アネンサードの人々

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サジシーム

第154話 合理主義者、フリースラント

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 フリースラントは、体力温存を是として進んでいた。

 今、彼は、一人で戦わなければならない。

 だんだんとロドリックほどの体力や力はないことはわかってきた。この分だと、彼は角が生えてくるなどと言う異例の事態に見舞われることはないだろう。

 しかし、十分に彼は異様だった。そのことも理解していた。

 だが、ロドリックと違って、それを悲観することを、彼はもう止めたのだ。

「使えるものは使おう」


 ロンゴバルトのやつらは、襲われるなど夢にも考えてもいなかった無防備な王宮の人々を襲撃した。
 次は、カプトルの市民だった。武器さえ持っていない。
 カプトルに来た時も、交通証の王旗を掲げて、街道を快適に行軍してきたのだ。
 ダリアなんて、ちょろいもんだと完全になめ切っていた。

「そんなわけあるか」

 ロンゴバルトの連中は、まったく油断していた。
 隊列は乱れ、ガヤガヤと大声でしゃべりながら、進んでいく様子に、その力の抜けっぷりは表れていた。
 
 首長たちは、格好をつけて、ひときわ大きなウマに乗り、徒歩の兵に明かりを持たせ堂々と進軍していた。
 側近たちも、兵卒に比べると目立つ立派なマントを身に着けていた。
 遠くからでもよく目立つ。
 フリースラントだって、明るい方が命中率は上がる。首長らが側近に持たせた明かりは、フリースラントにとって好都合だった。

 静かに近寄り、慎重に構える。放つ。

「やった!」

 突然、ゲタゲタ笑いながら行軍していた首長が首を射抜かれ、落馬した。
 仰天した側近は、首に刺さった矢に気が付き、どこからの矢かあてどもなく回りを見回した瞬間、右目を射抜かれ絶命した。 

 学校教育が役立った一瞬だった。彼は弓矢の訓練は、主に学校で受けたのだ。 

 フリースラントは何事もなかったかのように、その脇をするすると通り越していく。


 フリースラントは全員を殺そうなどとは考えていなかった。大体一人でそんなことをするだなんて無理だ。

 それでも、暗闇でもよく見える目を活かして、彼は街脇の林の中や、牧草地の中を突っ切って、切れ切れに松明の明かりが続くロンゴバルトの隊列にまとわりつき、通りすがりにその首長たちの命を見事に絶っていった。

 彼が射殺したのは、わずかな人数だった。首長と側近二、三人くらいなものだ。
 だが、ロンゴバルトの隊は乱れ、大騒ぎが始まっていた。

 首長を失くした彼らは、絶対にゼンダの領主軍が戦っているところまで行こうなどと考えないだろう。さんざん逡巡した挙句、首長たちの死体をウマに乗せ、砦に戻ろうとし始めるだろう。
 
 「砦はもうダリアのものだ。戻る場所なんかない」

 砦がダリアの手に落ちたことを知った彼らはどうするだろう。カプトルは危険だ。おそらくはロンゴバルトに向けて遁走を始めるだろう。みじめな負け戦だ。



 ゼンダの領主軍と、ロンゴバルトが戦っている場所は、遠くからでも、すぐにわかった。
 はるか彼方からでも、火が燃え盛り、大勢の人の声、ウマのいななきが聞こえる。

「戦うな、逃げろと言ったのに」

 どうして戦うのだ。戦う必要はないと、あれほど注意したのに。だが、そんな予感もしていた。

 彼は目を凝らし、耳を澄ました。聞こえる。ダメだ。叫び声だ。



 フリースラントは今まで理性的だった。仕方がないから殺したことがあるだけだ。

 だが、ゼンダの領主の半白の頭と頑固そうな目を思い浮かべ、その彼が、剣を握りしめているに違いないことを思った時、フリースラントはウマを降りていた。

「あのバカ野郎……」

 ザリエリ候も、リグ殿も、モロランタン伯爵も、それから多分全然役には立っていないベルビュー殿も戦っているだろう。

 フリースラントは、唇を噛み締め、鎧兜を身につけた。ズシリと重い。

 オレを見損ねるな。

 彼は思った。

 どんな卑怯で悪辣な殺し方でも厭わない。殺せるなら。
 半殺しも大いに結構だ。動かなくなって戦力から外れると言うなら。

 敵の背後から、暗闇を利用し黙って近づいた。

 いきなり背中から斬りつける。

 速い。

 ドサッと言う音がした。

 次。

 そのまた次。

 

「あっ…?!」

 誰かが気づき、大声をあげた。

 その声に次から次に、兵たちが振り返った。

 ロンゴバルトだけではない。ダリアもだった。

「あれは……」

 鋼鉄の騎士……

「ヤツを止めろー」

 悲鳴に近いロンゴバルト語が響き渡った。



 サジシームもウマに乗って参戦していた。

 彼が伝統的なロンゴバルト首長の格好をして、戦いに出ることなどほとんどなかったが、今回は、やむを得なかった。
 ダリアが攻めてきている。
 メフメトの後継とみなされるためには、戦場に出ることを厭ってはならないのだ。


 叫び声に、サジシームは振り返った。

 鋼鉄の鎧を身に纏った一人の男が戦っていた。おそろしく大きな男で、その剣は血みどろだった。
 一なぎで数人が倒れていく。

 鋼鉄の騎士を初めて見た時、彼はその姿に釘付けになった。

 父を殺した男……。

 それまでは、大げさな話だと思っていた。尾ひれがついて、勝手に話が大きくなっただけだと。
 だが、今、目前で戦うその男は、異常だった。人の命なんかなんとも思っていない。まるで、物でも扱うかのように何のためらいもなく簡単に骨を折る。事務的なその動き……悪魔だ。

「魔王……」

 火の明るさを映して、打ち下ろされる剣の凄まじさ、鎧兜が鈍く光る様に、サジシームは思わずつぶやいた。

「魔王?」

「いや、何でもない」

 しかし、その言葉は次から次へと広がって行った。


「魔王だ」
 怯えた声が空を満たす。

「違う! そんなものは迷信だ! 戦え! 戦うんだ!」

 サジシームは声をからして叫んだ。

 失言だった。だが、それは彼の本音だった。なんという恐怖。圧倒的な力の差には勝てない。

 恐ろしく重量があるはずなのに、鋼鉄の騎士の動きは軽く、簡単に剣を打ち下ろす。まるで、木刀でも振り回しているかのようだ。
 触れただけで、頭は割れ、血飛沫と脳漿が飛び散った。胸を突かれると、二度と動かなくなった。斬っているのではない。圧倒的な力の差で、壊している。

 ロンゴバルトの刃など、刃こぼれするばかりで、何の役にも立たなかった。

「あの昔の本には、どうやって勝ったと書いてあったっけ。確か、大勢で昼夜交代で攻め続け、疲れ切ったところにとどめを刺す……」

 だが、そんな余裕はなかった。
 
「灯りだ! 灯りをともせ! 早くしろ!」

 人間の目では全く見えない闇を選んで、鋼鉄の騎士は移動してくる。
 
 見えない恐怖だった。

 かがり火は広がっては、次々と消えていった。
 灯す者がいなくなるからだった。

 そして、サジシームのいる場所へも、着実に近づいてくる。

 その向こう側にはダリア兵が待っていた。

「おお、あれは……!」

 ダリアの兵達は疲れ果てて、気力だけで戦っていたが、彼に気付くとその目がギラついた。

「鋼鉄の騎士だ。鋼鉄の騎士が来たぞ!」


 魔王も疲れないはずがない。
 サジシームは目を凝らした。
 足取りが遅くなってきている気がする。

 あいつさえ、あいつさえ殺すことができれば……


 フリースラントの足取りは重くなっていた。

 鎧の重さは五十キロ以上あるのだ。剣と鉄製の弓矢の重さは別にしてだ。

 絶望的な戦いはフリースラントの方だった。
 彼はたった一人。まだ、ゼンダの軍と合流することもできていなかった。


 だが、その時、大勢の戦士が近づいてくる匂いを彼は嗅ぎ取った。

 どっちだ?

 ロンゴバルトか? ダリアか? 


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