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第11話 ラルフ、惨敗
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エレノアは一瞬ひるんだ。
だが、次の瞬間、言った。
「リッチモンド公爵令嬢とは私の名前ですわ」
相手は相当イライラしたらしい。
「では、教えて差し上げましょう。お分かりにならないようだからね。申し込まれたのは、姉上のオーガスタ嬢。あなたではないんですよ」
エレノアは真っ赤になった。
ええと、この成り行きはどう収拾をつけたらいいの?
「ご自分が申し込まれたわけでもないのに、お断りになられるとはね! 僭越もはなはだしい! ご存知かな? 厚かましいと言われるでしょうね」
「姉のためを思って、代わりに言ったまでですわ!」
エレノアは目に涙を浮かべていた。
普通の男性なら、女性を泣かせたとなると、驚いておろおろし始めるところなのだが、この男は違った。
エレノアの涙は、余計彼を苛立たせたらしかった。
癇に障ったと言うのか。
「あなたになんか聞いていませんよ。オーガスタ嬢、私と踊っていただけませんか?」
男性に綺麗な、と言う表現は当たっていないかもしれないが、整った目鼻立ち、細身だが均整の取れた体つき、申し分のない美男子だった。
身なりからも、相当な身分の金持ちだとわかる。
その男性が、エレノアに対する時とは違って、断られることを恐れてでもいるかのように丁重に、とても優雅に腰をかがめてダンスを申し込んだ。
困った。断りにくい。
「こんな人、ひどすぎるわ! お姉様、踊ってはいけません」
その時、背後から愉快そうな声がした。
「おやあ? 誰かと思えばビンセントじゃないか」
三人は同時に振り返った。
にこやかに微笑んでいるラルフが立っていた。
「なんだ。何しに来た、ラルフ」
「決まっているだろう。オーガスタ嬢とダンスを踊るためだよ。約束したんだ」
私は驚愕した。そんな話あったっけ?
「先に私がお願いしたところだ。お前の出番はない」
ビンセントは簡潔に断った。
「残念だったな。順番で言えば、このパーティが決まった時にもうお願いしていたのだ。一番先に婚約を申し込んだのも私だからね」
ラルフ! パーティに出るなって、言ってたわよね? 申し込まれた覚えもないんですけど?!
「それは、お前が婚約破棄の決定を一番先に知る立場にだったからだ。私もオーガスタ嬢に婚約を申し入れている」
え? 知らなかった……この人、誰?
私はきれいな顔をした男性を見つめた。
向こうは、ちょっとドキっとしたらしい。
思わずへらりと顔が笑った。
横でそれを見ていたエレノアの顔が怖い。
「さあ、オーガスタ様、ダンスの約束を果たしてください」
ラルフが手を取った。あたたかい手だ。ぐいぐいと引っ張られる。
「言っておくがな、ラルフ。お前のような貧乏伯爵家の息子は、いかにオーガスタ嬢の父上の公爵に可愛がられていようと財産が不十分なのだ」
後ろから、なんだか負け犬の遠吠えのようにも聞こえる声がした。
「あの方はどなたですの?」
ダンスフロアの真ん中の方に向かって歩みを進めながら私は尋ねた。
「ベロス公爵家の嫡男でビンセント・アーサー・ベルトラン。学園で同じクラスを取っていたことがあるのでよく知っています。今は恋敵だけれど」
「ベロス公爵家!」
私は驚いた。(恋敵というのは不問に付しておいて)
「身分を鼻にかけた嫌味な男です。顔は美しいが」
それはそうだけれど。
ラルフは堂々たる足取りで私をエスコートしていく。
私たちは大注目を浴びていた。
私たちが近付くと、人々は一歩あとじさって、道を開けた。
注目の大公爵家の跡取り令嬢が、婚約破棄後に、最初に誰と踊るのか。
それは婿の地位を目指す者にとって一歩リードしたことを意味するかもしれない。
ラルフと踊るのが正解だとは思えないが、少なくともベロス家の跡取り息子と踊ることはできない。エレノアをさんざんバカにしていたし。
「ラルフ、あなたとダンスを踊る約束をした覚えはありませんわ」
私は出来るだけ、体を引き離すようにしながらラルフに注意した。
「困っておいでだと思いました。ビンセントに迫られて」
ラルフの茶色の目がこちらを見つめてくる。
「ですから自邸においでになられた方がよいでしょうと申し上げましたのに」
「母が是非にと言ったのよ」
私は面倒くさくなって、そう説明した。
ラルフは、父には私のパーティ参加にはメリットがあるとか言っていたのに、私に向かっては自邸にいた方がよかったと言う。まるで一貫性がない。
しかもダンスの約束なんかした覚えがないのに、どうして一緒に踊っているのかしら。
まあ、このパーティに出たことで、一番怖いのは殿下からの再婚約の申し出だが、この場には風除けとしてエレノアがいる。この世で一番安全かもしれない。
「王太子殿下がまたあなたを見ている」
ラルフがつぶやいた。
「ビンセントだって、あなたの顔を見たら、正気でいられなくなったのでしょう。父親に言われて申し込みだけしておいた、財産があるし、世間知らずなら、ごまかしやすいだろうと思ったのでしょう。好みの女は別に探すとか言っていたのに。一目で惚れ込んで欲しくなったのだろう。節操のない」
イライラした様子でラルフは言った。
なんだかビンセントの評価がダダ下がった。
でも、その時私が思ったのは、ラルフだって、たいして事情は変わらないだろうということだった。
彼は公爵家に、いや私の父に長らく仕えてきた。娘が婚約破棄の憂き目にあい、突然のフリーになった。
婚約破棄で思いがけないチャンスが回ってきたのだ。
公爵家の婿になれば、すべてが手に入る。金も権力も。有能で野心ある若者にはこたえられないだろう。
「私と結婚することはお考えになりませんか?」
「考えていませんわ」
私は即答した。
ラルフの顔がゆがんだ。
ラルフとは、親しくはしてきたが、これまでそんな素振りは全くなかった。
冷静で、時には冷酷で、必要がなくなったら、私も冷たくあしらわれるだろう。今は爵位や財産に関心があるから、こんなことを言っているのだ。
私は愛されたいのだ。
王太子妃になる運命だった時は、そんなことあきらめていた。
殿下を心の底から精一杯愛することはないだろう。殿下は自分が一番の方だ。王族である以上、それは仕方がない。
殿下の言う私への愛情?は、恋心や純粋に相手を思いやる気持ちとは全然違う。
でも、私は王太子妃候補のくびきから自由になれた。
政略結婚やご都合結婚は、もうたくさん。
ラルフのような、地位や財産目当ての結婚は絶対に嫌。
「ラルフも無理をしないで好きな人と結婚すればいいのに」
私はラルフを憐みの目で見て答えた。
「きっと、その方が幸せなんじゃないかと思うの。私のような小娘に言われたくはないでしょうけど。私と結婚しなくても、あなたは父と同様、国の重鎮になれる人だわ。たぶん、あなたとは仕事の面で一生関わっていく気がします。あなたと感情の問題でもつれがない方が、やり易いわ」
「誰か好きな人がいるのですか?」
私は軽やかに笑った。
「それはまだよ。これから探せると思うの」
「私としましては、お嬢様が見てくればかりいい、馬鹿な男に騙されておしまいになるんじゃないかと心配なのです」
「それであなたと結婚? 心配のし過ぎよ。だから結婚なんて面倒見が良すぎるわよ」
「お嬢様は、恋心の恐ろしさをまだご存じないのです」
私はきょとんとした。
「恐ろしい? だって、恋って素敵なものだってみんな言っているわ。政略結婚しか考えたことのない私やあなたにはわからないけれど」
「その中に入れていただいて光栄です」
妙に低い声でラルフは答えた。その声の調子に、私は心配になった。
ラルフはずっと恋人がいたけど、家の都合で、不本意だけど、どうしても私に申し込まなくちゃならなかったとか? 諦められなくて、心の中では血の涙を流しているとか?
「ごめんなさい。私、あなたのこと、よく知らないのだわ。失礼なことを言ったのかもしれません」
心配になってラルフの顔をのぞきこんだ。
ずっと身近にいたけど、私は彼のプライベートなんか知らなかったし、多分、ラルフだって知られたくなかったと思う。
「私はお嬢様を好きです」
ラルフが思い詰めたような感じの様子で言った。
ちょっとホッとした。嫌われてはいないらしい。
父の、ダントツに気が利いて優秀な仲間に嫌われてはいけないわ。
私はニコっと笑ってみせた。
「私もよ、ラルフ。これからもよろしくね」
______________________________
ラルフ、あわれ。
だが、次の瞬間、言った。
「リッチモンド公爵令嬢とは私の名前ですわ」
相手は相当イライラしたらしい。
「では、教えて差し上げましょう。お分かりにならないようだからね。申し込まれたのは、姉上のオーガスタ嬢。あなたではないんですよ」
エレノアは真っ赤になった。
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エレノアの涙は、余計彼を苛立たせたらしかった。
癇に障ったと言うのか。
「あなたになんか聞いていませんよ。オーガスタ嬢、私と踊っていただけませんか?」
男性に綺麗な、と言う表現は当たっていないかもしれないが、整った目鼻立ち、細身だが均整の取れた体つき、申し分のない美男子だった。
身なりからも、相当な身分の金持ちだとわかる。
その男性が、エレノアに対する時とは違って、断られることを恐れてでもいるかのように丁重に、とても優雅に腰をかがめてダンスを申し込んだ。
困った。断りにくい。
「こんな人、ひどすぎるわ! お姉様、踊ってはいけません」
その時、背後から愉快そうな声がした。
「おやあ? 誰かと思えばビンセントじゃないか」
三人は同時に振り返った。
にこやかに微笑んでいるラルフが立っていた。
「なんだ。何しに来た、ラルフ」
「決まっているだろう。オーガスタ嬢とダンスを踊るためだよ。約束したんだ」
私は驚愕した。そんな話あったっけ?
「先に私がお願いしたところだ。お前の出番はない」
ビンセントは簡潔に断った。
「残念だったな。順番で言えば、このパーティが決まった時にもうお願いしていたのだ。一番先に婚約を申し込んだのも私だからね」
ラルフ! パーティに出るなって、言ってたわよね? 申し込まれた覚えもないんですけど?!
「それは、お前が婚約破棄の決定を一番先に知る立場にだったからだ。私もオーガスタ嬢に婚約を申し入れている」
え? 知らなかった……この人、誰?
私はきれいな顔をした男性を見つめた。
向こうは、ちょっとドキっとしたらしい。
思わずへらりと顔が笑った。
横でそれを見ていたエレノアの顔が怖い。
「さあ、オーガスタ様、ダンスの約束を果たしてください」
ラルフが手を取った。あたたかい手だ。ぐいぐいと引っ張られる。
「言っておくがな、ラルフ。お前のような貧乏伯爵家の息子は、いかにオーガスタ嬢の父上の公爵に可愛がられていようと財産が不十分なのだ」
後ろから、なんだか負け犬の遠吠えのようにも聞こえる声がした。
「あの方はどなたですの?」
ダンスフロアの真ん中の方に向かって歩みを進めながら私は尋ねた。
「ベロス公爵家の嫡男でビンセント・アーサー・ベルトラン。学園で同じクラスを取っていたことがあるのでよく知っています。今は恋敵だけれど」
「ベロス公爵家!」
私は驚いた。(恋敵というのは不問に付しておいて)
「身分を鼻にかけた嫌味な男です。顔は美しいが」
それはそうだけれど。
ラルフは堂々たる足取りで私をエスコートしていく。
私たちは大注目を浴びていた。
私たちが近付くと、人々は一歩あとじさって、道を開けた。
注目の大公爵家の跡取り令嬢が、婚約破棄後に、最初に誰と踊るのか。
それは婿の地位を目指す者にとって一歩リードしたことを意味するかもしれない。
ラルフと踊るのが正解だとは思えないが、少なくともベロス家の跡取り息子と踊ることはできない。エレノアをさんざんバカにしていたし。
「ラルフ、あなたとダンスを踊る約束をした覚えはありませんわ」
私は出来るだけ、体を引き離すようにしながらラルフに注意した。
「困っておいでだと思いました。ビンセントに迫られて」
ラルフの茶色の目がこちらを見つめてくる。
「ですから自邸においでになられた方がよいでしょうと申し上げましたのに」
「母が是非にと言ったのよ」
私は面倒くさくなって、そう説明した。
ラルフは、父には私のパーティ参加にはメリットがあるとか言っていたのに、私に向かっては自邸にいた方がよかったと言う。まるで一貫性がない。
しかもダンスの約束なんかした覚えがないのに、どうして一緒に踊っているのかしら。
まあ、このパーティに出たことで、一番怖いのは殿下からの再婚約の申し出だが、この場には風除けとしてエレノアがいる。この世で一番安全かもしれない。
「王太子殿下がまたあなたを見ている」
ラルフがつぶやいた。
「ビンセントだって、あなたの顔を見たら、正気でいられなくなったのでしょう。父親に言われて申し込みだけしておいた、財産があるし、世間知らずなら、ごまかしやすいだろうと思ったのでしょう。好みの女は別に探すとか言っていたのに。一目で惚れ込んで欲しくなったのだろう。節操のない」
イライラした様子でラルフは言った。
なんだかビンセントの評価がダダ下がった。
でも、その時私が思ったのは、ラルフだって、たいして事情は変わらないだろうということだった。
彼は公爵家に、いや私の父に長らく仕えてきた。娘が婚約破棄の憂き目にあい、突然のフリーになった。
婚約破棄で思いがけないチャンスが回ってきたのだ。
公爵家の婿になれば、すべてが手に入る。金も権力も。有能で野心ある若者にはこたえられないだろう。
「私と結婚することはお考えになりませんか?」
「考えていませんわ」
私は即答した。
ラルフの顔がゆがんだ。
ラルフとは、親しくはしてきたが、これまでそんな素振りは全くなかった。
冷静で、時には冷酷で、必要がなくなったら、私も冷たくあしらわれるだろう。今は爵位や財産に関心があるから、こんなことを言っているのだ。
私は愛されたいのだ。
王太子妃になる運命だった時は、そんなことあきらめていた。
殿下を心の底から精一杯愛することはないだろう。殿下は自分が一番の方だ。王族である以上、それは仕方がない。
殿下の言う私への愛情?は、恋心や純粋に相手を思いやる気持ちとは全然違う。
でも、私は王太子妃候補のくびきから自由になれた。
政略結婚やご都合結婚は、もうたくさん。
ラルフのような、地位や財産目当ての結婚は絶対に嫌。
「ラルフも無理をしないで好きな人と結婚すればいいのに」
私はラルフを憐みの目で見て答えた。
「きっと、その方が幸せなんじゃないかと思うの。私のような小娘に言われたくはないでしょうけど。私と結婚しなくても、あなたは父と同様、国の重鎮になれる人だわ。たぶん、あなたとは仕事の面で一生関わっていく気がします。あなたと感情の問題でもつれがない方が、やり易いわ」
「誰か好きな人がいるのですか?」
私は軽やかに笑った。
「それはまだよ。これから探せると思うの」
「私としましては、お嬢様が見てくればかりいい、馬鹿な男に騙されておしまいになるんじゃないかと心配なのです」
「それであなたと結婚? 心配のし過ぎよ。だから結婚なんて面倒見が良すぎるわよ」
「お嬢様は、恋心の恐ろしさをまだご存じないのです」
私はきょとんとした。
「恐ろしい? だって、恋って素敵なものだってみんな言っているわ。政略結婚しか考えたことのない私やあなたにはわからないけれど」
「その中に入れていただいて光栄です」
妙に低い声でラルフは答えた。その声の調子に、私は心配になった。
ラルフはずっと恋人がいたけど、家の都合で、不本意だけど、どうしても私に申し込まなくちゃならなかったとか? 諦められなくて、心の中では血の涙を流しているとか?
「ごめんなさい。私、あなたのこと、よく知らないのだわ。失礼なことを言ったのかもしれません」
心配になってラルフの顔をのぞきこんだ。
ずっと身近にいたけど、私は彼のプライベートなんか知らなかったし、多分、ラルフだって知られたくなかったと思う。
「私はお嬢様を好きです」
ラルフが思い詰めたような感じの様子で言った。
ちょっとホッとした。嫌われてはいないらしい。
父の、ダントツに気が利いて優秀な仲間に嫌われてはいけないわ。
私はニコっと笑ってみせた。
「私もよ、ラルフ。これからもよろしくね」
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ラルフ、あわれ。
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