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第36話 街の自由で華やかなパーティ

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 市庁舎のパーティは楽しみだった。

 貴族同士が招き合うのと違って、市庁舎のパーティは力を持ち始めた市民たち、つまり商人たちが開くパーティだ。

 商人たちのほとんどが平民だ。貴族と違って人数が多い。遠くはアレキアの商人たちも参加してくる。知らない同志を紹介し合うことも多い。

 うんざりするほど、互いのことを知り尽くしている貴族同士のパーティと違って、ずっと開放的だ。

 それに、市庁舎のパーティは豪商たちのものだ。金のない連中は入れない。
 羽振りのいい彼らは身分など関係なく贅沢に着飾って、過度な礼儀に縛られず楽しそうだった。

「さあ、どうかな? 下品な連中も混ざっているんだよ」

 ラルフは、目を輝かせている私を見ながら苦笑した。

「何世代にもわたる貴族社会は見栄と体裁にこだわって、厳しい礼儀作法があるが、それが必ずしも悪いとばかりは言えないと思うよ。節度ある振る舞いがあるからね」

 それを言うなら、ベロス公爵令嬢はどういう位置づけになるのかしら。

「どうかしら。自由に振舞えるって、すてきだと思うわ」

 私たちは本当は最高位の王家の貴公子と公爵家出身の夫人なのだけど、名前だけは男爵夫人なので、貴族社会をよく知らない平民にはこちらの事情はよく分からないだろう。

 そう思うと、余計にワクワクしてきた。
 
「失礼なことを仕出かす輩がいるかもしれないが、市長やその周辺は僕をよく知っているので……」

「大丈夫よ、ラルフ。たいしたことは起きないわ。今は逆に、国王陛下主催の夜会の方が、余程危険なのだから」

 馬車を降りて二人で階段を昇って行くのは心底楽しかった。

 豪華な市庁舎には、贅沢にローソクをふんだんに灯してあり、遠くからでもキラキラしていた。近づくと楽団の音や、大勢の人々のざわざわする様子が聞こえてきた。

 甲高い楽しそうな女性の笑い声がかすかに聞こえた。

 久しぶりにダンスが出来る。

「でもね、オーガスタ、あなたは自覚がないかもしれないけれど、貴族たちにとってきれいな方だと言うのは、平民の男にとっては大変な魅力なわけで……」

 階段を上りながら、ラルフが私の顔を見て注意してきた。私はきょとんとした。

「何言っているの、ラルフ。今日は踊りに来ただけなのよ? それに夫婦で参加なのだから」

「まさかドレスに夫婦と縫い取りがしてあるというわけじゃないでしょう?」

 ラルフが皮肉った。

「夫婦で参加だとしても申し込まれることはあるんですからね。ダンスを申し込まれたら、必ず断ってくださいよ」

 私は心配性なラルフに思わず笑った。それに、ずっと、なんだかんだ理由があってのことだが、ラルフにばかりついて回ってもらっているので、たまには離れたい。

「大丈夫よ。あなたが気にすることではないわ」

 どうしてだか、わからないけれど、少し意地悪を言いたい気分もあった。

 ラルフは一瞬だけ嫌な顔をした。

 この頃は、距離が近いからか、怒ったり不機嫌になったりするのがよくわかる。そのほかに、ご満悦だったり、なんとも言えないラルフ流の邪悪な感じで喜んでいる時もある。
 
 私は今日は楽しかった。

 初めて味わう自由奔放なダンスパーティの雰囲気に夢中になってしまった。とても楽しそう。

 みるみるラルフが不機嫌になっていく。

 そうだ。この抑圧感が嫌なのだ。
 いつでもラルフは付いて歩いてくる。
 殿下が来るので仕方がないのだが。

 そしてあれこれと差し止めたり、行動を制限する。

 理由を聞けば、いちいちもっともらしく解説されるので、文句は言えないのだけれど、まとわりつかれていることに変わりはない。

 公爵家の跡取りだから。

 それはそうで、もちろん責任から逃げるつもりなんかまったくない。
 だけど、公爵家の跡取りが、ダンスパーティで自由に踊っていけない決まりはないでしょう。

 エレノアは自由に参加して、踊りたい放題だった。

 よく聞けば、ラルフが結婚最有力候補だったらしいけれど、誰もエレノアを止めなかった。

 どうして私だけ、何もしてはいけないの?

 社交界で見たことのない顔が大勢いる。とても楽しそうだ。解放感にあふれている。

「あ、あちらに行きましょう」

 一人の青年と目が合った瞬間、なぜかラルフは方向転換をした。

「踊りませんか?」

 ラルフが言いだす。
 
 ラルフはダンスが上手い。
 家にいる時は、ラルフは若くて背格好も適当だったし、父はすぐ疲れてしまうから、エレノアも私もよく彼に練習台をお願いした。

 久しぶりだったけれど、彼は殿下より余程うまいので、安心して身を預けられる。

 ダンスが楽しかった。

 一曲踊り終わって、ふと気が付くと、感心したような目を向けてくる人々が大勢いた。

「お上手ですねえ」

 何の掛値もない褒め言葉だった。
 彼らは私たちの名前も知らない。お世辞でも何でもないだろう。

「それにとてもすてきな殿方だわ。一曲お願いしたいわ」

 どこかはずんだ調子のそんな声が耳をかすめた。

 一人の男性がさっそうと近付いてくる。

「誠に失礼ですが、どちらかの貴顕の方のお嬢様ですか? それとも令夫人?」

「夫人ですよ」

 ラルフが答えをさらってしまう。

「おや、失礼しました。しかし、一曲お願いしても構わないでしょう?」

 ラルフはぐっと詰まった。

 既婚者だから踊っていけないというルールはない。本人以外はダメとは言えないのだ。だから、ここへ入ってくるとき、ラルフは私に念押ししたのだ。全部断るようにと。

「今日は夫と踊ろうと思ってまいりましたの」

「そうですか」

 若い青年は残念そうだった。なんだか、ものすごく残念そうだった。

「こんなきれいな方を見たことがありません。ぜひともお願いしたかったのですが」

 だめだった。ラルフは私の手を取ると、移動を始めてしまった。

 せっかく断ったのにラルフは不機嫌そうだった。
 それくらいなら、もう帰ればいいのに。

「飲み物と軽い食事をとって来るからここにいてください」

 片時も離れないくせに。つまり、給仕に運ばせたかったが、給仕が見つからなかったので誰か捕まえに行ったのだ。
 小銭を渡せば、いくらでも言うことを聞いてもらえる。


 だが、直ぐに別な男がちゃんとやって来た。

 彼はニコリと笑うと話しかけた。

「あなたのダンスは素晴らしかった。みんな見とれていました」

「ありがとう」

 彼は失礼になってはいけないので、ジロジロ見ないよう気を付けていたが、食いつくように私を眺めていた。感嘆の色が、その目にあふれていた。

 うん。これよ、これ。

 こんな感じに知り合いになって、そして、もっとよく相手を知っていく。

 そしてまるで知らなかった誰かと仲良くなっていきたかったの。

「ねえ、お名前を教えてください」

「ダメですわ」

 私は笑って言った。

「秘密ですか?」

 若者はひどく興味をそそられたようだった。

「本当に美しい方だ」

 素直で、かわいい。ラルフの深層心理を探る研究みたいな反応とは大違いだ。わかりやすい。
 こんな風に興味を持って夢中になって、恋になって……だが、ラルフが戻ってくる。

「誰だ、君は」

 ラルフは不機嫌の権化のようだった。

「……ダンスパーティの参加者ですよ」

 若者は一瞬たじろいだようだったが、平然と答えた。
 それはそうだ。ここはそう言う場所なのだから。

「オーガスタ、今、給仕に飲み物と軽食を持ってこさせる」

「オーガスタさんと言うんですね?」

「私の妻だ」

 うっかり名前を教えてしまった結果になって、憮然としたラルフが面白い。
 そして、なんだかぞんざいな言い方。これまで、そんなことしたことがなかったのに。
 私は思わず笑いだした。ラルフが怒り出すことはわかっていたが。

 若者は私が笑い出したのを見て、自分も笑顔になった。

「ダンスにお誘いするのはダメですか?」

 彼はラルフに聞いた。

「妻に聞いてくれたまえ」

 ラルフとしては、そう答えるしかなかった。

「では、オーガスタ夫人、私と一曲踊っていただけませんか? 私は市長の息子でテオドール・イングラムと言います」

 市長の息子? 

 私は目を躍らせた。
 今の市長が辣腕だと言うことは聞いて知っている。息子が、なかなか有能な商人だと言うことも。

「まあ、知らなくて失礼しました」

「あなたのお名前は教えてもらえないらしいので」

 少々恨みがましくそう言うと、イングラム氏はラルフを眺めた。

「でも、ご身分は高いものと承知しています。こう見えても顔は広いので」

 なるほど、なるほど。

 市長の息子ともなれば、平民の上流階級は全部知っているわね。彼が知らないのは、パーティに来れない貧乏貴族と、パーティになんか来ない高位貴族。

 そして私たちの格好は、どう見てもお金がないようには見えない。つまり高位の貴族。だから、名を簡単には名乗らない。

 是非、彼と踊りたくなってきた。

 ハンサムと言うわけでもないし、背も高くないけれど、こういう頭の回転の速さはツボに来る。ラルフの不機嫌オーラを受け流す度胸も気に入ったわ。

 思わず、OKしようとしたその時、ダンスフロアの中央でなにかの騒ぎが聞こえてきた。

「なにかしら?」

 誰かが叫んでいる。

「テオ! ここにいたのか!」

 急ぎ足で横をすれ違っていく立派な服装の中年男性が声をかけた。

「父上! 何があったのですか?」

「わからん。だが、相手はベロス公爵令嬢だ。お前はここにいなさい」


 私はつぶやいた。

「また?」

 テオと呼ばれた若い男がニコリと笑顔になって、私に向き直った。

「また? またって、どうして言うんですか?」
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