アネンサードの人々

buchi

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サイラム

第168話 ファン島の不気味な静けさ

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  コテージは山の側に出入り口があり、海に突き出すように建てられていた。森の中の階段を上り、開けた場所に出ると、真正面に瀟洒な石造りの建物の玄関があった。

「あ……開いている」

 森の中にたたずむ美しいコテージは森閑としていた。

 ドアも立派で鋳鉄で見事なデザインが描かれていたが、わずかに開いていて、風に揺らいでギーと言うかすかな音が聞こえた。

 全員が顔を見合わせた。おかしい。


 フリースラントが先頭に立って、ドアに近づき、大きく開け放った。

 中からの空気が、ドアを開けた途端、こちら側へ流れ出し、彼らは一斉に鼻を押さえた。

「う……ひどい匂いだ……」


 中はうす暗かった。不気味だ。

 フリースラントとロドリックは気にせず、中へ入っていった。

「伯爵様、あぶのうございます……」


 誰もいない。気配がない。本当に無人のようだ……

 フリースラントは、二の足を踏んでいる兵士やほかのメンバーを有無を言わせず中に入るよう手招きした。
 兵には部屋の探索と警戒を命じて、彼らは匂いを頼りに進んでいき、最後にサジシームが気に入りだった、海を見渡せる小さなテラスのついた部屋へ着いた。

 その部屋のドアを開けると、海風が一杯に流れてきた。
 同時にひどい匂いも一緒だった。

「どこだ?」

 フリースラントとロドリック、ギュレーターの三人は、テラスに駆け寄った。何もない。

「下だ。吊り下げられているんだ」

 三人は一斉にテラスの手すり越しに下を見た。下は絶海である。

 いた。

 すっかり変色し、服も液が浸み出して色が変わり、風にかすかに揺らいでいる死体……

 三人はとっさに顔を見合わせた。
 三人とも蒼白だった。

「気味が悪い」
 ギュレーターがつぶやいた。

「ああ、でも、ダメだ。引き上げないと」
「ダメだ。考えただけでも、怖い」

 ロドリックが黙って、ベランダに結び付けられている綱に触った。

「先にあいつに見せよう」

 彼はそう言うと、例の船乗りを呼んだ。

「なんでしょう?」

 この男だって、こんな気味の悪いものと知り合いにはなりたくない。
 呼ばれて、おそるおそる、彼は入ってきた。

「この結び目だが、船乗りの結び方か?」

 彼は、出来るだけ近寄りたくなさそうに、首を伸ばして結び目だけ確認した。

「違います。素人ですね。がんじがらめに結んでいるだけです」

「そうか。ありがとう」

 ロドリックは綱に手をかけ、簡単に獲物をベランダに釣り上げた。

 フリースラントとギュレーターは、真っ青な顔をして、死体を黙って見た。

 顔はまだら模様になり膨れて変形していたが、間違いなく王太子だった。指には見慣れた指輪がめり込んでいた。

 彼らは瞬きした。正視に堪えなかったのだ。

「なんてことを」

 無残な死体だった。

「この男が何をした」



 いや、俺たちはもっと、いっぱい人を殺しているから。

 それこそ、この男より、もっとずっと値打ちのある人を。
 誰かの父や、夫や息子なのかもしれない人を。



「ハリル、この島が無人かどうか、確認が取れたら、船に残っているゼンダとリグの領主を呼んできてくれ」

 ハリルも真っ青だったが、走って行った。彼もその部屋には余りたくなかったらしい。

 三人が黙って待っていると、ゼンダとリグの領主が深刻な顔をして部屋に入ってきた。

 そして、黙ったまま、変わり果てた王太子の死体を眺めた。

「見るに堪えんな」

 ポツリとゼンダの領主が言った。

「首を吊って殺したのか」


 目を怒らせたギュレーターが言った。

「ダリアへの挑戦だ。これ見よがしに、王太子を殺したんだ」

 フリースラントは黙っていた。

 しばらくして彼は言った。

「綱は新しかったんじゃないか?ロドリック」

 ロドリックは目を上げて、意味を反芻した。そして、綱を見た。

「ああ。そうだ」

「何の話だ」

 ギュレーターが怒気を含んで言った。

「そんなこと、大事なことか?」

「大事だ」

 フリースラントは答えた。

「王太子は、だいぶ前に殺されている。昨日や今日の話じゃない」

「そうだな」

 ゼンダの領主が言った。

「大分……そうだな、二週間くらいは経っていそうだ」

「二週間も、こんな縄で吊っていたら、そのうち縄が切れるだろう。海風はきつい」

「縄が切れなくても、首と頭を残して、死体は海に落ちていただろうな」

 落ち着き払ってロドリックが付け加えた。

 ギュレーターは、ふたりの顔を交互に見つめた。

「どういう意味だ?」

「多分、どこか別な場所に置いてあったんだろう。たぶん、もっと保存に向いた場所に」

「死体のダメになり具合と、縄の状態なんかを考えると……」

「そうだな。吊るし直したんだろう」
 ロドリックが答えた。

「今頃、気が付いたよ。もしかすると、誰かが、海の上から見張っていたかもしれないな」
 フリースラントが言った。

 ロドリックはゆっくりとテラスに向かった。

「あそこだ」

 彼が指さした先には、何も見えなかった。水面にきらきらした光が跳ねている。

「あっ! 本当だ。船だ」

 ギュレーターが叫んだ。

「本当だ!」

 フリースラントには、こちらを見ている人間がいるのが見えた。

 彼は苦笑いした。

「なるほどね。看視していたわけだ」

「何をだ?」

 ギュレーターは気色ばんだ。

「我々が王太子の死体をちゃんと見つけたかどうか」

「どういうことだ?」

「王太子の死体を発見して欲しかったのさ」

 そう答えて、フリースラントは考え込んでいた。




「それはとにかく、これは持って帰らにゃ行かんのか?」

 リグの領主は、そろそろ、匂いにうんざりしてきたらしかった。

「まあ、仕方ないな」

 ロドリックがあきらめたように言った。

「袋かなんかに押し込めよう。臭すぎる」

 リグの領主は本気で嫌そうだった。最初の驚きが覚めると、彼は王太子を、全く好きじゃなかっただけに、だんだんどうでもいいような気がしてきたのだろう。

 フリースラントがそこらを探し始めた。

「もし、持ってきたのだとしたら……ああ、これだ。間違いない」

 フリースラントは、テラスの隅の方に、捨てられていた目の詰んだ大きな麻袋を拾い、ちょっと中の匂いを嗅ぐと、鼻の頭にしわを寄せて、ロドリックに差し出した。

「これだと思う」

 ロドリックは手を振って、匂いを嗅いで確認するのを断った。

「お前が確かだと言うなら間違いない。この匂いは嗅ぎたくない」

「なんだ、その袋は?」

 ゼンダの領主が聞いた。

「ここへ持ってくるのに必要だったんだよ。吊りっぱなしは、あり得ない。そんなことをしたら、ずっと前に海に落ちてしまってたはずだ。我々がこちらへ向かってきたのを確認して、大急ぎで死体を吊って見えるようにして出て行ったんだろう」

「絶対に死体を見つけて欲しかったんだと思う。ああやって、テラスに吊っておけば間違いなく気が付いて、死体を発見するからな」

 フリースラントとロドリックは、しゃべりながら、平気な顔をして死体を袋に詰め込み、固く口を縛った。それから、臭いからと言う理由で、それをテラスの隅に置いた。

「これで、ちっとはましだろう。手を洗ってくる。ほかの部屋で話はしよう」

 ギュレーターとゼンダとリグの領主は、うんざりした様子で、気持ちのいいはずの海を見渡せる部屋から撤退して、別の部屋に移った。

「フリースラント、死体の発見云々って、どういう意味だ。教えろ」

 ギュレーターがうんざりしたように詰め寄った。


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