耳元でチェスター卿が言い、後ろでドアが閉まり、キンキン声は遮断された。
私はシャーロットと二人で馬車に乗せられ、馬車はすごい勢いで、町中を駆け抜け(乗り居心地は、これまで乗ったどんな馬車より最悪だった)、そして南翼ではマリーナ夫人が待ち構えていて、チェスター卿もシャーロットも、公爵家の本邸の方で待っているように言い渡された。
「医師が待っておりますので」
男性のチェスター卿は心得て、引き下がったが、シャーロットは心配だったのだろう。食い下がったが、許されなかった。
「わたくしは、ご一緒させていただきとうございます」
「大丈夫ですわ」
まるで鋼鉄のようなマリーナ夫人がシャーロットの願いを却下し、扉は閉められ、足音も遠ざかった途端、私は誰かに抱き上げられた。
「ごめんね。オーガスタ」
ちょっと笑いを含んだその声と、匂い、感触に覚えがあった。
「ラルフ?」
ラルフは嬉しそうだった。私を抱いたまま、寝室まで驚くべきスピードで運び、優しくベッドに降ろした。
そして、傍らに座り込み、顔をのぞき込んだ。
「心配させてしまって。倒れたんだって?」
私は突然、むくっと起き上がった。
「倒れるのが一番確実に、早く、あそこから出られたからです!」
ラルフがちょっとひるんだ。
「あなたを助けなくてはいけないと思ったのよ! 処刑されてしまう前にね! 革命でも、クーデターでも起こして、この王朝を全滅させなくちゃいけないからよ!」
ちょっとひるんだラルフが、大口を開けて笑い出した。
「ああ、オーガスタ! 悪いけど、僕もその王朝の一員なんだ! 国王の従弟なんでね。革命は勘弁してくれ」
涙があふれてきた。
「ラルフ、これはどういうことなの?」
私は、ラルフがセリムの知り合いだと知っている。つじつまが合ってしまう。疑われても仕方ないのだ。
「心配したのよ!」
「そうか!」
ラルフは嬉しそうだった。なんだか、むかついた。心配したのに!
「今頃、あの気の毒なアレキア人が説明しているだろう。砦の中が暇だからって、王太子が夜な夜な飲み歩きに出かけてはダメだって。お付きの騎士たちも野放しは感心しないな」
「手紙でおびき出したと言ってましたわ」
「それは告発文にそう書いてあっただけだろう? アレキア人は認めたのか?」
「え? いいえ」
そう言われれば、アレキア人は知らないと言っていた。
「手紙の存在なんかわからないし、僕は知らない。だが、王太子は軽率過ぎた」
ラルフは苦い顔で言った。
「どの騎士も真面目に説明しなかったろうからね。王太子のばかばかしい飲み歩きの件は。どうして止めなかったのかって、王妃様に責任追及されるに決まっているじゃないか」
「本当に、どうして止めなかったのです?」
「止めたに決まってるだろう。だけど、止めるような良心的な騎士は、直ぐに解任されて王都に戻されたのさ。つくづくダメな王太子だ」
ああ。そう言われれば、全くその通りだった。王太子なら忠実な騎士をクビにしただろう。それを止められたのは、王妃様と、それから私だけだった。
「では、今日の呼び出しは何だったのですか? そして、なぜあなたは無事なの?」
ラルフは笑いを含んで、シーと言ったように唇に指をあてた。
「オーガスタ、本当にごめんね。今日の騒ぎは壮大な茶番なんだ」
「茶番?」
私はあっけにとられた。
「王妃のもとに告発文が届けられたのは、三日前。書いたのは僕だ」
「え……?」
「だけど、王妃様に届けたのはベロス公爵だ」
「なぜ?」
「僕が書いて、セリムがベロス公爵に届けた」
さっぱり訳が分からなかった。
「告発文を読んだベロス公爵は、大喜びした」
「どうして?」
「これで、僕を完全に排除できると思ったからだ」
どういうこと?
「ベロス公爵は、自分の娘リリアンの産んだ息子が王位を継ぐことを切望していた。だが、どうしても邪魔な人間がいる。それが僕だ」
私はラルフの顔を見つめた。
いかにも高貴の人らしい顔の輪郭、深い色の目。それは、国王陛下よりよっぽど王位にふさわしく見える。
「でも、リリアン様のお子様が王位は引き継がれると決定したではありませんか!」
ラルフは私をなだめるように言った。
「だが、子どもはまだ生まれたばかり。順調に大きくなるとは限らない。国王陛下はもう高齢だ。子どもが成人するまで、お元気でいられるかどうか。さらに両親は正式な結婚すらしていない。いくら辞退したとはいえ、僕の存在は脅威だった。ちょうどそこへ、僕が手引きして殿下を砦の外へおびき出したと言う内容の密告書がベロス公爵のもとへ届いた」
「あなたを排除できるチャンスだと思わせるために? でも、どうしてあなたがそんな告発文を書いたの?」
ラルフが笑った。
「今回の標的はベロス公爵じゃない。王妃様だ」
私は目を丸くした。
「常軌を逸した感情的な王妃だと大勢の貴族たちに印象付けるための罠さ」
「わな……」
私はラルフの顔を見つめた。別に面白そうな顔をしているわけでも、ドヤ顔でもなかった。
「僕が王太子に悪だくみをしたと言う証明が出来れば、ベロス公爵は大喜びだ。このチャンスを逃すはずはない。必ず王妃のもとへ持っていくだろう」
私はうなずいた。
「そして、出来るだけ多くの貴族に僕の悪辣さ、王太子の暗殺を謀ったことを知らしめたいと考えるだろう」
その通りだ。有力貴族は全員徴集をかけられていた。
「そして、公開で僕の罪をあげつらうだろう。逆上した王妃は、うまく行くと極刑を命じるに違いない」
私は顔色青ざめた。うまくいくとって、どういうこと?
「心配ないよ。騎士団は僕の味方だ」
「は?」
「茶番だって言ったろう? 出来るだけ、感情的に僕を憎み、理に合わない刑を命じるのだ。それが今回の王妃に望まれた役割なのさ」
ラルフは、やさしく私の手を取った。
「心配かけたね。これ以上、ベロス公爵を自由にしておくことが出来なくなったのだ。公爵の後ろ盾は王妃様だ。子どもがいるからね。だけど、王妃様には静養が必要だ。彼女が表舞台に出て頑張る必要は、もうない。これ以上、この国が彼女と一緒に迷走することは許されなくなってきたんだ」
「それで……?」
「それで、僕は僕の断罪劇場を設定した。僕が悪いのではなく、王妃が悪いのだと言うことを、王妃が手を尽くして集めた大勢の貴族たちの目の前で演じるのだ。そして」
ラルフはニヤリと口元をゆがめた。
「あなたは、セリムのあの話を聞いていたかい?」
セリムの話?
「彼は取引を王妃に申し出ていたろう?」
「ああ、あの……まるで、リリアン嬢のお子さまは王太子殿下の子どもじゃないみたいな話ですか?」
ラルフは真面目な顔をしてうなずいた。
「こっちの方が重要だ。全てを変えてしまう」
私はラルフの顔を見た。恐ろしい話だった。
「あの話をベロス公爵は知らなかった。だから、ベロス公爵は平気で証人として、セリムを王宮に連れて行こうとしたのだ。当然、セリムは嫌がった」
「それはそうでしょうね。だって、敵国の人間ですもの」
私はつぶやいた。
「ましてや、話の内容が王太子の暗殺だ。王妃が何を言い出すかわからない。セリムは自分の無事の保証をベロス公爵に要求した」
ベロス公爵は、アレキア人の命なんか軽く見ている。約束を守らせることが出来るのだろうか?
「どうやって約束を守らせるつもりだったのかしら?」
「セリムは人質を取った。リリアン嬢だ」
「え?」
「セリムを無事にアレキアへ帰さない限り、リリアン嬢の命はない」
ラルフは仕方なさそうに笑った。
「今度こそ、ベロス公爵もアレキアの本気を悟ったんじゃないかと思うよ? 甘い国ではない。リリアン嬢がどこに匿われているのか、僕だって知らないからね」
私は大混乱に陥った。ラルフは面白そうに笑って言った。
「なぜ、リリアン嬢を、あんなアレキア人が人質に出来たと思う?」
「え?」
よく考えてみれば、それはそうだ。ベロス嬢は公爵家の令嬢。いわば深窓の姫君だ。面会も出来ない筈なのに?
「リリアン嬢には、以前からアレキア人の恋人がいるんだ。それこそ殿下の婚約者になる前からさ」
「まさか……」
まさか、王家の子どもは、そのアレキア人の恋人の子どもだとでもいうの?
「彼女は王家からベロス公爵家へ戻されたよね。ベロス公爵家にはアレキア人の出入りがある。殿下は死んだ。再燃したのさ。恋仲になった女を連れ去るのは簡単だ」
私は目の前が暗くなる思いだった。
なんて衝動的で考えなしの行動だろう。
「だから、王妃もベロス公爵もリリアン嬢もいらない。退場してもらいたい」
「王妃様もですか?」
「王妃様に政治を見続ける、そんな気力が残っているかな?」
もちろん、王妃の手前、あからさまに動くわけにはいかなかったが、その場の空気は明らかに緊張して、変わってきた。
そのアレキア人を拷問して秘密を吐かせれば済む話……ではなさそうだった。
誰もが心の中で抱いていた疑惑だった。
なぜなら、ベロス嬢の妊娠があまりにも都合よすぎたからだ。殿下と付き合い始めてすぐの時期で、しかも新しい婚約者が決まる直前だった。誰もが懐疑的だった。
そして、真実なんかどうでもいいのではないだろうか。疑惑だけでも、致命的な気がする。そして、すでに、ここにいる全員に疑惑を植え付けてしまっている。
王妃様は呑気そうに笑うアレキア人を、殺しそうな目つきで見ていた。
「帰してくだされば、あなた様だけに証拠をお送りしましょう。そして永遠に黙っています」
「そんなこと信用できないわ」
「私はこの国には二度と足を踏み入れません」
「お前を殺せば済む話よ」
「私を殺しても何も変わらない」
その通りだった。だが、王妃様はアレキア人をにらみつけている。
「それより、私が死ねば真実がわからなくなる。私の帰りが遅くてもね。そのように手配しました。私はこの国に二度と足を踏み入れませんから、死んだも同様です。私は命が惜しい。さっきも言ったではありませんか。それに、真実を知りたくはありませんか?」
好奇心はネコをも殺す。
だが、この場合は、好奇心が問題なのではない。それに、この問題を持ち出されて致命的なのはベロス公爵だった。
「私が死ねば、真実は闇の中になります」
アレキア人は話を続けている。
遂に、他の貴族たちも、小声で隣の者とこそこそ話し始める者が出て来た。
王妃様は歯を食いしばっている。
王妃様にとって疑惑はショックだと思うけれど、真実は大事だった。
もし……ベロス嬢の子どもが本当は殿下の子どもではないと言うなら?
でも、私は早くこの話が終わらないかイライラしていた。
ラルフを助けなくてはいけない。
この場から出たい。
私は革命でもクーデターでも、戦争でも何でも起こす気だった。まだ、刑の執行など行われていないだろう。
今のうちだ。
出来ることはある。
私は人々の話をあまり聞いていなかった。ラルフを助ける方法に頭を集中していた。だんだん周囲が遠のいていく……
そうだ! 倒れればいいんだ! ここから出られる!
夫の死刑判決を聞いて妻が倒れる。当然だ。
私はその場に崩れ落ちるように倒れた。あんまり痛くないように。
回りがざわッとして、誰かが悲鳴を上げた。
薄目を開けていると、父のリッチモンド公爵が最初に駆け付けてきた。顔色が真っ青だ。ごめんなさい、お父さま。手段を選んでいられないのよ。
老チェスター卿も急いでやってくる。
「王妃様、オールバンス夫人が……」
人々は気の毒そうに私を見守っている。
女性たちが呼ばれ、うまい具合にシャーロットが混ざっていた。
「チェスター卿、自宅まで連れ帰って欲しい」
父の声が声高に響いた。
私をこの場に呼びつけた王妃様は黙っていた。
「夫の断罪劇を妻に見せつけようだなんて、なんて人の悪い……」
その頃には、人々はおおっぴらにザワザワ話を始めていた。
王妃様は私のことは無視することに決めたらしい。アレキア人との会話を再開していた。
「なんなの? それは脅しなの?」
王妃様はキンキン声でアレキア人を責めたて始めていた。
私はシャーロットとほかの何人かの侍女たちに抱えられ、ぐったりと出口の方に連れていかれた。
「オーガスタ様、ご気分はいかがですか? 誰かお屋敷の方へ医師を呼ぶように。馬車はまだか?」
耳元でチェスター卿が言い、後ろでドアが閉まり、キンキン声は遮断された。
私はシャーロットと二人で馬車に乗せられ、馬車はすごい勢いで、町中を駆け抜け(乗り居心地は、これまで乗ったどんな馬車より最悪だった)、そして南翼ではマリーナ夫人が待ち構えていて、チェスター卿もシャーロットも、公爵家の本邸の方で待っているように言い渡された。
「医師が待っておりますので」
男性のチェスター卿は心得て、引き下がったが、シャーロットは心配だったのだろう。食い下がったが、許されなかった。
「わたくしは、ご一緒させていただきとうございます」
「大丈夫ですわ」
まるで鋼鉄のようなマリーナ夫人がシャーロットの願いを却下し、扉は閉められ、足音も遠ざかった途端、私は誰かに抱き上げられた。
「ごめんね。オーガスタ」
ちょっと笑いを含んだその声と、匂い、感触に覚えがあった。
「ラルフ?」
ラルフは嬉しそうだった。私を抱いたまま、寝室まで驚くべきスピードで運び、優しくベッドに降ろした。
そして、傍らに座り込み、顔をのぞき込んだ。
「心配させてしまって。倒れたんだって?」
私は突然、むくっと起き上がった。
「倒れるのが一番確実に、早く、あそこから出られたからです!」
ラルフがちょっとひるんだ。
「あなたを助けなくてはいけないと思ったのよ! 処刑されてしまう前にね! 革命でも、クーデターでも起こして、この王朝を全滅させなくちゃいけないからよ!」
ちょっとひるんだラルフが、大口を開けて笑い出した。
「ああ、オーガスタ! 悪いけど、僕もその王朝の一員なんだ! 国王の従弟なんでね。革命は勘弁してくれ」
涙があふれてきた。
「ラルフ、これはどういうことなの?」
私は、ラルフがセリムの知り合いだと知っている。つじつまが合ってしまう。疑われても仕方ないのだ。
「心配したのよ!」
「そうか!」
ラルフは嬉しそうだった。なんだか、むかついた。心配したのに!
「今頃、あの気の毒なアレキア人が説明しているだろう。砦の中が暇だからって、王太子が夜な夜な飲み歩きに出かけてはダメだって。お付きの騎士たちも野放しは感心しないな」
「手紙でおびき出したと言ってましたわ」
「それは告発文にそう書いてあっただけだろう? アレキア人は認めたのか?」
「え? いいえ」
そう言われれば、アレキア人は知らないと言っていた。
「手紙の存在なんかわからないし、僕は知らない。だが、王太子は軽率過ぎた」
ラルフは苦い顔で言った。
「どの騎士も真面目に説明しなかったろうからね。王太子のばかばかしい飲み歩きの件は。どうして止めなかったのかって、王妃様に責任追及されるに決まっているじゃないか」
「本当に、どうして止めなかったのです?」
「止めたに決まってるだろう。だけど、止めるような良心的な騎士は、直ぐに解任されて王都に戻されたのさ。つくづくダメな王太子だ」
ああ。そう言われれば、全くその通りだった。王太子なら忠実な騎士をクビにしただろう。それを止められたのは、王妃様と、それから私だけだった。
「では、今日の呼び出しは何だったのですか? そして、なぜあなたは無事なの?」
ラルフは笑いを含んで、シーと言ったように唇に指をあてた。
「オーガスタ、本当にごめんね。今日の騒ぎは壮大な茶番なんだ」
「茶番?」
私はあっけにとられた。
「王妃のもとに告発文が届けられたのは、三日前。書いたのは僕だ」
「え……?」
「だけど、王妃様に届けたのはベロス公爵だ」
「なぜ?」
「僕が書いて、セリムがベロス公爵に届けた」
さっぱり訳が分からなかった。
「告発文を読んだベロス公爵は、大喜びした」
「どうして?」
「これで、僕を完全に排除できると思ったからだ」
どういうこと?
「ベロス公爵は、自分の娘リリアンの産んだ息子が王位を継ぐことを切望していた。だが、どうしても邪魔な人間がいる。それが僕だ」
私はラルフの顔を見つめた。
いかにも高貴の人らしい顔の輪郭、深い色の目。それは、国王陛下よりよっぽど王位にふさわしく見える。
「でも、リリアン様のお子様が王位は引き継がれると決定したではありませんか!」
ラルフは私をなだめるように言った。
「だが、子どもはまだ生まれたばかり。順調に大きくなるとは限らない。国王陛下はもう高齢だ。子どもが成人するまで、お元気でいられるかどうか。さらに両親は正式な結婚すらしていない。いくら辞退したとはいえ、僕の存在は脅威だった。ちょうどそこへ、僕が手引きして殿下を砦の外へおびき出したと言う内容の密告書がベロス公爵のもとへ届いた」
「あなたを排除できるチャンスだと思わせるために? でも、どうしてあなたがそんな告発文を書いたの?」
ラルフが笑った。
「今回の標的はベロス公爵じゃない。王妃様だ」
私は目を丸くした。
「常軌を逸した感情的な王妃だと大勢の貴族たちに印象付けるための罠さ」
「わな……」
私はラルフの顔を見つめた。別に面白そうな顔をしているわけでも、ドヤ顔でもなかった。
「僕が王太子に悪だくみをしたと言う証明が出来れば、ベロス公爵は大喜びだ。このチャンスを逃すはずはない。必ず王妃のもとへ持っていくだろう」
私はうなずいた。
「そして、出来るだけ多くの貴族に僕の悪辣さ、王太子の暗殺を謀ったことを知らしめたいと考えるだろう」
その通りだ。有力貴族は全員徴集をかけられていた。
「そして、公開で僕の罪をあげつらうだろう。逆上した王妃は、うまく行くと極刑を命じるに違いない」
私は顔色青ざめた。うまくいくとって、どういうこと?
「心配ないよ。騎士団は僕の味方だ」
「は?」
「茶番だって言ったろう? 出来るだけ、感情的に僕を憎み、理に合わない刑を命じるのだ。それが今回の王妃に望まれた役割なのさ」
ラルフは、やさしく私の手を取った。
「心配かけたね。これ以上、ベロス公爵を自由にしておくことが出来なくなったのだ。公爵の後ろ盾は王妃様だ。子どもがいるからね。だけど、王妃様には静養が必要だ。彼女が表舞台に出て頑張る必要は、もうない。これ以上、この国が彼女と一緒に迷走することは許されなくなってきたんだ」
「それで……?」
「それで、僕は僕の断罪劇場を設定した。僕が悪いのではなく、王妃が悪いのだと言うことを、王妃が手を尽くして集めた大勢の貴族たちの目の前で演じるのだ。そして」
ラルフはニヤリと口元をゆがめた。
「あなたは、セリムのあの話を聞いていたかい?」
セリムの話?
「彼は取引を王妃に申し出ていたろう?」
「ああ、あの……まるで、リリアン嬢のお子さまは王太子殿下の子どもじゃないみたいな話ですか?」
ラルフは真面目な顔をしてうなずいた。
「こっちの方が重要だ。全てを変えてしまう」
私はラルフの顔を見た。恐ろしい話だった。
「あの話をベロス公爵は知らなかった。だから、ベロス公爵は平気で証人として、セリムを王宮に連れて行こうとしたのだ。当然、セリムは嫌がった」
「それはそうでしょうね。だって、敵国の人間ですもの」
私はつぶやいた。
「ましてや、話の内容が王太子の暗殺だ。王妃が何を言い出すかわからない。セリムは自分の無事の保証をベロス公爵に要求した」
ベロス公爵は、アレキア人の命なんか軽く見ている。約束を守らせることが出来るのだろうか?
「どうやって約束を守らせるつもりだったのかしら?」
「セリムは人質を取った。リリアン嬢だ」
「え?」
「セリムを無事にアレキアへ帰さない限り、リリアン嬢の命はない」
ラルフは仕方なさそうに笑った。
「今度こそ、ベロス公爵もアレキアの本気を悟ったんじゃないかと思うよ? 甘い国ではない。リリアン嬢がどこに匿われているのか、僕だって知らないからね」
私は大混乱に陥った。ラルフは面白そうに笑って言った。
「なぜ、リリアン嬢を、あんなアレキア人が人質に出来たと思う?」
「え?」
よく考えてみれば、それはそうだ。ベロス嬢は公爵家の令嬢。いわば深窓の姫君だ。面会も出来ない筈なのに?
「リリアン嬢には、以前からアレキア人の恋人がいるんだ。それこそ殿下の婚約者になる前からさ」
「まさか……」
まさか、王家の子どもは、そのアレキア人の恋人の子どもだとでもいうの?
「彼女は王家からベロス公爵家へ戻されたよね。ベロス公爵家にはアレキア人の出入りがある。殿下は死んだ。再燃したのさ。恋仲になった女を連れ去るのは簡単だ」
私は目の前が暗くなる思いだった。
なんて衝動的で考えなしの行動だろう。
「だから、王妃もベロス公爵もリリアン嬢もいらない。退場してもらいたい」
「王妃様もですか?」
「王妃様に政治を見続ける、そんな気力が残っているかな?」
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悠十
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アリシアはこの国の王太子の婚約者である。
しかし、彼との間には愛は無く、将来この国を共に治める同士であった。
そんなある日、王太子は愛する人を見付けた。
アリシアはそれを支援するために奔走するが、上手くいかず、とうとう冤罪を掛けられた。
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その呟きは、誰に聞かれる事も無く、断頭台の露へと消えた。
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