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第6話 ラルフ、遠乗りに誘う
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「アレックス殿下がアリサ・ボーネルと遠乗りに行く予定だって聞いたのよ!」
エレノアは乗馬が苦手。ウマが怖いのだ。このジャンルではアリサ嬢に勝てない。同じ土俵にすら立てない。イラついて彼女は爪を噛んでいた。
「今日は国王陛下にお目にかかって来たのよ」
母は真剣になって娘に話しかけた。
「そしてね、次のダンスパーティの時、絶対にエレノアを相手にしてくれるよう陛下から口添えしてくれるよう頼んできたの」
エレノアは顔をゆがめて母に向かって言った。
「でも、殿下は今アリサに夢中なのよ。無理に頼んだら、嫌がられるだけかもしれない。余計なことしないでよ」
「エレノア、殿下にじゃれつくのではなく、あまりしゃべらないで踊るだけの方がいいと思うのだけど」
思わず私はアドバイスした。
年がら年中じゃれつくから、軽く見られるのだ。たまには公爵令嬢らしく、毅然としたところを見せてもいいんじゃないだろうか。王太子妃になるなら、毅然としてしゃべらないシーンの方が絶対多いだろうから。
「何言ってるの! お姉さまみたいに、全っ然、モテない女からの助言なんて意味ないわ! 現に殿下に振られているくせに」
確か、最初は私が殿下を愛していないって言ってたよね。好きでもない男には振られないでしょう? 説明が面倒くさいので言わないが。
「でも、王太子妃に求められているのは、公式の場でもキチンとした振る舞いができるかどうかなのよ? それが出来るってことを示すのは悪くないと思うわ」
「そんなことをしていて、アリサやポーラやリリアンに取られたらどうするの? 殿下は女性にデレデレされるのが好きなのよ!」
ここまで聞いて、婚約者候補にならなくて本当に良かったと思った。
それから、父がどうして殿下に甘えないんだと言っていたことを思い出した。
デレデレ好きだったのか、殿下。
やっぱり私には殿下の婚約者は無理だ。ツンは出来てもデレを演る自信はないわ。
そして、アリサ以外にもポーラやリリアンもいるのか。どこのポーラやリリアンかわからないけど、不特定多数になっちゃってるのね、殿下。
エレノアがかわいそうになってきた。
「どうせ、陛下にお会いして、自分を売り込んできたんでしょう」
エレノアは私をにらんでいった。自分の欲しいものは、他人にとっても価値があると思い込む。
そんなわけはないでしょう。
「違うわよ。オーガスタはエレノアをダンスの相手にしてくださいって、陛下にとりなしたのよ」
母が一生懸命エレノアに向かって言った。
あ、でも、お母さま、今、何か地雷を踏んだような気がするんですけど?
「ちょっと、まさか本当にお姉さま、国王陛下に呼ばれたの?」
言わなきゃいいのに、お母さま。
国王陛下がエレノアじゃなくて私を婚約者にしたがってるだなんて、バレたらすごく面倒なことになるでしょう!
「ええと、それは……」
母は脂汗をかいている。ほら、そこ、頑張って! 今から私も呼ばれた理由を考えるから。
「あ、ええと、実はお詫びで行ったのよ」
私はエレノアに向かって言った。
「何を詫びることがあるの?」
「違うのよ。お詫びで伺ったのではなくて、呼ばれたの。あの、婚約者はほぼ私で決まっていたでしょ? それを王太子様がひっくり返してしまったっていうことで、私に対してほんのり王家からお詫びがあったのよ」
「ほんのりって、何?」
「それはホラ、代わりにあなたがはいったから、公爵家としてはプラマイゼロでしょう? だから、ほんのり……」
「私、いまだに婚約者に確定してないじゃない! ひどいわ! お詫びをするなら、私にお詫びして欲しいくらいよ!」
いや、それもダメだから。
王家がエレノアにお詫びした瞬間に婚約者外れたことになるから。
謝ってもらっちゃ困るのよ! わかって! エレノア!
とりあえず、私はその問題のダンスパーティーには欠席の返事を出すことにした。
下手に出ない方がいい。国王陛下からダンスの相手の指名を受けたら断れないけど、その場にいなけりゃ踊りようがないだろう。
まあ、これにて、一件落着よ。
エレノアはまだ機嫌が悪いけど、私は新しいドレスを仕立てに行くからと言って、そそくさとその場を後にした。
確かにダンスパーティには出ないことにしたけど、せっかく婚約者から外れたのだもの。好きなドレスを着たい。これまでは上品一点張りでつまらなかった。
自由にできる。それは魅力的だった。解放された気分だった。
しかし、エレノアの代わりに爽やかにあらわれたのは、ラルフだった。
「ダンスパーティーに出ないと聞いたので」
どこからそう言う情報が? 私は少々警戒して彼を眺めた。
このたび彼は公爵家の跡取りに正式に立候補した。
つまり、私の結婚相手に名乗り出たと言うことだ。
ラルフは、王家の遠縁に当たるというなかなかの名家の出である。
殿下と違い、がっしりした体つきと、きりりとした顔立ちは、華やかではないけど男らしい。成績だって優秀だったらしい。
父の受けも悪くない。と言うことは相当有能なのだろう。
領地経営は、ウマで実況検分することもあるが、主に書類仕事だ。官僚をしているなら、領主の仕事くらいは余裕でこなせるだろう。
公爵家の跡取りとして十分だ。
問題は、私が彼を知りすぎていると言う点だった。恋人的な雰囲気は微塵もなかった。
彼が、冷徹な合理主義者だと言うことは身にしみてわかっている。利害関係に聡く、頭が良い。一方、出来の悪い人間や、敵対する相手に対しては、実に冷たかった。
同じ破滅させるにしても、そこまで叩きのめす必要があるのか疑問なくらいだった。
「結果は同じですからね。二度と起き上がることが出来ないようにしないと、恨みを持った人間を増やすだけですよ。死人は口を利かない」
確かに死人はしゃべらない。
「行動しませんし、徒党を組んで、復讐に走ることもありません」
反論の余地のない冷徹な理屈には、黙るしかなかった。
そうかといって、敵対する人間を全員物理で皆殺しにするわけにはいかなかったので(殺人罪に問われてしまう)、死人扱いはいわば比喩なのだが、社会的には抹殺されたも同然の境遇に蹴落とすのが、どういう訳か得意だった。
その上、自分は矢面に立たない。
やり方がうまいと言うか、狡猾と言うか。もしかして楽んでる?
「かなう限り、出来るだけ他人のせいにするように心がけていますから。公爵閣下の名が出ないようにしなくてはいけません」
名門の子弟は、もうちょっと、抜けてるもんなんじゃないだろうか。むろん、抜けていない方が何によらず良いのだろうけれど、ここまで、計算ずくだとなんだか可愛げがないというか。
「あなたは、頼りになるわ」
私はいつもそう言って彼をねぎらった。
彼の話を聞いている限り、手に負えない感があった。私には無理なジャンルを受け持ってくれるので、本当に頼りにはなるのだが、軽く恐怖を覚えていた。
私に対しては、(何しろ私は王太子殿下の婚約者だ)非常にあたりが良くて親切だったが、身近に置くにはちょっと危険な気がした。
その彼が婚約者に立候補してきた。
この前のパーティにエスコートをお願いした時は、そんなことはおくびにも出さなかったが(ダンスと乗馬の提案以外)、どうも様子がおかしいとは思っていた。その後、父に願い出てオーガスタがいいならと了承を得たらしい。
了承を得たと言う点がいやらしい。
私はもしかして男運が悪いのでは。王太子殿下の次がこのラルフだ。
「時間があるなら遠乗りに行きませんか?」
うーん。
ラルフが、そんなお金にもならない遊びに誘ってくるだなんて、怖すぎる。
私は乗馬好きだ。
完全に狙っている。
ラルフは私をよく知っているだけに、好意を持たれそうなピンポイントを狙ってきているのだろう。
実家の伯爵家も、結婚相手としては願ってもない縁談だから、本人の意思と関係なく推されているに違いない。
まあ、みんな一緒だけれどね。
なにしろ、婚約者のすげ替えが発表された途端、それまでエレノアに付き纏っていた一団は、あっという間に趣旨替えして、今や私の取り巻きだ。
ただ、エレノアと違って、私の攻略は難しいらしい。釣書までは届いたものの、そのあとはダンスパーティにも出ないし、お茶会にも出ないので、攻めあぐねているらしい。プレゼント攻勢も、私の方が破格の金持ちなので、下手なものは贈れない。
「正直なところ、私はエレノアの身の振り方が決まるまで動きにくいのよ」
私は本音を言った。
「どういうことですか?」
ラルフは、一見実直そうに見える澄んだ明るい茶色の目でこっちを見てくる。
「つまりエレノアが王太子妃に確定していないでしょう?」
エレノアは、王太子殿下の妙な引き金を引いてしまったのだ。女好きの本性と言うか、優柔不断の本性というか。他にもいろいろあるのかもしれない。
「もちろん知っています。でも、だからどうなんです?」
それとこれと何の関係があるのだと言う目つきだった。
「万一、王太子妃の地位を逃したら、エレノアが公爵家の跡取りになるかもしれないでしょ?」
「あなたの父上は、公爵家の跡取りはあなたで確定だと言っていました」
確認したのか。ラルフらしい。確実なところを攻めるわけだ。
「まあ、父はそう言うでしょうけど、エレノアは黙って居ないと思うわ」
「エレノア嬢の言うことなど、お聞きになることはないでしょうに」
そうでもない。
エレノアが外れたら、自動的に私が王太子妃に繰り上がるような気がする。
この前の国王陛下の話を聞いている限り、その可能性は否定できない。
ラルフの実家は実は貧乏だった。
彼は、前王の王弟殿下の息子で王孫に当たる。
ただし、前王は子だくさんで王子が大勢いた。全員に公爵などを叙爵出来るわけではないので、ようやくもらえた爵位は伯爵だった。領地はない。
そこへ、私の伯母が財産をもって嫁いだ。
これでようやく地位と財産がそろったわけだが、子だくさんが家系に遺伝してしまって、彼には姉が五人いる。
娘たち全員に持参金を持たせて嫁がせた時点で、伯爵家は力尽きた。
ラルフは伯爵家の長男だった。だが、公爵家を継げるとなれば、領地もない伯爵位はどうでもいいらしい。爵位をいくつか保持している家はいくらでもある。
彼の結婚計画は、もうきっちり決まっているのだろう。そんなところへ水を差して申し訳ないが、もしエレノアが公爵家の跡取りになってしまったら、取り入る先を間違えたと言うことになる。
「だから、あなたが私と仲良くするのを伯爵家では勧めていると思うのだけど、もしかすると、エレノアと仲良くする方が正解かもしれないのよ。そこを考えると、動きにくいの」
ラルフの黒い眉がぐっと寄ってきた。怒ってるみたいに見えるわ。
それはそうよね。休日返上で公爵令嬢のご機嫌取りに努めてきたと言うのに、あて先違いだなんて今更言われても困るわよね。
「先に言っておかないといけないと思ったのよ。何しろ、エレノアは強硬ですもの。家族が根負けするかもしれないわ」
私はあわてて言い足した。私のせいじゃなので、怒られてもお門違いなのよ。
「ずっと言おうと思っていたんですが、オーガスタ嬢」
「なんでしょうか」
「どうして、自分でどうにかしようと思わないのですか? 公爵家の跡取りだって、どう考えてもあなたの方がふさわしいでしょう。エレノア嬢には務まらないと思います」
だから公爵家の跡取りと言う地位はどうでもいいのよ。
それより、素敵な殿方に出会って、心ときめく恋がしたいの。
今までずっと、したいことができなかったんだから。
「あなたみたいな立派な方と結婚すれば、家の方は大丈夫だと思うの。心配いらないわ」
私はラルフの機嫌を取ってみた。
どんなに妻が適当なちゃらんぽらんでも、夫がラルフなら大丈夫だと言うのは事実だと思う。
「もちろん、あなたの負担が、例えば私が配偶者である方がずっと軽くなると言うのは、否定しないわ。その意味では申し訳ないんですけど、こればっかりはわからないの。後でとんだ不良債権だった、なんてことになってはいけないので、少しだけ待っていただいた方がいいと思いますの」
「それは公爵位を継ぐことになったら、私と結婚すると言うことですか?」
むっ……。
これには困った。
だが、はっきりしておこうと思った。爵位狙いの男にロクな男はいないと聞いたことがある。
ラルフだって、立派な爵位狙いだろう。
「私の結婚相手はお父さまが決められます。ですから、私の機嫌を取る意味はないの」
ラルフの目がこっちをじっと見つめてきた。なんだか負の感情を感じる。何かのがっかり感かな?
がっかりするのも無理ないわね。せっかく時間をかけて付きまとってきたのにね。
しばらくたってから、彼は聞いた。
「遠乗りには行かないと?」
なんでそんなしゃがれ声になっているんだろう。遠乗りがそんなに好きなんだろうか? 息抜きか、運動のためとか? ダイエットは必要なさそうだけど。
「行くのは、本当に全然かまわないのよ。でも、エレノアに見つかったら、今度、エレノアが公爵家の跡取り娘に決まった時、あなたが損するわ」
「そんなこと、どうでもいいんだが」
「そんなことないわ! うまく立ち回らないと!」
私は励ましたが、ラルフはため息をついた。
「エレノア嬢には、ばれないと思いますよ? その日はダンスパーティなんでしょう? エレノア嬢はそっちに出席するんじゃないですか?」
言われてみれば、それはそうだ。相変わらず鋭いな。
最近の王太子殿下が出席される可能性の高いダンスパーティは、殿下と何とか縁を作りたい年頃の娘で埋め尽くされる。
王太子殿下は大変なご満悦だそうだ。
行かないのは、お相手など到底無理な低位の貴族の娘か、私のように事情がある娘だけだ。
それに、おこぼれ目当てで参加する若い貴族の男も多い。何しろ、王太子殿下は一人しかいないのだから、当然、娘たちはあぶれる。ダンスくらい踊ってくれるだろう。思いがけず、高位の令嬢とお知り合いになれるチャンスかもしれない。
そんなこんなで、ダンスパーティは大盛況。毎回、異様な熱気に包まれていると言う。
「そんなダンスパーティ、見ているだけで疲れますよ。それより健康的にウマを飛ばしましょう。考え過ぎは良くないですよ。普通に考えれば、あなたはお疲れで気晴らしが必要なはずです」
理路整然。結局、私は言いくるめられた。
エレノアは乗馬が苦手。ウマが怖いのだ。このジャンルではアリサ嬢に勝てない。同じ土俵にすら立てない。イラついて彼女は爪を噛んでいた。
「今日は国王陛下にお目にかかって来たのよ」
母は真剣になって娘に話しかけた。
「そしてね、次のダンスパーティの時、絶対にエレノアを相手にしてくれるよう陛下から口添えしてくれるよう頼んできたの」
エレノアは顔をゆがめて母に向かって言った。
「でも、殿下は今アリサに夢中なのよ。無理に頼んだら、嫌がられるだけかもしれない。余計なことしないでよ」
「エレノア、殿下にじゃれつくのではなく、あまりしゃべらないで踊るだけの方がいいと思うのだけど」
思わず私はアドバイスした。
年がら年中じゃれつくから、軽く見られるのだ。たまには公爵令嬢らしく、毅然としたところを見せてもいいんじゃないだろうか。王太子妃になるなら、毅然としてしゃべらないシーンの方が絶対多いだろうから。
「何言ってるの! お姉さまみたいに、全っ然、モテない女からの助言なんて意味ないわ! 現に殿下に振られているくせに」
確か、最初は私が殿下を愛していないって言ってたよね。好きでもない男には振られないでしょう? 説明が面倒くさいので言わないが。
「でも、王太子妃に求められているのは、公式の場でもキチンとした振る舞いができるかどうかなのよ? それが出来るってことを示すのは悪くないと思うわ」
「そんなことをしていて、アリサやポーラやリリアンに取られたらどうするの? 殿下は女性にデレデレされるのが好きなのよ!」
ここまで聞いて、婚約者候補にならなくて本当に良かったと思った。
それから、父がどうして殿下に甘えないんだと言っていたことを思い出した。
デレデレ好きだったのか、殿下。
やっぱり私には殿下の婚約者は無理だ。ツンは出来てもデレを演る自信はないわ。
そして、アリサ以外にもポーラやリリアンもいるのか。どこのポーラやリリアンかわからないけど、不特定多数になっちゃってるのね、殿下。
エレノアがかわいそうになってきた。
「どうせ、陛下にお会いして、自分を売り込んできたんでしょう」
エレノアは私をにらんでいった。自分の欲しいものは、他人にとっても価値があると思い込む。
そんなわけはないでしょう。
「違うわよ。オーガスタはエレノアをダンスの相手にしてくださいって、陛下にとりなしたのよ」
母が一生懸命エレノアに向かって言った。
あ、でも、お母さま、今、何か地雷を踏んだような気がするんですけど?
「ちょっと、まさか本当にお姉さま、国王陛下に呼ばれたの?」
言わなきゃいいのに、お母さま。
国王陛下がエレノアじゃなくて私を婚約者にしたがってるだなんて、バレたらすごく面倒なことになるでしょう!
「ええと、それは……」
母は脂汗をかいている。ほら、そこ、頑張って! 今から私も呼ばれた理由を考えるから。
「あ、ええと、実はお詫びで行ったのよ」
私はエレノアに向かって言った。
「何を詫びることがあるの?」
「違うのよ。お詫びで伺ったのではなくて、呼ばれたの。あの、婚約者はほぼ私で決まっていたでしょ? それを王太子様がひっくり返してしまったっていうことで、私に対してほんのり王家からお詫びがあったのよ」
「ほんのりって、何?」
「それはホラ、代わりにあなたがはいったから、公爵家としてはプラマイゼロでしょう? だから、ほんのり……」
「私、いまだに婚約者に確定してないじゃない! ひどいわ! お詫びをするなら、私にお詫びして欲しいくらいよ!」
いや、それもダメだから。
王家がエレノアにお詫びした瞬間に婚約者外れたことになるから。
謝ってもらっちゃ困るのよ! わかって! エレノア!
とりあえず、私はその問題のダンスパーティーには欠席の返事を出すことにした。
下手に出ない方がいい。国王陛下からダンスの相手の指名を受けたら断れないけど、その場にいなけりゃ踊りようがないだろう。
まあ、これにて、一件落着よ。
エレノアはまだ機嫌が悪いけど、私は新しいドレスを仕立てに行くからと言って、そそくさとその場を後にした。
確かにダンスパーティには出ないことにしたけど、せっかく婚約者から外れたのだもの。好きなドレスを着たい。これまでは上品一点張りでつまらなかった。
自由にできる。それは魅力的だった。解放された気分だった。
しかし、エレノアの代わりに爽やかにあらわれたのは、ラルフだった。
「ダンスパーティーに出ないと聞いたので」
どこからそう言う情報が? 私は少々警戒して彼を眺めた。
このたび彼は公爵家の跡取りに正式に立候補した。
つまり、私の結婚相手に名乗り出たと言うことだ。
ラルフは、王家の遠縁に当たるというなかなかの名家の出である。
殿下と違い、がっしりした体つきと、きりりとした顔立ちは、華やかではないけど男らしい。成績だって優秀だったらしい。
父の受けも悪くない。と言うことは相当有能なのだろう。
領地経営は、ウマで実況検分することもあるが、主に書類仕事だ。官僚をしているなら、領主の仕事くらいは余裕でこなせるだろう。
公爵家の跡取りとして十分だ。
問題は、私が彼を知りすぎていると言う点だった。恋人的な雰囲気は微塵もなかった。
彼が、冷徹な合理主義者だと言うことは身にしみてわかっている。利害関係に聡く、頭が良い。一方、出来の悪い人間や、敵対する相手に対しては、実に冷たかった。
同じ破滅させるにしても、そこまで叩きのめす必要があるのか疑問なくらいだった。
「結果は同じですからね。二度と起き上がることが出来ないようにしないと、恨みを持った人間を増やすだけですよ。死人は口を利かない」
確かに死人はしゃべらない。
「行動しませんし、徒党を組んで、復讐に走ることもありません」
反論の余地のない冷徹な理屈には、黙るしかなかった。
そうかといって、敵対する人間を全員物理で皆殺しにするわけにはいかなかったので(殺人罪に問われてしまう)、死人扱いはいわば比喩なのだが、社会的には抹殺されたも同然の境遇に蹴落とすのが、どういう訳か得意だった。
その上、自分は矢面に立たない。
やり方がうまいと言うか、狡猾と言うか。もしかして楽んでる?
「かなう限り、出来るだけ他人のせいにするように心がけていますから。公爵閣下の名が出ないようにしなくてはいけません」
名門の子弟は、もうちょっと、抜けてるもんなんじゃないだろうか。むろん、抜けていない方が何によらず良いのだろうけれど、ここまで、計算ずくだとなんだか可愛げがないというか。
「あなたは、頼りになるわ」
私はいつもそう言って彼をねぎらった。
彼の話を聞いている限り、手に負えない感があった。私には無理なジャンルを受け持ってくれるので、本当に頼りにはなるのだが、軽く恐怖を覚えていた。
私に対しては、(何しろ私は王太子殿下の婚約者だ)非常にあたりが良くて親切だったが、身近に置くにはちょっと危険な気がした。
その彼が婚約者に立候補してきた。
この前のパーティにエスコートをお願いした時は、そんなことはおくびにも出さなかったが(ダンスと乗馬の提案以外)、どうも様子がおかしいとは思っていた。その後、父に願い出てオーガスタがいいならと了承を得たらしい。
了承を得たと言う点がいやらしい。
私はもしかして男運が悪いのでは。王太子殿下の次がこのラルフだ。
「時間があるなら遠乗りに行きませんか?」
うーん。
ラルフが、そんなお金にもならない遊びに誘ってくるだなんて、怖すぎる。
私は乗馬好きだ。
完全に狙っている。
ラルフは私をよく知っているだけに、好意を持たれそうなピンポイントを狙ってきているのだろう。
実家の伯爵家も、結婚相手としては願ってもない縁談だから、本人の意思と関係なく推されているに違いない。
まあ、みんな一緒だけれどね。
なにしろ、婚約者のすげ替えが発表された途端、それまでエレノアに付き纏っていた一団は、あっという間に趣旨替えして、今や私の取り巻きだ。
ただ、エレノアと違って、私の攻略は難しいらしい。釣書までは届いたものの、そのあとはダンスパーティにも出ないし、お茶会にも出ないので、攻めあぐねているらしい。プレゼント攻勢も、私の方が破格の金持ちなので、下手なものは贈れない。
「正直なところ、私はエレノアの身の振り方が決まるまで動きにくいのよ」
私は本音を言った。
「どういうことですか?」
ラルフは、一見実直そうに見える澄んだ明るい茶色の目でこっちを見てくる。
「つまりエレノアが王太子妃に確定していないでしょう?」
エレノアは、王太子殿下の妙な引き金を引いてしまったのだ。女好きの本性と言うか、優柔不断の本性というか。他にもいろいろあるのかもしれない。
「もちろん知っています。でも、だからどうなんです?」
それとこれと何の関係があるのだと言う目つきだった。
「万一、王太子妃の地位を逃したら、エレノアが公爵家の跡取りになるかもしれないでしょ?」
「あなたの父上は、公爵家の跡取りはあなたで確定だと言っていました」
確認したのか。ラルフらしい。確実なところを攻めるわけだ。
「まあ、父はそう言うでしょうけど、エレノアは黙って居ないと思うわ」
「エレノア嬢の言うことなど、お聞きになることはないでしょうに」
そうでもない。
エレノアが外れたら、自動的に私が王太子妃に繰り上がるような気がする。
この前の国王陛下の話を聞いている限り、その可能性は否定できない。
ラルフの実家は実は貧乏だった。
彼は、前王の王弟殿下の息子で王孫に当たる。
ただし、前王は子だくさんで王子が大勢いた。全員に公爵などを叙爵出来るわけではないので、ようやくもらえた爵位は伯爵だった。領地はない。
そこへ、私の伯母が財産をもって嫁いだ。
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娘たち全員に持参金を持たせて嫁がせた時点で、伯爵家は力尽きた。
ラルフは伯爵家の長男だった。だが、公爵家を継げるとなれば、領地もない伯爵位はどうでもいいらしい。爵位をいくつか保持している家はいくらでもある。
彼の結婚計画は、もうきっちり決まっているのだろう。そんなところへ水を差して申し訳ないが、もしエレノアが公爵家の跡取りになってしまったら、取り入る先を間違えたと言うことになる。
「だから、あなたが私と仲良くするのを伯爵家では勧めていると思うのだけど、もしかすると、エレノアと仲良くする方が正解かもしれないのよ。そこを考えると、動きにくいの」
ラルフの黒い眉がぐっと寄ってきた。怒ってるみたいに見えるわ。
それはそうよね。休日返上で公爵令嬢のご機嫌取りに努めてきたと言うのに、あて先違いだなんて今更言われても困るわよね。
「先に言っておかないといけないと思ったのよ。何しろ、エレノアは強硬ですもの。家族が根負けするかもしれないわ」
私はあわてて言い足した。私のせいじゃなので、怒られてもお門違いなのよ。
「ずっと言おうと思っていたんですが、オーガスタ嬢」
「なんでしょうか」
「どうして、自分でどうにかしようと思わないのですか? 公爵家の跡取りだって、どう考えてもあなたの方がふさわしいでしょう。エレノア嬢には務まらないと思います」
だから公爵家の跡取りと言う地位はどうでもいいのよ。
それより、素敵な殿方に出会って、心ときめく恋がしたいの。
今までずっと、したいことができなかったんだから。
「あなたみたいな立派な方と結婚すれば、家の方は大丈夫だと思うの。心配いらないわ」
私はラルフの機嫌を取ってみた。
どんなに妻が適当なちゃらんぽらんでも、夫がラルフなら大丈夫だと言うのは事実だと思う。
「もちろん、あなたの負担が、例えば私が配偶者である方がずっと軽くなると言うのは、否定しないわ。その意味では申し訳ないんですけど、こればっかりはわからないの。後でとんだ不良債権だった、なんてことになってはいけないので、少しだけ待っていただいた方がいいと思いますの」
「それは公爵位を継ぐことになったら、私と結婚すると言うことですか?」
むっ……。
これには困った。
だが、はっきりしておこうと思った。爵位狙いの男にロクな男はいないと聞いたことがある。
ラルフだって、立派な爵位狙いだろう。
「私の結婚相手はお父さまが決められます。ですから、私の機嫌を取る意味はないの」
ラルフの目がこっちをじっと見つめてきた。なんだか負の感情を感じる。何かのがっかり感かな?
がっかりするのも無理ないわね。せっかく時間をかけて付きまとってきたのにね。
しばらくたってから、彼は聞いた。
「遠乗りには行かないと?」
なんでそんなしゃがれ声になっているんだろう。遠乗りがそんなに好きなんだろうか? 息抜きか、運動のためとか? ダイエットは必要なさそうだけど。
「行くのは、本当に全然かまわないのよ。でも、エレノアに見つかったら、今度、エレノアが公爵家の跡取り娘に決まった時、あなたが損するわ」
「そんなこと、どうでもいいんだが」
「そんなことないわ! うまく立ち回らないと!」
私は励ましたが、ラルフはため息をついた。
「エレノア嬢には、ばれないと思いますよ? その日はダンスパーティなんでしょう? エレノア嬢はそっちに出席するんじゃないですか?」
言われてみれば、それはそうだ。相変わらず鋭いな。
最近の王太子殿下が出席される可能性の高いダンスパーティは、殿下と何とか縁を作りたい年頃の娘で埋め尽くされる。
王太子殿下は大変なご満悦だそうだ。
行かないのは、お相手など到底無理な低位の貴族の娘か、私のように事情がある娘だけだ。
それに、おこぼれ目当てで参加する若い貴族の男も多い。何しろ、王太子殿下は一人しかいないのだから、当然、娘たちはあぶれる。ダンスくらい踊ってくれるだろう。思いがけず、高位の令嬢とお知り合いになれるチャンスかもしれない。
そんなこんなで、ダンスパーティは大盛況。毎回、異様な熱気に包まれていると言う。
「そんなダンスパーティ、見ているだけで疲れますよ。それより健康的にウマを飛ばしましょう。考え過ぎは良くないですよ。普通に考えれば、あなたはお疲れで気晴らしが必要なはずです」
理路整然。結局、私は言いくるめられた。
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