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サイラム
第174話 伯爵では身分が低すぎる
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砦のテラスで、ロドリックと総主教様が長時間話をしていることは、総主教様付きの口が堅い僧たちは皆知っているはずだった。
だが、誰も、何も言わなかった。
必要があるから、総主教様は時間をかけている。
「後はフリースラントだ。伯爵では身分が低すぎる。彼に偽りの身分を捨てて、本来の名を名乗ってほしいのだ」
ロドリックは首を傾げた。
「ヴォルダ家は名門とは言え、王と敵対していました」
「だが、彼は忠実な騎士だ。王太子を助けに行った」
ロドリックは黙った。
「身分と言うのは役に立つ。ヴォルダ家のような名門は特に。彼は、権力など望んでいない。だが、ダリアが崩壊していくと言うなら、話は別だろう。国が崩壊する。バラバラになる。それがどんなことか」
総主教様が語った。
「私は、地方の農民の子だ。身分などない。勉強ができたので、近くの教会の僧が王立修道院の付属学校の特待生にしてくれた。両親は反対だった。だが、私は勉強したかった。反対を押し切って、学校へ行った」
ロドリックはちょっとびっくりした。総主教様がこんな話を彼にしてくれている。
総主教様は平民の出身だと聞いていた。だが、そんな出自で、王立付属学校に入学したなら、地方出身ならなおさら、どれほど頭抜けた秀才だったことか。
それは、ほんの一握りの秀才にだけに認められる特権だった。
異色の存在。貧しい地方の農民の子。だが、それゆえにどれほどいじめられたろう。
「勉強ができても、何にもならなかった。私と同じくらい貧乏でも、貴族の家の子は、身分を鼻にかけて私をいじめたものだ。私は修道院に居られなかった。地方の貧しい教会の僧になるしかなかった。もっと勉強を続けたかったのに。だって、その頃、私は、謎の多いアネンサードの秘密を見つけていたからだ」
神秘的で、本当にあったことかもしれない。ヒトは、ヒトだけではなかったかもしれない。なぜ、アネンサードの名は秘匿され、口に出すこともはばかられるようになったのだろう。
私は夢中になった。レイビックに行ってみたかった。
だが、私は南の港の地方の配属になった。
私が着任した時は、そこは、豊かな地方だったが、君が戦った時よりずっと前の戦乱で、徹底的に荒らされていた。
畑や牧草地に火が放たれ、家々は強奪され、多くの死者が出た。
教会には、なす術がなかった。
ロンゴバルトが去っても、復興はできなかった。
領主たちは、いがみ合い、中心になってリードする者がいなかった。
私は必死になって、話をまとめ、どうにか合意に持ち込もうとしたが、まとまったところで、突然、教会の配属替えが行われた。
様子を見て居た貴族が、私の代わりに自分の縁者を担当者として差し替えたのだ。
教会中心で話がまとまりそうだったのを見て取り、自分の有利になるように教会の力を利用しようとしたのだろう」
「ひどい」
ロドリックは口の中でつぶやいだ。
「なんとつまらぬ私利私欲だろう! こんなつまらぬ目先の欲望のせいで、貧しい農民たちは飢えて死なねばならなかったのだ。
せっかくの合意は白紙に戻され、いったんまとまりかけた領主たちは、またバラバラになった。教会に対する不信だけが残り、教会は恨む者たちに焼き討ちにあった。事情を知らない農民に恨まれ、私は裏切り者として、追われる立場になった。
新しい主教は、すべて私の陰謀だと農民にも総主庁にも報告した。必死になって弁明したが、許されず、やはり貧民の子はダメだと烙印を押された。
解任された私は北の地方への配属を希望したが、許されず、別の地域に放逐された」
総主教様は、粘り強く行く先々で、果てしない実行力を発揮して少しでも改善を図った。それは地味で目立たない仕事で、地域の者たち以外、誰にも評価も感謝もされなかった。
「私が赴任したところは、いずれも貧乏な地域だった。神の教えよりも、日々の糧の方が大事だったのだ。少なくとも私はそう思った。何とか、皆が協力して、少しでも飢えないように。明日に希望が持てるように」
彼はようやく許されて、総主教様のいる総本山の勤務にもどった。
「うれしかった。蔵書に興味があったのだ。私は蔵書係を希望した。
だが、ほかに人がいないからと言う理由で、蔵書係には使ってもらえなかった。代わりに、主教庁の財務担当の仕事を割り当てられた。
忙しくて、蔵書どころではなかったが、近いので、何とか研究は続けられた。
だが、ある日、レイビックに飛ばされた」
「なぜ?」
総主教様はため息をついた。
「財務は、多くのお金を扱うところだ。多額の横領が発覚したが、平民出身の私が、真っ先に疑われた。
貧しい身の上だから、金に未練がありそうだと言う理由でだ。
もちろん、否定したが聞き入れられず、私は誰も行きたがらないレイビックの寒村に派遣された」
総主教様は、いたずらっぽくロドリックを見た。
「毛皮の競り市を作ったのは私なんだよ。それから、ハンターの階級制を作ったのもね。
みんなが腕を競い合うだろうし、安全のためだ。むやみに腕のない者が山に入ったら、危険だし、あの教会を発見される恐れがあった」
ロドリックは、びっくりして口を開けた。
「そのほかには? そのほかに発見したものは?」
「洞窟のことか? 私は入れなかった。でも、総本山の蔵書の中にその記述はあったのだ。場所はわからなかった。私の足ではたどり着けない場所だということは、わかっていた。死ぬまでに一度は行ってみたい」
まるで、昔からの友人に対するかのように、総主教様はロドリックに微笑んでみせた。打ち解けた微笑みだった。
「それから、しばらくして、総主教庁から急使が来た。私の無実が判明したのだ。本当はもう少しレイビックにいたかった。レイビックに配属されたことはむしろ喜んでいたんだ。誰も信じてくれなかったがね。
私は総主教庁に戻り、今度こそ、蔵書係を希望したが、財務に戻され、地方監督の仕事を割り振られ、何十年も全く関係のない仕事に従事した挙句、今の仕事に任命された」
ロドリックは、何とも言えなかった。
この経歴は、総主教様が、おそらく、恐ろしく有能な人物だったことを意味している。ただの有能ではなかったろう。独創性と実行力、地味な努力の積み重ね、それらと、非凡な、ある種の狡猾さが同居していたからこそ、出来たことだったろう。
そして、全くゆるぎない、透徹した善意と無私。
彼は、簡略化して、何も言わなかったが、ロドリックには、そのあとの何十年間を読み取るだけの人生経験があった。そねみや嫉妬では太刀打ちできないくらいの、ものすごい実績を残したのだろう。
『高徳の方で、異例の若さで総主教に抜擢された』
その彼が、この砦に長居している。これほどまでに有能で、時間を無駄にしない人物が、ここにいる意味……
「私は時間がかかったのだ。平民の子だから。だが、フリースラントは違う。名門の子弟だ。ヴォルダ家は筆頭公爵家だ。実力で這い上がってきた彼は、つまらない肩書だと思っているのだろうけれど、使わない手はない。ロドリック、フリースラントに伝えてくれ。ヴォルダ公爵を名乗れと」
お付きの高僧たちは、何も言わず付き従って、待っている。
ロドリックは砦のテラスから、中の様子を見た。僧たちは今も、各自の仕事をほっぽり出して、ついているのだ。緊張しながら、ここ何週間も待っている。
沁みとおるように、ロドリックが軽く考えていた総主教様の滞在の意味が伝わってきた。
「国がバラバラになった時何が起きるか……取り戻すのにどんなに時間がかかるか……いずれフリースラントがダリアを掌握することはわかっている。だが、時間が惜しいのだ。遅ければ遅いほど、貧しい者たちが困窮する。同じ轍を踏みたくないのだ。わかっておくれ、ロドリック」
聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、総主教様が、ロドリックに頼んだ。
ロドリックは立ち上がった。
彼は目礼すると、フリースラントがいるはずのカプトルの王宮へ向かって走りだした。
だが、誰も、何も言わなかった。
必要があるから、総主教様は時間をかけている。
「後はフリースラントだ。伯爵では身分が低すぎる。彼に偽りの身分を捨てて、本来の名を名乗ってほしいのだ」
ロドリックは首を傾げた。
「ヴォルダ家は名門とは言え、王と敵対していました」
「だが、彼は忠実な騎士だ。王太子を助けに行った」
ロドリックは黙った。
「身分と言うのは役に立つ。ヴォルダ家のような名門は特に。彼は、権力など望んでいない。だが、ダリアが崩壊していくと言うなら、話は別だろう。国が崩壊する。バラバラになる。それがどんなことか」
総主教様が語った。
「私は、地方の農民の子だ。身分などない。勉強ができたので、近くの教会の僧が王立修道院の付属学校の特待生にしてくれた。両親は反対だった。だが、私は勉強したかった。反対を押し切って、学校へ行った」
ロドリックはちょっとびっくりした。総主教様がこんな話を彼にしてくれている。
総主教様は平民の出身だと聞いていた。だが、そんな出自で、王立付属学校に入学したなら、地方出身ならなおさら、どれほど頭抜けた秀才だったことか。
それは、ほんの一握りの秀才にだけに認められる特権だった。
異色の存在。貧しい地方の農民の子。だが、それゆえにどれほどいじめられたろう。
「勉強ができても、何にもならなかった。私と同じくらい貧乏でも、貴族の家の子は、身分を鼻にかけて私をいじめたものだ。私は修道院に居られなかった。地方の貧しい教会の僧になるしかなかった。もっと勉強を続けたかったのに。だって、その頃、私は、謎の多いアネンサードの秘密を見つけていたからだ」
神秘的で、本当にあったことかもしれない。ヒトは、ヒトだけではなかったかもしれない。なぜ、アネンサードの名は秘匿され、口に出すこともはばかられるようになったのだろう。
私は夢中になった。レイビックに行ってみたかった。
だが、私は南の港の地方の配属になった。
私が着任した時は、そこは、豊かな地方だったが、君が戦った時よりずっと前の戦乱で、徹底的に荒らされていた。
畑や牧草地に火が放たれ、家々は強奪され、多くの死者が出た。
教会には、なす術がなかった。
ロンゴバルトが去っても、復興はできなかった。
領主たちは、いがみ合い、中心になってリードする者がいなかった。
私は必死になって、話をまとめ、どうにか合意に持ち込もうとしたが、まとまったところで、突然、教会の配属替えが行われた。
様子を見て居た貴族が、私の代わりに自分の縁者を担当者として差し替えたのだ。
教会中心で話がまとまりそうだったのを見て取り、自分の有利になるように教会の力を利用しようとしたのだろう」
「ひどい」
ロドリックは口の中でつぶやいだ。
「なんとつまらぬ私利私欲だろう! こんなつまらぬ目先の欲望のせいで、貧しい農民たちは飢えて死なねばならなかったのだ。
せっかくの合意は白紙に戻され、いったんまとまりかけた領主たちは、またバラバラになった。教会に対する不信だけが残り、教会は恨む者たちに焼き討ちにあった。事情を知らない農民に恨まれ、私は裏切り者として、追われる立場になった。
新しい主教は、すべて私の陰謀だと農民にも総主庁にも報告した。必死になって弁明したが、許されず、やはり貧民の子はダメだと烙印を押された。
解任された私は北の地方への配属を希望したが、許されず、別の地域に放逐された」
総主教様は、粘り強く行く先々で、果てしない実行力を発揮して少しでも改善を図った。それは地味で目立たない仕事で、地域の者たち以外、誰にも評価も感謝もされなかった。
「私が赴任したところは、いずれも貧乏な地域だった。神の教えよりも、日々の糧の方が大事だったのだ。少なくとも私はそう思った。何とか、皆が協力して、少しでも飢えないように。明日に希望が持てるように」
彼はようやく許されて、総主教様のいる総本山の勤務にもどった。
「うれしかった。蔵書に興味があったのだ。私は蔵書係を希望した。
だが、ほかに人がいないからと言う理由で、蔵書係には使ってもらえなかった。代わりに、主教庁の財務担当の仕事を割り当てられた。
忙しくて、蔵書どころではなかったが、近いので、何とか研究は続けられた。
だが、ある日、レイビックに飛ばされた」
「なぜ?」
総主教様はため息をついた。
「財務は、多くのお金を扱うところだ。多額の横領が発覚したが、平民出身の私が、真っ先に疑われた。
貧しい身の上だから、金に未練がありそうだと言う理由でだ。
もちろん、否定したが聞き入れられず、私は誰も行きたがらないレイビックの寒村に派遣された」
総主教様は、いたずらっぽくロドリックを見た。
「毛皮の競り市を作ったのは私なんだよ。それから、ハンターの階級制を作ったのもね。
みんなが腕を競い合うだろうし、安全のためだ。むやみに腕のない者が山に入ったら、危険だし、あの教会を発見される恐れがあった」
ロドリックは、びっくりして口を開けた。
「そのほかには? そのほかに発見したものは?」
「洞窟のことか? 私は入れなかった。でも、総本山の蔵書の中にその記述はあったのだ。場所はわからなかった。私の足ではたどり着けない場所だということは、わかっていた。死ぬまでに一度は行ってみたい」
まるで、昔からの友人に対するかのように、総主教様はロドリックに微笑んでみせた。打ち解けた微笑みだった。
「それから、しばらくして、総主教庁から急使が来た。私の無実が判明したのだ。本当はもう少しレイビックにいたかった。レイビックに配属されたことはむしろ喜んでいたんだ。誰も信じてくれなかったがね。
私は総主教庁に戻り、今度こそ、蔵書係を希望したが、財務に戻され、地方監督の仕事を割り振られ、何十年も全く関係のない仕事に従事した挙句、今の仕事に任命された」
ロドリックは、何とも言えなかった。
この経歴は、総主教様が、おそらく、恐ろしく有能な人物だったことを意味している。ただの有能ではなかったろう。独創性と実行力、地味な努力の積み重ね、それらと、非凡な、ある種の狡猾さが同居していたからこそ、出来たことだったろう。
そして、全くゆるぎない、透徹した善意と無私。
彼は、簡略化して、何も言わなかったが、ロドリックには、そのあとの何十年間を読み取るだけの人生経験があった。そねみや嫉妬では太刀打ちできないくらいの、ものすごい実績を残したのだろう。
『高徳の方で、異例の若さで総主教に抜擢された』
その彼が、この砦に長居している。これほどまでに有能で、時間を無駄にしない人物が、ここにいる意味……
「私は時間がかかったのだ。平民の子だから。だが、フリースラントは違う。名門の子弟だ。ヴォルダ家は筆頭公爵家だ。実力で這い上がってきた彼は、つまらない肩書だと思っているのだろうけれど、使わない手はない。ロドリック、フリースラントに伝えてくれ。ヴォルダ公爵を名乗れと」
お付きの高僧たちは、何も言わず付き従って、待っている。
ロドリックは砦のテラスから、中の様子を見た。僧たちは今も、各自の仕事をほっぽり出して、ついているのだ。緊張しながら、ここ何週間も待っている。
沁みとおるように、ロドリックが軽く考えていた総主教様の滞在の意味が伝わってきた。
「国がバラバラになった時何が起きるか……取り戻すのにどんなに時間がかかるか……いずれフリースラントがダリアを掌握することはわかっている。だが、時間が惜しいのだ。遅ければ遅いほど、貧しい者たちが困窮する。同じ轍を踏みたくないのだ。わかっておくれ、ロドリック」
聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、総主教様が、ロドリックに頼んだ。
ロドリックは立ち上がった。
彼は目礼すると、フリースラントがいるはずのカプトルの王宮へ向かって走りだした。
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