アネンサードの人々

buchi

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サイラム

第173話 総主教様のたくらみ

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 フリースラントは、ルシアに王家の財産を引き継がせ、ペッシの持っていた官職のうち、訳の分からないものは廃止し、かなりの部分は自分が、残りは適任と思われる者に配分していた。

 ちなみに、ペッシはフリースラントのところへあたかも旧知の間柄でもあるかのように、なれなれしく「久しくお会いせず……」云々と、尊大な態度で近寄ってきたが、誰も何も答えないうちにロジアンに連行されて牢に押し込められた。
 「あんな人間は私は知らん」とフリースラントが言った途端、周りの全員が深くうなずいた。
 ペッシは、フリースラントを田舎のモノ知らずの若造と甘く見て、嵩にかかってだまくらかそうと、いかにも高位の貴族であるかのように近づいたのだ。王家の危機の時代、彼は王家の安寧を祈ると言う名目で安全な田舎に避難していたので、レイビック伯爵の正体を知らなかった。
 フリースラントは、貴族社会のことはペッシよりよく知っている。ペッシが高位の貴族のふりをするのはお笑いだったが、フリースラントは笑わなかった。ノコノコ宮廷に舞い戻って来たのは好都合だった。簡単に身柄を拘束できたからだ。




「知らんうちに着々と進んでいる」

 砦の改修が済めば、ロドリックは、どこか田舎の修道院に引っ込もうと考えていた。

 彼は、戦争の際には最終兵器だった。

 だが、平和な時には、商人でもなければ駆け引き上手でもなかった。彼は金もうけや出世に興味がなかったのだ。

「カプトルもベルブルグも、俺には無理です。自分がどういう存在なのか、いまだに俺にはわからない。十五年前と一緒だ。戦いがない時は、十分善い人間なんだと信じることができた。でも、ダメだった。タガが外れると、自分を押さえることができない。フリースラントは最小限の殺人で、効率よく戦果を挙げた。俺はできなかった」

 総主教様はまだ砦に滞在していた。そのため、修道士であるロドリックは付き添って砦に寝泊まりしていた。

 総主教様は、根気よく彼の話を聞いていた。

「戦闘から最も遠いところへ行かないといけないと思っています」

「お前のおかげで二度もダリアは救われた」

 ロドリックは首を振り、答えた。

「そんなことにならないよう、フリースラントに頑張ってもらうしかない。自分で自分が好きでない。バカなことをしたくない」

「じゃあ、フリースラントを助けることなら、やれるのかね?」

 ロドリックは、顔を上げて、総主教様を見た。
 総主教様が、こんなに長々と砦にいるのはおかしいと、その時、ようやく気が付いた。それに、自分のような者の話を時間をかけてと聞いてくれると言うこともおかしいのだ。

「総主教様。私に何をさせようと言うのです」

 総主教様はにっこりと微笑んで見せた。

「私が、ルシアの出自を公にしたり、国の大事の戦争前に、フリースラントの結婚式を演出して見せたり、王太子の葬儀の際に喪主に仕立て上げたりしたことが気になるのかね?」

 ロドリックは黙っていた。

「つまり、私は策を弄しすぎる。そんな総主教が、砦のような不便な場所に滞在して、君と話をしているだけと言うのは解せない。何か、ロドリック、君を罠にかけようとしている、あるいは、君の嫌がることを何かさせようと、目論んでいると思ったのだね?」

 ロドリックは黙っていたが、総主教様は続けた。

「違うよ」

 あっさりした、何のためらいもない答えだった。それでも、ロドリックが黙っているので、総主教様は、話をつづけた。

「君はアネンサードだ。私は、アネンサードの話を追いかけてきたのだ。君が生まれるずっとずっと前からね」





 あの葬儀以来、次から次へと、まるで当たり前のように宮中行事のすべてが、ルシアめがけて押し寄せていた。
 ルシアは怒っていたが、さらに困ったことに、身分の高い大勢の貴族たちが、おそらくは新王と予測されるルシアのところへうやうやしく伺候してきたのである。

 ファン島がロンゴバルトの手に落ちて以来、王家には距離を置いていた貴族たちが、ルシア王女の噂を聞いて、カプトルまでやって来るようになったのだ。



 ザリエリ侯爵は、仏頂面で部屋の片隅に立ち尽くしていた。

 取り急ぎ伺候してルシア王女に謁見を乞うシュウディ公爵が、たまたま同室していたザリエリ候に着席を許さなかったのだ。
 シュウディ公爵の方が身分が高かったので、彼が許可しないと、いくら戦功著しいザリエリ侯爵でも座ることは許されない。
 ザリエリ侯爵は、宮中儀礼を振りかざすシュウディ公爵にむかっ腹を立てたがどうしようもなかった。

「面倒くさい……」

 ザリエリ侯爵は、心底いやそうだった。もったいぶって、大仰で、身分を鼻にかけるシュウディ公爵が気に入らなかったのだ。

 王家の城はむちゃくちゃに破壊されていたので、例の、唯一残った殺風景な建物の中で、華やかであるべき宮中儀礼も行われていた。
 レンガがむき出しの壁や、薄汚い梁が丸見えの建物は、殺風景すぎて、晩餐会も式典も、まったく気分が乗らない。仕方がないので、豪華な布が壁や天井に張り巡らされ、部屋の仕切りの代わりに幔幕が垂らされた。
 (一度、幔幕がドサリと落ちてきたことがあって、皆が肝を冷やしたことがある)

 ピンとロウで固めた口ひげが自慢のシュウディ大公爵は、とてももったいぶった様子で、卑屈なくらいうやうやしく「ルシア様」のご機嫌伺いをしていたが、ザリエリ候が言うには、わざとらしくて「見ていて、身の毛がよだつ」ほどだった。



 総主教様は、その話を砦で聞いて、眼のふちをふっと緩めるように笑った。

「ロドリック、フリースラントに、レイビック伯爵と名乗るのを止めて、ヴォルダ公爵の名を名乗れと言いなさい」

 総主教様がロドリックに命じた。

 ロドリックは、かなり驚いた。

「なぜでございますか?」

「格が違う。先代のヴォルダ公の母上は前の王の異母姉だった。ヴォルダ家自体、王家に近いのだ」

 ロドリックはためらった。

「フリースラントには、兄上がいるはずです」

 総主教は苦しそうな顔をした。

「ヴォルダ公が冤罪で牢にいれられた時、兄上は遠くにおられたが、王とアデリア王女におもねる勢力に捕まり、その後亡くなられた」

 ロドリックは、知らなかったので、驚いて総主教様の顔を見た。

 本当だとすると、あの時の、フリースラントの母、女伯の警告は正しかったのだ。

『フリースラント、私に返事を出してはいけません』

「フリースラントは、そのことを知っているのでしょうか?」

「兄上を捕らえた者たちは、その後、そのことをひた隠しに隠していた。兄上は殺された。これが表ざたになれば、レイビック伯爵が黙っていないことを知っていた」

 フリースラントは、兄がどこかに生きていることを信じているに違いなかった。少なくともそう願っているだろう。だから、ヴォルダ公の名など、絶対に名乗らないだろう。

「ヴォルダ公爵の名を使えと言いなさい。兄上が、気が付いてフリースラントのところへ名乗り出てきてくれるだろう。レイビック伯爵の正体が、あのヴォルダ家の次男だと知っているのは、まだ一部の貴族だろう。国中の者が知っているわけではなかろう」

 ロドリックは、不信の目で総主教様を眺めた。

 それではフリースラントが気の毒ではないか? 兄はもう死んでいる。名乗り出てくることなどないのだ。総主教様は知っているのに、そんなことを助言するのか。

 フリースラントは、昔のとても幸せだった家族のことを覚えていた。

 優しい母、彼を誇りに思ってくれていた父、かわいい妹、立派な兄……

 死んでしまった父は帰ってこないが、母と妹は取り返すことができた。フリースラントは、まっすぐで正直な男だ。兄が元気でいてくれることを期待するだろう。帰ってきてくれることを、待ち続けるだろう。
 総主教様の良く動く目が、ロドリックの考えを読み取ったらしかった。

 彼はため息をついた。

「ロドリック、仕方ないのだよ。復讐もすべて終わっているのだ」

 ロドリックは、驚いて、総主教様を振り返った。

「なんですって?」

 総主教様は、首を振った。

「すべては終わっているのだ。兄上夫妻を手に掛けた者たちは、誰一人、もうこの世にいない。フリースラントが知る必要はない」

「だ、誰が? どうして?」

「教えられない。だが、ヴォルダ家の名を名乗るべき時が来たのだ。兄上の行方は知れないが、名乗れば、生きていればきっと会えるだろう。出て来なければ、父上の冤罪で一家離散した時の騒ぎで亡くなられたのだ。兄を探したいなら最後の手段だ」

「どうしてそんなにしてまで、フリースラントにヴォルダ公爵の名を名乗らせたいのです?」

「前にも言ったろう、最後の糸。ルシアだけが頼りなのだ。それと、あのフリースラントだ」

 戦いで勝ち得た名声。金山に裏打ちされた財力。その上この国で最高の身分。
 さらに、一国をべるだけの実力。

 ああ、確かにフリースラントはすべてを持っていた。だが、そんなことを望んでいるのだろうか。

「彼らを嫌っているのですか? 彼らにそんな運命を背負わせるだなんて」

「おお、ロドリック。なんということを」

 総主教様は言った。

「荷物はね、背負える者のところにやって来るのだ。世界の掟だよ」



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