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第41話 殿下の出陣

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 殿下の出陣の日は曇天だった。

 アウラ族など、ただの盗賊に過ぎない。

 殿下を厳重に騎士団が護衛し、あんな棍棒こんぼうくらいしか武器を持たない連中を追い払いに行くだなんて、本当に何かの茶番にしか見えなかった。

「遠足みたいなもんですな」

 事情を知る誰かが言っていた。

 それでも、今の王家にとっては必要なことなのだろう。
 評判の悪い王太子にはくをつける。
 例えばアレキアを討伐したという栄誉だ。

 小雨になってきたと言うのに、見物も結構出ていて、歓声も聞こえてきた。


 ラルフと私は、公爵邸の一番高い階から、こっそりと行列をのぞき見していた。

 隣の部屋ではエレノアが、きらきら光る殿下の装備や金髪を見て「殿下、かっこいいー」と騒いでいる。

 だが、私はそんな気にはなれなかった。

 王子として守られていた期間は終わったのだと、なんだかひしひしと感じてしまった。

 あの殿下が、自分の運命をどうにかしようと、全く興味のない軍事行動に手を染めている。


 この遠征から帰ってきたら、結婚式が待っている。

 私と結婚したいと言っていたが、それには絶対に一波乱あるに決まっている。
 いかに大手柄を立てた態にしようとも、ベロス公爵がうんという訳がない。それはリッチモンド公爵家も同様だ。

 そして、結婚しようが結婚しまいが、月が満ちれば子どもは生まれる。

 公爵家を守るための私の覚悟が問われたように、殿下の覚悟も問われる時が来たのだろう。

「気の毒な……」

 思わず口から言葉が漏れた。殿下の行く末が不安だった。

「そう。なんの能力もないのにね」

 ラルフが横で冷たく批判した。




 そして、私の漠然とした予感は、悪い意味でズバリ当たってしまった。



 二週間後の晩、王宮からの急ぎの使者に公爵家の者達は叩き起こされた。

「リッチモンド公爵!」

 真夜中だった。

 父やラルフ、セバスたちが、寝巻の上にガウンを引っ掛けた格好であわてて出て来た。

「大変でございます。殿下が闇討ちにあいました……」

「なんだって?!」

 父が大声を出した。

「殿下が、マルケの城砦の外へ偵察に出かけられたすきを突かれました」

「偵察?」

 父はちょっとあっけに取られたようだった。偵察に殿下が出向くわけがない。だがすぐ気を取り直して大声で聞いた。

「いつの話だ? そして、殿下は無事なのか?」

 父も興奮していたのだろう。だが、使者の表情は硬い。不吉な予感がした。

「昨日のことでございます。殿下は……」

 使者は言いにくそうに一瞬言いよどんだが、答えた。

「亡くなられました」

 ヒュッと息を呑む声がしたが、誰が発したのかわからない。

「セバス、馬車の用意を」

 私は思わず大きな声で命じた。

 父は一瞬だけ私の顔を見たが、なにも言わずに急いで着替えに行った。ラルフは走り出していた。

「王宮へ! 王宮へ、早く!」



 細かい話は公爵家の私たちにも伝わらなかった。

 ましてや町の人々には、殿下が死んだと言うことしかわからなかった。

 その後から、やはりそれだけでは具合が悪いと思ったのだろうか、敵方の卑怯な攻撃の際、殿下は運悪く流れ矢に当たって亡くなられたのだと言う話が広がった。



「本当はいかがだったのでございますか?」

 私はラルフにひっそりと尋ねた。ラルフはあの晩出かけたきり、自邸に戻ってきたのは三日ぶりだった。

 ラルフは疲れているようだった。当然だ。私は香りのよいお茶を彼のためにれ、手の届くところに置いた。

「殿下は、砦の外に出る悪い癖があった」

 私は目を見張った。戦っている最中なのになぜ?

「マルケの城砦は頑丈で、絶対に安全だった。だが、殿下は毎晩のように、王城へ続く街道沿いの店に飲みに行っていたらしい。そこを狙われた」

「なぜ? どうして外に出ようだなんて……」

 殿下が考え無しな事を私は知っていた。だが、それでもおかしすぎる。彼は臆病だ。それについていった騎士団は何をしていたのだろう? 誰かにそそのかされたとか? でも、一体誰に?

「どうしてかって? 誰にもわからない。最近は酒浸りだったらしいね」

 ラルフは疲れて、うんざりしているようだった。

「いいかい。わかっていると思うが、このことは絶対の秘密だよ」

 私はコクコクとうなずいた。





「殿下は、街での評判もかんばしくありませんでしたよ」

 市長の息子のテオがこっそり言った。彼は父の市長と一緒にリッチモンド公爵を訪ねてきていたのだ。

「亡くなられた方のことを批判するのはよろしくないでしょうが……あんまり知り合いになりたくない人でした。あなた方とは違う。何かしてもらえる立場の人間なのですね。要求ばかりする。私が市長の息子だと知っているせいでしょうかね」

 テオが苦笑いした。

「警戒心がなくて、得体の知れない人々とも気軽に知り合いになる。私も、私の知人も、見たことがない人物と平気で仲良くなっていました」

 私は驚いてテオの顔を見つめた。警備の者はどうしたのだろう。

「私は、王宮での警備がどうなっているのか知りませんが、その時、殿下はお付きはいて来たと得意そうでした」

 テオは手広く商売をしていたし、市長の息子だから顔が広い。そのテオも、テオの知り合いの誰も知らないとしたら、本当にどこの誰だかわからない。

 私は殿下との最後の会話を思い出した。
 殿下に白い結婚の噂を流した謎の男って、誰だったんだろう。
 今となっては、永遠に分からなくなってしまった。

 そして……口に出せることではなかったが、私は……殿下が亡くなって心のどこかでほっとしていることに気がついた。長らくの知り合いの死は衝撃だったけれど。

 ベロス嬢を選んだと聞いた途端、私の中のなにかが、ラルフや父と同様、殿下を見放したのだと今になって悟った。

 そしてアレキアが迫ってきている今、私は王太子たる殿下のあやうさにおびえていたのだ。あんな人が王太子殿下で国政を預かるだなんて、この国の行く末は大丈夫なのかと。


 テオが私の顔を見た。

 彼は気まずそうに言った。

「もちろん、殿下の死を一同心よりおくやみ申し上げております」


 


「オーガスタ、アレキア討伐軍が出る」

 父が知らせた。

「王太子殿下の復讐のためだ。総大将は、ババリア元帥。ラルフは副官の一人として出かける」

 アレキア? アウサ族ではなく?
 
 寝室に行くと、ラルフは軍服を着て、剣を幾本も並べ吟味ぎんみしていた。

「ラルフ!」

 ラルフが顔を上げた。

 この人も行ってしまうのか。

 結婚式をあげてから、数か月しか経っていないけれど、この人は殿下なんかとは全然違う。彼は、瞬時に物事の本質を見抜く。ずっと本物だ。特別な人だ。

「復讐って父が言っていましたけれど、まさか、アレキアが殿下を暗殺したのですか? アウサ族が殿下を襲ったのではないのですか?」

 ラルフは私の方を見つめて言った。

「誰にも言ってはならないよ? 多分、殿下の行動はアレキア側に筒抜けだったのだ」

 私は呆気に取られた。

 ベロス公爵とアレキアは繋がっているから殿下は安全だと、ラルフ自身が言っていたじゃないの。

「裏切られたんだよ」

 ラルフがうっそりと笑って言った。

「うかつだったんだろう。信じてはいけない者を信用したんだろうな」

「そんなバカな。では、ベロス公爵は……アレキアは……」

 私は思わず高い声で聞いた。

「しっ。静かに」

 ラルフは私の唇に指を当てて、静かにするよう言った。

「一国の王太子を殺したら、無論、ただでは済まない。アレキアだってわかっている。だが、チャンスだったのだろう。この国が求心力を失っていることも知っていたんだろう。王太子殿下があれではね」

 なんてことを。
 ベロス公爵は、アレキアと商売をしていて深い関係がある。だが、こんな形で裏切られてしまったら……

「娘のリリアン嬢が嫁いでこその権力なのに。これでは、ベロス公爵は、羽をもぎ取られた鳥のようですわ」

「子どもが残っている」

「ですけれど……」

 私は両手をみ絞った。

 結婚もしていない男女の間の子どもは、どう言う位置付けになるのだろう。
 ラルフが知っていると言うことは、同じ情報を王妃様も知っているのだ。
 ベロス公爵がアレキアと深い付き合いがあるとわかったら、ベロス公爵は王妃様から不信と恨みを買ったことだろう。

「それに殿下は自分の子どもではないと公言していたしね。どういう根拠があるのか知らないが」

 これでは、余計、国が混乱する。
 アレキアの思う壺ではないか。

「だから、出兵が決まったのだ。出来るだけ早く行かねばならない。私は先発隊に志願した」

 志願した? 私はラルフを見つめた。

「行かないで、ラルフ」

 声が震えた。

「どうした。私が死ねば、あなたは離婚という手続きすら必要なくなる」

 ラルフの目が面白そうに踊った。

「それとも、私を惜しんでくれるのかな?」

 行って欲しくない。心細すぎる。

 ラルフは頭と頭が触れそうなくらい近づいてきた。

「あなたは私から自由になるのが願いだった」

 でも、今は違ってしまっていると思う。

「あなたの無事を願わずにはいられないわ」

「それは、なぜなの? ずっと聞きたかったんだけど、僕と離婚して誰と結婚するつもりだったの?」

「え?」

 私は戸惑った。

「あなたのお友達も、どんどん結婚していっているよね。エレノアの友達もご縁が決まっていっている。ベロス嬢だって同じだ。あなたは置いてきぼりだ。あなたの身近で、あなたを心の底から愛してくれる人は誰なの?」

 彼は身を寄せてきて耳元で聞いた。

「僕以外の誰が好きなの?」

「…………」

 わからない。私はこれから自分の恋を……
 でも、ラルフは許してくれないだろう。そんな答えじゃダメなんだ。

「答えをください」

 ラルフが不気味なくらいおとなしく言った。

「ノーだったら、帰ってきても意味がない」

 私は大きく目を見張った。

「ラルフ……」

「王太子は死んだ」

 ラルフは冷酷に事実を突き付けた。

「あなたが偽装結婚を続ける意味は無くなった」

 私はやっとそのことに気がついた。

「でも、別れようとは言わなかったね」

「あんな時に、そんなことにまで頭は回らないわ。それに、私は、あなたに……」

 ……いて欲しかった。ラルフに。

 心細かった。知らない間に彼の存在に慣れて、頼りにしていた。

「あなたがノーと言うなら、僕は帰ってこない」

「そんな……」

「あなたを自由にしてあげられる」

「ラルフ!」

「私が夫になっていいと言って。でなければ……帰らない」

 ラルフがいなくなってしまったら……それには耐えられない。

「ラルフ……戻ってくるって、約束して」

 こんなことを言うだなんて、私はおかしくなってしまったのかしら。殿下の死で混乱して? わからない。
 でも、戻ってきて……。戻って来てほしい。

 ラルフは笑った。

 私に初めてラルフの笑いを見たような気がした。

「約束しますよ。必ず戻る。戻ってきたら……私を選んでください、オーガスタ」
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