アネンサードの人々

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サイラム

第169話 サジシームの策略

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 レイビック伯、バジエ辺境伯、ゼンダの領主とリグの領主、ロドリック、ハリルの六人は何とも言えない顔付きで、コテージの小さな客間で顔を見合わせていた。

 海上にいる時から、もしやと疑っていたのだが、実際に腐りかけた死体を目の前にすると、呆然とするしかなかったのだ。

「我々は……何のために来たのだろう……」

 ゼンダの領主が誰に言うともなくつぶやくように言った。



 突然、フリースラントが小さく笑い始めた。

 ゼンダの領主は彼をにらみつけた。 
「面白いことなんか、なにもないだろう」
 
 だが、フリースラントは口元を歪めて笑い続けた。

 リグの領主も、フリースラントを不敬罪で訴えたいかのように睨み、ギュレーターは黙ってフリースラントの顔を見つめていた。

「なんだ。言え」

 リグの領主は、フリースラントに詰め寄った。

「まあ、仕方ない。ここは、サジシームに譲っておこう」

 フリースラントは、唇をゆがめ、変な笑いを残したまま、言った。

「サジシームに譲るとは?」

 いかにも不愉快そうに、ゼンダの領主が聞いた。

「考えたのさ。サジシームは」

 フリースラントは言った。

「王太子が殺されたのは、だいぶ前だ。死体を見ればわかる。おそらく王や王妃より前に殺されている。つまりサジシームが殺したんじゃない。サジシームは王妃と一緒にロンゴバルトを離れている。王妃は王太子の無事を確認しているに違いない」

「殺された時期なんか何の意味があるんだ?」

「サジシームの仕業じゃないってことさ」

「そんなことは何の関係もない。サジシームでなくても、ロンゴバルトの誰かが殺したのだ。同じことだ」

「むろんそうだ。だが、戦うのはロンゴバルトの誰かじゃない。サジシームと彼の部族の軍だ。サジシームは、ダリアの目的が、王太子を取り返すことと、ファン島の支配を取り戻すことだということを理解していたに違いない」

「そりゃそうだろう」

「ロンゴバルトへの侵攻も考えられるだろうが、サジシームはそう読まなかったのだろう」

 血の気の多いゼンダの領主は、一言いいたそうだった。
「ロンゴバルトなど踏みにじって、廃墟にしてくれる」

 彼はそんな議論などどうでもよかったのだ。だが、レイビック伯爵はゼンダの領主は無視して話を続けた。

「王太子は仕方がない。サジシームが知らない間に死んでいた。サジシームはファン島とヌーヴィーの港をあきらめたのだ」

「あきらめた?」

「そう。戦っても無意味だと考えたのだろう。だから兵を退いた」

「無意味?」

「絶対に勝てないからだ。ロンゴバルトの方がファン島からは遠い。ロンゴバルトにとっては不利だ。ダリアは、勝って勢いに乗っている。そんな敵と戦うのは危険極まりない」

 勝って勢いのある軍は怖い。

 ゼンダの領主、リグの領主は戦歴が長いだけに、身に沁みてそのことはわかっていた。

「そんなわけで、ヌーヴィーの町を取り戻し、ファン島を取り返したダリアは、すべての目的を果たした」

「え?」

 ゼンダの領主とリグの領主、ギュレーターは、びっくりした。ハリルも驚きの目を向けた。

「当たり前だ。目的は、来る前から達成されていた。サジシームが選んだのだ」

「これで、終わり?」

「終わりだ。何の犠牲も払わないで済んだ」

「一戦もしていないぞ?」

「戦いが目的ではない」

 全員が黙り込んだ。

「だが……王太子は?」

「そのために、古い死体を吊る下げて、目につくように工夫したんだろう。自分のせいではないから、復讐戦は止めて欲しいと」

「は?」

「あれだけのことを仕出かしておいて、何を甘ちょろいことを!」

 フリースラントも頷いた。
 サジシームは、様々なことをやらかした。
 彼さえいなければ、カプトルが廃墟になり大勢が死ぬことも、街道沿いがむちゃくちゃに荒らされることだってなかった。王も王妃も健在だったろう。

「八つ裂きにしてもおさまらぬ!」

 それはその通りだった。だが、サジシームはヌーヴィーの港とファン島を手放すことによって自軍を無傷で温存し、ロンゴバルトの奥深くに引っ込んだ。サジシームを殺したければ、全面戦争が待っていた。

 フリースラントは言葉を継いだ。

「そのうえ、我々の目的が達成されやすいように、工夫を凝らしてくれたのさ」

「どういう意味ですか? 私にはわかりません」

 ハリルが小さい声だが、不満そうに尋ねた。

「我々が来たせいで、王太子が殺されたわけではないことを、苦労して証拠立ててくれている。わざわざ証拠として古い死体を残してくれることによって」

「わからん。何の意味があるんだ」

「つまり、軍を大勢引き連れて、強硬に交渉したばっかりに人質の王太子が殺されたのじゃ立場がないだろうと計算してくれたのさ。ダリア軍が、ダリアの誰からも非難されないよう、細かく気を配ってくれたわけだ」

 ハリルは眉間にしわを寄せた。

「いやに親切ですね?」

「もちろん、サジシームには目的がある」

「なんだ、それは?」

「要はダリア軍に、とっとと帰ってほしいのさ」

 ロドリックがうなずいた。

「ダリアの目的を達成させることにより、負け戦を避けたのだ」

「負け戦?」

「サジシームはロンゴバルトが必ず負けると踏んだのだろう」

「それなら、うって出ようではないか。チャンスだ。敵も認めているのだ。ダリアの強さを!」

 ゼンダ殿が身を乗り出した。熱を帯びていた。

「だから、サジシームはファン島を無人にしたのだ」
 フリースラントが静かに注意した。

「これで、戦場はロンゴバルトに変更された」
 ロドリックも付け加えた。

「行けない距離でも、装備でもないぞ?」
 リグの領主も強硬だった。

「ロンゴバルトで戦うのは危険だ。それに目的を逸脱している」
 フリースラントが言った。

「復讐も目的のうちだ。どれだけ、街道沿いの領主たち領民たちが殺されたことか」

「だが、ダリアの犠牲が大きすぎる」

 リグの領主は黙った。

「ヌーヴィーの町とファン島の奪還と言う目的は達成されている。王太子の死は、だいぶ前の出来事で、ダリア軍にはどうしようもなかった」

 フリースラントが再度強調した。

「後は王太子の死が不満で、復讐戦に乗り出すかどうか」

「もちろん、王と王妃の死、ダリアへの侵攻への復讐も理由としてはあるが」

 ロドリックが静かに付け加えた。


 王も王妃も、王太子のことも、全員が大嫌いだった。仕返しをする気も起きない。

 ダリアへの侵攻以外は、正直どうでもいいとゼンダの領主すら思った。


「サジシームが希望することには、何でも反対したい気になるんだがな……」

 ついにリグの領主が言い出した。あきらめたらしかった。

「そう言うことだな……」

「そう。だから、ここは、サジシームに譲っておこうと言った」

 フリースラントは力なく笑った。

「これから先も長いと思うぞ? あの、小知恵の回る若造との戦いは……」

「いや待て。どう考えても、フリースラント、お前の方が若いから」

 ゼンダの領主が思わず突っ込みを入れた。

 それよりも……と、ロドリックは内心思った。

 今のフリースランとの言い方だと、あの若造(サジシームのことだが)がメフメトの後釜、それどころかロンゴバルト全体を押さえているかのような認識に聞こえる。


 サジシームには、小賢しい若造と言うイメージがあった。だが、この戦いっぷりは、決して腰が引けた卑怯者の小手先の思い付きではない。
 先を見据え、相手を読んだ負け戦だった。

 フリースラントが、勢いに乗ってロンゴバルトまで、乗り込んで来たら、それも見越していたに違いない。その場合、海を越えて相手の土俵で戦うダリアは極めて不利だ。

 サジシームが避けたかったのは、ダリアの領内のヌーヴィーでの戦や、ファン島をめぐる争いだった。おそらく勝ち目がない。だが、ロンゴバルト領内での戦いなら、サジシームにも可能性があった。

 ファン島とヌーヴィーの港は、ほぼサジシーム一人、つまりハルラット族だけの管理下にあった。したがって、兵力もハルラットのみ。だが、海を渡りロンゴバルトの領土に入ってしまえば、ロンゴバルトの全部族との戦いに発展する可能性がある。それはダリアにとって危険で、そんなリスクを冒す必要はどこにもなかった。そして、フリースラントがそれを理解し、感情に任せた戦いに走らないだろうと考えたのだ。


 ギュレーターは説明を聞いても半信半疑だった。
 ロンゴバルトの部族がバラバラらしいことは、この前の戦いの時にわかった。
 だが、だからと言ってフリースラントの読みの通りになるかどうかは彼には判断できなかった。しかし、ギュレーターはうなずいた。
 フリースラントがそう言うなら、そうだろう。


「よく考えてあるよね」
 フリースラントが苦笑いした。

 今は、ロンゴバルトを痛めつけることが出来ない。今はまだ。それをサジシームは知っている。フリースラントもわかっていた。
 フリースラントは何も言わないが、決して忘れないだろう。
 ロドリックは、フリースラントの一見静かな表情を見つめながら思った。


「交渉することができないので、王太子の死体にしゃべらせたわけだな」
 ロドリックが言った。

「話がさっぱりうまくない王太子が唯一雄弁だった瞬間だ。体を張ってね」



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