アネンサードの人々

buchi

文字の大きさ
上 下
176 / 185
サイラム

第176話 求婚

しおりを挟む
 そんなわけで、今晩しかなかった。

 ロドリックは人々が寝静まったレイビック城の真っ暗な廊下を、灯りも持たずに静かに移動していた。こんな時、夜も見える目はとても便利だった。


 彼ら二人が、何の血縁関係もないのに、同じ城の中で暮らすのは無理があった。
 だから、早めに行動を起こさなくてはならなかった。彼が城に居続けたら、彼女は城の管理を彼に任せて、自分はベルブルグの尼僧院に行ってしまうかもしれない。

 フィリスのことは……それはいろいろありすぎて、これと言う決定打があるわけではなかった。
 だが、どこに出しても大家の奥方にしか見えない、とても美しく控えめで上品な女性が、実は屍を求めて戦場をうろつきまわる死神だなんて、孤独のまま暮らしている異人種だなんて、息子のフリースラントさえ気づきもしないだろう。
 だって、彼女は誰にも救いを求めなかったからだ。
 誰も何も知らない。
 
 求めてくれたらいいのにと思う。

 彼に救いを求めてくれたら、あふれんばかりに答えようと思っているのに。いつだって、全く満足しきっているかのようにふるまっているが、やせ我慢だ。ロドリックは知っていた。強がっているが、違うだろう。

 それなら、彼の方から行くだけだ。

 静かにドアを開け、部屋に滑り込むと、フィリスは部屋を暗くして、窓のそばに座っていた。カーテンは開けられ、月の光で銀色に染められた庭や森が見渡せた。

 彼女が一人で座っているのを見ると、ロドリックは胸がいっぱいになった。

 人間だけしか住んでいないこの世で、純粋なアネンサードの心を持つ彼女は、どこかに違和感を感じながら、生きてきたに違いない。

 自分で、死神だと自嘲していた。
 愛情を持つ者には、あくまで尽くすが、それ以外の者たちには、関心がなかった。あたかも虫けらのようだ。その死にも生にも。そして、生気は彼女の糧だったから、人や動物を死に至らしめることは当たり前のことだった。アネンサードにとっては、人を殺すことは何の抵抗もない。罪でもない。

 あたりかまわぬ残虐性が発揮された時、許せる人間がいるのか? 止めることができる人間がいるのか?

 たぶん、それは同族のロドリックだけだろう。彼は、その狂気の味を知っている。

「フィリス」

 ロドリックは呼びかけた。彼女はビクッとした。顔を声のする方に向けたが、暗いので、きっと彼女には見えない。

「誰? ロドリック?」

 ロドリックは、一歩、彼女の方に近づいた。

「もし、一緒に暮らしてほしいと言ったらどうする?」

 フィリスは驚いた顔をしていたが、同時に予想していたようにも見えた。

 ロドリックは彼女がぼんやりと点けていたローソクを増やした。大事な話があるのだ。彼には見えても、フィリスは彼の顔は見えないだろう。

「誰かが起きて来るわ」

 フィリスが心配そうに言った。ロドリックは首を振った。

「みんな寝ているよ。俺にはわかるのだ。暗くても見えるし、音や気配でわかる」

 ロドリックは彼女の近くまで進み、彼女の手を取って、跪いた。

「フィリスを一生大事にしたいと言ったら、受け入れてくれる?」

「私を?」

 フィリスはつぶやいた。

「そう。あなたを」

 どうして?などとフィリスは聞かなかった。

 フリースラントとルシアにとって、フィリスは母だったが、ロドリックにとっては違う。ただの他人だった。いや違う。同族だった。

「あなたが大事だ」

 大男のロドリックが女伯を抱きしめると、彼女の姿はどこからも見えなくなった。

「ロドリック、あなたは私を知っているのに、どうしてそんなことが言えるの? 私は死神なのよ」

 女伯は、彼の腕の中に巻き込まれてもごもご言った。

「俺は悪魔だ。角がある」

 彼はフィリスの手を取って、彼の角の削った跡を触らせた。つかんだ彼女の指は冷たかった。指が動いて、荒く削られた角の痕を撫でた。

「前に俺を殺すことはできないって、言ってましたよね?」

 腕を少し緩めて、ロドリックはフィリス女伯の顔をのぞき込んだ。

「やってみないとわかりませんわ」

 彼を睨む目に、思わずロドリックは微笑んだ。フィリスが自分を殺すと言うのなら、それでもいい。

「殺す気ならかまわない。あなたのような人は二人といない。死神と悪魔だ」

 ロドリックはこの女性にキスした。

 途端に、すうっと力が抜けていく。

 ……許してもらえないのかも知れない……

 どうせなら生気じゃなくて、この気持ちを汲み取って欲しかった……頭がもうろうとしてきた。ダメだ。死ぬのか。メフメトのように……

 いきなり意識が戻り、彼は彼女もろとも床に座り込んだ。

「吸いきれない」

 まるで、子どもが悔しがっているように、フィリスは言った。

「ほら、キャパオーバーだ。俺の勝ちだ」

 ロドリックが彼女の手を捕らえた。

「勝ち?」

 フィリスは手を引っ込めようとした。

「負けだ」

 あわててロドリックは言った。ロドリックを殺せないことはわかった。手加減したのかもしれないが。だから、ロドリックの勝ちかも知れなかったが、気持ちの上では彼はフィリスに降参だった。

「フィリス、君が大事だ。たった一人の大事な人だ」

 そして、逃さないと言ったようにフィリスの手を両手で包んだ。
 

 彼らは戦場で、この孤独な世界で、たった一人の同族と出会った。お互い知らなかった自分たちの種族の本性を初めて理解した。
 生気を吸って生きていくアネンサードの本性を教会に知られたら、即、死が待つだろう。

「一緒に暮らせば、あなたもただでは済まないと思うわ」

「いや。俺も同じだ。その力をもらって、人を殺し過ぎている。だが、そのおかげでダリアは勝利した」

 そして、あの晩、ロドリックの面金を開けて、指一本で彼の頬に触れた時、彼の体に流れ込んできたのは生気だけではなかった。たった一本の指の先から、ビリビリと痺れるように、皮膚を通して体中に広がるものがあった。


「総主教様に結婚のお許しをもらおう」

「私たちのような者のことを許せるとでも思って?」

 物憂そうに彼女は言った。

「では、秘密の結婚だ。そんなこと、どうでもいい。ふたりで暮らそう。」



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

処理中です...